中学の大会、佐為が自由にヒカルの時代で過ごせるようになるまで
(主な登場人物…佐為、ヒカル、導師、三谷、筒井、広瀬、北島、アキラ、あかり、津田、日高、美津子、平八の妻、術師、正夫)
翌日、ヒカルが学校へ出かけた後、美津子はヒカルの部屋をいつもより念入りに掃除した。だが何も見つからなかった。ただ昨晩の香のような匂いは微かに残っていた。
やっぱり、お義母さんの所へ行ってみようかしら。
昼過ぎに、美津子は買い物がてら、義母の家に寄った。
「あら、美津子さん。どうしたの?」
「あの…。」
駅前で買ってきた平八の好物の牛皮餅を差し出しながら、美津子はどう言おうかと迷った。
義母は、お茶を注ぎながら、落ち着いた様子で話した。
「ヒカルのこと?中学生になってから、ずいぶん落ち着いてきたんじゃない。碁を始めたからだって、お祖父ちゃんは言うけれども。案外そうかもしれないわね。少し考え深くなったんじゃないの。」
「そうでしょうか? あのそれで、最近ヒカルに何か下さいましたかしら。」
義母は不思議そうに首をかしげた。
そこで、美津子は決心して、ヒカルの部屋に古風な香りが漂っていたことをやっと話した。
「正夫さんはお義母さんがよく香を焚き染めたハンカチとか持ってるから、何かヒカルが持ってきたんじゃないかって。出なかったらあかりちゃんが何か香水でもつけたんじゃないかって。
私今日、ヒカルの部屋を掃除したんですけど、何も変わったものは無かったし。」
義母は可笑しそうに美津子を見つめた。それから言った。
「ヒカルはもう13歳になるのよね。子どもっぽく思えてももう中学生だし。放っておきなさい。美津子さん。」
「でも。」
「誰かいい香りのするお友達でも部屋に上げたのかもしれないわね。いいじゃない。いい匂いがしても。そのお友達が気になるんでしょ。
でも家に連れてくるようなお付き合いなら何も心配は要らないわよ。
お部屋のお掃除ももうおやめなさい。ヒカル、嫌がらないの?」
「いえ、嫌がりますけど。勝手に部屋に入るなって、文句言って…。」
「じゃあ、放っておきなさい。ひとりできちんとやるようになるわ。きっと。正夫もそうだったからね。」
「そうでしょうか。」
「ええ、そういうもんなのよ。」
それから美津子は気がついたように言った。
「そういえばお義父さんは?もしかしてお加減でも悪いのですか。」
いつもすぐに現れる義父が出てこないのだ。
義母はよっこらしょと立ち上がった。
「ぴんぴんしてるわよ。今、呼んでくるわね。美味しいお茶菓子もあることだし。最近パソコンに凝ってるのよ。 それで部屋にこもってるの。」
そういって平八を呼びに言った義母の後姿に、「パソコン?」と美津子は驚いたように呟いた。
ヒカルは学校に行ってからもあれやこれや考えていて、授業中も上の空だった。
学校の帰り道、ヒカルは、いつもの公園を抜ける道ではなく、商店街へ回り道をした。
何とかしたいけど、どうしていいか分からないことがいくつもあった。
とにかく、でも、あいつがこっちに来たら、やっぱ服だよな。
もし、今度佐為がこっちに来たら、一番に服がいるよな。でも服なんて買う金はないし…。
そういや、服だけじゃない。靴もいるんだ。
ヒカルは、辺りを見回した。そこは駅前とは違い、人通りの少ない商店街だった。男物の服を置いてある洋服屋がひっそりあった。 ヒカルはそれをショウウインドウ越しにじっと見つめた。
これってどうしても年寄り向きだぜ。佐為に似合いそうなものはねえな。それに値段がやっぱな。
それから急に思いついた。
佐為の奴、俺がいない間に部屋に現れるなんてことは無いよな。まさかさ。そんでもって、もしそんな時、お母さんが部屋の掃除でもし にきたら…。
ヒカルはどきっとした。
あぶねえ。もしかして今頃…。まさか…。
やべえよ。早く帰ろう。回り道なってするんじゃなかった。
そう思って駆け出したヒカルの耳に聞きなれた声が聞こえた。
「ヒカル。」
ヒカルは、ぎょっとして立ち止まった。
目の前に佐為が立っていた。烏帽子に狩衣…。日の光を浴びて、ヒカルの目の前で嬉しそうに手を振っている。
幻に違いない。そう思おうとしたが、紛れもない現実だった。
ヒカルはくらくらとした。
「佐為。早く、こっちだ。」
ちょうど目の前の葉瀬神社に佐為を連れ込んだ。
葉瀬神社は、昔はどうであれ、今は秋の祭りと大晦日ぐらいしか人が来ない場所だ。
間口の狭い門から、ぐるりと社殿の裏に回れば、鎮守の森の名残がある。静かな住宅地に面していて、人の目が少ない のだ。
佐為は引っ張られるように連れ込まれた境内で尋ねた。
「ヒカル?何を慌ててるのだ?」
「慌ててるって、慌てるに決まってるだろ。そんな格好で町をうろついてどうすんだよ。佐為。」
「ヒカルの時代は服装は自由だって、前に言っていたではないか。」
「自由って、それはさあ、たしかに。でも佐為みたいな格好だけはないよ。変に思われるよ。 人目にも付くし。だめだってば。ここだって、いつ人が来るかわかんないよ。すぐ帰ってよ。俺、これから急いで家へ 帰るからさ。」
佐為はしぶしぶ頷いた。
「分かった。ヒカルが困るというなら、戻ろう。」
「でも佐為は、何で街中へ現れたんだよ。」
「私は、石に呼ばれて来るのだ。ヒカルは今胸に石をつるしてるであろう。その石のあるところへ私は旅をする。 ヒカルの元へ来るというより、石に呼ばれることの方が大きいのだ、きっと。」
その時、小さな子どもと母親らしき人影が現れた。裏門から境内を通って、商店街へ抜けようというのだろう。
母親は佐為を見ると、にっこり会釈をして、境内を出て行った。
佐為は勝ち誇ったようにヒカルに言った。
「今の、見ましたか。 あの女人は私を見ても驚いた風は、全くなかったですよ。」
ヒカルは頑として言い張った。
「だめったら、だめ。今すぐ戻ってよ。俺、その格好の佐為と一緒には絶対歩かないからな。」
佐為は仕方なさそうに、ヒカルのいうことに従い、平安に戻った。
ヒカルは佐為が消えた後をしばらくじっと見つめていた。
住宅街を抜けるように歩いていると、声をかけられた。
「さっき、会ったわね。」
「葉瀬神社で宮司さんとお話してたでしょ。あの方は。いつもの人とは違うのね。」
さっきの女の人…。ええっ、佐為のことを聞いてるのかよ?
「あっ、あの。、あれは、あれは、なんというか。宮司さんじゃなくって、ええっと何というか、練習のために居たんで…。」
「練習?もしかして、宮司さんの見習いのこと?そういえば、とても若い人だったような。素敵な人だったわね。」
「そ、そうですか。俺もよく知らないから。あの、じゃあ、失礼します。」
ヒカルは逃げるように走った。
本当にやばかったんだ。あそこが神社じゃなかったら…。そして、思った。
「俺はいつも佐為が邸にいる時に行けたよな。偶然なのか?何でだろう。」