戦姫絶唱シンフォギアST~Scratched thunder~ 作:兵頭アキラ
無機質的な白い廊下を、大きな胸の上で赤い石柱のようなペンダントを揺らす、高校生と見て取れる一人の少女が歩いていた。彼女は体のサイズよりも少し大きな白衣を着ている。数冊の分厚い本と様々な研究資料が織り込まれたバインダーを手に、彼女は目的の研究室へと向かう。
彼女の名は轟雷。別の世界ではシンフォギア装者として様々な脅威と戦っている彼女であったが、この世界では違う。少し異なった歴史を歩んだ少女だ。
彼女はロックのかけられた部屋の前に立ち、
「ウェル。入るぞ」
この研究室の主の名を呼び、返事も聞かずに彼用に高さが設定されている自身より少し高い位置にある網膜スキャナーに軽くジャンプして網膜を読み込ませ、ドアロックを解除する。
そう、彼女はウェルの助手としてここで中学生ながら働いているのだ。
本来の世界では誰にも手を差し伸べられず、自分を殺すことでいじめや虐待をやり過ごしてたのだが、この世界では彼女の頭脳(境遇的にも彼の夢のためには無視できない)に目を止めたウェルが手を差し伸べ、彼女を助け出した世界だ。
腕の中の本を整え、まるで自室の様にウェルの研究室へと入っていく。まあ、しょっちゅう入り浸っているため自室と言っても過言ではないのだが。
電気も付けられず、研究資料でほぼ足場のない床を慣れた足どりで進んで行き、毛布にくるまったウェルの元へと到達する。彼の枕元に本とバインダーをどさっと置き、眠った彼の顔に自身の顔を近づける。
「ウェル。もう朝、早く起きて」
「やぁレディ……。何時も起こしてもらってすまないね……」大きなあくびをしながらウェルがのぞき込む雷のほうに顔を向けた。雷は微笑み、「研究に没頭するのはいいけど、シッカリと食事はとる事。あと、出来るだけ研究結果は早くこっちに回して。ウェルの報告が遅いと纏めるこっちまで遅くなるんだから」頬を思いっきりつねった。
「善処する……」ウェルは目を合わせず答えた。
(するつもりが無いな……)
雷はため息をしながらつねるのをやめ、早く起きろと急かす。彼はゆっくりと起き上がって伸びをし、雷に毛布をひん剥かれてようやく完全に目を覚ました。
「ハイハイ!起きたら顔を洗うかシャワーを浴びる!せっかくいい顔してるんだからもっとシャキっとして!」
「分かった、分かったから!背中を押すな!」
小柄な体でグイグイと背中を押す雷を、苦笑いを浮かべながらウェルが追い払う。彼女は腰に手を当て、頬を膨らませて言った。
「早くしてよ?これから改良したリンカーの学会報告に行くんだから」
「そう言えば今日だったか……。これで僕も英雄に……」
「英雄様はちゃんと身だしなみも整えてくださいな」
「分かったよ……」
そう言って彼は部屋のシャワー室へと歩いて行き、シャワーを浴び始めた。一人残された雷はと言うと少し顔を赤らめ、忍び足でシャワー室の脱衣所まで歩いて行き、そこに置かれたウェルのメガネを手に取った。そして彼女はつばを飲み込み、緊張の面持ちで眼鏡を自分に掛ける。更に彼の白衣を手に取り、ムフフともニヤニヤとも取れる奇妙な笑顔を浮かべながらそれを抱きしめた。
(ウェル……私の英雄……。本当は私だけの英雄でいてほしいけど、ウェルはすごいんだぞ!って知らしめたい自分もいる……。ハァ、悩ましい……)
雷はウェルに恋していた。あの地獄から自分を救ってくれただけでなく、衣食住を全て与えてくれたのだ。さらに自分のような存在を助手としてそばにおいてくれている。恋に落ちない方がおかしいだろう。彼は英雄に恋しているため叶わぬ思いだとは分かっている。でも、それならと彼の夢を叶えたいと思っている。
シャワーの音が止んだ。
雷ははっとした顔をして白衣と眼鏡を戻し、そばに持ってきていた新しい服と彼の脱いだ服を取り換える。そして気付かれないように脱衣所を出た。
「ふう……。では、向かうとしようか、レディ?」
「朝食はもう作ってあるから、それを食べてから」目を瞑り、指を一本立てて言った。
「分かってる。……ところで、『例の計画』はどうなってる?」研究室を出、廊下を歩きながらウェルが言った。
「問題ないよ。所在もばっちりと確認してるし、それを開けるのにも操るのにも必要な鍵の場所も掴んでる。ウェルがGOサインを出したらすぐに出来るよ」研究資料をまとめたバインダーとノートパソコンを抱え、彼の隣を歩く雷が答えた。
ウェルが満面の笑みを浮かべる。計画が順調に進んでうれしいのだろう。そんな彼が笑う姿を見て、彼に恋する雷もうれしくなった。
彼は小躍りしそうな足どりで進み、
「これで僕も、英雄さ~!」
「先に学会への報告が先だよ、ウェル」
「おっふ?!」
小さな体を彼の横っ腹にぶつけた。調子に乗ったウェルをたしなめるのも彼女の仕事の一つだ。軽くよろめくが、ウェルはすぐに立ち直る。そんな彼の体に自身の体を預け、顔を赤くして、
「でも、期待してるよ?私の英雄……」
「ああ、期待してくれよ。僕は君の英雄なんだから!」
英雄を目指す男、ウェル。彼に恋し、その頭脳を回転させる少女、雷。少し前に発生したルナアタックによって落下する月から人々を守るための『フロンティア計画』。ウェルを英雄にするための計画の成功を夢想しながら、二人は寄り添い合って白い廊下を進んで行った。
これはこれでいいな。