鎮守府におじいちゃんが着任しました   作:幻想の投影物

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被害状況報告。
重巡洋艦・青葉
タービン含め駆動系の全損、またそれによる形態移行の問題は無し。
復帰には妖精を総動員させ一六時間を要す。
駆逐艦・吹雪
艤装の大破と弾薬の誘爆による内部被害。外傷は甲板の損傷のみ。
復帰には二時間を要す。
以上

―――とある妖精の報告書より。



剥面

 入渠。

 傷ついた船をドックへ押し込み、そこにいる妖精に損傷個所を埋める艦娘用資源の「鋼材」と「燃料」を使わせる特殊な施設。全ての艦娘運用基地に設置されているが、場所によっては広さと効率で大きな違いが生じてくる。

 ここでは艦娘たちが艤装形態になって治療を受けており、どのような損傷を負っていたとしても沈んでさえいなければ必ず戦線復帰させることが可能であると聞かされている。かつての大戦中、不死鳥と呼ばれた駆逐艦・響の再現を全ての艦でこなすことができ、なおかつ通常の艦船であれば数ヶ月を要するような損傷も、艦種に関係なく必ず1週間以内に治す事ができると言うのだから、つくづく艦娘とは都合の良い存在だ。

 

「気分はどうかね、重巡洋艦青葉」

「さて、どうですかね。あはは、そっちの失態を死神とでも書こうかと思ったんですが、これは自分で油断した結果ですからね。惨めな気分とでも言って差し上げましょう」

「…妙な光景には違いない。両足を亡くした人型が、陽気に笑っておるのだからな」

 

 入渠をしている間は、別段厳重な装甲壁で仕切られていると言う訳でもない。

 艦娘の意識がある中で修復が進むのだが、私の目には見えずとも「鋼材」と「燃料」を持った妖精が青葉にそれらを寄せていき、光を纏って消失する。すると、失った患部や艤装の損傷個所が少しずつ盛り上がり、元の形を取り戻すという仕組みらしい。

 現に両足(タービン)を破壊された青葉の両足にある断面からは機械らしき構造が見えていて、鋼材が消える度にミリ単位で脚が造られている。バチバチと火花を散らす断面には痛覚があるのか聞いてみれば、痛いという感触はあっても耐えられる程度らしい。

 

「この様な場で失礼しますが、青葉型重巡洋艦一番艦の青葉と申します。以降お見知りおきを」

「改めて、伏見丈夫だ。諸君らの新たな提督に――むっ!?」

 

 がっちりと握手を酌み交わすが、触れた瞬間バチンッと電流が腕に奔る。

 あくどい笑みを浮かべる青葉の手を見てみれば、そこも傷ついていたのか表皮の剥がれた掌には銀色の金属光沢が見られた。恐らくあの損傷個所にわざと私の手を当て、意図的に電流を流したのだろう。これまで死に体であっても、艦娘を持ち上げた者が漏電による感電を喰らったという報告は無い。

 

「まぁ、助かった事には感謝しますがそれだけです。あの深海棲艦ってあなたが連れて来たんじゃないですか?」

「可能性を考えれば否定はせん。私が初めてリンガ島に辿り着いた時は深海棲艦を振り切る形となってしまったからな」

「ふぅーん。責任を取れ、と言われても反論しません?」

「部下の失態は上司の失態であり、上司の失態は当人の責任だ」

 

 艦娘らしい、あまりにも機械的な瞳が此方を見上げて来た。

 こうして見れば艦娘とは造られた物であるという実感がわいてくるが、しかしそれに感情というものが搭載されている事が不可思議であり何とも言えぬ気持ちにさせられる。

 

「ふぅ~……詰まらないですねぇ。固すぎるって言われた事ありません?」

「耳にタコができるほど言われている。変えるつもりもない」

「ハァ、もういいです。認めますからさっさと何処にでも行ってください。一人寂しく修復に専念したいですし、装備の点検もしないといけません」

「そうか。復帰の報告書を待っている」

 

 何故か足場が悪いドックでは歩くのは困難を要する。

 軍刀を杖代わりにし、私はドックを後にすることにした。

 

 それから、いつもの執務室に行く途中で掲示板を見やれば、第三艦隊と第四艦隊を記した新しい紙が張り出されていた。艦娘の開発と同時に上昇した人類側の技術であるが、この資源不足の鎮守府ではあいも変わらず藁半紙を使用している。そこに機械的に登録された文字を打ち込む機械でコピーを作り、掲示板に張り出す。このような老体では、付いて行くのが困難になるほど時代は進んだものだと実感してしまった。

 さて、その足で執務室に到着してみれば既に那珂が書類整理を終えたのか一息ついている姿があった。前提督就任の一周年記念に金剛が持ってきたという紅茶を入れる器具を器用に使い、実に美味そうに一杯を飲んでいる。

 此方に歩いてくる音に気付いていたのだろう、すぐさまカップを置いて私へ略式の挨拶を送ってきた。

 

「おはようございますっ! ○八○○、お早いですねっ」

「うむ、おはよう。しかし……」

「しかし?」

「艦娘が飲食する姿など初めて目にしたよ。存外、人と変わらず美味そうに飲めるのか」

「味覚はあるから。提督さんも一杯いる?」

「いや、いい。既に食堂で済ませている」

 

 ここ数十年の記録では艦娘に飲食させた提督はいない。だが、何と言っても人に似せられた兵器である彼女らだ。自発的に飲食を行ったとしても何ら不思議ではあるまい。だが、問題になったのは人間と酷似した点かもしれん。あのような姿を見せてしまえば、公平を貫くべき提督連中が情に訴えるなどと言った不必要な手を伸ばす可能性もあろう。

 

「先に言っておこう。本日は第一、第三艦隊を海洋へ派遣する」

「じゃあ提督さんは?」

「この腕の治療だ。その間、敵の再襲撃に備え鎮守府周辺海域へ進出し機雷を撒いて来てくれたまえ。昨夜のうちに襲撃予想点を決めてあるが、諸君らが必要だと思えば機雷のポイントを追加しても構わん。ただしその場合は報告書に漏れなく書いて提出しておくこと。詳細はそこの机にある書類に目を通しておけ」

 

 机に向かいながら任務を下し、最低限の荷物を持った。

 

「本日の職務はそれだけでいい。帰還後は自由にして構わんが、先日の襲撃が再び起こることも想定される。警戒だけは怠るな」

「わっかりましたー。それじゃいってらっしゃーい」

「調子のいい事だな。実績が無くば怒鳴り散らしていた所だ」

 

 扉を閉めれば、もはや那珂の言葉は聞こえなくなる。

 先日の那珂への乗船。やせ我慢で強がってはいたがああも揺れ、塩気を帯びた風を受け続けていれば患部は酷く痛みを発していた。老いたおかげで色々と神経も鈍くなり、鈍痛を隠し通すことはできたもののやはり放置すべきでは無いな。怪我(これ)は。

 軍刀の鞘で地面を突き、衰えた脚と片手で体重を支える。この広大な鎮守府に人間大の存在が三八名しか居ないためか、玄関へ通じる道は恐ろしく物寂しい雰囲気に包まれていた。コツコツと廊下に響く音だけを聞いて玄関を開けば、予定通り任務係が待ち受けていた。

 

「任務係、待たせたようだな」

「いえ、迎えも来ました。乗り込みましょう」

 

 車のドアを開いて貰い、またあの運転手がいる車へ腰を落ち着ける。

 それなりに固いシートは背中の骨に当たって少し痛かった。

 

「内陸の医者がいる所まででしたか」

「ああ、今回も頼む」

「では出して下さい」

「了解しました」

 

 エンジンが掛かって、車はほとんど整備もされなくなった道路跡を走りだした。乗船した時とはまた違った揺れが患部を襲うが、数時間も揺られ続ければその痛みは十分こらえる事ができるようになる。嫌な汗が止まらないのは人間として当たり前だと思っておけば問題は無い。

 

「時に、私たちが到着した港町はどうなった」

「…直後に深海棲艦が襲って来ましたが、すぐさまある程度の壁がある所に避難しましてね。損害は十五人と家屋だけですよ」

「そうか、何人かは生き残っていてくれたか」

「一度命を投げ出す様な真似をしたもんです。そりゃあ、生き残り易いでしょう。……まぁ、囮になった彼らの犠牲は忘れちゃならないんですが」

 

 運転手の話では、このリンガ島で生きている人間は百人には届いていないが、それでも深海棲艦の脅威から逃れられるよう少し内陸に集落を移したらしい。一緒について来てくれた船員の内、何人かは提督業に就いた私に期待を寄せているのだとか。

 

「かく言うわたしもその一人でしてね。奴らを葬るためにこっちに来た伏見提督には期待しておりますよ」

「了解した。守るべき民の言葉を頂いた以上、奮闘せねばならんな。それに先日の襲撃を退けたことで、ある程度深海棲艦側の戦力は分かったつもりでもある。寿命が尽きるまでこの身は戦いに捧げられる心づもりだ」

「ソイツはありがたい。……そろそろ目的地ですが、大きな揺れにご注意を」

 

 運転手の言葉通り、ガタガタと砂利だけが敷き詰められた道を車が走った。揺れと言うよりも、何とも言えぬ折れた骨の痛みが嘔吐感にも似た気持ち悪さを催させるが、幸いにも胃の中身がぶちまけられる前に車は止まった。

 片腕で額を覆っていると、いつの間にか降りた任務係が此方側のドアを開けて外で待っていた。

 

「座標に間違いはありません。こちらへどうぞ」

「うむ、君は此処で待っていてくれたまえ」

「了解しました。お気をつけて」

 

 海軍式敬礼で見送った運転手を残し、安定しない凹凸が目立つけもの道を歩く。とてもではないが、鬱蒼と生い茂る木々や草花はどこぞの密林地帯を連想させるもので、辺りを見回せど家屋の一つどころか人間の建造物一つすら見られない。

 だが任務係が確信を以って此処だと言うのならば、私は付いていくほかないのだろう。遅々とした歩みであれど、確実に一歩一歩この密林地帯の中を走破して行った。

 

「ここですね」

 

 無言で目的地に向かう事、実に十数分は経過したであろうか。

 私たちはこの島の中でも類を見ない、随分な巨木の下に辿り着いた。双子葉類の一般的な樹木のようだが、生憎と生物学や植物系の知識を習得しているわけでは無いのでその正体を看過する事は叶わない。

 だが、何と言うべきか。感じられるのは神々しいといった感覚的なもの。言葉ではとても言い表せない、恋心にも似た複雑な感情だ。無論、私は木に恋しているなどと言った樹木性愛(デンドロフィリア)では無いのであくまでモノの例えだが。

 ソレはそうとして、気になるのは此処にあるのは周辺の樹木とこの大樹のみ。とてもではないが、医者がいるようには見えない点だ。任務係に視線を移す前に、しっかり言葉としてそれを伝えてみるとしよう。

 

「…確か、電話で連絡をとっていたのではないのか?」

「ここで間違いありません。それでは皆さん、この方が伏見提督です。どうか治療をお願いします」

「……うん?」

 

 目には見えずとも、しっかりと質量を持った何かが上から落ちて私の体に乗っているらしい。人間に危害を加えず、むしろ恩恵を齎す超常現象にも等しきこれは、どうやら「妖精」のようだと確信した。

 

「医者、とはここの妖精の事だったか」

「流石にお医者様でも提督のその怪我は治すことはできません。死ぬまで後遺症は残るでしょうが、動かせるようにはなる筈です」

「正直な物言いで助かる。私はこれに体を預けておればよいのだな」

「はい」

 

 その言葉で納得し、近くの切株に腰を下ろした。

 任務係は人間でありながら、艦娘と同じく「妖精」の存在を認識することが可能だ。当然会話と言う行為も可能であり、艦娘を覗いて唯一妖精と接触を取れる役職として「任務係」は抜擢されている。それらしい艤装もないが、艦娘の一種だと海軍では噂されているようだが、まぎれもなく人間であることは証明されているので反旗を翻される心配は、よっぽどの事が無い限りは無用だろう。

 

 それはそうと、この「治療」は随分とまあ、不可思議だ。

 巻かれていた包帯が取り除かれ、ほとんど壊死した部分やら、骨が突き出そうなほどに張っている、醜悪で老いぼれた患部の皮膚が露わになる。その腕の上では目に見えない何かが駆けまわっているのか、チクチクとした感覚と共に皮膚が一文字に斬りかされて言った。

 そしてグシャグシャになった腕の中身が露出する。なるほど、こうなっても痛みを感じないと言う事から察するに、治療方法は人間のそれとたいして違いは無いらしい。

 

「…む」

 

 そう思っていたが、違った。

 骨は取り除かれ、一旦体の外に出たところで滞空している。そして周辺の肉を傷つけていた破片が取り除かれると、一瞬傷口の中身がひんやりとした感触に襲われた。その瞬間、今度は熱が発生して盛り返すように穴をあけられた肉繊維が再生して行く。

 次いで骨の欠片が再び体の中に戻って行き、まるで正解を知っているジグソーパズルのピースが嵌めこまれていくように一本の不格好な人間の骨の形を取り戻した。最後はジッパーを閉じたかのように切れ目が収まり、壊死した細胞の名残だけが怪我の後だったと言わんばかりにふんぞり返っていたのだが、それすらも妖精達は許せなかったのか元の黄色人種としての肌色さえも取り戻された。

 

 左腕に乗っていた重さは少しずつ飛び去って行き、解かれた包帯がいつの間にか清潔な状態で戻され勝手に患部を巻いて行く。最初の様にごつごつとしたものでは無く、ほとんど目立たないように軽く巻かれたそれが治療の完了を物語っていた。

 

「……指先を僅かに動かすのが精いっぱいか。まだ、少し痛むな」

「ですが凄まじい物ですね。妖精とは」

 

 そう言えば、任務係が近くで見ていたのだったか。

 

「すまないな、こんな老人の醜い怪我を見せてしまった」

「いえ、軍病院でこの様な光景は慣れております。……おや、どうやら何人かの妖精方がこちらに来て下さるそうです。鎮守府の正式な人間は伏見提督だけですし、いざという時のために引き取ってはどうでしょう? 損にはならないと思います」

「いや、ありがたい。ただでさえ人手が無い、来る者は拒まず受け入れよう」

 

 しかしこれはまた、珍しい。こう言った自然界に住む妖精はめったなことでは居住区を離れない。よほどの危機に陥った時にしか、住処を移動しないとは聞いていたが。……いいや、それほどまでにこの世界の現状は危機に溢れていると言う事なのだろう。横須賀にいた時も、いつの間にか艦娘たちの整備事情は前年度とは比較にならないほど潤っていた。

 世はまさに世紀末とは、前天皇陛下も素晴らしいお言葉を残して下さったものだ。

 

「……妖精よ、感謝する」

 

 恩を受けたならば、報いること叶わずとも例だけは言わねばならん。

 ほぼ無償の恩恵を授ける妖精達には、それは意味のない事だとしても。

 

「用事も済んだ。鎮守府へ戻るとしよう」

「はい、ではそのように」

 

 ほとんど治ったと言っても、やはり先ほどの通り動かせるのは指先程度だ。再び任務係の手を借りながら、この緩急の激しい悪路を戻った。再び数時間を要する移動、その際の酔いを催す運転に辟易しながら、ではあるが。

 

 

 

 同日鎮守府内。

 第一艦隊、第三艦隊に抜擢された者たちを除いた二十四隻の艦娘が有り余る暇を潰す為に没頭するなか、まだ前提督の沈没のショックから抜け切れていない者達も己の部屋に引きこもったり、何らかの心的外傷にも似た症状を負っている者は同系艦や仲の親しい艦娘からメンタルケアを受けていたりしている。

 その中でも、特にイラつきと言う感情を抑えきれない者たちがいた。驚いたことに、提督としての手腕を完全に疑っているそれらの艦娘に共通するもの、それは―――

 

「……第四艦隊に名前が挙がっとるの、おる?」

 

 元となった艦首の模様を模した帽子。艤装の一種でもあるそれを揺らしながら、小柄な少女が同じテーブルを囲う四つの人影に問う。されど彼女らが返した答えは全て否を示すものであった。

 頬杖をつくものや、背を伸ばして律儀に座っている者。個性様々ではあるが、その全員が横に首を振った結果に、唯一中でも小柄な彼女は体の底から息をつくことしかできなかった。

 

「なんやの、伏見の爺ちゃんはうちら“空母”に恨みでもあるんとちゃう?」

「それは考えられないわ。任務係の人に経歴を見せてもらったけど、あの人の家族が死んだのは深海棲艦が原因じゃなくて事故だったようだし」

「“ボーキサイト”の不足が原因じゃない?」

「ここのところ出撃すらしていないのに不足ねえ。提督が沈んでからも私たちの出撃に必要な分は残っている筈よ。ほら、今期の資材決算概要。あの伏見ってお爺さん、マメな気質だからこう言うのが分かり易くっていいわね」

 

 空母の一つ、加賀が渡した資料に後の四人は目を通した。

 それによれば、ボーキサイトの備蓄量は例え全艦載機が落とされたとしても二巡出来る程の量が蓄えられているらしい。これより、航空艦船が全盛期だった「かの戦争」より受け継いだ空母艦娘たちは、今も戦艦をも超えられる実力すら持ち合せているというのにこの才を余らせる伏見の判断がなおさら納得できなくなったようだ。

 

「赤城さん」

「何もそこまでは必要ないと思いますが、飛ばしておきましょうか?」

「私からもお願いっ! ちょっと納得いかないのよね」

「一応、飛龍さんもお願いします」

「分かりました!」

 

 おもむろに加賀が立ちあがり、部屋の窓を開ける。

 すると、名を馳せた正規空母である飛龍と赤城の魂を受け継いだ艦娘らは、それぞれ矢を番える。数ある経験によって一握の迷いなく射られた矢は、彼女ら二隻の残心と共に艦載機へと姿を変える。プロペラが空気を切る重い音を響かせながら、ミニチュアサイズの「彩雲」と呼ばれる戦闘機は空を駆けていった。

 

「上司がスパイじゃないかを疑う映画みたいよね。映画なんて見たこと無いけど」

「ばれたら碌なことにならないのは確実だと思いますよ。なんにせよ、結局は私達も戦場に出たい思いは変わりませんけどね」

「そらそうやろ飛龍はん。前の提督さんは優しゅうて楽しかったけど、やっぱしうちらは人間サマの手で造られた兵器や。もう仲間が造られることは無いちゅうても伏見の爺ちゃんが言うた通りに戦わな艦娘なんてやっとられんわなぁ」

 

 戦いに生きて、戦いに死ぬ。

 兵器として造られただけでは無い。艦娘とはその全てが等しく大日本帝国海軍が所有していた、国に命を捧げる軍艦乗りの意志や軍艦そのものに与えられた意味を一つの疑似生命体として蘇らされたものだ。

 戦う姿は北欧の戦乙女に引けを取らず、男女を問わず魅了する魂そのものの輝き。人々を誑かす女神は、しかし人々に尽くすことでしか存在意義を保てない。正しく神仏の様な人間の想像の中でしか「生きる」事ができないのである。そう言った考え方を以って「艦娘とは軍艦の付喪神である。故に戦いの魂だけを持ち合わせているのだ」と提唱した研究家もいた。勘違いであったとしても、それを裏付けるように、龍驤や飛鷹型の軽空母は陰陽道に用いる式神の伝承にも似た方法で艦載機を作り出すことで知られている。

 

 此処にいる龍驤もまた同じ。この鎮守府唯一の軽空母として生き残り、そして正規空母の四人を見上げる様にして椅子から足をブラつかせている幼子の様な姿をしているが、その身に秘める闘志は好戦的な戦艦娘にも匹敵するほどであろう。

 

「そう言えば、伏見さんの事誰も提督って言いませんよね」

「……ハァ、今更何言ってるの赤城さん」

 

 赤城の発言に、瑞鶴を筆頭にその場の全ての艦娘が当たり前だろうと息を吐いた。

 

「昨日の襲撃覚えますよね、長らくこの鎮守府にいますけど、私の知る限りあんな事は一度だって無かった。でもあの人が来てからはこんな入り組んだ列島の内海にまで深海棲艦が来たんですよ? いくら奴らの破壊衝動が旺盛だって言っても、流石にあの数はおかしいですって」

「そうね。青葉から聞けば、あのお爺さんは引き連れてきた事に対して心当たりはあるそうよ。もしかしたら生まれながらに奴らの気を引く体質でも持ってるのかしら」

「だとしたら傍迷惑この上ないわよね」

「まぁまぁ皆さん。不満ばっかり言っても私たちが出撃できるわけじゃありませんよ。まずは私から直談判しておきますから結果を待っていてください」

「赤城はんがそこまで言うんなら、不毛な愚痴り合いもここまでにしよか」

「直談判かぁ~。私たちが軍人じゃないからこそ通じる手段よね」

 

 下手に上官への不満を聞き届けられようものなら、最悪死刑に処されてもおかしくは無い世界観である。深海棲艦と言う日夜消えない脅威があるからこそ、自覚が足りない人間は軍において最も必要のない存在となってしまうからだ。艦娘という人間の括りに入れられない存在であるからこそ、上司への提言が許される。そして実際に戦う者としての視点を聞き入れることで、有効な作戦が生まれるというのもまた、この世界においての常識だ。

 

「ではまた今度。いざ配属されたとしても誰一人欠けない程度に頑張りましょう」

「せやな。ほなさいならっと」

「さようなら」

 

 空母艦娘はテーブルから解散した。

 次に訪れたのは完全な静寂。給料艦間宮すら沈んでいなくなった食堂はもはや、手入れする人間もおらず寂れるばかりなのであった。

 

 

 

 肩はともかく、肘と指先が中々に動かしづらい。筋繊維がやられていたのは指を動かす際の激痛から想像できていたが、それ以上に痛みすら感じずただ動かす感触も無いのに自分の左手が動いている現状が気持ち悪い。急速に治したことで生じた熱や痛みだけは遮断できる妖精特有の治療後の現象らしいが、左腕が自分の物ではない様な感覚は早々に治ってほしいものだと願うばかりだ。

 それはともかく、あの鬱蒼とした湿気に覆われた草木の楽園から帰って来たのは質素な木造の部屋。潮の匂いが近くにあると心安らぐのはありがたいが、一ヶ月も過ぎた頃にはそれが当たり前となってしまうのだろうなと考えて、物悲しくもなろうものかな我が老体。とりとめもない事ばかりが頭をよぎった。

 

「皮肉としては面白くとも何ともないが、中々に骨が折れることこの上ないな」

 

 向かい合った机にある書類を整理し、目を通し、このリンガ泊地にて起こった全ての過去を紐といて行く作業は非常に辛い。照明の位置と身長が合っていないのか、自分の影で薄暗くなってしまう報告書を読み続けていれば目を必要以上に酷使してしまった。それもあとどれだけ続くのか、考えただけでも頭が痛いが、これをやらねばリンガの現状を把握するなど寝言にすらならん。

 加え、いつも秘書としての職務を全うしてくれる那珂の帰還はまだらしい。機雷をバラ無くだけの仕事だと侮るなかれ、近海にまで接近してきた深海棲艦と戦いを繰り広げる可能性の方が、何事もなく帰って来るよりも非常に高い。

 

「……今日のノルマは、これで終わりか」

 

 長らく人の上に立つ仕事をしながら生きていれば、二つの物事を考えながら事務処理なんて事も出来るようになった。逆にこうして行かなければ狂いそうにもなる戦場が何処にでも待ち受けているこの世界には憎しみしか抱きようもない。

 せめてまだ自分の足で歩けるうちに、此処に来た望みを達成したいものだ。そう思って立ち上がろうとしたところで、部屋の外から騒がしい足音が聞こえてきた。

 

「伏見さん!」

「…駆逐艦・雷。軍の所有物である兵器としての性質上、貴艦ら艦娘にはせめて最低限の軍事的行動を踏襲してもらおう」

 

 第一艦隊に属している雷だが、機雷の設置には軽巡洋艦以上の奇襲対策部隊を送りだしているので装甲面に不安が残る駆逐艦は鎮守府に残している。その雷は随分と取り乱しているようだが、ここは経過をみることとしよう。

 

「そんな事言ってる場合じゃないの! 電が、電が大変で、艦娘同士じゃどうにもできないみたいで、それで…!」

 

 言っても聞かぬか。しかし…そうか、ヤツについての話題だったか。

 電。特Ⅲ型、もしくは暁型駆逐艦4番艦を務める艦娘だったはずだ。

 だがこの様な傾向はあまり好ましくない。何を思ったのか、口頭ではあれほど避けていた私を最初に頼ろうとするとはどう言った心境の変化であろうか。なんにせよ、全体の士気に関わるのならば余りにも深刻な事態は払拭しなければならない。

 軍刀を杖代わりに、立ち上がった。

 

「と、とにかく―――」

「報告せよ。まずはそれからだ」

 

 順を追って、彼女自身の口から真実を語らせる。上から与える圧倒感で必要以上に取り乱さないよう押さえつけるのも忘れてはならない。戦場においてこの様に取り乱されたのでは、先行き不安もいい所だ。故に如何に幼い人格が搭載されていようと、駆逐艦とて心的な成長はするのだからなるべく自発的に内面を鍛えさせる必要がある。他の感情的な艦娘と違って、駆逐艦の一部はこうして手が掛かるのは一部の報告書で読んだことがあったが故の判断だ。

 

「……司令官が沈んで、電は無理して笑おうとしていたの。でも、司令官さんが沈んだ後もずっと、笑っていたの。私は電を叩いて、なんで笑ってるのって、そうしたら、電が、何も喋らなくなって、笑ってて」

 

 なんとも拙いものだ。しかし、断片的なその報告を聞く限りはPTSDの逃避現象にも酷似していることを察する事ができた。確か電は資料の通りならば、気弱ながらも敵艦へ手をさし伸ばそうとする艦種だったと記憶している。その分他人の感情に影響されやすく、過酷な環境ならば純粋故に持ち合せる腹黒さを前面に発揮する個体もいたとの報告があった。

 どうやら此処の個体はそうした精神のフラストレーションに耐えきれず自我の一部が崩壊した、と言ったところか。しかし最初期の演説時には引き締まった表情をしていた筈。私が着任してから、その変異は発症したと見るべきであろう。

 

「その状態はいつから続いている」

「数日前から、突然」

「了解した。本日の間にその精神異常に回復が見られない場合は、後日か本日末に任務係を通して相談の時間を組むよう申告せよ。異常が見られた際、己にできる事は何かしていたかね」

「伏見さんのところに、そのまま来たけど」

「姉妹艦は疑似的な親愛の絆が築かれていると聞く。まずは姉妹艦としての精神鑑定の後、効果が見られないもしくは更なる異常が発覚した際に我々に話を通してくれたまえ。こちらは人間であり、精神構造が違うのだ。治せるかどうかの論文すら書かれていないのが人間側の現状だ」

 

 ここは突き放す他ない。所詮、艦娘は戦いの中に美しき魂の輝きを見出す兵器。反対に、我らは醜くも生を掴むために足掻く人間風情。決定的な精神の根底の違いがある以上、知識もなく安易な経験のみでの治療は悪化の一途を辿るのが通例である。

 

「では後日。再び見える事が無いよう、ささやかながら祈らせてもらおう」

 

 願わくば早期の解決が齎されんことを。

 なんにせよ結論を言ってしまえば、我々の手を借りずとも自分たちで解決した方がわだかまりも微妙な距離感の変動もない。つまり私の望む理想的な心的距離を測り易い。とはいっても、私の予感は明日また雷が執務室に乗り込んでくる事を確信していた。

 茫然と立つ彼女を残し、私は執務室の扉を閉める。それから少し歩き、中庭が見える廊下に通りかかった所でバタンっ! と扉が開け放たれ、反対側を雷が走って行く気配があった。

 

「罪深きは我が身なり、などと感傷に浸るわけにもいくまいよ」

 

 くっ、と己へ向けて嘲笑を送る。

 我が愛しき我が妻と息子が生きてさえいれば、このような偏屈で頑固な翁へ成り果てることも無かっただろう。とっくの昔に軍をも退役し、内陸のどこかで深海棲艦の影も無く平和に暮らしていた筈だ。だが―――

 

「む、軽巡洋艦・天龍か。艤装を持って何処に行くつもりだ」

「……ん? なんだ、伏見のジジイか。ちょっとした訓練だよ」

 

 砲撃を主とする軍艦の中であっても数ある艦娘の艤装形態には珍しく、艤装に「近接武装」が再現された艦がいくつか存在する。船の錨をそのまま鈍器として扱う事も出来るが、天龍型や伊勢型は斬撃武器としての近接艤装を装備しているのが特徴的な事で知られている。軍艦の馬力を再現した艦娘の恐るべき膂力。それをそのまま腕力、遠心力と上乗せして刃に乗せるのだから、敵艦が余程の装甲を持たぬ限りは断てぬ者などほとんどない。

 そう言った意味では、こうして軍刀を持ち歩くほどに剣を齧った者として天龍の訓練風景と言うのが酷く気になったのは否定しない。老婆心ならぬ老爺心が働いたとでも言えば正しいか。

 

「その訓練とやら、見せてもらうが構わんな」

「ああ? まぁ人がいた所で鈍るもんでもねーし別にいいぜ。アンタは気に食わねえけど、俺の剣がこれからの戦いに活かされるってんなら存分に見せてやる」

「弾薬の消費が無く、折れぬことで有名な艦娘の近接艤装は聞き及んでいる。今後の検討価値があるか否か、存分に拝見するとしよう」

「ハッ、偉そうにしやがって。実質はまだテメエが“提督”じゃあ無いって気付いてんのか? 下手に戦艦共の喧嘩を買えば殺されるぜ」

 

 そのような事は分かっているとも。

 

「だが貴艦のような艦娘であろうとなかろうと、天の迎えがそう遠くない私には死など恐れるに足りん。既に命は我が心の君主に捧げ、我が心は天の国に待つ我が妻へ預けてある。此処にあるのは口ばかりが達者な抜け殻に過ぎぬやも知れぬな」

「言葉通り口の減らないジジイだな、オイ」

「もう数年も経てば口すら開けぬわ。ああ、これは独り言だが……死に際のジジイらしい我儘に貴艦らを振りまわす予定ではあるが、一隻たりとも沈めるつもりは無い。とだけ呟いておこう」

 

 そう言ってしまえば、此方の事は使いつぶすことも辞さないクソジジイだと思っていたのか天龍の間抜け面を拝ませていただいた。普段の顔が整っているだけあって、こうして若い女子の恥も外聞も投げ捨てたような表情を見るのは中々に楽しいものだ。

 

「ハ、アハハハッ! なんだそりゃ。随分デケエ独り言だな、ボケてんのかクソジジイ」

「さて、な。七十も越えれば忘れっぽくていかん。私は何か言ったかね」

 

 写真も無ければ、もはや妻の顔すら忘れてしまった不肖の夫だ。これでボケが始まっていないと言うのならば、一体どれだけ忘れやすい老人にボケという現象が始まるのやらわかったもんじゃあ無い。

 だがこうした砕けた態度はアタリだったらしい。随分と機嫌を良くしたのか、天龍の訓練場に来るまでの間は軽口を交わしながらバシバシと背中を叩かれるばかりだった。艦娘の腕力を忘れているのか、恐らくは後で医療妖精にまた世話になる必要があるだろうが、無礼講と言う事で忘れてやるとしよう。

 

「ん、今日は日向いないのか」

「ふむ、確かに伊勢型も近接艤装を発現させていたな。普段は組み手を?」

「資源が余ってるときはほとんどガチだ。まぁいいか」

 

 あたりを見回した天龍は刀身の紅い剣を鞘から抜いた。抜き身の真剣で訓練とは珍しいが、だからこそ何をするのか皆目見当もつかん。艦娘の身体能力は人間のそれを凌駕しており、古い映画の中にあるような地上から2階に飛び移ることすら軽々やってのけるというのは有名な話だ。

 

「よっし、見てろよクソジジイ!」

 

 

 

 

 呆れた。

 何度でも言おう、呆れ果てたと。

 こんなものは訓練では無く、ただの危険なお遊びだ。深海棲艦の堅牢な外皮を切り裂く剣を、お手玉のように使って投げては手に取り動く標的を切りつける。馬鹿ではないだろうか。

 投げている時に弾かれてしまえば武器も無くなってしまい、大きな隙も生じてそのまま砲撃されかねない。深海棲艦とて戦略を執る様な知能は無くとも戦いの中で敵の武器を破壊するという発想は持ち合わせているのだ。

 

「先日の戦いにて拝見させて貰ったが、やはり貴艦の戦法は危なっかしいことこの上ない! ここまで生きながらえてきたのが不思議なくらいだが、報告書には出撃の際僚艦が助けに入ったとの記述が必ず見受けられる理由をよく理解させて貰ったとも! 剣は貴艦にとっては軽いものかもしれぬが、己の命を繋ぐための道具を簡単に手放すとは何たる心持ちか、それだけは理解できそうにもないなッ!!」

「おい、今にもくたばりそうなんじゃ」

「この未熟者(ひよっこ)め、口を開く権利があるとでも思っているのかッ!」

「うっ……」

 

 実力と運だけはそれなりにあるのだから止める者も少なかったのだろう。こればっかりは余計に性質が悪い。姉妹艦の龍田に関しては、そう言った龍田という艦娘の性格上分かった上で放置していたと予測される。これでは厳格な人格を搭載されているらしい日向の方も心配でならん。

 天龍は戦場の中で散ることを良しとする武人の極みでありながら、どこか軽い性格があることでも知られているのと同時、その性格こそが短絡的な行動へ繋げてしまう原因ともなるのはこれまでの歴史が証明している。だが強制できないと言うほどでもない……また、余計な手間を掛けることになるやもしれぬが、一度でも誓った以上は己自身を裏切ることなど出来もしない。

 

「剣は私が教えよう。それから基礎の“知識”だけでもしっかりと叩き込ませて貰う。これより一週間以内に近接艤装に関する講習会の予定を組むので、掲示板に張り出された後は予定された場所に集合せよ。口頭の説明では以上だ、追って連絡を待ちたまえ」

「お、おう。でも伏見のジジイよぉ、歩くのも杖代わりにしてんのに剣何か」

「最早振れずとも、知識と心構えを教えるだけで諸君らの武器の軌跡は必ず変わる。余計な仕事を増やす私の心労を増やす事が出来て、さぞ私の事を快く思わない連中は恐らく喜ぶであろうな、まったく」

 

 艦娘に砲撃の知識は確かにあるだろう。自分の過去の艤装をそのまま再現されているのだ、自分の体の一部を扱えないなどと、赤子ではあるまいに。

 だが近接艤装は謎が深い。最早失われた製法の文献なども見つからない事から、近接艤装を再現された艦娘が何故それらを十全に扱える知識を持っていないのかも解明されていない。こればかりは、人間側から教えていくしかないと聞き及んだことがある。

 

 この老体、時間も遅いだけあって事務は流石に体に堪えるが故に寝室に向かう。心なしか、いや自覚できる程に自分は無駄に足音を立てて歩いている事が分かった。

 

「駆逐艦は電と吹雪、軽巡洋艦は天龍、先ほどから私をつけて飛んでいる二機の彩雲は空母か? 後は重巡洋艦の青葉に戦艦の金剛……まだ着任して一週間も経っていないと言うに、どうしてこうも問題ばかりが迷い込む? 前提督はそれほどに無能であったのか、心労ばかりを増やしおって、若造が! ……ああ、いかんな。まったくもって苛々が収まらん」

 

 思わず頭の中で考えるべき悪態をつく伏見と同じ廊下にいた者は、幸いか誰一人としていなかったようである。伏見は治したばかりの腕を擦る様にして組み、再び思考の中に没頭し始めた。

 

 嗚呼、全てを適切に考えなければならないと言う現状が更に私を苛つかせる。中でも明日にでも迷いこんでくるであろう、駆逐艦・電の問題解決が主となる可能性が高い。このままでは寿命の前に心労で倒れるやもしれぬと、頭によぎった考えを否定することなど出来ようか、いや出来る筈がない。

 私の目的を果たす為に、艦娘たちは十全の状態でいて貰わねばならん。如何なる事態においても万全の態勢を整えられるようにせねばならん。この願いの先に、世紀に語り継ぐかの如き戦乱が待ち受けている事は間違いないのだから。

 

 




今回の縛り内容公開

 難易度:低
・艦娘は建造時に知識を植え付けられているが、中には自分の艤装を十全に扱えないケースが存在する。現状確認されているのは近接艤装をもつ天龍型と伊勢型のみ。

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