ヒカルが筒井さんと囲碁部を立ち上げ、佐為がヒカルの時代にタイムトリップするまで
(主な登場人物(佐為、ヒカル、導師、加賀、筒井、平八、白川、塔矢アキラ、塔矢行洋、緒方、芦原、三谷、ダケ、席亭)
「進藤君は今日でやめるんだったね。」
保健センターの囲碁教室の講師をしている白川は残念そうに言った。
「うん。」
ヒカルは元気よく返事をした。
「中学に慣れたらまた遊びにおいで。進藤君はこのところ急に力がついてきたから。
折角ここまで打てるようになったのに碁をやめると、残念だよ。」
「俺、碁は続けるよ。中学の囲碁部に入ることに決めたんだ。」
やめたら惜しいと思っていた白川は、ほっとしたような声を出した。
「中学の囲碁部に。そうか、囲碁部のある学校なんだね。」
傍にいた年配の女性がヒカルに言った。
「私たちも残念だけどねえ。ここは、おじさんおばさんばっかりだからね。ヒカル君も同い年くらいの子どもたちと打ちたいんでしょ。」
ヒカルはへへと笑った。
「まあね。」
それから白川に聞いた。
「そうだ。先生。一度聞きたかったんだ。今一番碁が強い人って誰なの?」
「一番強い?そうだねぇ。」
白川は少し考え込んだ。
「あら、先生。塔矢名人に決まってるでしょ。」
ヒカルの周りに集まっていた一人が言った。
「ええ。塔矢さんはタイトルもたくさん持っていますしね。今のところ現役最強でしょうね。」
温和な白川だが、ちょっぴりプロの意地をにじませた声でそう答えた。
プロとしては、いずれその横に自分も並びたいと願って頑張っているが、今のところは、確かにそうだ。
「塔矢名人って?塔矢アキラのお父さんのことだろ。その人が最強なの?」
「そうよ。ヒカル君、知ってるの?神の一手に最も近い男って言われてるのよ。」
「へえ。神の一手に最も近いか。」
佐為はどのくらい強いんだろう。塔矢の親父さんに負けちゃいそうだな。
ヒカルはこっそりそう思った。
「おばさんが前に教えてくれただろ。駅前の碁会所のこと。あそこで会ったんだぜ。塔矢アキラに。あいつ、プロ並みに強いんだって ね。」
白川が言った。
「確か、彼は進藤君と同じくらいの年でしたね。一つ上でしたっけね。」
「ううん。学年は一緒。今度中学生だけど。でもあいつは海王中に行くんだって。」
「そうなのですか。海王は囲碁が強い学校ですよ。確か全国大会でも優勝の常連校でしたね。」
「俺さ、中学の囲碁部に入って、大会に出たいんだ。団体戦だぜ。それで海王中に勝ちたい。」
白川は大きく頷いて、にこやかに言った。
「団体戦か。応援しているよ。」
ヒカルを見送りながら白川は思っていた。
あの子は、とても碁と相性がいい。初めはどうなるかと思ったが、石取りゲームから初めて、半年も経たないうちに級は通り越している。
中学の大会で海王中に勝つ。年頃にふさわしい目標だ。囲碁を楽しんでくれて嬉しいが。
だけれど。
白川はこっそりため息をついた。
やはり少し残念だ。進藤君のような子がいると、ここも教え甲斐がある場所なのに。
まあ、大人に教えるのも悪いとは思わないけれど。
白川は、ちらっとっ教室に残っている大人たちを眺めた。
4月になると、ヒカルは平八の家に行った。蔵で倒れてから、正月に一度来たきりだった。
庭に回って声をかけると平八が縁側に出て来た。
「おおヒカルか。元気だったか。何のようだ?」
それから平八はヒカルの服に目を留めた。
「おや、それは中学の制服か。」
「うん。お母さんが見せて来いって言ったんだ。」
平八は眼を細めて言った。
「よう似合っとるぞ。そうか、ヒカルはもう中学生になるんじゃな。
今、ばあさんは買い物に行っていておらんから。座敷に上がって少し待っとれ。テレビでも見てるか。」
「ううん。じいちゃん。実は俺。碁を覚えたんだ。」
平八はびっくりして大声で言った。
「な、何?碁だと。ヒカル。お前、碁を覚えたのか?」
ヒカルは得意そうに言った。
「うん。だからね、それでさ」
平八はヒカルの言葉を全部聞いていなかった。
「よし、分かった。今持ってくるから、待ってろよ。逃げるなよ。」
子どものようにそう言うと、小走りに奥に行った。
碁盤と碁石を運んでくると、平八は嬉しそうに笑った。
「そーか。ヒカルも碁の面白さに目覚めたか。ふっふっふっ。さあ、いくらでも打ってやるぞ。」
「あのさ、じいちゃん、だからね、俺が勝ったらさ」
平八はその言葉に目をむいた。
「勝つだとぉ。笑わせるな。ふっふっふっ、わしは強いぞ。ヒカル。いいから。いくらでも石を置け。」
「石を置けだって。じいちゃんて、そんなに強いの?」
ヒカルの疑ったような声に、平八はぴくぴくとこめかみを震わせた。
急に立ち上がるとヒカルの腕を掴んで、座敷に連れて行った。
「どうだ。これを見ろや。」
そこには賞状やら盾が所狭しと並べられていた。
「どうだ。能ある鷹は爪を隠すのだ。」
平八は胸を張った。
優勝、優勝、優勝…って。全部優勝ばっかじゃんか…
「ええっ、じいちゃんって、こんなに強かったのか。」
ヒカルはちょっとドキッとした。
これじゃあ、勝てないかもしれないぞ。でも俺だってさ。
じいちゃんは町内大会優勝だけど、俺だって、中学大会準優勝…あ、でも団体戦だった…。
いや、俺は佐為の弟子なんだぜ。帝の囲碁指南役の。だから。
「俺、ハンデなんかいらないよ。俺、きっと強いぜ。」
平八は呆れたように言った。
「何を言ってるんだ。ヒカルは。ついこの間まで、碁など見向きもしなかったものを。
どうせ覚えたてだろうが。強いも何もあるものか。
お前のは気が強いってだけだ。
まあ、それでもいいよ。石を置きたくなければ、石は無しでいいから。
ホラ打て。打ってみろ。」
平八のその声に、ヒカルは右上スミ小目に石を置いた。
「うむ。手つきはなかなか良いな。だが、手つきだけでは勝てんぞ。ほれ。」
平八はそう言いながら余裕で碁笥から白石をつまんだ。
祖父と孫が碁を打つ縁側に春の陽射しが射し込んでいた。
一時が経った。
「あれ、負けちゃった。俺。」
ヒカルはがっかりした声を出した。
「当たり前だ。わしが何年碁をやってると思ってるんだ。」
平八は満足そうに言った。
「だが。それにしても、ヒカル。いつから碁を始めたんだ。手つきと同じに、さまになってる碁を打つじゃないか。」
「去年の11月からさ。保健センターの囲碁教室に通ってたんだ。」
「そうなのか。まだ半年経たんのに。お前。わしに似てなかなか筋がいいぞ。」
平八は嬉しそうに言った。
ええっ! じいちゃんに似てるぅ? そんなの、ちっとも嬉しくないぜ。
「でも、畜生。じいちゃんに負けるなんてさ。」
「 ヒカル、まだ言ってるのか。わしはな、だから強いんだ。分かったか。
何しろあすか町の井上さんに勝てたのはわし一人だからな。
まあ、その気の強さもわし譲りか。ヒカルもずっと続けていけばわしくらいに強くなれるぞ。
それで?ヒカルはその囲碁教室にずっと通うのか?」
ヒカルは首を横に振った。
「ううん。やめる。俺、中学の囲碁部に入ることに決めたんだ。中学の大会に出たいから。」
平八は頷いた。
「そうか、そうか。それは楽しみじゃな。」
それから思い出したように言った。
「それはそうとヒカル。お前、さっき何とか言ってたな。わしに勝ったらどうとかと。」