それで結局、彼女は救いを求めているのか?

フランドール・スカーレットと古明地こいしの、とある一つの可能性のはなし。

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孤独・盲目・幸福少女

 

 人生に飽きたことはない。人生を憂いたことはない。人生を嘆いたことはない。

 一辺10mの立方体とそこを訪れる幾人の身内が私の人生のそのすべてで、望んだ分だけ貸し与えられる物語本と語り聞かされる武勇伝が私の知識のそのすべてだった。

 物語るにはあまりに平坦で正常かと問われれば間違いなく否と断言できる、そんな歪な人生ではあるが、私にはそれで十分だったし他に必要なものなど何一つとして存在しなかった。

 まあ、人生と言うには少々語弊があるけれど。吸血鬼だし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 名も知らない彼女が私のもとを訪れたことは、別段大した驚きではなかった。命を保ったままここに来た相手は彼女で都合四人目で、そこまで来るともはや来客は時折あること程度の認識になっていた。

 奇妙に映ったのはむしろその後だった。壁の戸棚を見て回ったり、かと思えば私の読んでいる本を後ろから覗き込んだりと、彼女の行動は随分に自由奔放だった。要するに、前の三人とは違い、彼女は目的を持ってここに来たようには見えなかった。

 更に奇妙であることには、私が彼女に声をかけると、彼女は驚いたような顔で私を見て、それからきょろきょろとあたりを見回してみせたのだ。無論そうするまでもなく、ここには私と彼女しかいなかった。それがどういう意図かは分からなかったが、彼女が変人だということをなんとなく私は察していた。

 彼女は古明地こいしと名乗った。何故ここに来たのかと問うてみると、賽子の目の赴くままにと言う。こいしちゃんは普遍的に一様確率で存在するのですなどと付け加えるから全く以て意味が分からない。いよいよ電波少女だと言うと言い得て妙だとくすくす笑う。嗚呼おかしいなんて言って目を拭って、それからああそうだと手を叩いた。

「貴方はフランちゃんだよね。外の世界に興味はない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古明地こいしはそれからたびたび私のもとを訪れた。どうやら私のことを気に入ったようだった。何故かと問うと破顔してみせて、必ず気付いてくれるからという。意味はさっぱり分からなかったが、それ以上訊くのは癪だった。

 こいしはよく喋った。とにかくよく喋った。よくそれだけ話題の種を持っているものだと私が呆れる程だった。こいしの話は概ね断片的で、惚けておらずともすぐに話題が移り変わった。出会って暫くの間などは随分と翻弄されたものだが、今ではすっかり慣れてしまってむしろ心地よいほどだった。特に相槌すらも必要とされていなかったのが私にとってはありがたかった。聞いているだけならまだしも、相槌ばかり打っているのは私としてはあまり居心地がよろしくなかった。かといって自分からものを語るほど私は饒舌なたちではなかったのだ。

 だからこいしの語るのを私はわりあい楽しんでいたのだが、反面彼女が帰る直前に必ず言い残していく言葉、つまり「フランちゃんは、外の世界に出てみる気はない?」という質問については、ほとほと閉口させられていた。私は別段、外に興味がなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「百聞は一見に如かず、と言うだろう?」

 いつだったか、少なくともこちらに来た後ではあったけど、お姉様がそんなことを言ったことがあった。はて、珍しいこともあるものだなと私は首を傾げた記憶がある。Seeing is believing――見ることは即ち信じること。それがお姉様のお気に入りの言葉で、それ以外の諺をお姉様は滅多にそのまま使わないものだったのだけど、と。

「概ね同じことを指して、こちらではそう言うのだとさ。郷に入っては郷に従うのが礼儀だからな」

 このように。

 お姉様はくつくつと笑っていて、それは恐らくは私の困惑した顔がよほど可笑しかったのだと思われた。或いは何か嫌なことがあって――例えば雨に降られるとか――それで調子が狂ってしまったのかもしれなかった。無論、私にはどちらが正しいのかは分からなかったし、そして知る気もなかったが。

「それで、どうだ? 物語の登場人物と顔を合わせた感想は」

 私はお姉様にそう尋ねられて、――ああ、そうだ、これはお姉様が紅い霧の異変を起こした後のことだ。お姉様の語る異変の顛末に珍しく私が強く興味を示していて、特に異変を解決していった二人組のことを気にしていて、だからお姉様があの二人を何やら言いくるめてやって、私と戦うよう仕向けさせたのだ。それで私はお姉様に、あの二人はどうだったかと、話で聞くより面白いやつではなかったかと、そういうことを尋ねられていたのだ。

 けれど私は首を縦には振らなかった。なるほど確かにあの二人は面白い人間ではあったけど、それとこれとは別の話だ。

 本物なんて良いものではない。勇敢な者にも生活はあるし、聖人にだって瑕はある。どんなものにも完璧はなくて、それは物語の中にしかない。ならば一つの本物を見るよりも、それを讃える百の言葉を聞く方が、ずっとずっと素晴らしい。それが私の考えで、これが私が引きこもる理由だ。

「まったく、変な妹を持つと苦労するよ」

 私の否定の言葉に、お姉様はやれやれと首を振って、だが、と言葉を続けた。

「今のうちに断言しておこう。お前はじきに外に出るよ。そうなる運命になっているんだ」

 お姉様は時折こういうことを言う。本気か冗談なのかは分からない。ただ本人の曰く、お姉様は運命を操れるらしい。けれど私はお姉様の運命を操る様子を見たことがないし、そうしたという話を聞かされたことすら一度もない。見ることは即ち信じることと言葉を掲げるお姉様が、私に見せも語りもしないのだから、つまるところはあれは単なる冗談の類なのだろう。少なくとも、私はそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ。こいしは、どうして毎回そんなことを訊くの?」

 いつも通りに、私に外には興味がないかと尋ねてきたこいしに向かって、ふと私はそんな疑問を投げかけてみた。

 特段の理由はなかった。強いて言うなら、いつも疑問に思っていたのが声に漏れ出たようなものだった。何故今まで尋ねなかったのかといえば、単にそれが些末に過ぎて、わざわざ尋ねる程のこともないと思っていたからだった。

「どうして、かあ。フランちゃん難しい質問するのね」

 だから、こいしが困ったような顔をしてそんなことを言ったので、私はひどく驚いていた。困惑していた、といった方が良いかもしれない。とにかく、それは予想外の返答だった。

「どうしてかしらね。フランちゃんに綺麗なものを見せたいからかもしれない。綺麗なものを見せたときの、フランちゃんの感想を聞きたいからなのかもしれない。瞼の裏でフランちゃんに同情しているのかもしれないし、逆に私が寂しがってるのかもしれない。或いは私は、フランちゃんとの思い出が欲しいのかもしれないわ」

 私の困惑をよそに置いて、こいしはそんな風に指折り数えていって、だけど、と言葉を続けてみせた。

「理由なんてどうでもいいことよ。私はフランちゃんと外に出て、それで二人で一緒に素敵なものを見に行きたいの。そもそも私の気持ちなんて誰一人だって分からないし、そこで悩んでも意味はないもの」

 聞くにつけても妙な理屈だった。自分の思考を顧みない者なんて、私は聞いたことがなかった。

「へんなの」

「よく言われるわ」

 思わず漏れた呟きと、返されたこいしの言葉を聞いて、私の脳裏にお姉様の姿が瞬いた。

 お姉様が私に呆れて変な妹だと評したことは、何百回あったか知れない。今では既に慣れたけど、昔は変だと言われるたびにどうしようかと悩んでいた記憶がある。

 きっとそれは、こいしも同じなのだろう。恐らくこいしも、何回となく変だと言われ続けてきて、そしてそのたびに葛藤を繰り返していたのだろう。

 私は急速にこいしに親近感を抱き始めていた。それは同族を見つけたことへの安堵であり、そして彼女なら私を受け止めてくれるのではないかという期待だった。或いは、ほんの僅かにだけど、彼女なら話に聞くよりも素晴らしいものを知っているのやも知れないと、そういう期待もあるようだった。

「興味が湧いたわ。ねえこいし、一緒に何か見に行かせて」

 こいしはぱあと笑顔を咲かせて、そのまま私の手を取った。

「それなら星を見に行かない? 今日はすっきりと晴れていたし、この辺りの星空はいつもとっても綺麗だもの」

 私は頷いた。正直なところを言えば、ここの星空は既に二度ばかり見たことがあった。語られるものを聞いたときほどの感動がないとも分かっていた。

 けれど、まあ、あと一回ぐらいなら、つきあってみるのも悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下階から出て廊下に立つと、そこで漸く私はおかしなことに気付いた。

「メイド妖精たちがいないわね」

「ほんとだ。来るときにはいたんだけどねー、どうしちゃったのかしら」

「こいしが来たときとか帰るときとか、こんなことになっていたことって前にはあった?」

「えーっとね。うん、なかったわ。いつもここは賑やかだったけど」

 なるほどと私は得心した。心当たりがあったのだ。

「きっとみんな外庭のあたりで宴会かなにか開いてるのよ」

「よくあるの?」

「まあ、時折ね」

 ふうんとこいしは声を漏らして、それから笑顔で向き直ってきた。

「それにしたって、フランちゃんが外に出ようと思い立った日に丁度宴会があるなんて、変わった偶然もあるものね」

 私は曖昧に頷いた。本当はそれは偶然ではないと、私は何となく察していた。珍しく部屋の外に出てきた私のことを見てメイド妖精が騒がぬように、騒がれるのを厭って私が部屋に戻らぬように。そう気を使われたのだろうと理解していた。お姉様が運命を操れるという話を、私はこのときやっと信じる気になれた。

「邪魔したら悪いし、時計台の上から行きましょうか」

「うーん、いや、大丈夫だと思うよ?」

「それに、そっちの方が良く見えそうだもの」

「・・・なるほど、それは良いかもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばこいし、貴方初めて来たときは大変じゃなかった? うちの妖精たち、珍しいものには目がないし」

 時計台の内階段を上りながら私がそんなことを尋ねると、こいしはあー、と惚けたような声を上げた。

「いやー、今まですっかりフランちゃんに言い忘れてたんだけどね。何かきっかけがない限りはさ、私は誰にも見えないのよ」

 初耳だった。けれど思い返せば心当たりはあった。初対面の時の驚いた様子、「必ず気付いてくれるから」という言葉。訳の分からなかったそれらが、これでようやく腑に落ちた。

「でも、前から聞きたかったんだけど、フランちゃんどうやって最初に私に気付いたの?」

こいしは心底不思議そうな顔をしてそんなことを言ったけど、それにも私は心当たりがあった。

「簡単なことよ。地下室に続く階段は、よく足音が響くもの」

「なるほどね。それなら分かるに決まってるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら見てよフランちゃん、綺麗な星空!」

 こいしの指差す方を見れば、無数の星々が瞬く空は、ああ、確かに綺麗な風景だ。けれど。

「私からすれば、飾り気のない風景よりも、こいしやお姉様が百の言葉で語った想像上の星空の方が、ずっとずっと綺麗だと思うけど」

 そう言ってやると、こいしはしばらくぽかんとしていて、私にはそれが少々おかしかった。

「フランちゃんって、案外、変わってるよね」

「こいしがそれを言うわけ?」

「んーまあそれはそうだけど」

「それに、お姉様の曰く、私は変人らしいもの」

「ふふ、そうなんだ」

 こいしは私の冗談にくすりと笑って、それから申し訳なさげに私の顔をちらりと見た。

「ごめんね、フランちゃんの気持ちが分からなくて」

「別にいいわよ。そもそもひとの心なんて分からない方が普通だもの」

「ああ、そっか。そういえばそうだっけ」

「なにその反応」

「やーほら、私にだって事情というのはあるものなのよ」

 にへらと笑うこいしを見て、まあいいかと私は追及の手を止めた。こいしが話さないということは、きっと面白くもない話なのだろう。

 美しくもない、面白くもない話になんて興味はない。私は素敵なものだけを聞いて生きていたい。だから私はこう言うのだ。

「こいし、また話を聞かせてね」

「うん。そうだね、そうしよっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、そっか」

 時計台の内階段を下りる途中で、こいしが唐突に呟いた。

「何よ」

「えっとね、・・・いや、何でもないや。勘違いだったわ」

 流石に私は首を傾げた。まったく意味不明だった。

「そんなこと言われると逆に気になるんだけど」

「いやいや、ほんとに下らないことよ。ただね、一瞬ほんのちょっとだけ、私の気持ちが分かったような気がしたの」

 でも気のせいだったわー、などとこいしは肩を竦めて、その様子はますます私の合わせ鏡のようだった。ほんの僅かな、思うだけ損な下らない期待を、それでも胸にしまっておくあたりが、特に。

 感傷に浸りつつ口を閉ざした私を追い抜いて、まあ、別にいいんだけどね、などと言いながらこいしはくるりと回ってみせた。

「私はフランちゃんに綺麗なものを見せたかったのかもしれない。綺麗なものを見せたときの、フランちゃんの感想を聞きたかったのかもしれない。瞼の裏でフランちゃんに同情していたのかもしれないし、逆に私が寂しがってたのかもしれない。或いは私は、フランちゃんとの思い出が欲しかったのかもしれないわ。だけど、理由なんてどうでもいいことよ。私は今は満足してる。今はそれだけで十分でしょう?」

「そうね」

 こいしはにこりと笑った。私はどう応えるか迷って、結局同意を口にするだけにしておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生に飽きたことはない。人生を憂いたことはない。人生を嘆いたことはない。

 一辺10mの立方体とそこを訪れる幾人の身内が私の人生のそのすべてで、望んだ分だけ貸し与えられる物語本と語り聞かされる武勇伝が私の知識のそのすべてだった。物語るにはあまりに平坦で正常かと問われれば間違いなく否と断言できる歪な人生ではあるが、私にはそれで十分だったし他に必要なものなど何一つとして存在しなかった。

 

 

 そういえばそろそろ彼女のことも、私の人生のその一部として、数え上げる必要があるけど。

 

 ――まあ、私には、そのくらいで十分だ。

 

 

 

 

 

 



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