中学の大会、佐為が自由にヒカルの時代で過ごせるようになるまで
(主な登場人物…佐為、ヒカル、導師、三谷、筒井、広瀬、北島、アキラ、あかり、津田、日高、美津子、平八の妻、術師、正夫)
結局あのあと、体が消えることはなく、佐為は自らの意志で、平安の世に戻った。
術師に会わねばならぬ。佐為は思った。
二年前、虎次郎との交流が終わった時、術師は言った。
初めてのことだと。この石が本物か、疑っていた。自分には使いこなせなかったが、石が本物であって嬉しいと。もし、またこのような幸運が起こった暁には是非に教えて欲しいと。
術師は都からすこし離れた場所に住んでいた。
馬を進めながら、佐為は思った。
術師はさぞや驚くであろうな。石はもう二度は使えないと思っているに違いないから。
今回は、その上私自身が体を持って時を旅したのだから。
林を抜けて術師の家の近くまで来ると、馬が二頭つながれているのが見えた。
誰か先客が居るようだ。佐為は用心して、馬を少し遠い木の陰に隠し、様子を伺った。
術師は訪れる人間同士が顔を合わせるのをひどく嫌うのだ。
家の陰でじっと見守っていた佐為は、やがて出てきた人影を見て少々驚いた。
あれは、確か…。
衣服は少々粗末なものに替えて身をやつしたつもりかもしれぬが、馬具までは変えることに思い至らなかったわけだ。一頭には立派な馬具が付いていた。供の者が素早く辺りを見回し、主を促した。馬に乗ると、二人は林の方へ去っていった。
それを見送ると、佐為は、術師の家に足を踏み入れた。
術師は佐為を見た。
「これは、これはお珍しいことで。」
「随分久しくしていたが、術師には変わりはなさそうだな。」
「へえ、お陰さまで、何とかやっておりますよ。ところで今日は何の御用で?」
「石のことで聞きたいことがある。」
「石というと時の石のことでございますか。」
術師は佐為が耳につけている石を見て言った。
「それについてお話しすることは最早ないと思いますが、あなた様は時の旅は既に終えられた筈。」
佐為は頷いた。
「二年前の旅は終わった。しかし私は今新しい事態に直面しているのだ。」
佐為は手短に話をした。
話を聞いた術師は目を細め、しばらく 何も言わなかった。その顔は能面のようで、何を考えているのかは分からなかった。
「石についてはあの時にお話した以外に私の知ることは殆どございませぬ。
私が大陸から持ち帰ったただ一つをあなた様が試されたのです。
時の石は、彼の国においても滅多に手に入らぬ秘宝でございますよ。ただし、手に入れても使えることなど滅多にない。石を動かす力が何なのか、いまだ知り尽くされてはおりませぬ。
そしてまたそれを本当に使いたいと申される方もお出でではございません。
分からないことに命を賭けてしまう御仁というのはなかなかにでないことなのです。
あなた様が果たされたことで、そう、あの時未来からお出でになった虎次郎殿の存在により、私はその石が確かに本物であることを知りました。
それ以上には何も語ることはございませぬ。」
「石の力は衰えていなかった。今回私は体を持って未来を旅した。石の力が強まったのだろうか。」
「そのお話を聞いて私も驚いております。千年も先の世を行き来なされている事に。
だが私は石の言い伝えを知るのみでございますから。
ただ私としては一言ご忠告を。石というのは不滅のものと思われてきました。堅牢で燃えることもなく。ですが、石も風や雨にさらされれば摩滅し、最後には砂粒になり、塵と化すもの。お気をつけなされ。石を酷使されてはなりませぬ。例え崩れおることがなかろうと力を失いただの石になるやもしれませぬ。ご用心なされるように。ただそれだけでございます。」
佐為が帰った後、術師はがっくりと座り込んだ。
どういったらいいのか。私はただただ羨ましい。妬んでいるのであろうか?いや妬むつもりはない。だが、だが羨ましい。 私が夢見ていた千年先の世界を佐為殿は手中にした。
術師は棚から、古びた書付の束を取り出した。それは遠い異国の文字で書かれたものだった。術師はそれをそっと撫でた。
私は何をしているのだろうか。何故この地に戻ってきたのか。ここでは何もすることがないのに。しかし、ならばどこに行くというのだ。どこにも行けない。どこにも行く場はないのだ。
佐為が邸に戻ると、導師が待っていた。
「佐為。昨日からどこへ行っておった?心配したぞ。」
「導師。これから導師のところへ参ろうと思っていたところでした。」
「どこへ行っておった?」
導師は重ねて聞いた。
「今は、術師のところでございます。」
「術師に?何用あって?」
「はい。二年前術師はまた石に何かあったら、教えて欲しいといっておりました。
私は昨日初めて体を持ったままヒカルの世界へ旅をしたのです。ですから、そのことを術師に報告に。」
導師はじっと佐為を見つめた。
「佐為。それで何ともないのか?大丈夫か?術師は何と言っておった。」
「私はなんともありませぬ。術師は言うことは何もないと。ただ石は不滅のもではないので酷使するなということを言っておりました。」
導師はその言葉になにか不吉を感じた。佐為は導師の様子には気づかず、別のことを話した。
「そうそう、私が行くと入れ違いのようにあの、楓の大納言が術師のところから出てきました。身をやつし隠している様子でしたが私にはすぐに分かりました。帝のお傍にて何度か会っておりますゆえ。」
「挨拶をしたのか?」
「滅相もない。遠くに馬を見ましたゆえ、身を隠しやり過ごしました。しかし何のために術師のところへ行ったのでしょう?」
「さあ、術師はいろいろな力を持つと重宝がられているからな。しかし気づかれなかったのは何より。もし出会っていたら、大納言の方も悩むであろう。そなたが術師に何用があるのかと。」
術師のところへ行かねばならない。大納言のことも気にはなるが、それよりも佐為の身が心配だ。導師はそう思った。
午後遅くに、導師は術師のところへ向かった。
術師とは大陸で出会った。あの頃は忌憚なく話ができたが。
術師には自分のような薬師としての力とは違うものがある。もっと大きな摩訶不思議な力が。
私がそう言うとあの時、術師は皮肉な顔をして笑ったものだ。
「私は全く違います。あなたが誇る祖国では私の祖先は鬼とも土蜘蛛とも呼ばれるような存在でした。下人の存在ながら、やっと下働きとしてこの大陸に足を運び、私は初めて呼吸ができると感じました。できる限り、学んできました。そして、私が一番に心引かれたものは“ふあるさわ”と呼ばれる学問でした。それはあなたの おっしゃる摩訶不思議な力と呼ばれるものはないということを知るための学問でございますよ。 摩訶不思議とは正反対でございます。」
術師はずっと大陸に残り暮らすものと思っていたのに、何故か帰国した。帰国したとはいえ、身分などない。私もないが術師の場合はそれ以下なのだ。
だがいつの頃か、密かに人伝えに彼には摩訶不思議な力があると囁かれ、その力を頼る者が多い。“ふあるさわ”がいかなる学問かは知らぬが、時の石一つをとっても明らかに摩訶不思議な力を有する者であることは間違いないと私は思う。
術師は導師を見ると、愛想よく言った。
「これはこれは導師殿。今日は何と人の出入りの多いことか。恐らくあなたは佐為殿のことで参られたのでございましょう。 ですが私は時の旅について言うことはもう何一つないのです。私自身が疑っていた石の力を証明したのは佐為殿ご自身です。」
導師は軽く頷いた。術師が勧めるままに、茶をすすった。
「術師よ。私はずっと聞かないできたが、何故にそなたは大陸から舞い戻られたのか?」
術師は黙った。しばらくしてやっと言った。
「私は誰にも話せないと思ってきましたが、導師殿には理解して頂けるかもしれない。かつて私が一度だけ“ふあるさわ”についてお話したのを覚えておいででしょうか。」
「その言葉は印象深く残っている。」
「ただその“ふあるさわ”がどのようなものかは、お話したことがなかった。あなたが理解されるか自信がなかったのです。でもあなたをずっと見てきて、少なくも私の話を笑わない方であると分かりました。お話申しましょう。私が半分疑いながら何故時の石を持ち帰ったか、その理由も合わせて。」
術師は机の上に置いてあった、異国の文字で書かれた書を見せた。
「これは私が要点を写し取ったものです。」
「要点とは“ふあるさわ”の?」
導師は“ふあるさわ”を密教の秘儀のようなものと思いながら訊ねた。
「はい。大昔、そう今から千年、いや千五百年も前になりましょうか。その大昔に人は聡明でした。今の時代よりもずっと。 どのように聡明だったかと申せば、彼らは考えたのです。
この世のすべて、目に見える全ては、或いは見えぬものは何からできているのかと。
今この地の者は考えを持たない。
“ふあるさわ”は一つの説のことではなく、そういう考え方をする学問の総称なのです。
ある者は全ては“水”を元にすると。ある者は全てを“あえる”…何というべきか、そう“気”と申せばよいか、それでできていると考えた。
ある者は“水と気と火と土”と考えた。そしてそれらは“愛する力”により結びつき、“憎み合う力”によって分かたれると。」
「術師よ。不思議だ。私は大陸にいた時にそういう学に出会ったことはなかった。実にいろいろの教えを請うて歩き回ったものだったが。」
「私が“ふあるさわ”について教えを受けた師はひっそりとそれを伝えておりました。
私はそういう学をもっと学びたい、そのために西に行きたいと申しました。師は首を横に振りました。“ふあるさわ”は今は死んでいると。
今や異国のどこにもそれをおおっぴらに学べるところはないと。
権力を持つものは自分の力を否定するようなものを排斥いたしましょう。様々な信仰もそれが力を持ち始めれば、疑いを抱くものを退けましょう。西には知を持って考える“ふあるさわ”という学問は今は無く、師は新天地を求めて東へ東へと向かって この大陸へやってきたと申されました。
私は丁度その時、時の石というものを手にしました。その時考えたのです。どこにいてもできないことならば、その石の力を借りて、昔に遡り、“ふあるさわ”を唱えた人々にじかに教えを請うか、或いは、未来へ向かい、その学が生かされているような未来へ住まいたいと。そこで私はこの国へ舞い戻って 時の石をいろいろに試してまいりました。しかし、どのようにしても私には時の石を使うことができませんでした。」
「一つ聞きたい。そなたは摩訶不思議を信じぬ。考えることをしたいというに、何故に時の旅、時の石などという不思議を信じるのか。矛盾しておらぬか?」
「確かに不思議です。時を旅することは。しかしそれは不思議ではあるがありえないことではない。佐為殿がその石が本物であると証明された。事実でございます。ならばその事実を不思議と考えず、首尾一貫したものとして説明すること、それが“ふあるさわ”なのです。」
そういうと術師はため息をついた。
「佐為殿は、この度、体を持って千年先の未来へ向かえたという。私は初めて人を妬んだ気が致します。先ほど来、私はずっと佐為殿と私の違いを考えておりました。なぜ佐為殿にできて私にできぬのかと。
時の旅ができるといっても戻れるとは限らぬ。思い通りの世界に旅立てるともいえぬ。確実性の無いその力を敢えて使おうという御仁はい ませんでした。
佐為殿だけは、恐れを知らずに願った。それでも未来から人は呼べても、自身は意識しか旅することはできなかった。二年前に終わったあの旅をみて私はやはり、この石の力には限度があるのかと思ったものです。安堵のような気持もありました。時の石といってもそこまでの力しかないものなのだと。」
導師は言った。
「佐為は信じていた。願っていた。自分と同等の或いはそれよりも強いものと戦い、自分の力を伸ばしたいと。それ以外に、欲も無ければ何にも執着をしない。その純粋さが石の力を動かしたのではないだろうか。」
導師の言葉に術師は、やや皮肉に答えた。
「そうですな。佐為殿の執着心はすごい。導師殿のお考えによれば、こうなります。私には執着がない。私には“ふあるさわ”を学び続けることができぬこの世のどこにも未練がござりませんから。私の出自ではどのように足掻いても人並みには生きられませぬから。 地位も欲しくない。財産にも必要以上には執着はございませんし。ゆえに石が使えぬ。皮肉なことです。私
はこの世に執着がないゆえに、未来へ旅する危険を恐ろしいと思わないのに、そのことが石を使う力をそいでいるということになります。」
「だがそなたも“ふあるさわ”に執着を抱いているのでは。」
「そうかも知れませぬが、それは対手がいるものではない。…そうか。私は今一つ思い当たりました。佐為殿が時の旅ができたのは相手が呼応したゆえ ではないかと。囲碁はそういうものでございましょう。1人ではできぬ。相手が要ります。だから石は働いたのだと。 虎次郎殿もヒカル殿も未来でその石を手にし、結びつく力が働いたのでは…。」
術師は考え込んだ。その最中に導師は急に思い出した。
「そういえば、石は堅牢な不滅のものとはいえないから気をつけよと佐為に言われたとか。」
「はい。それは私の結論です。石は永遠の力を持つのでしょうか。永遠なるものなど。 そのようなものを見たことはありませぬ。考えたことはありませぬ。物の形を成す元なるものは不変であろうと、力は使えば無くなると思います。いえ。なくなるではなく、力は経験という名のものに変化して佐為殿に蓄えられるというべきか。どのように用心すべきかなどは私には分かりかねますが 、とにかく心して使われることです。」