鎮守府におじいちゃんが着任しました   作:幻想の投影物

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遠  に忘  れ、 われた。
私が すの  遥か   に信じ   いた 一  法
確か  、  身を以   るがい

―――左手を這わせたように血で塗られ、裂かれ欠落した手記より。




犠牲

 

「潮にも匂いの違いはあるのだな」

 

 この清々しい潮の香りと違い、私が本部に居座っていた時は、息が詰まるような思いだった。毎日のように血の匂いが充満し、大破した艦娘が垂れ流すオイルが黒々と通路に足跡を残す。その次の日には再び戦場に駆り出され、時にはその数を減らして戻ってくる。それを私は、ずっと高い場所から見下ろすことしかできなかった。

 軍部には女子供は誰一人として存在しない。なぜなら艦娘は兵器であり、性別があるかないかと言う生物としての扱いはされていなかったからだ。私もまた、生産能力があるならともかくただの目の保養程度にしかならない美女、美少女揃いの艦娘は、軍人に余計な同情を生ませるだけだとして遠巻きに眺めてはこの世の不条理さを嘆くばかりであった。

 実際に艦娘の容姿端麗とした姿に劣情を抱いた輩もいたようだが、生憎と霊的な存在でもある艦娘に危機を察知されたのか触れられる事すら叶わず、更には駆逐艦とはいえ貴重な兵器の搭載人格を歪ませた容疑として罪に問われ、銃殺刑に処されていたのだったか。相手が駆逐艦と言う時点で黒いうわさの絶えない少将であったが、生憎と少将程度なら幾らでも挿げ替えが利く人材がそろっているのが海軍本部だ。

 さて、私は潮の違い一つで何を此処まで思い出しているのだか。どうにも年を重ねるにつれて弱くなるのは体ばかりではなく、記憶に浸りたくなる症状を引き起こすほど精神も弱っているらしい。年はとりたくないものだと文句をつけてやりたいものだが、ここまで年を取ったのだから自分を無価値として扱う事ができるようになった。人間とは、自分一つで難しいものだと思いつつ、洗面台で冷えた水をピシャリと顔に当てる。

 

「動作に異常は無し。本日もまた、晴天也」

 

 足腰が弱っていても、鍛え続けた肉体が急激に使えなくなるわけでもない。稼働できる範囲で無理のない柔軟と、歩くための体操をひと通り済ませる。それから部屋に持ち込んだ軽い朝食のパンを毟って喰らい付くと、水をのどに流し込んだ。こうして補助しなければ、乾いた物を食べる度に咳が出る。体の外側はともかくとして、叫ぶ事もある職業柄か喉はすぐに痛めてしまうこともあって、労わらなければならん。老いた今となっては昔のようにはいかないのだから、そのあたりが今後気をつけたいところだ。

 

 本部にいた頃と謙遜無く殺風景な私室の扉を開け、廊下へ足を出したのだが違和感があった。整備をする人間がいないためかギシギシと鳴るほどに痛んでいたはずの廊下は、新品同様の板張りになっている。くすんで白っぽくなっていた木目の板にはワックスを塗り直したかのような輝きが見られる。それどころか、硬質で体重を預ける安心感すら生まれているではないか。

 

「おはようございます伏見提督」

「うむ、おはよう」

 

 驚いていれば、隣にいるのは任務係。

 我々がリンガに到着する以前に決めたことであるのだが、着任初日よりの取り決めにより、この定時に日ごとの予定を見直し、時には訂正する形として鎮守府を取り仕切るようになっている。通常の組織ではこのような細々としたものは無かったが、元より地方の大型鎮守府は提督の性格によって組織運営の形が大幅に違っている。それでも纏める事が可能だと言うあたり、本部にいた頃は中間管理職の者たちには頭が上がらない想いでいっぱいだった覚えがある。

 

「本日の勤務は遠征による第三・第四艦隊の反応を記録する事でよろしいですね?」

「そのことだが、日程には艦娘たちの精神状態の見直しと、今後の運用に関して当面の見送り処置があるか否かの判断による微調整も加えてもらえるかね。想定内の差異だが、予定の組み直しが必要になった」

「はい、ではそのように」

「それともう一つ聞きたいのだが」

「はい?」

 

 予定の組み直しを想定しているであろう彼女を引きとめ、尋ねる。

 

「鎮守府の変貌はやはり、先日に調達した“妖精”の仕業かね」

「はい。西欧でいうブラウニーという妖精と同じく、妖精は須らく特化した技能と共に他の妖精種の役割を補える能力を所有しております。その中に食事を除いた家事一般能力も含まれており、掃除はおろか大工の真似ごとも可能であると記録されています」

「なるほど、応対御苦労であった」

「いえ」

 

 機械的な一礼と共に任務係の姿は遠ざかって行く。彼女もまた、これから毎日こちらの思惑の為に管制室にてオペレーターの振りをしていてくれるのだろう。志を共にした同士として罪を共有しくれると言うのだから、彼女を含めて必ず己の行いに道連れは無くさなければならないと今一度此処に想いを刻みつけておくとしよう。

 ギチ、と不安なものではなくコツコツと安心できる音を出すようになった床の感触に、必要だった警戒の一つを手放しても良くなった安堵感を抱きながら向かう執務室への足取りは自分でも驚くほどに軽かった。自分の目に見えないものへ対する不信感はあれど、それ以上の実績と言う安心が強いのは私自身がその恩恵を説明される以前に味わっているからだろうか。

 もはや使う機会すら消え去ったかもしれない軍刀(つえ)を突き、執務室の扉を開く。今日に限っては最近の騒がしさの原因でもある秘書艦・那珂の手を借りるのは昼からだ。静かな執務室の椅子に腰を掛け、軍刀を専用の台に立て掛ける。どうやら、この前提督に合わせてあった高さの椅子も、妖精の仕業か自分の身長にしっくりくるものに改良されているようだ。

 

「……はぁ」

 

 左腕に痛みは無いが、動かすにしては以前の様な自由さは感じられない。指の先くらいなら僅かに動かせるが、どこか機械よりもぎこちなさが目立ってしまって仕方がない。

 さて、今日の業務に励むとしよう。今のところは提出するつもりすら無い偽証の報告書を書くに留まる程度の使い道しか無いインクを取り出し、机の隅に置いてこれまでの積み上げられたリンガ泊地の歴史に目を通し始めた。いくら自由に動かせないからと言って、左手を常に釣り下げておかなければならない不自由さよりは断然マシな感覚は、以前の窮屈さを感じられない。

 それから、頭の中に必ず留めておかなければならない内容を幾つほど目に通した頃だろうか。時刻にして○七○○を過ぎたほどに、執務室の扉が躊躇いがちにノックされた。

 

「入りたまえ」

「特Ⅲ型駆逐艦の雷です。先日の言葉に従い、任務係に話を通してからお目通しを許可されて…されました」

「そうか、ではまず書類をこちらに」

「はい」

 

 ぎこちない敬語と共に、手渡された数枚の書類を受け取りながら雷の様子を伺ったが、昨日よりは落ちついているようだ。駆逐艦・雷は昨日と変わらない不安感には溢れているものの、現在目を通すべきは彼女自身ではなくこの任務係が手掛けた書類の方だろう。

 徹頭徹尾読み進んでみれば、電の状態は悪化する事も無ければ治る見込みもない不変とのこと。戦えない艦、というものがあれば私の信条からは作戦にすら参加させないのが吉であるのだが、部下であり大事な兵器である艦娘の整備を怠るのは私の矜持に反する。

 なんにせよ、相当に深刻な問題とならない内に解決すべきと結論を出した。

 

「了解した。では同型駆逐艦の電を此方へ呼びたまえ」

「連れて来るって……でもあの子は」

「実際に見たわけではないが、そちらに割り振られた部屋と比べても此処は広く、日光を取り入れられる。開放的な条件としては応接室としても利用可能である点を見れば、精神鑑定の真似ごとの役には立つだろう」

「……伏見さんは、どう思ってるの?」

「さて、私は精神科医では無いから分からぬよ。しかし情報を統合した結果でやれる範囲は善処するつもりだが……うむ、これ以上の問答は無駄だな。とにかく連れて来なければ自体も進展することはない」

「分かったわ。それじゃ、失礼します」

 

 机の前まで来ていた雷は一礼してから扉を閉める。

 しかし、電がああまで精神に異常をきたしているのは前提督との信頼関係が破壊されたと言う理由もあるだろうが、元々が気弱で姉妹に精神の支えを頼る傾向にある電ならば雷以外の姉妹艦がこの鎮守府に居ないことも原因の一つとなっているのだろう。

 この鎮守府は狙ったかのように、姉妹艦がいるからこそ精神の平静を保てるような艦が多いことに反し、その天秤の片方となるべき艦が圧倒的に少ないという特徴がある。それがこの鎮守府そのものに漂う不信感の根幹の一つともなっているのは言うまでもない。大戦時代に単独航行の後生還した艦ならばそう言った問題点も余り取り上げられないのだが。

 どちらにせよ艦娘となってから精神的な妄執や執着を見せ始めたケースは少なくは無い。ここには居ないが、北上と同じ姉妹艦であり、重雷装巡洋艦である大井が筆頭として挙げられる。

 ともすれば、こう言った精神疾患の解決策には姉妹艦や大戦時における共闘した艦の存在が不可欠であるとも言えるのだが、生憎と暁型の艦娘がリンガ泊地には雷と電しか残っていない。昔はまだ安全で在ったのだが、30年前を境に遠征中に襲われ、轟沈させられる事も多くなったこの時代、こうして錬度がそれなり程度の駆逐艦が生き残っている場合はよほど海域に出されない様になった、という背景を知ることができる。もしくは、その姉妹艦を沈めてしまったがために残りが海と戦いを恐れはじめたか。

 そして―――いかん、と頭を振った。

 今この時に使用すべき事を考えようとするのだが、この無駄に人生経験を積んだ頭では、次々に連想するような事を芋づる式に知識や記録を引っ張りだしてきてしまう。駆逐艦の状況から鎮守府の運航状態を連想する? そんなもの、他地方の鎮守府から送られてくる報告を受け取る時にのみ考えていればいい。今はまったく必要が無いであろうに。

 

 伏見は再び無心を取り戻す為、ゆっくりと瞼を閉じつつ息を整える。年を食ってからは自分への怒りを主とした感情的な方面に流されつつある、という自覚と共に暦年で培ってきた老士官としての己を被るためであった。

 ふと気がついた頃には、新品となった床板を鳴らす音が彼の耳に入ってくる。二度目の訪問となる雷は、その傍らに一般的に妹として扱われる駆逐艦・電を引き連れていた。

 

「あ、ノック忘れてた」

「……今回ばかりは仕方あるまい。さて、まずは座りたまえ」

 

 髪がしだれかかっているせいで影に隠れた目元は見えないが、雷と違って快活な様子は見受けられない。どこか、実戦に怖気づいて腑抜けた新兵のような空気があるようだが。

 しかし、これは雷の言っている異常とはかけ離れている。「常に笑顔を見せている」ことと、「ほとんど何も話さない」というのが現状の駆逐艦・電に起こっている精神異常の筈であるが。

 

「さて、こうして余分な者がいない場での対面は初となるか。知っての通り、私は伏見丈夫と言う。今回、貴艦がこの場に連れてこられた理由のほどを理解しているのかね?」

「………」

「ふむ」

 

 話しかけてみれば、そこでようやく件の彼女と目が合った。

 顔を上げた電の顔は、なるほど。確かに幼くも絶対に自然では見受けられない可愛らしい顔つきで在り、自立兵器としての扱いにされる艦娘・電としての特徴と何ら違いは見受けれらないようにも見える。だが、コレの瞳は何の光も受け取っていないようだ。

 どこまでも機械的で、まるで鏡面になった望遠鏡を除いているかのような無機質さが感じられる。そのくせ顔に張りつけて固定した笑顔は綺麗なもので、艦娘が列記とした生命ではなく疑似生命体、かつ造られたものであると言う違和感をありありと発している。

 

「これは重症だな。電よ、私が見るに貴艦は兵器としての役割しか持てていないようだ」

「…………」

「伏見さん、それって」

「少しの間、コレと話をさせてもらいたい。貴艦は黙っていたまえ」

 

 雷の口を指揮官命令で黙らせる。仮にも、提督という新たな指揮官であると演説の場で公表したためか、艦娘の未だ解明されていない「提督の命令に従う」と言う強制権が働いたらしく雷はその場で沈黙を保つようになった。やはり、艦娘は人間が扱う道具であるという範疇から抜け出せないらしい。なんとも愛おしくも、憐れな存在か。

 目の前の電もまたそのうちの一つ。そう思わずにはいられないのは、老獪になったが故に新たな人間の可能性を模索するため、愚かしくも感情面へ手を伸ばし始めた失態があるからであろう。

 しゃがれ始めた声で、なるべく語りかけるように私は言の葉を紡ぐ。

 

「何度も言うが、私は諸君らリンガ泊地に残りし全戦力をそのまま艦娘と、貴艦らが扱う艤装の武具を含めて兵器と勘定している。だが、戦場において自ら力を発揮させない兵器は扱うつもりは毛頭ない。私の扱う作戦では一隻一隻が重要な役割を果たし、かつ予備などと言った艦を扱う余裕もないからだ」

「…………」

「この困窮に満ちた世界において、戦う事を望まれ、戦いにのみ存在価値を見いだせる諸君ら艦娘が戦わないのであれば、戦いから遠ざけられたのであればそれは部屋の一角を埋めるゴミでしか無い。もしくは、観賞に堪える人型の像であろう。私の場合は、当然ゴミと同義に扱う」

 

 優しげな口調とは反面、脅すように言えども電の表情も呼吸の音すら聞こえない。だがここで諦めることは許されん。私の目的に艦娘は必要不可欠の要因であり、その全てが指揮権を用いることで渋々動いてくれる程度の服従を見せてもらわなければならないのだから。戦力は、意志を投げる程度でも確保しなければならない。

 

「さて……話は変わるが、リンガ泊地において、貴艦は前提督と随分懇意にしていたとの記録があった。そこから推測したのだが、雷が悲しみの感情を押し出していたおかげで、貴艦は雷の精神衛生を保とうと己なりに行動したのではないか? しかし、それは伝わらずに雷は貴艦へ反射的な攻撃行動を行った」

「……それって、伏見さん。じゃあ私は」

「では今回の事変が起きた推察を始めよう。先の事柄が発生した結果、“小さな親切大きなお世話”となってしまったために心を閉ざした。電は軍艦時代、雷と共に敵乗組員370余名を救出した歴史があったためか、軍艦の魂が艦娘として蘇った際には必ず心優しいと呼称される正確に固定され、製造される。しかしその反面、周囲の影響や感情による人格への変質が起こりやすく、悪意のみに晒されるような鎮守府では策謀に長けつつも口調が変わらない性悪な個体への変化も報告されている。今回の件は、こう言った変質した新たな例といった所か」

「…………」

「ふむ、これでも反応は無しと。予想は出来ていたのだがな」

 

 事実と推察をバラバラに並び立てる。話題をあちらこちらにすることで心の揺さぶりをかけてみたが、精神構造は人のそれに似通いつつも本質が違っているのならば……さて、確かに艦娘は扱いが面倒だと嫌と言うほど実感できた。

 だからこそ、またリスクを負いかねない行動をする他に手段は無いようだ。

 

「さて、ここで雷。貴艦にやってもらいたい事がある」

「……え」

「艤装の手入れはされているようだな、何よりだ」

「ちょっと、伏見さんまさか」

 

 流石に気付かないほど愚鈍では無いということか。

 

「特Ⅲ型駆逐艦の雷は、今この場で電を砲撃処分したまえ」

「―――ッ! そんなこと! できるわけ無いじゃない!!」

「使えない艦に割く資材は残っていない。無理に盾として扱うよりはまだ救いがあろう。なに、この部屋が荒らされようとも妖精が修復してくれる。私の身を気遣う必要もない」

「ふざけないでっ!」

 

 立ち上がった雷の主砲が仰角を変え、対面するように此方を向いた。

 装填された「弾薬」の重い音が耳に入ってくる。艤装形態の艦娘の威力は戦艦形態のそれと全く謙遜の無い威力を発揮する事を考えれば、私の体など血の詰まった肉袋でしか無くなるであろう。

 

「ふむ、上官に向かって何のつもりかね」

「私は軍人じゃないわ、あなたの言う兵器よ! だったら、兵器らしく殺したって」

「確かに、艦娘は深海棲艦の脅威が表面化するまでは対人戦争においても利用されたとの話を聞く。しかし、今ここで撃つのは私では無く貴艦の隣にいる電かと思われるのだが」

「妹を殺させなんてしないし、殺さない。電は戦えないかもしれないけど、それでも処分する権利なんて誰にも無い!! だからっ」

「…その分私は、老い先短く死んだとしても誰も悲しまない。那珂に至っても恐らくは業務から解放されたと喜ぶであろうな。おお、確かに考えれば私こそいなくなった方が益のある存在ではないか! そうではないかね、駆逐艦・電。このような高説を垂れるばかりの死に損ねた老害が貴艦の耳を痛めることも無い」

「そうよ、確かにその通りじゃない」

「……ふむ、仕方が無いな。まったく、的は敵艦と違って一メートルも離れていないというに、こうも震えていては当たる筈もない。どれ―――」

 

 立ち上がり、雷の艤装についた砲塔を二つ掴み取る。何処に当てようと、運が良ければ失血性ショックで死に、普通に考えれば砲撃の爆発で上半身くらいは吹っ飛ぶだろう。

 使用者の動揺を隠せないのかは知らないが、仰角を変えない砲塔を自分の頭と心臓に向け、本当に対面した雷を見下ろした。

 

「これで、当たるだろう」

 

 言ってやれば、決心などある筈もなく小娘の精神でしかない雷には固まるしか選択肢は無かったのだろう。戦場に出たことはあってもその凄惨さまでは理解しようとせず、敵を殺すこと、モノを殺すと言う行為に納得できていない新兵。それが雷の正体、そして電の気がける懸念の一つでもあったのかもしれない。

 だが、今となってはもう後には引けない。これによって、少なからず兵器としても、兵士としても雷は命を奪うとは何かを理解するだろう。

 

「撃ちたまえ、それが貴艦の選択だったのであろう」

「……ッ」

「撃て」

 

 再度言う。雷が掴みかかってくる。

 

「なによッ! なんで」

「貴様の意志なぞ聞いておらん」

 

 だからこそ、掴んだ砲を揺らして言葉を叩きつける。

 体ごと揺れてよろめいた雷の顔を上げさせ、言い放った。

 

「撃て!!」

 

 雷の瞳孔が狭まった。掴んだ手から心音にも似た何かが伝わってくる。激しく波打つ動機は彼女が極度の緊張にある証明だった。暁型の艤装にはトリガーと言うものは無い。彼女たちの意志がそのまま引き金となる。より高く、より昂ぶった感情はその視線と共に伝わってくる。彼女にあるのは戸惑いと驚愕のみ。たったそれだけでも、自衛の手段として艤装は命令を受け取ってくれる。だからこその、重い殺人への後悔が瞳へ浸る。

 

 一瞬の爆音。駆逐艦の小口径の砲らしい、しかし軍艦として相応しい砲撃が目標へ向かって放たれる。徹甲榴弾の被帽は、従来捉えるべき船体よりも柔らかな的を間違えることなく貫通、即座に炸薬が轟音と共に目標を燃え上がらせて破裂、炸裂。

 至近距離の爆風に人間の体は耐えきれず、足を地上から浮かせて執務室の壁へと吹き飛んだ。ゴロゴロと軽い人体は転がり、衝突。ピクリとも動く気配は無い。

 どこか他人事のように、この惨状を作りだした雷は茫然とこの光景を見ていた。木造の執務室は窓と壁を破壊され、窓のあった場所を起点として未だ火の手を広めようとして燃え盛っている。異変に気付いた妖精が集まり始め、必死に消火活動を始めようとしていた。

 こんな、こんな事があるのか。そんな信じられない面持ちを隠そうともせず、雷が立っている場所にはもう一つの影が見受けられる。雷の体に覆いかぶさる様にして、その左手には伏見へ向けられていた砲塔が握られている。無理な力をかけたためか、その砲塔の根元は関節が外れた腕の様にぐらぐらとしていたが、そんな事が雷の意識を茫然とさせていたのではない。

 

「………す」

 

 聞いたのは何時振りだろう。その場の当事者でありながら、まるで映画を見た観客の様に乖離した意識がふっと思いついた言葉と共に戻ってきた。

 思い出す、彼女との日々。暁と響の居ない鎮守府では吹雪型の先輩に気を使いながら、それでも楽しく司令官との戦いの日々を生き延びてきた。数年かけて、周りで何人も仲間が沈んで行く中、自分の精神の支えとなってくれたあの声の持ち主を。

 

「雷、は。あんな人、を」

「い、なずま」

「雷は、誰も殺さなくていいんです」

 

 パラパラと崩れ落ちる、消化された木くずの破片。それは彼女の上に降りかかって、それでも彼女は、駆逐艦・電は姉である雷を見つめていた。焼けた煤で汚れながら、雷は彼女の口から発せられる言葉の一つ一つを噛み締めるように目を閉じて―――電を抱きしめた。

 

「ごめんね、はたいてごめん」

「電も、雷を泣かせてしまいました。みんなのためって考えて、でも……っ」

 

 それ以上は言葉なんて出てこない。ただただ、二人が自分自身を忘れていない事を喜びあって、かけがえのない互いを抱きしめ合うことしかできなかった。

 

 

 

「ぐ、むぅ……」

 

 三半規管が揺れているらしい。視界はぐちゃぐちゃで定まりようもないし、特に治したばかりの左手はくっついているかも分からない。まるで昔、妻にせがまれて乗った遊園地のコーヒーカップに乗った後の様なフラフラとした感覚だった。それが抜けきらないうちに、それでも立ち上がる。

 右手で頭を抱えて、なんとか壁に寄り掛かったことで輪郭のはっきりしない二人の人影が見えた。徐々にハッキリになって行く視界の情報を信じるのならば、目論見の方は半分くらいは成功したらしい。半分、と判断を下せたのは自分の身に降りかかる冷たいまでの敵意に他ならない。

 

「……は、ぁぁぁ」

 

 安堵の息は、自分でも信じられないくらい年不相応で若造のようなものだった。

 あの砲撃の一瞬、心の檻の中から我を取り戻したらしい電が雷の砲塔を斜めにずらした光景を思い出す。砲弾は左肩の上を通って壁に命中し、爆風は背中をしたたかにうちのめして私の体を吹き飛ばしてくれた。そして首から打ちつけて転がった時は死を覚悟したものだが、存外に人間の体は丈夫らしい。骨の一つも折れず、擦り傷で済んだ体を見て再び息を吐きだした。

 しかしだな、と。そう意識を切り替えて、抱き合っている二人に視線を戻す。そこで、腰に来ている痛みに耐えきれず結局壁を背にしてずりずりと座りこんでしまった。流石に巨大な体を持っていた艦そのものの敵意を、この弱り切った体で受けるには度胸と体力がもたん。それは駆逐艦であっても全く変わらない事実であろうに。

 まごうことなき、殺気にも似た敵意を私へ向けるのはやはりと言うべきか、姉妹のために己を取り戻したばかりの駆逐艦・電だった。それはなんてことをさせようとするのか、もう人間を殺す必要が無いのに、深海棲艦だって仲間になるのかもしれないのに、一切の情を挟む余地なく艦娘の心を傷つけようとした、そんな「非情な提督」な私に対する怒りも含まれているのだろう。

 しかし、感情操作などと言う神にも等しい所業を愚かにも人の身で再現できるとは毛頭思っていないが、一定量の恨みつらみを抱かせるのは存外にやればできるものらしい。できれば殺意を持つくらいが望ましかったのだが、性根が優しい設定として建造される電では私が求める負の感情を抱くには至らなかったようだ。

 

「………ぐ」

 

 足が痛い。元から年をくうだけのポンコツになりかけていた足は、先ほどの衝撃でなおさら使い物にならなくなっているようだ。幸いにも無事だった書類を収めてある棚に体重を預けながら、みっともなく壁へ体重を預けて移動する。

 そんな私から庇うように雷を遠ざけようとする彼女の行動を敢えて無視して、私は何とか所定の位置、提督が座る椅子へと体重を預ける事が出来た。

 

「……駆逐艦両名、用件は済んだのであろう。さっさと宿舎で休養を取れ」

「はい、分かったのです。それじゃあさようなら、おじいちゃん」

「伏見さん、その」

 

 何かを言う前に、電は雷を引き連れて執務室の扉を閉めて行った。最初に此方へ連れてこられた時とはまるで逆ではないかと苦笑が絶えん。さぞかし、この部屋の修復に取り掛かっている妖精どもにとっても、私の笑いをこらえようとする姿は滑稽で可笑しい者に見えている事だろう。

 はは、なんだ。体一つ、命一つ賭けるだけで事が上手くいくのならこれからも賭けて行く方がよさそうだ。どうせ何時でも捨てられる命なぞ、どこで消費しきろうが、目的が達成できないのであれば同じことだ。

 

 頭を振って、肺を飛びはねさせる様な失笑に身を任せていると時計の針はそれほど多くの時間を使っていないのだぞ、と自己主張している事に気がついた。まだ○八○○、朝に話が持ち掛けられてからほんの1時間の間に、電は心変わりをして見せた。立ち直って見せた。それどころか、此方に敵意まで飛ばしてくると来た。

 

「こんな愉快なものが艦娘か、人間なんぞとは比べ物にならぬほど高尚な存在ではないか。ええ? そうは思わんか、そこな妖精どもよ」

 

 私に妖精の姿は見えることは無い。声すら聞く事も出来ん。だが、妖精どもの持っている木片はその場で止まって方向を変えたと思えば、次の瞬間にはまた動きを再開する。こんな狂った老人の考えなど、耳も貸したくないと言う訳ではないだろうが、まぁ理解の範疇の外にあると言う事は良く理解させて貰った。

 昇った日の光、それはまだ塞がっていない穴から私の全てを見透かしているように照らしてきたが、見たいのならば存分に見透かすと良い。どうせ貴様は軍艦と違い、艦娘のように意志を持つ訳でもないのだ。それに加え、もしも目的が果たされたのならば白日の下に晒される日は必ず来る。それともなにか、ジリジリ照らしてくる日光で私の弱った体を焼くつもりかね? 嗚呼―――ここまで考えた自分が何よりも馬鹿馬鹿しい。喋らぬ相手に何を思っているのだ。妄想癖の激しいジジイになんの意味がある。

 

 考えを断ち切る様にコンコン、扉から音が聞こえてくる。

 続いて返事を待たずに開いた戸の隙間からひょっこりと頭を出す者がいた。

 

「……提督、なんかあったのー?」

「ノックまでしたのなら、せめて確認はしておけ……」

「いいじゃん。駆逐のやつらと面白いことしてたみたいだし」

「面白いか、確かに寸劇としては傑作だったやも知れんな」

「ふふん、皆に聞こえちゃってたよ。艦娘の聴力はソナー並みだしね」

「知っている。どんな小声で言っても貴艦らには筒抜けであることもな」

 

 話していると、頭の中がようやく落ち着いてきた。

 書類に手を伸ばそうとすると、横から細い手が盗って行った。

 

「ふーん、私らのこと勉強してるんだ」

「そうだ」

「ふむふむ、懐かしいねぇこれ。4年前の中規模殲滅作戦の概要かぁ」

「書類を返して、それから此方を向きたまえ。まず、貴艦は何を聞きに来た?」

 

 回りくどい事はするなと目で訴えれば、北上は書類を投げて此方に寄越す。机から落ちない内にそれを取ろうとすると、腕を掴まれ吊りあげられる。机に腰掛けるように此方を見る北上と視線が合った。

 

「妖精、ちょっと音ふさいで」

 

 敵意は無い。だからといって憐れみすら感じられない。ただそこにいる私を見つめるだけの、馬鹿をやらかしたものへ送るような、仕方が無いという感情だけが込められていた。

 

「これでいっか。もう他の艦娘にも聞こえない内に言っとくよー?」

 

 ヘラヘラ笑う北上の真意は知ることなど出来ない。ただ、私にとってはあまり良くない方面へ話が向いている事だけは理解できた。それだけあって恐怖は湧きあがり、冷たい汗が背中と額から湧き出してくる。

 北上は、まさか真意を知ったとでも言うのだろうか。いや、ならば逆に好都合か。

 

「提督さぁ、いっちょまえに悪人気取ってるみたいだけどやり過ぎると本当に死ぬよ。それなりに仲間死んでるし、ここに人がいた時の事もあったから私は分かるんだけど、わざわざ後2年も無い(・・・・・)寿命を使ってまで何がしたいのさ」

「……そう、か。1年あれば良いと思っていが、2年もあるとは」

「話聞いてるー? とにかくそっちが何したくて此処の奴ら助けて、自分が恨まれようとしてるのかは知らないしどうでもいいけど、自爆に巻き込む事だけは止めてほしいんだよね。戦いの中で沈むんならともかく、変な事故で沈んじゃったら大変なことになるから」

「成程、貴艦もそれを知った口か」

「そ。だからちょっとした忠告程度に言っといたの。多分那珂も気付いてるけど……ああそっか、あえて何人かに気付かせようとしてる訳? あちゃ、こりゃ一本取られちゃったかな。とにかくさっ」

 

 パッと掴まれていた右手が放される。手の形をした痣を残した右手を痛みに耐えながら懐に戻すと、今度は北上の顔が目の前に迫って来ていた。

 

「アンタも、無理しない方がやろうとしてること成功すると思うよ」

「……そうか、成程。心に留めておこう」

「駄目だこりゃ」

 

 頭を小刻みに揺らしながら、知ったように言い返す。

 これは……不味いかもしれない。北上に情報が与えられないよう警戒しなくてはならん。今は此方を見届ける程度の関心らしいが、下手に距離が近くなってくれば目も当てられん事態になることは必須だ。

 

「妖精、もーいいよ。……んじゃ、せいぜい頑張って」

「そうするとしよう」

 

 僅かばかりの激励は素直に受け取ると、意外そうな顔をして北上も部屋を出て行った。見届け、痛む体を抑えながら帽子の下に蒸れた汗を妻から貰ったハンカチで拭き取って行く。これ以上、妻の様な犠牲者を出さないためにも、我が子の夢のためにも、一家の大黒柱だった身としては最後に果たすべき約束がある。

 それまでは決して死ぬことは許されん。例え誰かがもういいと止めてきたのならば、この短い寿命を削ってでもやり遂げて見せよう。

 

 それから約30分、あれほどボロボロだった執務室は、まったくの元通りになっていた。感心すべきは妖精の手際の良さか、はたまたこの世のものとは思えない現象に恐れおののくべきであるのか。感想を抱く事に置いては、何をすべきか分かったものではない。

 だが一つだけ、この妖精達にはもう一つの仕事を果たしてもらわなければならない。先日世話になったばかりで申し訳なく、また非常に恥ずべきことではあるのだが、使えるものは全て使っておいて損は無い。

 

「……妖精、修復が終わったのなら今度は此方の怪我を頼みたい。聞こえているのならば、是非とも」

 

 痛みは誤魔化しきれるものではない。骨は折れていないが、全身が軋みを上げるように悲鳴を上げているのならば早々に治さなくてはならない。なぜなら、あと数分もこの痛みに私が耐えきれる保証も無く、ただ痛みに呻き叫ぶ未来が約束されているからだ。

 




今回の縛り内容公開

 難易度:高
・艦娘は提督の「指揮権」に従う性質を持つが、提督他人間への危害を加えられないわけではない。明確な殺意を向けられた場合、どんな立場の人間であっても碌に抵抗もできず殺される可能性が高い。

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