ジーニーの祈り   作:XP-79

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6. Catch Me If You Can

 キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースは、アベンジャーズタワーのリビングでトニー・スタークと共にソファに腰を下ろしていた。

 トニーは非常に不機嫌そうに寸断なく爪先を床に叩きつけていたが、気にする事無く紅茶をスプーンでかき混ぜる。そも、お互いに相手が不機嫌だからと遠慮するような柔な関係ではない。それに加えてスティーブは人の心の機微には鋭いものの、機嫌を伺うような繊細な性格では無かった。

 

 トニーとスティーブはF.R.I.D.A.Y.がデッドプールの記憶を分析し、Weapon VIIIの実験施設を特定するのを待っていた。

 デッドプールがWeapon VIIIの被験者を見つけた洞穴。当時ヒドラに関与していたと推測されるジェイソン・マクスウェルとエマヌエル・ガルシア。腐臭を発する緑色の粘液を噴出し、体長3mにまで達する被験者の外見。それら全ての情報を合わせれば居場所を割り出すのはそう困難な事では無い。

 更に長年の戦いにより現在ヒドラは弱体化の一途を辿っており、自分達の居場所を隠蔽するだけの余力も最早残されてはいないと推測された。スティーブが長年かけて集めたヒドラの資料に加え、スターク社の全権限を揮って世界中を探すF.R.I.D.A.Y.の能力がある以上、そう時間はかからないだろう。

 

 その短い時間でスティーブはトニーを説得しようと試みようとしていたが、何の手ごたえも感じないまま既に30分が経過しようとしていた。ソファの上でトニーは大げさな身振り手振りを加えながら、苛立ちを隠そうともせず何度目か分からないスティーブへの説得を試みようとしていた。 

「いいか、あんたのその糞硬い頭蓋骨を貫通するために何度でも言うがな、あいつは単なる狂った殺人鬼だ。あんたの大事なジャック・ルロワとは違って自分の意思で小金を貰って殺人を繰り返してる、常識も何もあったもんじゃない奴だ。そんな奴を一時的とはいえチームに入れられるか。勝手な行動をするに決まってる」

「彼は狂ってなんかいないよトニー。現実を直視している正気の人間だ」

「狂っていないのならなおさら問題だ。全くの正気で大量の人間を殺して、そうして稼いだ金で買ったド派手な赤いスーツを着て街中を出歩くような恥知らずをヒーローだと認められるか?………僕は無理だ。ああとも、僕だけはあいつを認めてはいけない。あいつが行くべき場所は刑務所か、精神病院か、あいつが望む通り神の御許のどれかだ。そうだ、ゴッサムに良い精神病院があるらしいぞ。あそこを拠点に会社を経営している知り合いが居てな。彼に頼めば腕の良い精神科医を紹介してくれる。良かった良かった。これで一件落着だな」

「トニー」

 窘めるように言うと不機嫌そうに鼻を鳴らす。もう四十路に入った男だというのに仕草は拗ねた子供のようだった。昔から子供っぽい所のある男だが、こうまで不機嫌さを表すのは最近では珍しい。

 

 スティーブは拗ねた子供を諫めるようにじっと瞳を見据えた。そうすると父親に叱られた子供のようにぐっとトニーは黙る。しかし瞳は如実に不満を露わにしていた。

 自分程ではないにしろもういい歳をしている大人の癖にと思うが、彼が不機嫌になる時にはいつだって確かな理由がある事もまた事実だった。

 気まぐれな言動から気分屋だと思われがちだが、トニーは理不尽に怒ったり不機嫌になったりする事は滅多に無い。非常に論理に適った行動をする男だ。

「確かにデッドプールは金を貰って殺人を繰り返している犯罪者だ。僕も彼のしている事を全面的に認めている訳じゃない……しかし彼が殺した人間はヴィランばかりだと判明しているじゃないか。彼は彼なりのルールに従って行動している。発狂している人間がそんな事を出来る筈がない」

「スティーブ、あいつの過去をチラ見して情でも湧いたか。自分と同じ超人だから保護してあげようと?見上げた献身だよ。涙が出る。だがはっきりと言っておくがあいつはお前とは違うぞ。あいつは倫理や献身や道徳心といった、君が溢れんばかりに持っているモノを、残念ながら欠片も持っちゃいない。私はあいつがチームに入ったところでメンバーが迷惑を被るか、最悪背中から撃たれるリスクが高まるとしか思えないがね」

「……これは彼の問題なんだ。彼抜きで進めるのは、あまりに彼に対して不誠実だ」

 平行線の議論に息を吐く。机の上に置かれた紅茶は既に冷め切っていた。話し合いを始めた時にダミーが淹れて持って来てくれたものだという事を思い出した。彼に申し訳ないと口に含んだら酷く渋い味がした。

 きゅるきゅるとアームを回してこちらを見ている(つまりはカメラを向けている)ダミーには、擦り寄ってくる猫のような愛嬌がある。「おいしい?おいしい?」とでも言うように自分の周りを回るダミーに「ありがとう、美味しいよ」と言うと、嬉しそうにアームを振った。しかし窘めるようなトニーの声が飛んで来る。

「嘘は駄目だぞキャップ。こういう時はしっかり不味いと言ってやるんだ。それが教育だ」

「君は自分の子供に少々厳し過ぎやしないか」

「その方が結果的には彼らのためになる。君のように一度懐に入れれば大量殺人鬼でもダダ甘に甘やかしてしまうような駄目男と私は違うんでな。言うべきことは正しく言ってやるのが良い父親であり、良い友人だ」

 鼻で笑うトニーに誰の事を言っているのか嫌でも分かった。その人物が1人ではない事も。

 シビルウォーを無理やり思い出させる強烈な皮肉に思わず立ち上がりかけたが、ぐっと堪える。代わりにアームをがっくりと垂らして落ち込んでいるダミーを撫でると、喉を鳴らす猫のようにきゅるきゅると音を出しながら機嫌よく去って行った。

 

 いい加減彼の皮肉にも耐性が付いた頃だ。トニーが流れるように口から零す皮肉はこちらを嘲笑っている訳でも、ただ苛つかせたい訳でも無く、自分を守るためのハリネズミの棘のようなものだと気付いたのは本当に最近の事だった。

 長い事社交界の荒波に揉まれて生きてきたせいか警戒心が人一倍強いトニーは、当然のように人の好き嫌いが過剰なまでに激しい。そしてペッパーやローディーのような見返り無く人に親切に出来る、聡明で寛容な人間が彼の好みである事は明らかだった。

 

 彼が嫌いなのは衝動的かつ感情的で、行動が全く読めない、法を破る事にすら微塵も躊躇わない、つまりはデッドプールのような人種だ。

 それは聡明な彼でさえ行動が読めない人間に対する恐怖感だけではない。彼は、彼の大事な人間——家族や仲間たち———が、衝動的に行動する人間に危害を加えられる可能性を恐れているのだ。彼はああ言ったが、ピーターを見ていると自分よりも彼の方が懐に入れた人間にとことん甘いと思わずにいられない。

 そしてアベンジャーズというのは彼にとっても思い入れが深いチームだ。アンソニー・エドワード・スタークは仲間が危険に晒される可能性を前に黙っているような男でない。何度も背中を預けて戦ってきたのだから、少なくともアベンジャーズの古参メンバーは彼の懐の中に居るという確信があった。

 

 だがそれでも、今回の作戦、Weapon VIIIの実験施設への突入作戦にはどうしてもデッドプールに参加して貰わなくてはならないとスティーブは確信していた。トニーが言うように多少は情に流されている自覚はあったが、それ以上に彼の能力は貴重なものだと思えてならなかった。特殊能力頼りのメンバーが多いアベンジャーズにはきちんとした特殊部隊の訓練と実戦を積んだ人材は少ない。

 確かにデッドプールは命令を軽視する傾向があり、状況判断が甘い事もあるが、それはヒーリングファクターという不死の能力による一種の余裕の表れであり、言い換えれば彼には多少の無茶な作戦でも敢行できる実力あるとも言える。

 残る問題は彼がどこまで周囲と協調的な態度を取れるかにかかっていた。だがそれは実際に共に行動してみないと分からない事だ。

 試してみる前から無理だと切り捨てるには彼という個人は大きすぎる。そして何より今回の作戦に彼は少なからず執着しているに違いなかった。

 彼を参加させないまま実験施設への突入を強行すれば、その後に彼がどんな行動を起こすのか想像が出来ない。

 

 確かにデッドプールは衝動的で、感情的で、アウトローな男だ。だからこそ自分の知らないところで自分の親友とその娘の仇を殲滅したとなれば、激昂した挙句にアベンジャーズと敵対しても全く可笑しくはない。

 だからせめてこの作戦中はメンバーとして加えて、自分かトニーの目の届く所に居て欲しいのだが、トニーは彼の自制心は作戦中も保たないと確信しているようだった。

 

 渋い紅茶を顔を顰めながら飲み干し、あんたは甘いと再度口にする。

「あいつはまず間違いなく作戦中に問題を起こす。そして全部を滅茶苦茶にするぞ。あいつ一人が死ぬ———いや、死なないんだったな、まあ全身バラバラにされるのならともかく、そこに僕も加わるのは御免だね。あんたもそう思ってくれているものだと思っていたんだが、それは僕の自意識過剰な勘違いかな?」

「君の危惧も僕は理解している。でも彼はそこまで自制心の無い人間じゃない」

「それは君の彼への肩入れによる見込み違いだ。あの男は間違いなくやる。全財産を賭けても良い。もし君が負けたら破産では済まない金額だがそれでも君はあの男を信じるのか?」

「信じる」

 はっきりとトニーの目を見て告げる。トニーは気に食わないという感情が非常に分かりやすい表情で溜息を吐いた。

 目を机に落とし、タブレットで何かを操作してこちらに手渡す。渡されたタブレットの画面にはバナー博士とシュリ王女、ドクターストレンジ、そしてどのような伝手を使ったのかゴッサムの騎士であるバットマンから渡されたらしき報告書が並んで表示されていた。

 この短期間でよくもこれだけの人員に、特にアベンジャーズのメンバーでもないバットマンに連絡を取れたものだと思うが、それだけヒドラの動向に注目している人間が多いのだろう。未だ地球はサノスとの衝突により生じた混乱の最中にあり、この混乱に乗じて生じた犯罪の数は膨大だ。その中の幾分かにヒドラが関わっている事は間違いが無く、情報の共有や協力を出し惜しみするような愚かなメンバーはアベンジャーズにもジャスティス・リーグにも存在しない。

 

 スティーブはその報告に目を通し、瞠目した。

 数人分の報告書の結論部分だけを何度も読み返す。自然と拳に力が入りタブレットに小さな罅が走った。

 既に知っていたのだろうトニーは目を細めて小さく息を吐いて強張っているスティーブの肩を叩いた。

「分かっただろう………止めとけキャップ。あいつは駄目だ。特に、この件に関してはな」

「しかし、」

「あの男がこの事を知ったら最悪だ。僕だってあいつが無差別大量殺人をやらかすような救い難い極悪人とまでは思っていない。単に、あの赤い狂人は自分が正しいと思ったことをやる事に全く躊躇いが無いと言っているだけだ……君と同じように。ただし、君の正しさとデッドプールの正しさはあまりに違い過ぎる」

 トニーの指摘は的を射ており、反論する事は容易ではなかった。歯を食いしばる。彼がそうなってしまった事に自分が全くの無関係とは思っていない。

 むしろ自分の言葉が彼の後押しをした事は間違いなかった。彼は自分が言った言葉をその通りに受け止めて、自分が正しいと思っている事を迷いなく実行しているのだ。

 それが間違っているとは言わない。ただ自分の周囲には、70年前も今も、躊躇なくアドバイスや叱責をくれる友人や仲間が居た。彼らは暴走しがちなスティーブのブレーキであり、同時に狭くなりがちな視野を広くする優秀なアドバイサーだった。

 そしてスティーブは生粋のクリスチャンでもあった。

 貧しい幼少期を過ごしたスティーブは教会で配られていた聖書の冊子で英単語を覚え、その一言一句までを暗記し、内容について自分で考えていた。毎週末には教会で神父の説教を聞き、キリスト教の精神について理解を深めた。

 そうして多くの人が小馬鹿にするような、絵に描いたような理想を心から信じるに至り、さらに理想を現実にするための行動を惜しまなかった。

 スティーブの正義とは自分の信念であり、仲間たちへの敬意であり、隣人を思いやり献身に尽くすという正しいキリスト教における愛でもあった。

 

 だがデッドプールは一人だった。神でさえデッドプールの傍には居なかった。

 さらにトニーの言う通り、彼はスティーブのような強い理性や倫理観、道徳観を備えていない。彼の正義は彼一人の独りよがりなものでしかなく、他人への配慮や尊重といったものを著しく欠いていた。

「それが虐殺であれ、惨殺であれ、それが自分にとって正しいと思えばあの男はやるぞ。たとえあんたが止めようとな」

「……彼はこの作戦に参加する権利がある」

「B.A.R.F.を貸し出したのは誰だ?彼への報酬を出すのは?その権利とやらは誰が出すものか……いや、こんな事を言いたい訳じゃないんだ。キャップ、頼むから僕にマスコミに向かって垂れ流すような建前をあんたに言わせないでくれ。私は意地悪をしたいわけじゃない。老人を虐めて楽しむ趣味は僕には無い。ただ僕は救う相手を間違えるなと言っているんだ。あんたが優先するべきはアベンジャーズであって、罪のない子供達であって、大量殺人犯じゃない。あの狂人にも同情すべき点はあるだろう。しかしそれは他よりあいつを優先する理由には決してなり得ないものだ」

 

 分かったな、と言ってトニーは踵を返した。明確な話の終わりだった。背中にはこれ以上の議論を拒絶するはっきりとした意思が張り付いている。

 こうなったトニーは梃でも自分の決定を変えないし、他人の意見に耳を貸さない。全くどちらが頑固ジジイなのか。何を言おうと無駄だと察してスティーブは口を閉ざした。

 だがその背中を止めるようにF.R.I.D.A.Y.の柔らかな声がかかった。

『Mr.スターク、ご報告したい事が』

「何だF.R.I.D.A.Y.」

 やや不機嫌さを残した声だったがF.R.I.D.A.Y.は気にもせず淡々と言葉を続ける。いつもならば臍を曲げた父親へ皮肉の一つや二つは言ってのける自立心の強いF.R.I.D.A.Y.が直ぐに本題に入ろうとした事にスティーブは目を鋭くした。

『先ほど私に対してハッキングが行われました』

「………そうか、そりゃあ珍しい。昨日はたった97件しか君をハックしようとした不貞の輩は居なかったような覚えがあるからな」

『タワー内からの侵入です。それも居住階層からの侵入である事が確認されました』

「何だって?」

 盛大に眉根を顰めたトニーにスティーブも困惑した。

 ハッキングも何も、このタワーに出入りする人間にはある程度F.R.I.D.A.Y.に干渉する権利が与えられている。特に居住階層——アベンジャーズのメンバーが寝泊まりする空間———からは、ほぼフリーであらゆる情報が閲覧できるようになっている。

 それこそトニーにしか閲覧できない機密情報やF.R.I.D.A.Y.のシステムに関わる部分には強いセキュリティがかけられているものの、そういった情報にアクセスを試みるとタワー全体に地震かと思う程の警報が鳴り響く。

 そしてその警報までもがシステムを停止させられていたら、防犯システムの管理を一手に担っているF.R.I.D.A.Y.とこうして会話をする事が出来る筈が無い。

「誰が何をやった。そもそも何をしようとしたんだ?君をハックするくらいなら僕に直接我儘を言ってくるような遠慮の無い奴らしか居住階層には居ないと思っていたんだがな」

『ハッキング元はMr.ロジャースの個室です。目的は先程Mr.スタークがMr.ロジャースにお見せになった情報と、先ほど割り出しが完了致しましたWeapon VIIIの実験が行われていた可能性が最も高い施設の場所です。さらにハッキングを行ったと思われるウィルソン氏が現在、』

 

 パリーン、ガシャーン。

 派手な破壊音が響き渡った。そして高らかに響き渡る警報。

 スティーブは自分の眉間に皺が寄るのを感じ、トニーが焦りと怒りと呆れで熱い息を吐いたのを見た。一人F.R.I.D.A.Y.だけが冷静だった。

 

『屋上に向かっております。直ぐに稼働可能なヘリが1機屋上に、』

「止めろ!」

『オフラインでも稼働可能な機体ですので、不可能です。撃ち落とすのならば容易に可能ですが』

「それも止めろ!街中だぞ!!」

 

 ビル全体に響き渡る警報は止まる気配もない。スティーブは立ち上がり、トニーは苦い顔をして悪態をつきながらも足を進めた。

 泣き崩れたデッドプールを休めるためにスティーブは居住階層にある自室へと寝かせていた。そして自室には仕事用のパソコンが置いてある。

 ただでさえ厳重なセキュリティをさらに常時自身でアップデートしているF.R.I.D.A.Y.ならともかく、現代機器に強いとは言えないスティーブのパソコンに侵入する事はそう難しくはない。そしてそのパソコンはF.R.I.D.A.Y.へのフリーアクセス権限を持っていた。

 

「トニー、ヘリの準備を!彼より早く現場に着かなければ!」

「他のヘリは任務でローディーに貸しているんだ……ああくそっ、だから言っただろうが!あの男には自制心なんて欠片も無いって!」

 

 トニーは端末を放り投げ、F.R.I.D.A.Y.の名を高らかに叫んだ。

 放り投げられた端末は床に転がり、光る画面を瞬かせた。その画面には何人ものヒーロー達が下した『Weapon VIIIの被験者を元に戻す方法は理論上存在しない』という結論が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 

 キャップのパソコンをハックして得た情報から、Weapon VIIIに関与していたヒドラの残党がオハイオ州に潜伏していることが判明し、ウェイドはすぐさまにオハイオ州に向かって飛んだ。

 トニー・スタークのヘリをかっぱらい、追っかけて来たアイアンマンをRPGで吹っ飛ばした。当たり所が悪かったのか、エンジンからぷすぷすと煙を吹かしながらエリー湖に墜落していくアイアンマンの映像と俺ちゃんの突き立てた中指を撮影してSNSにアップしてやった。いいねが5分で5000を超えたぜ。

 みんなアイアンマンが好きだし感謝もしてるけど、それはそれとして他人を上から目線で侮辱して安心する特殊性癖持ちのチビのおっさん(それも地球上で指折りの大金持ち!)が、一回無様にスケキヨになる所を見たいって思ってるよな。

 そりゃそうだ。俺だってそーだ。とんでもない金持ちのくせにラブラブな美人の奥さんと可愛い娘が居るって時点でギルティー。だから湖に沈むアイアンマンを焦って救助なんてしなくていいぜキャップ。あんたに優しく助けられてもそいつは内心複雑だろうしな。

 

 まあそんなわけでかっぱらったヘリを手近な空軍基地で乗り捨てて、軍用ヘリにでも乗り換えよって思ってたら、あらびっくり。昔の上司にごたいめーん!

 いやまあF.R.I.D.A.Y.からハックした情報でここに居るって事は知ってたんだけどさ。でもロマンティックを演出するために知らなかった振りをするのも大人の男として必要な振る舞いだよな。

 

 軍施設の中を走って逃げる懐かしの黒人ハゲを走って追いかけながら銃弾を撃ちまくる。

 周りから悲鳴やら怒号やらが上がってくるけど無視無視!マーベル世界の軍人や市民はこういった事に慣れてるから大丈夫さ。NY市民なんて多分もう宇宙船が突如として上空に現れても何も驚かねえんじゃねえかな?

 少なくともNY市民よりも肝の据わりが悪い軍人達は、上機嫌にSMGを撃ちまくりながらガルシアを追いかけるデッドプールを目の当たりにして自分の身を護る事しかできず、止めようなどという思考すら思い浮かばなかった。

 

 必死に走るガルシアは記憶にあるよりずっと老いていて、腹には余計な脂肪がたぷんたぷんと揺れている。増えた脂肪と反比例するように衰えた筋肉は重たすぎる体重を引きずるには縮み過ぎているらしく、必死な形相の割にそのスピードは欠伸が出そうな程に遅い。額から汗を噴出しながらひいひいと喚く姿はあまりにみっともなさ過ぎて笑いを誘った。

 この男のせいで自分が被った事態を思うと、さらに笑いが深くなった。

 年を経るとその人の本質が露わになる。いつまでもヒーローという呼称に相応しいバッツやキャップがその最たる例だろう。

 それに対して若かりしガルシアは大物ぶっていたものの、その本質はやっぱり自分のオリジンに相応しい惨めな小物だった。

 

 あっさりと追いついて回り込み、すっかりと太くなった足をひっかけて床に転ばす。

 勲章をいくつもぶら下げながらみっともなく床を這いずる走る姿はこれから屠殺されようとしている豚に見えてしょうがない。爆笑しながら脂肪に埋もれた胴体を踵で蹴りつけると豚のような悲鳴を上げた。その声にまた笑みが深まる。

「やあ久しぶりガルシア教官!髪切った?いや元々ハゲだったかあんたは。いやあ元気そうで安心したよ!俺ちゃんがぶち殺すまでに死んでなくて本当によかった!これも運命ってやつだな!」

 ノーモーションで両膝を銃弾でぶち抜く。炸裂する銃声とほぼ同時に悲鳴を上げて、惨めに地面を這いまわるガルシアの胴体をサッカーボールのように蹴り上げた。

 空中で華麗なトリプルアクセルを決めるもガルシアは着地に失敗した。床に響く鈍い衝撃。残念ながら転倒!ガルシア選手基礎点減点!織田選手のそんな解説が飛んできそうだ。

「俺ちゃんに殺されたくて今日まで必死に生きて来たんだろ?待たせちまって悪かったなぁMy sweetie、可愛い奴め。自分で自分を殺す奴をWeapon計画なんかでわざわざ強くしておいて、こうして記憶を思い出した俺ちゃんがてめえを殺しに来るまで呑気に軍人を続けるなんざ見上げた変態だ。尊敬する程にハイレベルな自殺プレイ兼放置プレイ!師匠と呼んでもいいかしらん?」

 地面に叩きつけられたガルシアは肺から空気を吐き出しながら化け物でも見るような目つきでこちらを見上げた。

 なによ、てめえらが俺ちゃん達を作ったっていうのに失礼じゃない?

 何かしらを言いかけたガルシアの口は大きく開かれていて、ちょうど50口径を突っ込まれたそうな顔をしていたからデザートイーグルを突っ込んでやった。片手では撃ちにくいが、.50AEを撃つ時に手にかかる衝撃は気持ちが良いから好きだ。

 何より野郎の口に突っ込んだら自然と涙目でこちらを見上げて来るのが良い。ぴくぴくと小鼻が震えて、そんなに酷い事はしないよね?という哀願めいた視線がうるうると瞬く。その瞬間に引き金を引くと綺麗に後頭部に花が咲いたように脳漿が散るんだ。その瞬間は絶頂した時と同じ位に、イイ。

 ガルシアの潤んだ瞳に小さくウィンクした。

 

「Hasta la vista, baby」

 

 パァンと一発。そして拳に伝わる小気味よい衝撃。口蓋にまあるい覗き穴が空く。それで終わり。人の終わりの瞬間は驚くほどに呆気ない。

 

 綺麗に後頭部まで破裂したガルシアの首は茫然という表現がよく当てはまる良い表情をしていた。何が起こったのかまだ分かっていないような丸い瞳が薄い眼瞼から覗き見える。悪党の死体たるものこういった末路を迎えるべきだという見本のような首だと思った。

 長年に渡って悪だくみを仕組んで来た小物の悪党は、最期には名も無い鉄砲玉に突っかかられて惨めに死ぬのが相応しい。キャップみたいな大物ヒーローに殺されるなんてこいつらにとってはただのご褒美だ。こんな野郎共には勿体なさ過ぎる。俺ちゃんだってまだキャップには殺して貰った事ないのに!お前らなんかに先は来させないからな!ぷんぷん!

 

 吹き飛んだ血液はガルシアの背中から廊下までを濡らしていた。

 流石に至近距離で.50AEをぶち込まれたために顎から下はほとんど吹っ飛んでいるが、それもまた味がある。我ながらいい感じに射殺したものだ。

 これからジェイソンにも会いに行く事だし、親友として手土産の一つや二つは持って行ってやるべきだろう。そう思い、芸術的に破裂したガルシアの首から下を切り落とした。喜んでくれるといいんだけどな。

 

 

 首を片手で抱えながら、どうやってジェイソンに会いに行こうかと悩む。

 軍用ヘリを頂こうと思っていたのだが、ここからオハイオ州はちょいと距離がある。ヘリでも行けない事は無いが、もっと手っ取り早く到着するにはやはり戦闘機だろう。

 それにやっぱり男のロマンといえば戦闘機だ。アパッチも勿論カッコ良いし心惹かれるものがあるが、あのシャープな流線形程に少年のハートをキャッチするものは無い。そう思い、サイレンが煩く鳴り響く空港を横切った。

 ガルシアを殺害されすっかりと警戒態勢に入ったらしく、空港をのんびりと歩いている内に武装した軍人に囲まれて撃たれたが、別に大した痛みでもない。惰性的に撃ち返しながら戦闘機を物色する。ラプターがあれば乗ってみたかったのだが、残念ながら見当たらなかった。しょうがなく昔懐かしいレガシー・ホーネットに乗り込みエンジンを起動させる。

 

 軍施設中に鳴り響いているサイレンをものともせず、腹の奥にまで届くようなエンジン音を唸り声として吐き出しながら、ゆっくりと、しかし確実に速度を上げながら進む機体。がたがたと震える胴体部分で体を小さくしながらウェイドはしっかりと操縦桿を握り締めた。

「Rift off, rift off, さっさと飛べのろま野郎め。いや嘘嘘、動いてくれてありがとうねハニーちゃん!そんでさっさと飛べこの野郎!」

 罵声を飛ばしながらがちゃがちゃとスイッチを弄る。徐々に加速する機体は少しの間地上をうじうじと走っていたが、滑走路ギリギリのところでようやく浮き上がった。

 真下に遠ざかる大地が見える。周囲は青い空に囲まれた。

「よし、よし!イケんじゃねえかレガシーちゃん!まだまだ若いもんには負けられねえな!」

 ガッツポーズをとり高笑いを上げる。最高の気分だ。

 残念ながら複座の機体では無かったので、ガルシアの首は膝の上に乗せた。男の膝の上なんて嫌かもしんねえけど、景色は最高だから許してくれるよな?と聞くと、心なしかガルシアの薄い唇は小さな弧を描いた。

 そうだよな。なんてったって雲の上だ。最高の空だ!なんにも思い悩むことなんてない!

 

 空軍に所属した経歴は無いが、空挺資格を取得する過程でパイロットとして簡単な訓練を受けた経験はあった。とはいえそれも20年近く前のことで殆ど覚えちゃいないのだが、B.A.R.F.とワンダとプロフェッサーのトリプル効果のおかげで今の自分はこれまでになく昔の記憶が明瞭だった。

 微かな記憶を頼りに戦闘機を飛ばす。真下に広がる大地があっという間に後方に飛んでいく。暴れようとする操縦桿を腕力のみで宥めながら、雲を切り裂きながら飛んでいく感覚はサイコーだった。歓声を上げながら片手でガルシアの首をピザ生地のようにくるくると指先で回す。

 飛ばすだけなら意外になんとかなるもんだな。いやもしかしたら俺ちゃんパイロットとしても天才だったのかも!陸軍兵士としても天才なのにパイロットとしても天才とか、マジ俺ちゃん流石って感じじゃね?このまま行けば鉄社長も真っ青の人気キャラとしてMCUどころかX-MENや、果てはDCEUにも参加して、全てのアメコミ映画時空で『やっぱりデップーがアメコミサイコーの男ね!キャー素敵!サインして!』の声を上げさせるのも遠い未来じゃねえな!!

 

 

 ————そう思ったのが良くなかったのかもしれない。

 

 

 調子に乗って(調子に乗った自覚位はあるんだよなぁ……)背面飛行をしていたら、きりもみ状態になってしまった。あっという間の出来事だった。

 バーティゴに陥った事を自覚してもなお計器を信じ切れなかったのが悪かったのかもしれない。それとも高度が下がっている事に気付いて焦って操縦桿から手を離してしまったのが拙かったか。

 いずれにせよ、コントロールを失った機体はオハイオ州の上空1000ft地点から地面に向かって落下した。

 

 いやあ失敗失敗。ぐるんぐるん回る視界の中で額に拳をこつんと当てた。てへぺろ(・ω<)☆

 

 まあ俺ちゃんは死なないし、既に目標地点には到達しているから何も問題は無い。尊敬すべき旦那のように下から吸血鬼の狙撃手がこちらを狙い撃ちしている訳でも無し。

 真下に広がるのはだだっ広い農場の中に造られているヒドラの秘密基地だ。ぱっと見では民家のようにしか見えない。しかしよくよく見ればド田舎の民家にしてはあまりに監視カメラの数が多く、玄関扉は指紋認証式だ。いかにもアヤシイ。

 落下するなら落下するで丁度良い。思いっきりエンジンを吹かす。座席に体が押し付けられて全身の骨に罅が入った感触がした。

 あまりに急激なGがかかり、脳みその血管が耐え切れずぶちぶちと千切れる感触に鳥肌が立つ。網膜の血管が破れたのか視界が真っ赤に染まった。胃の中のものが逆流して口から零れる。

 ガルシアの頭に向かって吐瀉物をまき散らしながら、びりびりと震える機体の悲鳴に向けて歌った。

「Here I go!Unh, ooh, WOOOOOOOOO!!!」

 バイオリンをかき鳴らすような騒音が耳元で五月蠅く喚く。しかし暫くすると、急激な気圧のせいで鼓膜が破れて何も聞こえなくなった。耳から血液が垂れている感覚が分かる。

 視界がおぼろげなせいでよく分からないが、段々と空気が重く、苦しくなる。地面が近づいてきているのだ。圧縮された空気が目の前から噛みついてくる。

「Back up!Uh-oh!Watch out!UnHHHHHH!!」

 

 地面に衝突する寸前で脱出装置を起動させる。バカンとキャノピーが外れると、途端に凄まじい勢いで風圧が全身を襲ってきた。呼吸が出来ない程の風に慣れる暇もなく、座席ごと射出される。衝撃で肋骨と足の骨が折れたのが分かった。

 自動で開いたパラシュートが速度を急激に和らげるものの、そもそも脱出したのが地面に衝突する数秒前の事だった。当然速度を殺しきれる訳もなく、全身が柔らかな草と土に強烈に叩きつけられる。内臓が破れる感触を最後に残し、ブラックアウト。

 

 

 それから数秒か、数分後。数時間は経っていないだろう。そんなに時間がかかっていたらもうキャップと社長に追いつかれている。

 戻った視野は灰色の空を映した。骨が再びつなぎ合わさるまでウェイドはその場に寝っ転がって空を見上げた。じゃまっけなパラシュートを身体から外しながら相変わらずの曇り空だと呟く。昔と何も変わらない。何の力も無い惨めな少年だったウェイドが見上げていた空と、清々しい程に何も変わらない。

 しかし今のウェイドの気分はこの上無く最高だった。脱出する寸前に咄嗟に抱え込んだガルシアの首も心なしか和らいだような顔をしているような気がする。かろうじて首に引っ付いている口は空気に晒されてでろんとしているが、それもよく見たら愛嬌が無い事も無いような気がしてきた。少なくともでっぷりとした胴体がくっついていた時よりもイケメンである事は間違いない。

 周囲は見渡す限りの緑の海で、豊かな土の匂いは原始的な安心感を齎す。記憶にある自分の生家と同じような風景は、それもそのはずで、今居る場所は昔懐かしいウィルソン家があった場所と程近い地点のようだった。

 田舎らしく40年以上前からの風景をそのまま保っているらしい。目を細めればトウモロコシのような髪をした肥満体形の父と、聖書をぶつぶつと呟く痩せた母がそこらに歩いている幻覚さえ見えそうだった。

 

 しかしぼうぼうという音がウェイドの僅かな感傷を切り裂いた。

 何事かと見回すと、どうやら火が周囲に広がりつつあるらしい。よく見れば豊かな緑は少しずつ炎に侵食されている。

 ホーネットに積んであった燃料が地面に衝突した時の衝撃で周囲にばらまかれ、発火し、急激な勢いで周囲を燃え上がらせているようだった。

 焼ける草の灰が舞い上がって空に散り、ごうごうと音をたてる。

 ばたばたという足音が聞こえて目を向ける。目の先30m程にヒドラの施設があった。とはいえ戦闘機の直撃を受けた民家風の建物は見事にふっとんでいた。しかし地下施設は無事だったらしく、地下に続く扉から武装したヒドラの兵士が数人飛び出していて、足音荒く歩き回りながら何やら喚いている。混乱する輩が慌てふためいている様は腹筋に良い刺激を齎した。

 

 全身の怪我が修復した事を確認し、デッドプールは起き上ってガルシアの首を抱え上げた。

 この火事は俺ちゃんのせいじゃないよね?と聞くと、そうだよ、と答えてくれた。よし、OK。全てはヒドラのせいだ。俺ちゃんはしーらね!!ぴっぴろぴー!!

 幸運な事に持って来た装備は全て無事だった。背中に日本刀を背負い、両手には銃。準備は万端。デッドプールはヒドラの戦闘員の前に躍り出た。

 

「You done wound me up!Boutta show you what I'm workin' with, uhHHHHHHHHHHHHHH!!!!」

 

 いきなり飛び出て来て叫び出したウェイドに気圧されたのか、状況が理解できないのか、ヒドラの戦闘員は一瞬動きを止めた。躊躇なく彼らに向かって発砲する。見惚れるようなHead shot。最高だ。弾ける頭蓋は開花したばかりの薔薇のようだ。

 全身の血液が途轍もない勢いで回転しているのを感じる。とてつもなく興奮しているのが分かる。実際にウェイドは勃起していた。絶頂寸前の白い世界がずっと続いているような感覚が手足の先まで広がっている。

 昔懐かしい糞ったれの故郷が燃え上がっていて、自分はその中を嫌いな上司の生首を振り回しながら歩いてる。

 もう一方の手には銃を持ち、背中には日本刀を背負って、自分のダチとその子供を殺した奴らに復讐する正義の行いのために前に進んでいるんだ。

 邪魔する奴らはみんな殺す。そして俺ちゃんは死なない。何があっても。だから俺ちゃんが一方的に相手を虐殺する未来は既に確定している。俺tueeee状態ってやつだ。

 この快感は癖になる。そこらのドラッグよりよっぽど脳髄にキマって、自分をハイにしてくれる。

 だからもう誰にも止められない。自分自身でさえ。

 もう戻れないんだ。戻りたくても。故郷は今燃えている。

 

 

 

 

 

 

 

 地下施設は昔ウェイドが入り込んだ洞穴とよく似ていた。

 ただ一つ違うのは、足を踏み込むたびに緑色の悍ましい化け物たちが次々と姿を現してくるという所だけだった。気味悪い呻き声を上げながら泥人形のような足を引きずり、こちらの姿を見るなり向かってくる。

 デッドプールは洞穴の影からその化け物が姿を現すなり、すぐさま日本刀で切り裂いた。聞くだけで耳が腐りそうな悍ましい断末魔をバックミュージックにウェイドは大声で歌いながら歩いた。

「You got some power in your corner now. Some heaby ammunition in your camp!!」

 地面にまき散らされた緑色の粘膜の上をスキップで歩く。びちゃびちゃという音を弾かせて、デッドプールは先へと歩き続けた。

 何十体という化け物を殺しながらも、その歩みは遅くなる事は無い。Weapon VIIIの実験を受けた結果か、化け物は銃弾は効かない上に凄まじい怪力ではあったが、その動きは素人のそれだ。元が戦闘経験も碌に無い幼い子供なのだから当然だろう。いくら怪力だろうとド素人の動きの生物などウェイドの敵ではない。

 それになにせ今の自分は、少なくとも今だけは、ヒーローである筈だ。キャップの言った通り、自分が正しいと思う事をやっている。なのにどうして負ける訳があるのだろうか。

 

 歩み続けていると洞穴の奥に扉を見つけた。鍵がかかっていたが、持っていたパイナップルを爆発させて鍵ごとぶっ壊した。

 壊れた扉を蹴り開ける。盛大な音を立てて開け放たれた扉の向こうには記憶通り白い部屋が目の前に広がっていた。病的なまでに整えられた部屋には子供用の玩具が乱雑に広がっている。

 

 白い部屋の中心には年経た友人が立っていた。顔には皺が増えていて、記憶にあるよりも痩せているようだった。だが表情に浮かんでいる怒気は年齢を感じさせない迫力があった。拳を震わせながらこちらを睨み、唇をぶるぶると震わせながら白い歯を剥き出しにしていた。

 

「ウェイド、貴様、貴様、よくも、」

「HEYジェイソン、Pleasent for YOU!!!!!」

 

 未だ持っていたガルシアの首をジェイソンに向かって投げつける。首はジェイソンの胸にあたって跳ね返り、ぽすんとその腕の中に落ちた。

 その首が誰なのか気づいたジェイソンは、驚愕と恐怖のために一瞬動きを止めた。それを狙って銃口を向ける。

 しかし引き金を引く寸前に緑の化け物がジェイソンを庇うように躍り出た。銃弾は粘液に阻まれてそのまま地面にぽとりと落ちる。

 面倒な連中だ。日本刀で斬りかかる。反応する暇も無かったのか、正面から刀を受けて切り裂かれた緑の身体から粘液が零れ落ちた。それを見てジェイソンは悲鳴を上げた。

 

「止めろ、止めろウェイド!どうしてそんなに酷い事をするんだ!」

「酷い?俺ちゃんは化け物を退治してるだけだ。なーんにも悪かないっての」

「その子たちはただの子供なんだ!!Weapon VIIIの実験のせいでそんな姿になっているだけで、」

「でももう戻んねえんだろ?じゃあただの化け物じゃねえか。元が子供だろうが傭兵だろうが違いがあるか?」

 

 そう言うとジェイソンは押し黙った。刀を振るうと化け物が痙攣しながら地面に倒れる。

 その頭に刀を突き立てる。数回身じろぎでもするように全身が震えた後に、化け物は動かなくなった。

 ジェイソンは叫びながらその化け物に走り寄った。緑色の粘液に手を突っ込み、小さな子供にそうするように頭を撫でた。傍から見ていればそれは狂人の有様だったが、ジェイソンの目は涙に濡れていて、狂っていると一蹴するにはあまりに悲嘆に暮れていた。

 

「トッド、トッド、なんて事だ、可哀想に、」

「……可哀想か?」

 

 こてんと首を傾げるウェイドをジェイソンは睨みつけた。その表情は子供を奪われた親のような怒気と同時に、悍ましい化け物を見るような嫌悪感に溢れていた。

 

「こんな小さな子供を殺しておいて、よくもお前はそんな事をっ」

「それはお前が言えるような事じゃねえだろうが。小さな子供を悍ましい化け物にしたのは手前の癖に、何を被害者面してやがる」

「そうしなければこの子たちは生きていけなかったんだ!身寄りのない、ヒドラしか助けてあげられない子供たちだった!」

「じゃあ殺してやるべきだったな」

 

 鼻で笑うウェイドに、ジェイソンは信じられないという顔を向けた。

 ウェイドは銃口をジェイソンに向けて深い笑みを唇から零していた。

 

「てめえに分かるか?化け物になっても死ぬに死ねねえ辛さが。いっそ死ねればどれだけ幸福かって、寝る前に何度も考える気持ちが」

「それは……でも、それでも彼らは生きていたんだ。俺と一緒にここで暮らしていた!お前に殺す権利なんてっ」

「死ぬほど辛いんだジェイソン。てめえには死んでも分かんねえだろうけどさ」

 

 ジェイソンがトッドと呼んだ化け物の死体は、遠い昔にマリカがそうだったように、徐々にその本当の姿を現した。小さな少年がジェイソンの腕の中におさまっていた。細い子供の身体を分断する、袈裟懸けに斬りつけられた傷は鮮やかだった。痛みを感じる暇も無かっただろう。

 トッドの表情は穏やかだった。きっとマリカの表情もそうだった。それがウェイドの願望なのかどうかは分からない。これから先も一生分からないだろう。しかし少なくとも、罪の無い子供を化け物にして生き延びさせて、それで満足していたジェイソンよりは彼らの気持ちが分かる。

 何が正しいのかは分からない。でも自分にとってはこれが正義だ。

 

 引き金に指をかける。ジェイソンはウェイドを見上げながら小さな子供の死体を腕に抱いた。

 銃口に目を向けていたジェイソンの表情は困惑を混じらせている怒りから徐々に悔しさ混じりの諦念に変わり、最後には無表情になった。

 赤いフードのせいで表情の分からないウェイドに、ジェイソンは頭を振った。それは駄々を捏ねる子供に親が呆れるような仕草に似ていた。眉間に銃口を押し当てたウェイドは、自分を見上げるジェイソンの瞳に大昔を思い出した。

 面倒見の良い男だった。カオルと自分にいつも心優しい言葉をかけ、配慮を忘れない人物だった。間違いなく軍人には向いていない男だ。

 子供を守って導く教師に相応しい男だと思っていたし、今でもそう思っている。

 ジェイソンはウェイドを見上げた。唇だけで小さく笑い、十字を胸で切った。

 

「————祈れよウェイド。いつかお前の元に神が来たらんことを」

「ジェイソン、俺は祈らねえよ」

 

 一発の銃声。それで人生が終わる。

 ジェイソンはそれがどれだけ幸福な事か、知らないままに死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウェイド、君は勝手な行動をした。それは分かるかい?」

「分かんねえなキャップ。俺ちゃんはアベンジャーズじゃねえからあんたの命令を聞く義務はねえんじゃねえのか」

「ミッションに参加する同意書に署名した時、僕の指揮下に入ると同意しただろう」

「覚えてねえなあ。ほら俺ちゃん記憶がすぐに無くなっちゃうからさ。あ、でもあんたが次回のスターウォーズに出演するかもっていうニュースは覚えてるぜ。いやあMCU終了直後に出演希望を出すとは流石の俺ちゃんも驚いちゃった」

「勝手にパソコンをハッキングして情報を盗んだ事、トニーのヘリを盗んだ事、空軍基地で暴れまわって戦闘機を盗んだ挙句に破壊してヒドラの基地もろとも周囲の農地を燃やし、数十人を殺害した事……君の境遇やWeapon VIII計画との関係を踏まえて考えても、とても看過することはできない事態だ」

 分かるね?と言われて、はーい、と応える。

 

 キャップの事は好きだが、真面目過ぎる事は彼の欠点だ。トニーなんてヘリとご自慢のスーツを壊された事について一通りの罵倒を叫んだ後は、顔を見るのも嫌だとウェイドをアベンジャーズタワーの一角に閉じ込めて接触しようともしない。

何が駄目だったのか、どうするべきだったのか、ウェイドへ懇切丁寧に説明しようとするキャップに今も監視カメラ越しに苦々しい顔をしているだろう。

 ウェイドでさえ真面目腐った顔で説明してくるキャップに「こんな事をしても無駄だからさっさと諦めて帰ったら?」と思うのだから、トニーの心情は相当に荒れているに違いない。

 

「暫く君はアベンジャーズの監視下に置かれる事になる。不本意だろうが我慢して欲しい」

「それってどのくらいの期間?」

「Weapon VIII計画についての調査が終わるまでだから、少なくとも2か月」

 

 げーっと叫ぶと、これでも短いくらいだとキャップは溜息を吐いた。

 監禁室にしては綺麗な部屋は窓が一つと机と椅子しかない。そして暇つぶし用の本が数冊と小さなラジオ。まさかここに2か月監禁じゃないよなと思っていると「明日からはちゃんとした部屋を用意してくれる予定だよ」とキャップが告げた。

 

「暫く不都合はあるだろうけど、我慢してくれ」

「ここに居る間はバーにもクラブにも行けないってマジ?アベンジャーズってどうやって性欲発散してる訳?」

「さあ」

 性欲なんてありませんという顔をしたキャップはこてんと首を傾げた。間違いなくキャップは童貞だと確信すると共に、この男はともかくとして他のメンバーの性欲処理はどうしているのかはファンの永遠の議題の一つだろうと容易に想像できた。

 

「君の家の荷物は明日搬送する予定だ。訓練場は9階にある。何か疑問があればF.R.I.D.A.Y.に聞くと良い」

「はいはーい」

 しつこい説教にうんざりして、机に脚をのっけてひらひらと手を振る。

 今はキャップとも会話をしたくない気分だった。

 

 洞穴に居た緑色の化け物はウェイドが皆殺しにしていた。実験体になった子供達のリストも見つかり、現在照合をしている最中らしいが、ストレートチルドレンや行方不明の届けが出ていない虐待児が多数混ざっているため被検体全員の身元を割り出すのは困難だとキャップから教えられた。

 

 そしてヒドラのメンバーだったジェイソンは化け物たちの世話係として長く勤めていただけの、単なる下っ端構成員の一人だとも告げられた。醜悪な見た目と臭いを放つ化け物の世話を一手に引き受けていたジェイソンは、その代わりに民間人を拷問したり、殺害したりというヒドラらしい任務に全く従事していなかったらしい。

 言葉を発することも無い緑色の巨大な化け物を本当の子供のように手厚く保護するジェイソンはヒドラの中でも変わり者として扱われていた。時たま喋るはずの無い化け物と言葉を交わす素振りも見られたことから、気が触れていると思われていたのか、良くも悪くも他のヒドラの構成員と関わる事もあまりなかった。

 

 いずれにせよ、あの化け物を本当に心から大事に思っていたのがジェイソンだけだったという事は変わりない。

 兵器として作られた化け物がジェイソンを庇ったのが、そう訓練されていたからなのか、それとも親のように守ってくれるジェイソンを愛していたからなのか、それともようやく死ねる機会を逃したくなかったのかは分からない。

 分かっているのは、化け物も、ジェイソンも、あの施設に居た他のヒドラも、全員ウェイドが殺したという事だけだ。

 

 これから先ヒドラが再び製造する可能性もあるが、ウェイド一人に惨殺されるなどどう考えても彼らは兵器として欠陥品だ。さらに外見は醜悪でとても民間人に紛れての任務なんてできそうになく、知能も子供レベルかそれ以下となれば、今後も彼らを製造する可能性はそう高くも無い。

 これから先、子供達が誘拐されてあんな化け物にされる事は無い。だが化け物を殺し尽くした達成感はどこにも無かった。

 その代わりに、自分の長い記憶を掘り出すための原因があっさりと片付いた事へのあまりのあっけなさと、あまりにあっけなく自分に殺された化け物の末路に対する容易に処理しきれない哀れみだけが残った。

 自分の手で殺したのだ。その事に後悔は無い。だってもう人間に戻れないのならば、殺すしかないのだ。

 

 キャプテンならば他の選択肢を必死に模索するだろう。トニーも同様だ。他のヒーローたちも。でも自分はこれが一番正しいと思った。

 化け物でいる辛さならば理解している。そしてあの化け物が生きていたら、他の人間が絶対に犠牲になる。どっちを優先させるかって話だ。

 しかし同時に、マリカが眼を覚ましたあの時、あの化け物がマリカだと気付いていたら、きっと自分は殺さなかっただろうとも思う。

 それはマリカのためではなく、自分がマリカを殺したくないからだ。

 

 ……化け物になってしまったマリカにはまだ理性があったのだろうか?

 緑色の粘膜に覆われたマリカは、自分をジーニーと呼んだ。あれはマリカに残されていた最後の理性だったのだろうか。自分があそこでマリカを殺していなければ、マリカはウェイド・ウィルソンを殺し、あの病院に居る人間を殺し尽くし、そしてアベンジャーズの誰かに殺されていたのだろうか。

 

 それとも自分が殺していなかったら、あの化け物の姿のまま、今もまだマリカは生きていたのだろうか。

 化け物として生きることに、自分では見つけられなかった、何か優しい希望を見出して。

 

 

 

 

 

「俺は許されるかな、キャプテン」

 独り言のような言葉への返事は期待していなかった。しかしキャップは目を少し見開いて、ウェイドへと向き直った。

 こうして居直ると、キャップは自分よりも少し年下なだけの青年だ。今となっては戦闘力もヒーリングファクターを備えている自分の方がほぼ間違いなく上だろう。

 だがその肩に乗っている重責はヒーローの中の誰よりも重い。誰も彼もが彼に頼り、彼の指針に従って動く。彼の代わりは誰にも務まらない。彼が「許されるべきではない」と一言言えば、それはアベンジャーズの決定とほぼ同意だ。

 

 ウェイドの質問にキャップは痛々しい程に真っすぐな瞳を向けて答えた。

「僕は神様じゃない。君のしたことを僕は全て知っている訳では無いし、知ったところで君の罪全てを裁く権利は僕には無い。ただ僕はヒーローであり、ヒーローであり続けたいと願っている。そして出来る事なら君にとって信頼に値する人間の一人でありたいと思っている」

「……それは、勿論」

「そして同時に、僕は僕自身が、きっと永遠に許される事はない罪人だろうと思ってもいる。僕は80年前に人を沢山殺した。それも君のようにヴィランではなく、ただ徴兵制度に従って戦争に行っただけの、国に帰れば良い父や息子だっただろう無実の人々をだ」

 内容とは裏腹に穏やかで、後悔のない声だった。いっそ清々しい程に彼は自分の罪を肯定していた。

 自分はヒーローだと言ったその口で、自分は許されない人殺しだと言ったキャップが分からず首を傾げる。キャップは笑みを深めた。

「ヒーローとは何だと思う、ウェイド?」

「……悪い奴らを懲らしめる。んで、人殺しをしない」

「それが君にとってのヒーローのイメージなんだね。でも、僕は違う……懲らしめることが出来なくてもいいんだ。極端な事を言ってしまうと、人を殺していてもいい。大事なのはそれに伴う意思だ。それが自分にとっての正義と照らし合わせて問題の無い行動であれば、それでいい」

「じゃあキャップにとってのヒーローって?」

「ヒーローとは隣人の愛を知り、隣人の罪を知っている人の事だ。そして何より、自分の愛と罪を知っている。ウェイド、君は自分の罪が分かるかい?」

 そう言われると、ウェイドは黙るしかなかった。緑色の化け物がただの子供だと知っていて虐殺した事は間違いなく罪と言われて然るべき行いだった。

 だがそれはウェイドにとっては正しい事だった。キャップや、他のヒーロー達にとってみれば悍ましい行為だったかもしれないが、ウェイドにとっては正しい事だったのだ。

 愛されない子供として生きて、最終的にWeapon計画に辿り着き、化け物になってしまった人間の気持ちは彼らには分からないだろう。

「……ガキを殺した」

「でも君はそれを罪だと思っていないね」

「成功体のあんたにゃ分かんねえ感情さ。あんたは唯一のWeapon I計画の成功体だ。失敗作の俺達とは違う」

「君たちを失敗作だとは思わない。でも確かにあの子たちの苦しみを理解できるのは君と、バナー博士ぐらいかもしれない。バナー博士も何度も自殺しようとして、その度にハルクに邪魔をされたと言っていたから……君の罪はそこじゃない。ウェイド、いいかい、君の罪は、それを僕たちに教えてくれなかった事だ」

 まさにキャップらしい言い草だとウェイドは鼻で笑いそうになった。情報共有、意思の統一。実に兵士らしい。

 そうやって並み居るヒーロー達と「お話」したとして、きっと彼らは子供を殺すという決断には至らないだろう。その過程でどれだけの犠牲が出たとして、無業の子供を殺すという決断を彼らが下せるとは思えない。

 そう思っているだろうウェイドを知りながらもキャプテンは言葉を続けた。

「子供達は死にたいと思う程に苦しんでいるだろうから殺してやった方が楽なのかもしれないと、僕は君に言って欲しかった。君が一人であの施設に突入する前にそう言ってくれれば結果はもう少し良いものだったかもしれない」

「そう言われたらあんたはどうしたんだ?」

「彼らを人間に戻すための手段を探しながら彼らを保護しただろうね」

「人間には戻らなかったら?」

「———それが最善だと思えば、殺しただろう。僕の手で」 

 キャプテンは本気だとすぐに分かった。鍛え上げられた大きな手をひらひらと振っている。優し気な表情だが、ぞっとする程に澄んだ青色の瞳をしていた。

 

 同時にその表情をしたキャプテンが自分を殺す光景が、B.A.R.F.システムの中に入ってきた時のように目の前に浮かび上がった。

 自分は地面に寝転び、振りかぶった盾を見上げている。刃のように鋭い盾の切っ先がキャプテンの剛腕で振り下ろされれば自分の太い首でも切り落とされるだろう。そうしてそのまま復活することもなく、普通に死んでいく。

 その光景にウェイドは泣きたくなった。胸の奥が安堵のあまり切り裂かれたようだった。そんな未来が訪れればと願うと同時に、本当にそんな事態になれば必死になって抵抗するだろうとも思った。

 

 キャプテンは、しかしすぐにその表情を取り消して、苦笑して首を振った。

「でも僕やトニーの知り合いには凄い能力を持っている人たちが沢山居るから、きっとそうはならなかった。子供達の為ならジャスティス・リーグの面々も協力してくれただろうしね。それに人間に戻れなかったとしても、理性を取り戻す事ができれば、彼らもいつか自分の姿を受け入れてその人生に幸福を見いだせたかもしれない。——————殺すしか無かったにしても、君が一人で彼らの死を背負う必要な無かったんだ」

「……他の誰かにゃ任せらんねえ仕事ってのが誰にだってあるだろ」

「そうかもしれない。でももし本当に君がそう思っているのなら、君は許しなんて求めはしない。君は誰にも相談せずに、自分一人で行動した事が罪だと分かっているんだ。でも君が許されるかどうかは僕に分かる事じゃない。それはいつか最後の審判の時が来るまで、神様にしか分からない。それまで僕たちは自分で自分の罪を抱えて生きるしかないんだよ、ウェイド」

 あんまりな言い草にぶうと唇を尖らせる。口先だけでも「きっと許されるよ」と言ってくれるかもしれないとちょっと期待した自分が馬鹿だった。キャップはどこまでも真面目で、リアリストで、同時に根っからのクリスチャンだった。

「もうちょっと俺ちゃんに優しくしてくれてもいいのに」

「すまないが、これが僕だ。トニーのように人を甘やかすのは下手でね」

 さて、とキャプテンは踵を返した。

「悪いけど僕はそろそろ行くよ。暫く暇だろうが、言ってくれればスパーリングなら誰かしらが付き合ってくれると思う。君の戦闘スタイルに興味があるメンバーは大勢居るから」

「へいへい、なあキャップ」

「何だい?」

「キャップは神に祈ったりする?」

 前々からの疑問だった。もしかすると遥か昔にカオルとジェイソンと、もう顔も覚えていないイスラムの男とトラックの上で雑談した時から疑問に思っていたかもしれない。

 ウェイド・ウィルソンは祈らない。デッドプールも祈らない。ではヒーローはどうだろうか。キャプテンはあっさりと答えた。

「ああ、今でも週末に時間がある時には教会に行って神に祈るよ。祈ると救われるような気がする」

「祈れば救われるのか?」

「さあ。どちらかというと救われるというより、自分の中の考えを整理するっていう方が近いような気もする———祈るだけで救いが降ってくる訳も無いし、罪が許される道理も無いしね」

 肩を竦めた仕草は本当に生粋のクリスチャンなのかと疑問に思う程に軽かった。

 だが同時に、なんとなくキャップにとっての神様というものが分かったような気がした。彼は確かにクリスチャンだろう。しかし彼にとって神様は縋るようなものではないに違いない。

 

 全ては自分の力で引き寄せるものだ。神様とはふとした時にちょっと星を見上げるような、そんなものだ。

 子供だった頃、キャプテン・アメリカの小説を隠していたベッドの下のような場所に神様は居る。

 

 納得したウェイドの顔に、キャップは優しい微笑を浮かべて言葉を返した。

「宗教は関係ない。祈るのは人の自由であり権利だ。君は祈りたいときに祈るといい。そうすれば、君にとっての神様がそこに居るだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャップが去ってからラジオを付けると、最新のディズニー映画の曲が流れていた。賑やかな曲だ。興行収入が幾らだったかと、曲が終わると同時に解説が入る。サノスの件で未だ荒れている世界だが、段々と復興が進むと同時にこういった娯楽もまた復活してきたようだった。

 その次に流れた音楽もディズニー映画のものらしかったが、これはウェイドの知らない曲だった。その次もよく知らない曲で、耳慣れない曲ばかりが次々と流れていく。

 しかし年代を遡るように曲が続くにつれて段々とウェイドも知っている曲が増えてきた。

 まだただの人間だった頃にヴァネッサと一緒に見た映画で流れていた曲。傭兵時代に街頭で聞いた曲。デルタに在籍していた頃にバーで聞いた曲。

 そしてカオルと、ジェイソンと、そしてまだ小さいマリカと聞いた曲。フローラがよく口ずさんだ曲。Whole New Worldが聞こえた。優しい声がした。ほんの少しだけ聞いた、9歳のマリカの声に少し似ている声のように思った。

 

 曲に耳を傾けながら、自分は心優しい友人であるジーニーにはなれなかったなと思う。

 あの寂れた生家で何度も耳にした聖書の一節ももう忘れてしまった。キャプテンはああ言ったが、祈り方もウェイドは覚えていなかった。

 ただ残っている全てはここにあった。あの頃に憧れたヒーローはここに居て、自分の罪もここにある。それで十分だ。サイコーな気分だ。サイコー過ぎて泣きそうだ。

 

 

 そうだ。飛んでしまおう。

 そう思ってから行動するまでのタイムラグは殆ど無かった。ラジオのスイッチを切って、机の上に丁寧に置いた。

 そのまま窓に向かって全力でダッシュ。そして空中にダイブ。

 

 

 ガシャアンという派手な音が後ろから追い立てる。J.E.R.V.I.S.、じゃない、今はF.R.I.D.A.Y.だったか。とにかくそいつがアベンジャーズ・タワーの防衛システムを起動したらしく、わんわんと煩いサイレンを鳴り響かせた。

 そう言えばここは何階だったっけ?高階層だった記憶はあるけどよく覚えていない。眼下にはニューヨークの摩天楼が広がっている。空中で一瞬停滞するも、次の瞬間には地面に向かって凄まじい速度で落ちて行く。

 道路を行き交いする車や、スマホ片手に歩いている歩行者がぐんぐんと近くなっていく。だがそれらの現実に被さるようにして懐かしい顔が目の前に映り込んだ。

 

 手の届かない遠くで、フローラとカオルとジェイソン、そしてマリカがこちらを見ていた。

 皆が笑っている。自分を許してくれるかのように、両手を広げてこちらに来るよう誘っている。

 それはどんな美女の誘いよりも蠱惑的で、抗い難い魅力があった。死と罪悪感と、全ての罪を免罪される開放感への魅力だ。これほどまでに人類を惑わす魅力など無いとウェイドには断言できた。

 

「ひゃあぁぁぁあっほー!!!」

 

 ぐんぐんと地面が近づく。風を切る轟音が頭蓋骨の中で反響する。胃液を全て口から噴き出しそうだ。視界がコンクリートの灰色の地面に侵攻されていく。

 近づいてくる自分の大事な人たち。大事だった人たち。自分も今そっちに行くよと手を振る。

 今はこれだけ愛おしいと思う人たちの顔も、すぐに記憶から消えてしまうだろう。経験上、1回脳漿を派手にぶちまけたらWeapon Xの手術される前の事は大半忘れてしまう。いくらB.A.R.F.システムやらワンダやらプロフェッサーやらが直した記憶だろうと変わりない。でもそれでももう良い。

 だって今、すごく気持ちが良いんだ。思い合う女とセックスした直後に勝るとも劣らないような気持ちよさと解放感が全身を覆っている。その後の事はもう何も考えられない。

 

 さあ、死が近づいてくる。耳に慣れた死の音は、銃声でも炎の音でもなく、今度はごうごうと鳴る風の音をしていた。

 目を下向けると、運の良い事に、ウェイドの下を横切っている不幸な通行人は誰もいなかった。これならば遠慮なく死ねる。

 死ぬ寸前に後悔と愛と寂寥が浮かぶ。それはつまり、彼らの事だった。自分はそれをようやく手にできる。あれからこんなにも長い時間が経ってしまったけれど、でも遅すぎるという事はない。

 

 ああ、会いたかった。会いたかったよ。

 

 死ぬほど会いたかった。

 

 

 あの頃の優し気な笑みを浮かべるジェイソンが見える。可愛いマリカの小さい頭が見える。彼女を抱くフローラと、それを見ているカオルも。

 近づいて来る。彼らに向かって手を伸ばす。

 柔らかいマリカの髪を撫でるまで、あと、3、2、1————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 劇終 

 

 

 

 

 

 


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