風の石空の夢   作:さびる

12 / 81
『久方』11~20
ヒカルが筒井さんと囲碁部を立ち上げ、佐為がヒカルの時代にタイムトリップするまで
(主な登場人物(佐為、ヒカル、導師、加賀、筒井、平八、白川、塔矢アキラ、塔矢行洋、緒方、芦原、三谷、ダケ、席亭)


久方12

佐為は、しまったと思った。しかしヒカルがこういう風に腹を立てたら、もうどうしようもない。

 

ヒカルが帰ってしまった後、 ヒカルの脱ぎ捨てた水干を畳みながら、佐為は思った。

それでも…。これで二度と来ないということは絶対にない。何故ならヒカルは、ものすごい速さで上達している から。絶対に碁の面白さに目覚めた筈だから。 必ずここに戻ってくるだろう。でなければ私が困る。

 

ヒカルの話を楽しみにやってきた導師は 、佐為が涼しげな顔をして、その話をしたので呆れたように言った。

 

「そなたたちは一体どうなっているのか。仲が良いのか悪いのか…。

だがヒカル殿はまだ子ども。負けて凹んでいるところをけなされたのであろう。

慰めろなどと、甘ったれたことを言うつもりはないが、それにしてもその言い合いは。佐為、そなたまで子どもに戻ったか?

ヒカル殿が碁を始めてからまだ日が浅い。そのような大会で勝てたということは、例え相手がどんなに弱くても励みになるであろうに。嬉しかったのであろう に、それも言下に否定されたら腹を立てるは大人でも常のこと。子どもならなおさら。

佐為はもっと気をつけねば、ヒカル殿は本当に来なくなるぞ。」

 

「私は心配してません。それにヒカルは自分より下手の碁などに構っている暇はないのです。

ヒカルの才を伸ばすには詰まらぬ碁などに関わっている暇は。

ヒカルはもう12です。子どもとはいえませぬ。導師がヒカル殿などと言って甘やかすから、図に乗るのですよ。ヒカルには全く 、碁を教わっているという自覚が、謙虚さが足りませぬ。」

佐為は不満そうに導師に訴えるように言った。導師は何となく可笑しかった。

ヒカル殿と佐為はまったく面白き関係よ。

 

「謙虚か。そなたからそのような言葉を聞くとはな。

わしはそなたの師だった。今そなたは私を凌駕しているが師弟関係は変わりない。

しかし、ヒカル殿とわしは師弟関係にはない。彼はわしにとっては楽しい客人よ。遠い世界から旅してきた。だからわしは殿をつけて呼ぶ。その何が悪い。 わしは虎次郎殿もそう呼んできたが、佐為はそれに文句を言ったことはなかった気がするぞ。」

「それは…それは、虎次郎は礼儀正しく、師に対する敬いの心を持っていましたから。行儀も良かったし…。」

導師は佐為の言い方にちょっと笑った。

「まあ、いい。では、次にヒカル殿が来る頃にまた参るぞ。」

 

 

帰る道々導師は思った。

ヒカル殿の何かが佐為をムキにさせるようだな。これからどうなるか、みものだ。

師に対する敬いの心か。わしもなかった気がする。いつも闘争心ばかりで…。

 

わしは貧しい下級役人の子で、兄弟も多く、親は私を寺に預けた。寺は唯一出世が望める世界、生きていける世界だと 信じて。だがそれは嘘だ。どの世界でも上にいるのは身分の高い貴族。

だからまだ少年の頃に、わしは遣唐使に名乗りを上げた。といっても遣唐使に遣わされる学問僧の世話をする役目にだ ったが。

それでもこの国にいては芽が出ない、そういう思いだった。

遭難して命を失うことを覚悟で、皆出かける。死ぬかも知れないというのは恐ろしくなかったわけでもないが。それでもこのままこうして寺にいて、使い走りの下級僧として過ごすことを思えば、海の先には未来があった。

 

何とか辿りついた大陸は見ること聞くものすべて新鮮であった。

わしは特技の碁が幸いして、あちらの宮廷にうまく立場を築けた。わしがまだ幼い少年だったことも幸いしたか。

あの国で、わしは自由を得た。学問をする自由。そして知己を得た。 彼の地で力を持つ多くの人々と。

 

しかしわしが仕えていた僧が帰るといった時、わしは一緒に戻ることを決めた。 あの時、わしはもう大人になっていた。選べたのだから、あの地に残り、人生を送っても良かったのかもしれない。だがわしは帰ろうと思った のだ。

わしの得た学問や多くの経験を自分の国に戻そうと。わしの知識は生かされると。

わしは青年期特有の理想と生意気さでいっぱいになっていたのだ。

帰りの船団は無残にも2隻が遭難し沈没した。わしの乗った船も沈んだ。が、わしは奇跡的に別の船に引き上げられ、何とか京へ帰り着 くことができた。

だが帰り着いてみたものの、わしには、折角の留学の成果を生かす仕事は与えられなかった。 前と大して変わりない生活だった。

 

わしは自分が習得したすべてを伝えることもできぬ京の暮らしが耐え切れなかった。

僧であっても、遣唐使帰りであっても、それを生かすことが表立ってはできぬ世界。

わしは寺を出て、自分の力を生かす道を探った。そして薬師としての仕事を選んだ。それがわしに生きる道を与えてくれ ると思えたからだ。

薬草の調達で、わしは、大陸の者と通信することもできた。

生活の糧はそこそこにしか手に入らぬが、今の生活は何よりも生きる意味をわしに与えてくれる。

そしてもうひとつ、金のある貴族の子弟に碁の初歩や学問の手ほどきをすることが、 わしには生活の糧を得る大切な仕事でもあった。

 

佐為の親も、わしに碁の手ほどきを頼んできた一人だ。

初めて出会った佐為は幼いが実に独創的で卓越した碁を打ってみせた。わしは指導が楽しかったものだ。佐為は 本当に熱心に学んだ。 大陸から持ち帰ろうとした碁の書物は海の底に沈んでしまったが、わしは覚えている限りのことを佐為に伝授した。

青は藍より出でて藍より青しというが、今の佐為とわしの関係はまさにそれよ。

わしは、京にはわしほど強いものはいないと思っていたが、今は佐為とやっと三子置きで釣り合わせてもらっている のだから。

親が亡くなり、自分が主になると佐為は、さっさと役人をやめ、碁に専念てしまった。

佐為は好きなことができる身分だ。親の残した財産はあるし、碁の腕は京で並ぶべくもない。 帝や大臣達に碁の指南もしている。

 

それでも彼は、今の生活に飽き足らないのだ。彼は捜し歩いていた。強い相手を求めて。

一度佐為はわしに言った。

確かに導師の言われたとおりのようです。私は京では導師ほど強い相手にめぐり合っていない。」

対等な相手と思いっきり碁を打たせてやりたいと、わしは佐為を大陸に送ろうと苦心している。

まだ叶わぬが…。

 

佐為は碁については挫折という言葉を知るまいな。

佐為は知るというだろうが。佐為がいうのは、より強い相手を知らぬということなのだ。

しかし本当の挫折は自分のその時の力に限界を感じてもがくことだ。大陸でわしはそれをいやというほど味わった。

佐為は笑って言うだろう。

私はぜひそういう体験をしたい。だから強い人間のいる世界に行きたいのだと。

荒れ狂う海だろうと、神の領域である筈の時であろうとそれらをすべて飛び越えても…。

 

それにしても、あの時佐為を術師に会わせたのは正しかったのだろうか。わしは間違っていなかったのだろうか。 わしは密かにそれを悩んできた。

時を越えるなど、人が犯してはならぬ領域ではないのかと…。

 

それでも佐為は 時を越え、虎次郎殿と出会って、望んでいた碁の世界を知った。そこはとてつもなく強い碁の存在する世界のようであった。虎次郎殿が暮らす時代は、大陸を遥かに凌駕していた。碁とは常に 進歩しているものなのか…。

ヒカル殿にめぐり合ったのは、あの強さのさらに先へ佐為を誘うためなのだろうか?そうなのだろうか?わしには分からぬ…。

しかしヒカル殿をみるとわしは安心する。あのお子は、きっと佐為を危険な道には進ませはしないと。わしはヒカル殿を信じたい…。 なぜならヒカル殿は自然に佐為と対等に振舞えるから。碁の腕など意に介せずに、友人のように一人の人間として。

すべては天の配剤によるものなのか。

 

導師はふっとため息のような息を漏らすと、家の門をくぐった。

 

怒って帰った筈のヒカルが、自分の元にやってきた時、佐為はにんまりとした。

思った通りにやってきましたね。ヒカルは単純だから…。でも導師の言うように、今度は、用心せねば。

「佐為が知りたいだろうと思って、帰ってきてやったんだ。」

そういうヒカルに佐為は頼んだ。

「それで 、とにかく、ヒカルが塔矢アキラにけなされたという決勝戦の碁とやらを並べて下さい。」

ヒカルが案外おとなしく並べてみせるのを、おやと、思いながら佐為は訊ねた。

「その時、ヒカルは腹を立てて、塔矢アキラに何か言ったのですか?」

ヒカルは首を横に振った。

「ううん。あいつはさっさと帰ってった。…そうだ。加賀の奴が、佐為と同じことを言ったんだ。」

「何をです?」

「塔矢は正直な感想を口にしただけだって。」

「ほう。それを聞いてヒカルは加賀に腹を立てたのですか?私にしたみたいに。」

ううんと、ヒカルは首を振った。

それから、加賀が、ヘボ碁だと思うなら思うと、自分だったら、そのとおり言われてみたいといった事。塔矢が ヒカルの顔を覚えていて、ヒカルの碁に関心を示したことだけでも感謝 しろといったことを佐為に話した。

 

「そうですか。」

佐為は考え深げにそう一言、言った。

加賀は塔矢に勝ったことがあると言っていたが…。その加賀は海王中の大将戦で負けたという。海王中の囲碁部はプロになろうとして、 諦めた子がいるところ。塔矢にはそれでもぬるいというのだから。ということは。ふむ。なるほど…。

加賀が塔矢を嫌った理由が分かりましたよ。加賀のような熱血漢には耐えられない屈辱を塔矢アキラは与えたんですね。でも良い子に振舞うという塔矢アキラのことですから…きっと無邪気に自分が良いことをしていると信じて 悪びれずにそれをした…。

 

ヒカルが言った。

「どう、これが俺の思いっきりひどい碁だよ。」

佐為はそれに見入った。ヒカルはこの相手とやって、また少し力をつけたようだ。そう感想を持った。

それから、ヒカルは今度はもう一局を並べ始めた。

「こいつはね。そのハンバーガ屋で、なりゆきで加賀と打った一局だ。俺は打つつもりなんてなかったのに、何故か加賀は強引でさ、結局打たされた。もちろん俺の負け。佐為は俺が勝った碁は興味ねえんだろ。 だからこれは興味があるだろうと思って。」

 

佐為はそれを見て言った。

「ええ、興味ありますよ。とても。」

加賀と海王中の三将では、棋力はきっと三将の方が上かもしれないが。加賀とヒカルの一局、もし加賀が三将戦のイメージを抱いて ヒカルと打ったなら随分と驚いたかも知れない。ヒカルは一局毎に格段の進歩を示しているのだから。

 

「ヒカル。あなたは碁の大会とこの加賀との一局で、随分腕を伸ばしましたね。素晴らしい進歩ですよ。」

ヒカルはその一言に目を輝かした。

「佐為。ほんとにほんと?本当にそう思う?」

「ええ、私は塔矢アキラと同じくらい正直な人間ですよ。こんなことで嘘などつきませんよ。」

「俺。中学に入ったらさ、 筒井さんの囲碁部に入る。でもって次の大会では絶対また決勝に進んで、海王中と対決してやるんだ。俺の力で。一勝もできないって言った加賀に見せ付けてやるんだ よ。佐為、手伝ってくれるか?」

 

「ヒカル。もちろん手伝いますとも。」

ヒカルの棋力を伸ばして、私はヒカルのいる世界に早く行ってみたいものだ。

塔矢アキラやプロの棋士とやらと対局をしてみたい。佐為はそう思った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。