「一面に広がるひまわり畑の上を戦闘機が飛行機雲を引いて飛んでいく」というビジョンが浮かんだのを、小説化したやつです。
恋愛小説(当社比)。短め。

脳内曲→H山雅治氏「ひまわり」かM任谷由実女史「ひこうき雲」



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ひこうき雲

 

 

「ああ――来た、」

 

雲のない空に、飛行機が飛んでいく。眩しさに目を細めながら私はそれを目で追いかける。今日は三機。先頭の一機が一足先に速度を上げて、白い尾を引いた。あれが飛んだ日の夕方は、バス停に必ずあの人が待っている。飛行機がその一機だった日の夕方に、彼の姿を見たことがあるからおそらく間違いない。もしかしたら、ただの偶然で、勘違いかもしれないけれど――

とても遠く、高い空を飛んでいる筈なのに、ここまでエンジンの音がはっきりと聴こえてくる。自分はここにいる、と知らせるように――あるいは、断末魔のように。

その刹那を私はスケッチブックに薄く鉛筆で刻んでいく。一面のひまわり畑。蒼天を切り裂くような鋭い飛行機雲。ここに残せるのは線だけ。色彩は、目に焼き付けて持っていくしかない。

――知っている。三本足のカラスの部隊章。夏の間だけやってくる、天女狩りの鉄の烏たち。

飛んでいられるのはせいぜい数年だということも、知っている。

あの人は、何年目だろう。少なくとも三年。黒くて短い髪の、少し寂しい顔をした、背の高いあの人。

自分だっていつまでもいられない。ここには夏休みの間だけ、帰省で来ている。来年で大学は卒業だ。

 

許された時間は、きっとそんなに残っていない。

 

 

 

 

「あなた……『基地』の人でしょう」

そうですが、と低い声で彼は言う。

「やっぱり。夏の間だけ、基地に人が多くなるんですよね。その黒い服……ここみたいな田舎じゃよく目立つから」

「苦手ですか。基地の人間は」

「い、いえ! 変な活動団体とかは確かに、ちょっといますけど。でも基地が出来てから人口も増えたし、大きなスーパーも出来たし。私はそうは思いません」

バスは待ってくれていた。とは言え、言葉を選んでいる時間はなさそうだ。

「私、ひまわりの花が枯れるまでは一日おきにここに来てます。また会いましょう」

一方的すぎる。でも今日はここまでが限界だ。慌ただしくバスに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

あの人はどんなふうに笑うんだろう、なんて考えて。

私は寂しそうなあの人に恋をしている。

誰よりも鋭く飛行機雲を描くあの人に焦がれている。

 

「今日は風が強くて涼しいから、自転車で来たんですよ」

「そうですか」

「八月の間はこちらにいらっしゃるのでしょう。村のお祭りには行ったこと、あります?」

「……祭りがあることを、今初めて知りました」

淡々とした受け答えが返ってくる。それは彼の性格なのか、あるいは天女に魂を奪われた故か。私には分からない。

 

「今年は来週の土曜日なんです。もしお休みだったなら……宜しければ一緒に行きませんか?」

 

 

 

 

 

私が男の人を連れて来たことに、母さんもおばあちゃんも舞い上がって、昔父さんが着ていた浴衣をあの人に貸して、「いい男ねえ」なんて冗談めかして笑っていた。

 

祭りの日は、寂れた町にもこんなに人が住んでいたんだ、と思うくらい、神社の境内に人が集まる。私のように帰省している人も多いようだ。見慣れない顔の若い家族連れがよく目についた。

私が慣れない下駄でうまく歩けずに、人混みに流されそうになっていると、あの人は立ち止まって待っていてくれた。

「すみません、歩くのが遅くて……。あっ、お腹空きませんか?何か食べます?」

「足が痛いなら休憩所で座っていてください。……私が何か、買ってきます」

お言葉に甘えてそうすることにした。

 

休憩所は人がいっぱいで座れなかった。けれども神社の裏手に人気のない場所を見つけて、コンテナをひっくり返して椅子がわりにすると、そこに腰を落ち着けることができた。

買ってきてくれたのはりんご飴とたこ焼き――私の分だけ。あの人は、食事は取らずにペットボトルのお茶だけを口にしていた。

「……少食、なんですね」

デザートにりんご飴を齧りながら呟く。彼は短い相槌を打って、それきり何も言わない。祭囃子の喧騒はヴェールを隔てたみたいに少し遠く、神社を取り囲む竹林の中から、途切れ途切れの蝉の声が届いてくる。まだ暑いけれど、夏の終わりは少しずつ近付いて来ている。蝉の声に混じって、もう秋の虫の声が聞こえ始めていた。

私は横目で彼の姿を盗み見る。その横顔はやはり、寂しげだけれど――口元が僅かに、綻んでいるような気がした。幻のようにささやかに、穏やかに、彼は笑っていた。

 

ああ、神さま。

どうかそれが、私の見間違いではありませんように――

 

「……ごちそうさまでした。ええと……おいくらでした?」

「ああ……いいですよ、奢ります。誘ってくれたお礼です」

「そうですか、ありがとうございます。そろそろ、戻りましょうか。お祭りのフィナーレで、花火が上がるんです。よく見えるところ、私知ってるんですよ」

 

私は彼より先に立ち上がった。いや――彼は立ち上がることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

あの人は戻って来なかった。

 

あの天女たちは、本来であれば人の多いところに現れる。だからこの町の空の上に現れたことは一度もなく、天女狩りの鉄の鳥達は、基地から戦闘地域まで飛んでいくのだ。

でもその日は少し違っていて――私のいるひまわり畑からも、その姿がはっきりと見えた。

入道雲の中から現れたそれは、今までに観測されたものよりもずっと大きく、先頭の一番早い飛行機を、丸ごと飲み込んで――消えた。

 

それ以来天女は現れなくなった。

あの人は天女様に見初められた、と、祖母が畏怖の混じった声で私に言ったのをよく覚えている。

 

今も私は待っている。

 

ひまわり畑はいつしか管理する人がいなくなって、何年か更地のままだったけれど。

今は私が管理を名乗り出て、毎年そこに種を植える。

基地はもうない。天女が現れなくなったから必要なくなった。町はまた静かになった。

――変わらないのは、このひまわり畑だけ。

 

穏やかに笑うあの人が、ここを目印に戻って来れるように。

私は待っている。あの人を飲み込んだ夏空を見上げて。いつまでも、いつまでも。

 

 

 

 

 

 

 

 





------メモ------

◆“あれ”
十五年前の夏に突如空から現れた。天女とか女神とか呼ぶ人もいる。
その姿を実際に目視している時間に応じて感情を失っていき、最後には自我が消失し昏睡状態になる。
ファーストコンタクトでは、東京上空で旅客機のパイロットが“あれ”を目視してしまい昏睡。
旅客機は墜落し、乗客の生存者は一名。地上でも多数の物的被害と死傷者が出る。
十五年に渡る観測と交戦、検証の結果、八月の中旬、二、三週間に渡って現れることが判明。
目視することによる被害は避けられないが、「祈る」ことによって症状の進行を軽減することが出来る。


◆あの人
設定上の名前は「百目鬼要(どめき・かなめ)」。名前つよそう。
階級は一尉。同期がバッタバッタ意識不明になっていくので爆速で昇進している。
29歳。黒の短髪に背が高く低い声。いい男らしい。
15年前の“あれ”とのファーストコンタクトで生き残った1人。
少なくとも3年、名も知らないひまわり畑の彼女から祈りを受けていたことにより、本人のあずかり知らぬところで症状の進行が抑えられていた。


◆彼女
設定上の名前は「螢奈(けいな)」。四年制大学(美大)の三年。
白いワンピースに麦わら帽子、長い黒髪の絵に描いたような容姿。
東京住まいだが夏休みの間だけ実家に帰省して過ごしている。
幽霊オチのアイデアもありましたがボツりました。


◆赤シャツ軍医
設定上の名前は「三﨑舞(みさき・まい)」。階級は百目鬼一尉より上。
派手な赤いブラウスに白衣。
夫はパイロットだったが既に昏睡状態。現在は娘と暮らしている。


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