佐為とヒカルが出会い、中学囲碁大会に出るまで
(主な登場人物…佐為・ヒカル・導師・あかり・白川先生・塔矢アキラ・磯部秀樹・筒井・加賀)
碁なんてどうでもいい…加賀の母親にとっては、碁はただの遊び、ゲームに過ぎなかった 。
だが、加賀は、その考えも嫌だった。
俺が小さい時、始めて覚えたのは将棋で、俺はそれが大好きだった。
親父は将棋を認めず、おれを碁の教室へ通わせた。
あそこの塾はゆくゆくは院生、プロへと向かう子ども達を集めて指導するところだった。まあ、碁もそれなりに面白いが、俺にとっては将棋ほどじゃない。それでも、俺は、あの教室でダントツ抜きん出てた。そういう自負があった。
あいつ、塔矢アキラが来てからは勝てなかったけれど、いつかは抜かしてやる、勝ってやると、ライバルだと思っていた。だから毎回張り切ってやってこれたのだ。それまでの俺は自分より上手の子どもがいないことに何となく物足りなさを感じていた。
塔矢アキラは強い。強いものは強いんだ。本当にひとりレベルが違った。あいつの強さが分かるから、いつかあいつを追い抜く。それが最大の目標 で励みだった。
でも大体、あいつは何であの教室に来たんだ。ほかに居場所が、いくらでもあるだろうに。奴の父親は名人なんだからいくらでも居場所を作ってやれるだろうに。
あんな子どもの時から、相手に気づかれないように上手に負けてやる技を持ってやがるんだからな。
俺にわざと負けやがって…だれにでも見え見えだぜ。
あいつは間もなくやめてしま った。あそこにいても時間の無駄だったんだろ。俺も含めてみんなのレベルが低すぎてつまらなかったんだろうな。
俺の方はその後、5年までは、あそこにいた。俺の気持はもうとっくに将棋に向いていて、暇さえあれば将棋を打っていたというのに。
俺はあの教室を、一番のままで辞めた…。塔矢アキラと同じにな。違ったのは俺が、自分が本当はトップでもなんでもないことを知っていたことだ。
塔矢アキラがいなくなってから、あそこで碁を打つたびに、本当は一番ではない自分を確かめているような気がして、惨めな気がしたものだ…。一番になるとなおさらな。
すっぱり囲碁教室を、そして碁を辞めた時、おやじの奴は何も言わなかった。おやじも本当の一番ではない俺などに全く関心がなかったのだ。
小学生の俺は絶対に荒れなかった。荒れたら、おやじと同じことだと。それが、せめてもの俺の自尊心だった。
俺は碁を辞めてほっとした。中学に入り、将棋部に自分の居場所を作った。 俺はやっと、幸せに感じた。そう思った…だが、そうじゃないんだ。
筒井の奴がいて、俺に思い知らせてくれた。
筒井は一年の時に同じクラスにいて、休み時間になると一人で教室の隅で碁盤を出していた。みれば、超へたくそな 。それでも碁好き。超へたくそな碁好き。
へたくそな碁好きなど無視すればいいんだが。
あいつは、頑固で碁以外見向きもしない。自分が下手といわれても平気なんだ。 脅かそうと何しようと頑として、碁から手を引かない。あいつは変わっている。自分が一番強くなりたいと思わない 奴なんだ。
そのことがよけいに俺の頭にくるんだ。
本当は俺も序列に拘るのは嫌いだ。碁も将棋も俺にとっては遊びじゃない、それ以上のものだ。
何よりも単なる勝ち負けじゃないんだ。強くなりたいと思う気持と勝ち負けは別のものだ。
もしもだ、ライバルと思っていた奴が自分を何とも思っていなかったと知ったら筒井ならどうするのだろう。 いや、何とも思っていないだけなら構わない…。そうじゃなくて…。
一番強くなりたいと、熱く燃えていた頃の思いを俺は消せない。
なのに、それを偽物の一番に掏りかえられたんだ。俺の純粋な気持を偽物に…。俺は…だから…。
畜生。俺は碁を辞めて将棋だけに向くつもりなのに、なぜかいつも碁のことを考えている。
筒井のせいだ。
それにしても一体なんで碁の大会にでることにしたんだろう。俺は。
加賀はその答えを分かっていた。
俺を全然恐れない奴、筒井もそうなんだが、あいつだ。
あの進藤という小学生のガキ、あいつ。あのど下手な碁好き。
あいつは、どうするだろう。もしライバルと思う奴に何とも思われていないと知ったら、どうするだろう? あいつは筒井と違い、自分が下手な碁好きでいるだけで満足していそうにはないが。
俺が碁から逃げたと進藤の奴は言った。俺は逃げたんだろうか?いやそうじゃない。
そうだ。俺は碁から逃げたのではないということを、ただ初めから好きだった将棋に向かったのだということを、それを自分に証明するために俺は大会に出ようとしてるんだ。
加賀は、海王中の門のところで、筒井と一緒になった。
会場についてみると、だぶだぶの学生服姿のヒカルが会場をうろつきまわっているのが目に入った。
加賀は呟いた。
「あいつ。全然緊張してないみたいだな。度胸だけはあるらしい。もっともあいつ の腕じゃ勝つことは覚束ねえからな。くじ引き次第だな。一回戦突破は。 よっしゃ。ここまで来たら、碁に集中してやるぜ。」
筒井の方は緊張していた。自分が参加者として大会に来ているというのが信じられな い思いだった。去年この地区で中学の大会が初めて行われると知った時、いつか出たいと思い、半分は諦めていた…。
ヒカルが言った。
「ねえ、筒井さん、あれは何なの?碁盤の傍に二つある奴。」
「えっ?」
筒井は神経質そうにヒカルの指した方を見た。
「ああ、あれは対局時計っていうんだ。自分が打つたびに押すんだよ。持ち時間が決まってるからね。」
「へえ、碁って打つ時間があるのか。」
とはいってもヒカル程度の腕では、考える時間もたいしていらなかったが。
「うん、海王中には、対局時計も碁盤もたくさん揃ってるからね。 だから前回も今回もここが会場なんだよ。海王中の囲碁部は全国優勝したこともあるし、部員も多いからね。」
ヒカルは、トーナメント表を見て言った。
「男子が8校に女子が6校?少ないんだね。」
「3回勝てば優勝だ。だが、一回戦で負ければそれで終わりだ。少なかろうが多かろうが毎回勝たなきゃ同じことだ。次には進めない。」
加賀は言った。
「げっ、一回戦、海王中とだってさ。終わりだな。」
どこかの中学の生徒が表を見て言った。
それを耳にした筒井は言った。
「そうかな。僕はどうせだったら、海王中と戦ってみたいよ。強いところと。そうじゃなければ勝 ったって詰まらないよね。」
その言葉に、加賀は、へぇっと筒井を見つめた。
一回戦、加賀は大将戦を10分で、筒井は着実なヨセ勝負で共に勝ち、葉瀬中は2回戦に進んだ。ヒカルは、当然 ながら負けた。
二回戦、佐和良中との対戦で、加賀は早々と勝ちを収めると、筒井の様子を見にいった。
「だめだな。今度の奴はさっきのより強い。ということはこれまでか。」
そう言ってちらと、三将戦を覗いた。
なんなんだ?これは…。さっきもひどかったが、相手が少しは強かったから、様になったが…これは。
「佐和良中って、三将が病欠で碁を始めたばかりの奴が代替要員なんだってさ。」
ギャラリーがそんなことを言っていた。
ともに初心者の碁。お互いお話にならない碁を打っているのだ。
そして、幸か不幸か、ヒカルが勝ってしまった。
見られたもんじゃなかったけど、まあ、なんでもいいか。勝ったわけだしな。加賀はそう思って言った。
「決勝戦が楽しみだぜ。」
筒井は、「信じられない、ここまでこれるなんて。」と目を潤ませた。
決定戦は、海王中とだった。
「望むところよ。」
加賀の言葉に筒井も言葉短に答えた。
「うん。」
本当にそういう気持だった。
決勝戦では実際のところ、ヒカルは二回戦よりは様になった碁を打っていた。それは相手 の実力によるものだった。しかしあまりに実力に差があり過ぎた。
それでもヒカルは下手なりに盤面に集中していたので、戸口に塔矢アキラが現れたのを知らなかった。
アキラは推薦で入学が決まって、学校から呼び出しが来て、校長と面接した後、囲碁大会を覗いていくように勧められたのだ。中学の囲碁大会に興味などなかったが、校長が余りにしつこく勧めるので、アキラは、しかたなく会場に向かった。
気のなさそうな様子でちらと会場を見回して、アキラは驚いた。
進藤ヒカル?
小学生だと思っていたのに、中学生だったのか?彼は。
そして真っ直ぐにヒカルのテーブルに行った。
あの時は碁とも呼べないものだった…。それが決勝戦に?相手が弱かった?いや、 あのレベルでは、いくら相手が弱いといっても勝つことなど…。
大将と副将の二人が強 かったからか?
それともあの素晴らしい棋譜を置いてみせた技。あれに見合うだけの碁を打ってるのか?
進藤ヒカルは一体どんな碁を打ってるんだろう?
アキラは碁盤を覗きこんだ。
加賀は、海王中の大将に言った。
「ありません。」
「ありがとうございました。」
大将は当然のような様子で言った。加賀はふうっと息をついた。
さすがだな。 噂には聞いていた。 囲碁は海王ってな。塔矢アキラもどきがゴロゴロいるってわけか。これじゃあ筒井はどうやっても歯が立つまい。
そう思って、副将のテーブルの方を向いて驚いた。ギャラリーの中に塔矢アキラを認めたからだ。
「塔矢…!!いったい、何を真剣に見てるんだ?」
そう口にすると、知らず知らずのうちにアキラの傍まで歩いて行った。
ん?三将戦?
盤面を覗くと、もう終わっていた。
進藤の奴、相変わらず、下手な碁を。こいつって石の筋は面白いんだが、稚拙というか未熟というか…。だけど、 そうは言っても創立祭の時から比べたら、こいつなりに進歩してるぜ。うん。すげえ進歩だ。
加賀がそう思った時、アキラの一言が聞こえた。
「なんだ。やっぱり、ひどい碁じゃないか。」
それは、ヒカルの耳にも届いた。ヒカルが目を上げると、アキラが背を向けて会場を去っていく姿が見えた。