ヒカルが筒井さんと囲碁部を立ち上げ、佐為がヒカルの時代にタイムトリップするまで
(主な登場人物(佐為、ヒカル、導師、加賀、筒井、平八、白川、塔矢アキラ、塔矢行洋、緒方、芦原、三谷、ダケ、席亭)
「導師。一局如何ですか。」
「佐為。いやに機嫌がいいではないか。」
「ええ。ヒカルがいつにもまして、熱心になっているのです。 導師と三子置きというのはそれほど遠くない先に実現可能ですよ。
今ヒカルに必要なのは、上手の者と一手でもたくさん打つことです。機を逸してはなりませぬ。天賦の才も時機を逸しては無駄になります から。」
「やはりか。ヒカル殿には天賦の才があるのだな。」
佐為は軽く頷いた。
「経験上からですが、私は碁に強くなるには幾つか要素があると思っています。
まず素質が一つです。何といっても碁が好きであること、それが素質です。碁が好きであれば、自然と努力をします から、勉強を怠りませぬ。ヒカルにはそれがあります。
本当にあの年になるまで、なぜ碁が好きだということに気付かなかったのか。分かりませんが、何か定めがあるに違いがありません。そうとしか思えませぬ。ヒカルは本当に果てしない努力を恐れない。
ですが素質では、素質だけでは普通に優れた碁打ちになるだけです。
ヒカルにはそれ以外に持って生まれた閃きがある。石の並びを覚えてしまうのは、単に記憶がいいのではないと思います。普通は何度も打ち合ううちに、同じ形が何度も出てくることに理解がいくのです。それで棋譜が頭に入る。
ヒカルの場合は、最初からそれぞれの局面を彼なりに理解して形として覚えてしまえるのだと思います。 形として石の並びを即座に掴める。それこそが天賦の才と申すもの。
ですが、その覚えた石の並びを生かす技術を磨かねば何にもなりません。
それに碁には計算力も必要です。いずれ、ヒカルにはそういう力もつけさせねばなりませぬが。そうでなければせっかく良い局面まで行っても その後、勝てませぬから。
しかし当面はヒカルの持って生まれた才能を磨きたい。私の知る限り、万に一つの才に思えるのです。」
「虎次郎は違うのか?」
「虎次郎も天才ですよ。素質はもちろんです。彼は幼い頃から父親や知り合いなど、よき打ち手に囲まれ、碁の才を磨き 、努力し続け、天才を得たのです。
私と出会った時には局面を瞬時に解する力を身につけていました。でもそれはヒカルのように持って生まれたというのとは 少し違う気がします。
しかしどちらにしても天才は一度花開いたなら、あとは同じです。出発点が違っても、その先は同じなのです。みな、その先は同じに努力をせねばなりませぬ。
ヒカルはその努力を何とも思わずにやってのけてます。
だから私はヒカルに私の持てるすべてを与えたい。計算力も経験も何もかもが必要なものです。」
今日は佐為はやけに力が入っているな。ヒカル殿にここまで入れ込んでいるとは、だがなかなかに良い傾向だ。
そう思いながら導師は訊ねた。
「ところで、ヒカル殿は、まだ邸の外には出ておらぬのか。」
「はい。まだ。ヒカルは今は碁を打つことが一番で、外に出ることにお互い頭が回りませぬ。
それに導師が心配されているように、ヒカルは目立つかもしれませぬ。
それでも藤の花が見頃になったら、宇治の方へ連れてまいりたいと思います。馬で。
ヒカルは馬に乗ったことがないとのこと。少し仕込んでやりましょう。体を動かすのが好きで学校では体育と申すものが得意とか。蹴鞠など楽にこなせそうですよ。馬もすぐに乗りこなせることでしょう。」
「佐為は蹴鞠が苦手であるな。」
佐為は顔をしかめた。
「あれは風雅ではありませぬ。汗をかきますし、貴族のやることとはとても思えませぬ。」
「ははは。だが、内大臣の嫡男は蹴鞠の名手で、帝のお覚えもいいそうではないか。」
「ええ、確かに。何度か目にする機会がございましたが、見ていて惚れ惚れするほどの腕前ですよ。でも私はやりたいとは思 いませぬ。それに彼は碁はからきし駄目ですよ。歌はまあまあですが。」
「ははは。碁はからきしとな。帝はいかがか。」
「素晴らしい腕ですよ。飲み込みは早いし、ご熱心です。」
「そうであろう。幼い頃、わしが手ほどきをして差し上げたからな。あの頃はまだ東宮に指名されていなかった。佐為にも同じ頃出会ったが。才能というのは面白きものよ。本当に。」
「帝は優れたお方です。この御世で最高の教養人のおひとりでいらっしゃる。 囲碁のお相手をつかまつって光栄に感じておりますよ。」
「ならば結構。大陸におった時、話を聞いたことがある。2代ほど前の皇帝は囲碁がお好きで、多くの名人を呼び寄せては碁を打っていたという。その相手をしたという老名手に会ったことがある。 いかに気づかれぬように少しだけ皇帝を勝たせるかが苦労であったと。」
「帝は手加減をするとすぐ気づかれますから。置石で加減をしますが、手加減など致しません。今や帝は導師と同じほどの腕前でございましょう。」
「ほう?そこまでに力を伸ばされたか。」
間もなく、導師と佐為は一局を打ち終えた。
少し間があった。
佐為はふと感じたままを言った。
「ヒカルは、いい子ですが。真っ直ぐ過ぎで少し心配なこともあります。覚えておいでですか。初めてここに参りました時に、私と言い争いになった。あの時、後先を考えずに行動いたしましたが。」
「ふむ。分かるぞ。あの時、確か元の時代に戻れるかどうかなど気にせず、大胆な振る舞いをしていたものだ。 私はそれが気に入ったものだったが。ヒカル殿の美質の一つと思うたものだったが。
それに結局ヒカル殿はなんなく元の世界に戻れた。つくづくヒカル殿は強運の持ち主に違いないと思うたものよ。」
「強運?そうは思えませぬ。むしろ、そうみえることが何となく心配で。」
「何を?この御世にいないのに何の心配がある。ヒカル殿の世界はここより安全と聞くぞ。」
「そういうことではございませぬ。ヒカルがまっすぐ過ぎてとんでもないことに巻き込まれるのではないかと…。 それが心配の種です。」
「何か訳でもあるのか。」
「ええ。ヒカルの世は、刀を持ち歩く輩も死に至る流行病も少ないようですが。それでも人間の営みには、たいした変わりはありませぬ。 虎次郎の時代もこの御世も、そしてヒカルの時代も。
都の西の外れの賭場をご存じでしょうか。」
「おお。 知っておる。一度あの賭場を取り仕切っているじいさんの病を治してやったことがあってな、わしには決して危害を加えぬよ。」
「それは、また。導師なればこそ。普通の者があそこに近づくのは危険です。碁が打てれば打てるで、武器で命を狙われかねませぬ。碁が弱ければ良いカモとなりま しょう。」
「それとヒカル殿が何か?あの賭場に出入りしたがるのか。」
「いいえ、とんでもない。 ただ急に思い至ったのです。ヒカルの話したことを思い出して。もしかして、同じように危ない場所があちらにも 、ヒカルの時代にもあるのではないかと。
これは私の直感です。命を狙われるほど危ういことはないでしょうが、それでも何か感じるのです。
ヒカルの正義感が爆発するような気がして。
私はこの頃、ヒカルの血が騒ぐのが感じられるのです。何というか、ヒカルと繋がっているような。
こうやって。この赤い石にヒカルの血が通うような感じです。」
佐為はそう言って耳につけている石に手を触れた。
ヒカル殿と佐為はそこまで心を通い合わせているのか…。
導師は目を少ししばたかせた。
才能が引きつけあうという以外にヒカル殿と佐為には何か縁があるに違いない。
佐為の石は赤く光っていた。それは佐為の体を流れる血とヒカルの体を駆け巡る血が同じ感情を抱き、たぎっている印のように 導師には思えた。