ヒカルが筒井さんと囲碁部を立ち上げ、佐為がヒカルの時代にタイムトリップするまで
(主な登場人物(佐為、ヒカル、導師、加賀、筒井、平八、白川、塔矢アキラ、塔矢行洋、緒方、芦原、三谷、ダケ、席亭)
ヒカルは自分の部屋に戻ると、首にぶら下げている石を取り出した。石はいつもと変わりなく、赤く輝いていた。ヒカルは意を決したように頷いた。
平安でなくても、佐為のいる場所に、石のある場所に行く筈だ。ヒカルは祈った。
「佐為のところに連れて行け。」
石はいつものように働いた。一瞬後に、ヒカルは平安の佐為の邸にいた。そしてヒカルの目の前には、導師と佐為がいた。
ヒカルは、ほっとして嬉しそうな声を上げた。
「良かった。佐為。戻ってたんだ。心配したんだ。俺。とっても。」
だが、佐為はひどく不機嫌そうな声で言った。
「ヒカル。来るのが遅い。」
「ええっ。遅いって?」
「私は、そなたがすぐ追ってくると思っていた。何をぐずぐずしていたのだ。」
何をぐずぐずだってぇ。ヒカルは何かひどく腹が立ってきた。
「そんな。俺、探したんだ。あの辺りを残らず。佐為がうろうろしてないかと思って。もしかして誰かに見られて、とんでもないことになったんじゃないかと思ってさ。」
「私はそのような醜態はさらさぬ。すぐ戻った。そんなことも分からずヒカルは気が効かぬのだ。」
ヒカルは完全に頭にきた。
「何だよ。人がすっごく心配してやったのに。ぐずぐずだとか、気が効かぬとか。
大体なんであそこに現れたんだよ。佐為は。いきなりだぞ。俺に来たって言ってくれればいいんだ。一言。それに。」
ヒカルは頭に来るのと、ほっとするのとで、いっぱいだった。
「大体戻るなら一言、そういってくれればいいんだよ。そうすれば、俺だってあんなに探し回ることもなかったんだ。 何時間も佐為がいそうなところを探して歩いたんだ。お陰で、家に帰るのが遅くなって、お母さんには ひどく怒られるし、お父さんにまで叱られたんだぞ。 お父さんなんて一度も俺のこと怒ったことないんだぞ。いつだって佐為は俺に迷惑ばっかかけてんじゃないか。 」
ヒカルの言葉を聞いた佐為は導師の前であることも忘れ、いつの間にか喚いていた。
「私は、ヒカルのために行ったのに。ヒカルが心配だったから行ってやったのだ。それなのにヒカルは…。 ヒカルは迷惑だと?私がいつヒカルに迷惑をかけた? 迷惑などかけた覚えはない。
今回だって、私はまだヒカルの世界に行ける状態になかった。だからあんな中途半端なことに なったのだ。全く。
私は…私は、ただ。ただヒカルの一大事だから。…だから私は行っただけだ。お陰でそなたは賭けに勝ったではないか。」
ヒカルは言葉に詰まった。そうか、俺が呼んだんだ。佐為を。知らなかった。俺。佐為。
ヒカルは佐為に話しかけた。
「佐為。俺が呼んだせいなの?知らなかった。ごめん。あの、佐…」
その時だった。
足音がしていつもの従者が現れた。従者は言葉を発することなく頭を床にこすりつけた。佐為はそれを見て言った。
「導師、私は行かなければなりませぬ。迎えが来たようですから。」
佐為はヒカルを無視し、ぷいと横を向いたまま部屋を出て行った。
「あっ、佐為…」
ヒカルが慌てて追おうとすると、導師が押し留めた。
「ヒカル殿、夕刻前には佐為も戻ってくる。それまでには佐為の頭にのぼった血も少しは下がって落ち着いているであろう。」
導師はヒカルの落ち着かない様子を見て優しく言った。
「暇つぶしにわしと一局打ってくれまいか。わしはまだ一度もヒカル殿と対局したことがない。佐為が見ていない方がお互いのびのびと、ひどい手が打てそうだしの。」
「ひどい手ぇ?そんなの打たないよ。俺。」
導師は可笑しそうに笑った。
「佐為が言っていた賭けの話があるが、わしと三子置きでどうかな。」
導師とヒカルは思い切り打ち合った。
「ヒカル殿、ここはもう少し大局を見て、こちらに置くが良いのだが。こうすると、先が広がるのだよ。」
ひとしきり検討をした後、導師は言った。
「ヒカル殿は佐為が好きか?」
ヒカルは変な質問だと思ったが、答えた。
「当たり前だよ。好きだよ。」
導師は嬉しそうに言った。
「先ほどはヒカル殿が謝っていたのに、佐為は大人気なくて。」
「ううん。俺、佐為が戻ってきたら、ちゃんと謝るよ。佐為って確かにね、子どもみたいにすぐ拗ねるけどさ、でもいい奴、あっ、じゃなくて 、人だもん。それにさっきのは俺が悪かったんだよ。佐為は、ちゃんと俺が助けて欲しかった時にきてくれたんだもの。怒るのは当たり前だよな。」
導師は深く頷いた。
「ヒカル殿は正義感の塊のようで、正義感に火がつくと、怖いもの知らずで突っ走るところがあると。佐為はそう言っていた。わしもそう思う。
佐為はヒカル殿を血を分けた弟か何かのように大切に思っているのだ。
ヒカル殿の世界に行った時だがな、わしは傍に居った。
あの時、佐為はヒカル殿が心配だという話をしていた。確か、“ヒカルの血が騒ぐのが感じられる”とか何とか言っていた。石の赤色はお互いの血が通い合う印だと感じていたのだな。
そして、そう言った時、石が赤く輝き、佐為はそのまま、ヒカル殿のもとへ行ってしまった。
私には分かった。こちらの世界では、佐為は抜け殻であった。虎次郎殿の世界に向かった時と同様に。」
ヒカルは真剣に話を聞いていた。
「佐為はそちらの世界ではどうであったのか?佐為は中途半端だったといったが、虎次郎殿の時とはひどく様子が違うようだった。」
ヒカルは導師に詳しくその時の状況を話した。
「俺は気が付かなくて、俺が心で話しかけていた時、佐為はそれを聞いていて答えてくれてたんだね。あれは俺が考え出したんじゃなくて、本当に佐為が俺に話しかけていたんだね。
勝負が決まった時、俺は初めて何か気配を感じたんだ。そこを見たけど初めは何も見えなかった。だんだんとぼうっと幽霊のように佐為の姿が浮かんだんだ。でも俺にしか見えなくて、声も俺にしか聞こえなかったんだよ。でもお金を取り返したら、ここに用はないって佐為が言った時には、佐為の姿が急にはっきりしてきたんだ。それで自分で扉を開けて碁会所を出て行ったんだよ。俺が追いかけたけど、その時はもう佐為はいなかった。」
導師は驚いたように声を上げた。
「佐為は生身の体を持てたのか?時の旅で。ヒカル殿が今いるような姿で?」
それからしばらく考えていた。
「石の働きが変わったのかも知れぬ。やはり虎次郎殿とヒカル殿では全く別なことが起きているに違いない。ちゃんと今回起きたことを理解しておかねば、時の旅も危ういものとなるかも知れない。」
「実はさ。今回は、俺、すごく緊張したんだよ。もし平安に佐為が戻っていなかったら 俺はどこへ行くんだろうって。でも考えたんだ。どこに行こうとも、必ず佐為に会える。佐為が平安に戻っていなくても。だって、佐為は石を持ってるんだから、その石が導いてくれるんだからさ。だって 時の旅って、石のあるところに辿りつくものだろ。」
導師はそのヒカルの言葉に思わずほろりとなった。
ヒカル殿はそこまで佐為のことを信じきっていてくれるのか。
ヒカルは佐為の狩衣の切れ端を差し出した。
「この布。俺のお母さんに見えたんだ。佐為を捜し歩いて、碁会所の近くで見つけたんだ。釘が出てて引っかかったんだ。」
導師はそれを手にとった。
「なるほど。ヒカル殿の母上に見えたということは、佐為が生身を獲得したことを裏付けるものか。それにしてもヒカル殿は、本当に佐為のことを心配してくれたんだな。 歩き回って、そのような小さな布切れを探し出してくれるほど。」
それから導師は言った。
「ヒカル殿。戻ってきても、まだ佐為が拗ねていたとしても佐為を見捨てないで欲しい。」
「見捨てる?俺が佐為を?そんなこと絶対ないよ。」
「そうだ。ヒカル殿に見せたいものがある。」
導師はヒカルを促して、庭に降り、邸の裏手に回った。
木の床が張られたきれいな厩があり、2頭の馬がいた。
「ポニーだ。」
ヒカルは思わず小声で叫んだ。
「佐為はヒカル殿を連れて遠乗りをしたいようでな。こちらの小さいのはヒカル殿の馬だ。佐為は本当に嬉しいのだ。わしも嬉しいが。」
「ああ、早く佐為が戻ってこないかな。佐為に話したいことがいっぱいだよ。俺。」
ヒカルは馬をなぜながら、わくわくしたように言った
佐為は、大臣宅での指導碁を終えて、帰路についていたが、いろいろ頭を悩ましていた。
ヒカルは…あの時本当に後悔して謝っていたのに、私は無視してしまった。
ヒカルはきっと、そのことでまた腹を立てているのだろうな。もしかしたら、もう帰ってしまったかもしれない。
私はちゃんとした時の旅などまだできない。ヒカルの世界にはいけぬのに。
私は、少々、ほんの少しだが、子どもじみた態度をとってしまった。なぜだろう。
ヒカルといると、私は聞き分けのない子どもの状態になる。ヒカルと同じ程度のそれに引きずり込まれてしまう。それは本来の私ではないのに。全く。 私は落ち着きのある雅な大人なのに。
ああ、しかも今回はその姿を導師が見ていた。本当にばつが悪いことだ。
足取り重く、佐為が邸の門をくぐった時、ヒカルが飛び出してきた。
ヒカルは佐為に抱きついた。
「佐為、待ってたよ。お帰り。それに、ごめん。それから、それから…。」
ヒカルはちょっと一息して言った。
「ありがとう。俺、嬉しいんだ。佐為が俺のこと、大切に思ってくれて。俺も佐為はすごく大切なんだからな。」
「ヒカル。」
佐為は一言そう言ったきり、胸が詰まって後の言葉が出なかった。 ただ自分の前にいるヒカルをひしと抱きしめていた。
導師も胸を熱くしてそれを見つめていた。
わしは余計者かな。しかし、良かった、良かった。ヒカル殿が素直で、率直で本当に助かる。
佐為は、虎次郎殿とは碁を通して繋がっていた。ヒカル殿とも勿論そうだが。
でもそれ以外の何かが二人を結び付けている、それも確かだ。それは一体何か、わしは知りたいぞ。
全く二人とも。喧嘩するほど仲が良いということなのか。
だが、それにしても、しかしだ。二人ともいつまでそうやっておるつもりじゃ?
導師は、咳払いをすると言った。
「まずは二人とも邸に入ったらどうか。今回起きたことをきちんと整理せねばなるまい。佐為がヒカル殿の世界に迷い出たことを検討せねば。」
「導師。お言葉ですが、迷いでたとは聞こえが悪い。私は、ヒカルの窮地を察したのですよ。」
佐為は部屋に向かって歩きながら、力説した。
「私は三谷という少年が現れた時にちょうどヒカルの世界に着いたのです。三谷と一緒に碁会所に入ったのです。その時は私はまだ姿がなかった筈だ。
私はヒカルが見せてくれた棋譜で、ごまかしをしていると確信した。それで三谷を見た時に決めた。あの子の未来のために、ここでそのような行為は止めさせようと。
あの男の手口はあまりに無慈悲。結果三谷は高い授業料を払ったわけで私の出番はなかった。
それでもあの男は、他でも金品のためにイカサマをしているであろうと思った。あの男を懲らしめることについて、私とヒカルは意見が一致した。あの時、ヒカルと私は同化していたようだった。ヒカルは私の思考を読み取るのに集中していたから、私が実際にそこにいたかどうかに気づかなかっただけだ。でもしかし、私は…初めてだった。自分で碁会所の扉を開けられた時、気づいたのだ。私は生身でそこにいると。それはヒカルがこの平安の御世にいると同じ形で、私は未来に存在しているのだと…。」
「虎次郎の時は違ったの?」
ヒカルは訊ねた。
「何ともいえぬ。虎次郎とヒカルでは何もかもが違うのだ。ヒカルの棋力はまだ到底私が時の旅に耐えうる状態には 行っていない。その筈だ。今回は棋力とは違う別の何かがカギとなって私はしばしの間、ヒカルの世界に不安定な状態で 存在していた。そういうことだ。またもう一度あるかといえば二度とはないと感じる。このようなかたちで時を旅することは 二度とはないと。」
ヒカルは言葉にしなかったが思った。俺があの男ととんでもない対局をしようとしたから。だから、佐為は感づいて、時を飛び越えてきてくれたんだ。 俺を救ってくれるために。熱い思いがヒカルの胸にたぎった。こんなに俺を心配してくれる大切に思ってくれる佐為のために俺は絶対に役立ってみせる。
さっき指導碁を打って貰ったけど、導師に先ず三子置き、俺、やってみせるぜ、全力で強くなってみせる。