ヒカルが筒井さんと囲碁部を立ち上げ、佐為がヒカルの時代にタイムトリップするまで
(主な登場人物(佐為、ヒカル、導師、加賀、筒井、平八、白川、塔矢アキラ、塔矢行洋、緒方、芦原、三谷、ダケ、席亭)
「あちゃー、駄目だったか。」
ヒカルは佐為の前に現れるなり言った。
「どうしたのです?」
「うん。やっぱ俺しか来れないんだ。ここに、色々持ってこようと思ったんだ。
それでさ、わざわざ荷物を詰めてリュックを背負ったのに。
ほら、ここにきたらリュックがないだろ。まさか途中でどっかに落としたのかな。」
ヒカルは少し心配そうに言った。
「そんなことはないと思う。時の旅は負荷がかかるから、だから体の大きくない子どもが適しているのではないかと。 私はそう思ってますよ。」
それから佐為は不審そうに尋ねた。
「それにしても荷物とは。ヒカルは一体何をここに運ぶつもりだったのです?」
「えへへ。そりゃ、まあね。佐為が見たがると思うものをさ。」
それからヒカルは佐為の前に座りなおした。
「俺、囲碁教室をやめたんだ。囲碁部に入ることに決めたからな。
あそこは何かかったるいんだ。先生と打つのはいいけどさ。毎回あの人たちと打つのに飽きちゃってさ。」
佐為はヒカルの顔を見た。
石取りゲームが面白いとか、対局相手のおばさんが強かったとか言っていたのはついこの間のことだったが。 ヒカルの進歩が早い証拠か。
「でも確かヒカルが一度も勝てない人がいたのではありませんか?」
「阿古田さんのことか。いつか勝ってみせるさ。先生がいつでも遊びに来ていいって言ってるからな。囲碁部で腕を磨いてからな。」
ヒカルは宣言した。
「それでさ。最後の時に囲碁教室の先生に今誰が一番強いのか聞いたんだ。そうしたら、塔矢アキラの親父さんが名人で一番強いって言われてるらしいぜ。なんでも神の一手に最も近い男って言われてるんだってさ。」
神の一手に最も近いという言葉に佐為は興奮を覚えた。
「その者は一体どんな碁を打つのでしょうね。塔矢アキラは、彼は、父親の手ほどきを受けているわけですね。」
しかし私は塔矢アキラの碁も、最強と言われている彼の父親の碁も知らない。
知りたい。その者の打つ碁を見たい。相手をしたい。
私は、いつヒカルの時代にいけるだろうか。
「そうだ。着替えなくちゃな。」
ヒカルはそういうと水干の傍で、服を脱いだ。
「あれっ。」
そういうとヒカルはズボンの後ろポケットから、本を引っ張り出した。
「あれっ?俺。これ、ここに突っ込んだんだっけか?」
「それは?」
「うん。詰碁の本。ほら、前に加賀がびりびりに破いたのと同じ奴。本屋で売ってたんだよ。塔矢名人のだぜ。佐為にお土産だよ。」
佐為はそれを受け取ると言った。
「なんときれいな書物か。しかしよく持ってこれましたね。虎次郎はいつも身一つでしか来れなかったのに。」
「たぶん、ポケットに入れても邪魔にならないくらいのものなら大丈夫なんだ。」
佐為が悪戯っぽく言った。
「ヒカルが小さいからですね。まだ背も低いし、子ども子どもしてますからね。」
ヒカルはぶすっと口を尖らした。
「ちぇっ。佐為。嫌味だぜ。折角持ってきてやったのに。」
うっかり口を滑らせてしまった。ヒカルを見るとつい、からかいたくなってしまう。私の悪い癖だ。
ヒカルは年頃なのだから、言うことに気をつけねばいけなかった…。
佐為は、とりなすように言った。
「冗談ですよ。嬉しくて、つい出た冗談ですよ。ごめんなさい。ヒカル。しばらく、この本を貸して下さい。」
ヒカルはぶすっとしたまま、言った。
「あげるよ。初めからそのつもりで持ってきたんだ。俺には難しいし。」
佐為は嬉しそうに微笑んで、すぐにページを繰り始めた。
それから顔を上げて言った。
「ヒカル、くれるというのは嬉しいけれど、しばらく借りるだけでいいですよ。残念ですけどね。ヒカルの時代のものをここに長く置く訳にはいかないと思います。」
ヒカルはそれを聞いて頷いた。
そうだ。用心しなきゃいけないんだった。荷物持ってこれなくて良かったんだな。
それにしても、佐為や導師以外の人とは、まだ口をきいたことがない。
もう少し慣れたらいつか京を案内してくれるって言ってたけどな、早く見てみたいぜ。
佐為は碁盤を引き寄せた。
その碁盤を見てヒカルは嬉しそうに言った。
「そうだ。佐為。俺ね。碁盤、買ってもらっちゃった。脚付きのだぜ。」
「それは嬉しいことですね。これでヒカルは自分の家でも碁が打てるのですね。」
「前も打ってたんだぜ。持ち運びできる小さいのだけどさ。でもそれって何となく味気ないんだよな。ぱちっと音がしないしさ。」
「ご両親が碁を認めてくださったのですね。」
「ううん。お父さんもお母さんも碁を打つことを、いいともいけないとも何にも言わないよ。
くれたのはじいちゃんだよ。じいちゃんに勝って碁盤を買ってもらおうと思ってたのに、じいちゃん意外と強いんだよ。でも負けちゃったけど買ってくれたんだ。
これからも碁をやるんだったら、買ってくれるって。それで、じいちゃんと時々打つ約束をしたんだ。」
そう言うと、ヒカルは平八と打った一局を並べてみせた。
佐為はそれを眺めた。
「ヒカルはおじいさんに打って頂くと、きっと伸びる。おじいさんは強いですよ。なかなかに興味深い打ち手です。」
ヒカルの祖父はプロではない。楽しみに碁を打つ者だ。
この平安にも楽しみで碁を打つ者は多い。しかし、やはりヒカルの時代は進んでいるのだろう。祖父という人物はこの平安の御世でいえば少々強い部類に入るだろう。
打ち筋は結構面白い。
虎次郎の頃から140年たつというから、囲碁もずいぶん研究がなされてきたのだ。
ということは最強といわれるその者は一体どんな碁を…。
「ヒカルの時代の強い人たちの碁を知りたいですね。塔矢アキラの父親という者の碁を。」
佐為がぽつっと言った。
「ヒカルが見ることができればいいのに。そうしたら私はそれを知ることができるのに。」
強い者と打ち合いたい、そう願っている佐為の思いが感じられた。
ヒカルは胸が熱くなってきた。なんとかしてやりたい。俺がしてやらなければいけないんだ。
「まあ、今はこの詰碁を少し研究して、この者の考えている碁を見てみましょう。ヒカルも易しいのなら解けますよ。」
ヒカルと佐為は碁盤に向かいあった。