遠い過去に死んだ女   作:貫咲賢希

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遠い過去に死んだ女

 冷たい石の部屋に私は横たわっていた。

 外は雨。深々と微か雨音だけが部屋の中に響き、湿気がただよう部屋にはまるで自分しかいないように思えた。

 だがいる。たしかにいる。寝ている私の隣には夫が立っていた。

 二年間。それが彼と過ごした時間だった。

 短い期間だったが、私にとってのそれ以外の時間は、文字通りいつ死に絶えておかしくないほどの時だった。苦悩もあった。絶望があった。

 しかし、その二年間だけは幸せだった。それが、最後に私が胸に灯った気持ち。

 病に冒され、衰弱した女。体はやつれ、肌も髪を艶を失い、唇にさえ生気のない私。

 けれども、それがたとえ歪だったとしても、夫はまだ美しいと言ってくれた。

 それが嬉しかった。

 助かりたいとは思わなかった。私の病は死の道しるべ。それは随分前から決まっていたこと。今更妨げることに何の意味がある。

 私は夫に細い腕を差し出した。夫は何も言わなかった。

 

 夫はこうでも思っているのだろう。

 

 腕を掴み、へし折ってやろうかと少し考え、考えた末、ただ、それはあまりにあっけなさ過ぎて、きっと楽しくないだろうと思ったのだ。そして私は腕を折られたくらいでは嘆くまい。

 

 そう、私の夫は歪だ。

 けれども、それは私も同じだった。

 似たもの夫婦だと思うとすこし幸せな気分になる。

 だから、夫はいつまでも変わらぬ冷たい声で、私にに告げた。

 彼にとっては事実を。その真実だけを。

 

「私にはお前を愛せなかった」

 

 私は微笑んだ。残念なことに夫は目を逸らした。すこし寂しい。

 

「―――いいえ」

 

 それでも、私は言葉を紡ぐ。夫は聞きたくなかったようだが、仕方なさそうに私に振り返ってくれた。それがただの義務と思っていた行動でも、私は嬉しかった。

 

「貴方はわたしを愛しています」

 

 私は夫に救ってもらった。

 私は微笑もうとした。夫は表情を変えないので、うまくできているか不安だ。

 

 血を吐き出す。白いシーツを私の血で赤く染める。

 夫の顔は変わらない。

 

 そんな人だ。私の夫は、そんな人なのだ。

 外は雨。暗い空の下、私が死ぬのだろう。私の夫はその情景を、ただ眺めていた。

 

 視界がぼやける。意識が今にも消えそうだった。

 

 でも、私はできるだけそれに抗う。

 

 一秒でも長く、この人と過ごしたい。

 きっとこの夫は諦めているのだろう。

 それでも、無様に、みっともなく、消えかかる蝋燭のように激しく命を燃やす。

 だって、私はこの人を――。

 

「ほら。貴方、泣いているもの」

 

 視界がぼやけたのでそう見えた。

 

 ここからは時間にして一瞬。

 

 きっと、これは走馬灯なのだろう。

 

 《被虐霊媒体質》と呼ばれる異能を私は持っていた。悪魔に反応しその憑依者と同じ霊障を体現する力。その力を使い、悪魔祓いにおいて初手、そして最大の難関とされる隠れた悪魔を見つけ出す段階において、自らの傷を持って悪魔を探知していた。

 このため、常に生傷が絶えなかった。元々、体が丈夫でなかったため、癒えぬまに体を壊し、そのため免疫もできず、病にかかったのだろう。

 

 人生を呪った。

 

 ああ、神よ。なぜ、私だけこのような目に遭うのでしょうか? あまりにも悲痛ばかりではありませんか?

 

 いつしか、自分の手で命を落とす、そうなのだろうと思ってきた。

 

 彼に逢うまでは・・・・・・・。

 

 聖遺物の管理・回収を任務とする第八秘蹟会に席を置いており、彼の父はまさに信仰者の鏡である人で、周りもその息子は重ね垂れた経歴に眩み、そうであると認識していた。

 

 けれど、私は、違うと思った。

 

 彼はどこか歪だった。他の人間が幸せであることを幸せと感じず、悲しいとあることを悲しんでいないように思えた。いや、きっとそうなのだ。なぜなら、他の人が何かを感じる時、貴方だけはどこか虚ろだった。

 

 歪な人格破綻者。きっと、彼の正体はそうなのであろう。

 

 でも、だからこそ、私を見つけてくれたのだろうと思う。

 

 他の人間は聖女と言いながら、まるで腫れものを扱うように接した。

 けれど、彼だけは違った。彼だけは人並みに接してくれたのだ。

 涙があふれた。痛みや苦しみの涙ではなく、幸せの涙たった。

 こんな私といれば、愛することができれば、本来、万人が感じるものを得ることができるか、そんな打算だったのかもしれない。他の愛するもの同士が求めるように私を欲したのではないのかもしれない。

 けど、それでも、私は嬉しかったんです。

 貴方は自分が人と違うことに苦悩していました。でも、その苦悩する姿は、己こそが完璧で汚れのないものだと信じる者よりも、遥かに人間らしいと感じた。

 ますます、貴方のことを想うようになりました。

 

 私は貴方が人を違うことを悩んでいるのを知っていました。もし話しあえば、貴方は自分がどんな人間なのか知ることができたのかもしれません。

 しかし、私はそれをしませんでした。

 怖かったから? 夫が化け物になってしまうことを忌避したのか?

 違うと思う…………。

 

 私は必死で悩む貴方を愛しいと思う気持ちがあった。だから、私はそのままにした。その姿をもっとみたいと思った。

 だから、私も歪なのだ。私自身、心も壊れてる。

 

 けれど、壊れた心でも、幸せを感じれた。

 

 色んなことがあった。味覚のわからない私に合わせて、激辛の食べ物を一緒に食べた。一緒に辛い辛いと言いながらも残さず最後まで食べた。汗を流しながら、黙々と食べる貴方の姿はどこか面白かった。

 一度、二人だけで海にいった。とても青い。青い海だった。貴方はそれになにも感嘆してはいなかったようだけど、私はあの景色を二人で見られたことが嬉しかった。もしも、どこか別の場所で暮らせるなら、海の近くがいいと思った。

 娘もできた。あなたの子を産めたのは本当に嬉しかった。こんな私にも、何か残せるものがあると、誇らしかった。こんな私が母になったのだ。乳を吸う我が子を見るといつも不思議に思う。

 だが、こんな二人の娘だ。真っ当な人間ではないのかもしれないが、しかし、どうか自分らしく生きて幸せを得てほしいと思う。これが親心というものだろう。

 

 …………。

 

 本当は、もっともっと、一緒にいて、いろんな景色を見たかった。

 いろんな時間を過ごしたかった。

 そうしたら、貴方も私も歪な存在じゃなくなった。もしくは、そろって化け物になっていた。けれど、それでも私は幸せです。たとえ、どんな結末でも、満足して逝くことができたでしょう。

 

 それは望み過ぎだ。あまりにも幸せ過ぎて、罰が当たる。

 いや、すでに罰が当たったのだ。だから、私は死ぬのでしょう。

 

 貴方の手で殺しても構いません。

 それで、貴方が愉悦に浸り、快楽を得たとしても、私の気持ちは変わりません。

 貴方の正体が悪人で外道だったとしても、何度生まれ変わっても、私は貴方の妻でありたい。

 

 この気持ちを言葉に伝えたい。

 

 それが届いたかは解りません。雨音で消えるか、声がもう出せないか、それとも、もう私は生きているのすら解らない。

 

 

 

 けど、この未来永劫、変わらない気持ちを、この世、全てに伝えるように想う。

 

 

 

 

 

 

 ―――綺礼、貴方を愛しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。

 我が目の届かぬものは一人もいない。

 打ち砕かれよ。敗れたもの、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。

 休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる

 装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。

 休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は死の中でこそ与えられる

 許しはここに。受肉した私が誓う。

 

 ―この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)

 



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