中学の大会、佐為が自由にヒカルの時代で過ごせるようになるまで
(主な登場人物…佐為、ヒカル、導師、三谷、筒井、広瀬、北島、アキラ、あかり、津田、日高、美津子、平八の妻、術師、正夫)
進藤に負けた。軽いショックだった。いや、いずれその日が来る、そう思ってたけど。
そもそも俺がこんなに囲碁部に居つくことになったのは、俺に勝てたとはしゃぎ回っている進藤のせいだ。あの席亭のじいさんに裏切られて…。
三谷は苦い思いで、あの時のことを思い起こしていた。
月曜に学校に行くと校門であいつが待っていやがった。20円返せと騒ぐのかと思ったら、俺を校舎の横に引っ張っていって、一万円を見せたのだ。
「席亭のおじさんがやりすぎて可哀相なことをしたからって、一万円渡してくれって。」
そんなことがあるのか半信半疑だったが、あいつは言った。
「20円は返してくれよ。それと、これもただじゃ渡せない。囲碁大会があるんだ。囲碁部に入ってそれに出てもらう。それが条件だ。」
それを破ったら、親か先生に言うつもりか、それは分からなかったけど、進藤が大会に出たくてメンバーを探していることは分かった。囲碁部なんてかったるいけど、大会まで2ヶ月ほどだというじゃないか。そのくらいの我慢ならいいか、そう思ってOKした。
連れて行かれた囲碁部は案の定、ど下手の集まりでかったるい場所だった。三年の筒井さんてのが部長で、クソ真面目で詰まらない碁を打つ奴で。俺は、からかってやった。打つマネをして碁盤の横で石を置く音だけを立ててやったのだ。
筒井さんていうのは相手がどう石を置くのか全然見てないのだ。それで自分の番だと思って石を置いた。俺がそのことを言ってからかったら、怒ったな。
傍にいた進藤が慌ててなだめて。進藤は俺がイカサマしようとどうも思ってないのか、よく分からない奴だ。 ただ分かったのは、クソ詰まらない筒井さんより碁が下手だってこと。
俺を失ったら大会に出れない。その一心が見えて笑えた。そんなに下手で大会に出たってどうするんだよ。
まあ約束は約束だから囲碁部には、居てやるよ。大会には出てやるさ。だけど、囲碁部でどんな態度をとるとか、そんな約束はしてないからな。
だけど筒井さんよりもずっとど下手なその進藤が2週間後、要するに俺が囲碁部に3度目に顔を出した時だけど、軽く筒井さんを越えた。俺はそれがショックだった。
それっきり、筒井さんは一度も進藤に勝てない。
そして進藤は俺との置石をどんどん減らしてきた。俺には近づいてくる進藤の足音が聞こえた。
それは嫌だとかじゃなくて、結構ワクワクするものだった。 進藤ってどうやって、そんなに強くなっていくんだろう。毎日打ち続けてる?
小学校の時良く碁を打ってくれた先生は、俺に言った事があったけ。
「三谷君。勉強すれば院生になれるかもしれないねえ。」
「院生って?」
「囲碁のプロになる子ども達のための塾って言うところかな。」
「へえ。そこに入ればプロになれるの?」
「いやいや、なれない。一人ぐらいはなれるかな。」
「じゃあ、詰まんないじゃん。」
「はは。でも。一生懸命頑張れば院生になれるかもしれない。」
「一生懸命しなきゃなれないの?」
「うん。まだまだだね。毎日すごく頑張って勉強すれば、なれるかもしれない。」
「頑張って勉強?遊びじゃなくて?それでも“かもしれない”なの?じゃあ、やだな。俺。」
俺はそう答えて、先生は笑った。
勉強なんて。碁を勉強するってどうするんだ?そんなことしなくたって俺は十分強いもの。折角碁で遊んでるのに。なんで勉強 なんかする必要があるんだ?
俺は進藤を見て思った。こいつにとって碁は遊びなんだろうか。楽しんでることだけは確かだけど。 こいつだったら、先生が言ってた院生になるための勉強とやらを一生懸命するのかな。
俺はちらっとそんなことを思った。
もう少し腕を磨きたいけど、あの碁会所にはいけないし。
金はある。そういや、あいつにまだ20円返してねえや。“1万円引く20円”。持ち歩いている。
この金は使う気がしなかった。あの苦い思い出が蘇ってきて。
三谷はフラフラと歩きながら駅前でふとビルを見上げた。
「碁サロン?へえ、こんなところにも碁会所があるのか。」
三谷は臆することもなく碁サロンのドアを開けた。
「いらっしゃい。初めてね。お名前書いて棋力を教えて。」
棋力?そういや、俺、どのくらいになったんだろう。
「俺、結構やってるんだ。自分で見つけるよ。」
三谷は打ち合っている人たちの間を歩いていった。
「廣瀬さん、ずるいんだよ。」
「私は何もずるしてませんよ。北島さん。」
ズル?ここじゃ賭け碁は、無理そうだけど。三谷はそのテーブルを覗いて、ニヤリとした。
このおじさんだったら、賭けたら楽勝だな。
「そこの坊主、何を笑ってるんだ。」
北島という男が喚いた。三谷は落ち着いた態度で返した。
「別にぃ。おじさんとやったら勝てるかなと思っただけだよ。」
「失礼な。受けてやる。」
廣瀬っていう相手の人もそんなに強くなさそうだな。そう思いながら、三谷は北島の前に座った。
しばらくして北島がまた喚いた。
「子どもと思って油断した。」
「そんなことないよ。実力だろ。」
「もしかしてズルしたんじゃないだろうな。」
傍にいた人が見かねていった。
「もう北島さん。やめなさいよ。この子はずるなんてしてないでしょ。みっともない。 ここんとこ北島さん、おかしいですよ。家で何かあったんですか。」
「フン。余計なお世話だ。」
そのとき涼やかな声が聞こえた。
「何を騒いでるのですか。」
「いえね、この子が北島さんに勝ったものだから北島さんが怒ってるんですよ。」
「あ、アキラ先生。」
三谷は“先生”と呼ばれた子どもを見た。
誰だ?コイツ?
その様子を見て傍にいた人が三谷に教えた。
「アキラ先生はここで指導碁をして下さっているんですよ。、来年からプロになるんですよ。」
「プロ試験はこれからですよ。」
アキラは鷹揚に答えた。
何か分からないけど、変なやつがいるところだな。そう思いながら、三谷はきっぱり言った。
「とにかく俺はズルなんてしてないからな。」
アキラはそれを聞き、眉をひそめ、北島に言った。
「そんなことを?」
北島は慌てて言った。
「いえ、何、冗談ですよ、冗談。」
アキラは詫びるように三谷に言った。
「僕が良かったら相手をしようか?」
三谷はアキラの制服を見た。
「お前、どこの中学?」
「海王中だけど。僕の名前は塔矢アキラ。」
海王中か。三谷は閃いた。
「俺、三谷って言うんだ。お前は囲碁部に入ってるの?」
アキラは首を振った。
「僕はプロを目指してるからね。入ってない。」
成り行きで三谷は、アキラに、ただで指導碁をつけてもらった。
やっぱり、プロになろうって奴はすげえんだな。そう思いながら三谷は聞いた。
「塔矢っていつもここにいるの?」
「いつもじゃないよ。学校も忙しいし。君は囲碁部なの?中学はどこ?」
「葉瀬中さ。囲碁部っていったって、三人しかいないけどね。元々は二人だったんだけど、大会に出てほしいって誘われて。 俺のほかは、三年生の筒井って人と一年生の進藤っていうやつ。」
進藤?
アキラはその名前に眉をひそめた。なんか引っかかる名前だ。
「進藤って、進藤ヒカル?」
「へえ、知ってるの?あいつ、下手なのに有名?」
「いや、有名とかじゃなくて。でも去年、小学生なのに中学生の振りして囲碁大会に出たんだ。それで知ってるだけ。」
アキラは言葉少なに言った。
「へぇ。あいつ、何でそんなに大会に固執するんだ?そんなに強くないのに。それで勝てたの?」
「葉瀬中は負けたよ。葉瀬中の大将は誰?」
アキラが中学の大会にも囲碁部にも関係ないことが三谷を素直に喋らせていた。
「大将は俺さ。副将はこの前まで筒井さんだったけど、その筒井さんが進藤に勝てなくなってさ。だから今は進藤が 副将。でも俺、うかうかしてると進藤に大将の座も奪われそうで、少しどこかで練習したくてさ。ここを覗いたんだ。」
「大将の座を奪われる?君、結構いい線いってるんじゃないの?進藤はそんなに強くなってるの?」
アキラは不審げな声を出した。三谷はまあまあ打てる方だろう。海王中の囲碁部でもまあまあのところにいられるんじゃないかとは思うけど。
「そう、何ていうか進藤って、進みが早い奴でさ。実は俺、今日進藤に負けちゃって。海王の囲碁部ってどのくらい強いの?」
アキラはとまどった。用心深く答えた。
「僕は囲碁部には入っていないから、はっきりしたことはいえないけど、強豪ぞろいだそうだ。部長の岸本さんは院生だった人で、大会では大将だよ。」
院生だった人か。じゃあ、強いんだな。三谷は一瞬、小学校の先生の言葉を思い出していた。
アキラは何気ない風に聞いた。
「進藤って、棋譜並べをしている?」
「棋譜並べ?あいつが?知らない。囲碁部じゃ、見たことないから。」
そうなんだ。進藤は何で僕にばかり、棋譜を並べて見せるんだ?それも、あの気になる棋譜を。
それは偶然の成り行きだったのだということを理解せず、アキラはそう思った。