中学の大会、佐為が自由にヒカルの時代で過ごせるようになるまで
(主な登場人物…佐為、ヒカル、導師、三谷、筒井、広瀬、北島、アキラ、あかり、津田、日高、美津子、平八の妻、術師、正夫)
ヒカルは頭を悩ませていた。
こういう時どうする?
お母さんに頼むしかないのかな?佐為を呼んで、母親に会わせたらどうなるのだろう?どうやって信じてもらう?
じいちゃんに頼む?大人の男の服なんて、どうやって頼んだらいいだろう。小遣いったって、そんなに頼めないし。 もし金があっても大人の服なんてどうやって買ったらいい?自分の服だって一人で買ったことはな いし。そもそも佐為のこと信じるかな?
幸か不幸か、期末試験が近づいていた。
とにかくだ。頼むかどうかはともかく、まずは少しいい点を取って、頼みごとをしやすくする。
ヒカルはそう決めた。
試験が終わらなければ何も始まらないのだということをヒカルは佐為に力説した。
佐為は言った。
「よく分かった。ならば私が手伝おう。ヒカルの部屋で大人しくしていれば、文句はないであろう。ヒカルの勉強を私がみる。」
ヒカルは慌てた。とんでもない。
「佐為に来てもらっても、勉強の邪魔だよ。迷惑なだけだ。来るな。絶対に来るなよ。」
そう言って、平安から戻って来たが、ヒカルは落ち着かなかった。
佐為の奴が大人しくいうことを聞くとはとても思えない。いつだって自分がしたいようにする奴なんだからな。
ヒカルは、念のため石を引き出しにしまった。
それにしても佐為は俺のところに来るのか、石のところに来るのか、どっちだろう。 とにかく来るなら絶対部屋に来てくれ。
佐為はヒカルの思ったとおり、時を旅してきた。
「石とヒカルと両方が共にある時、そこに旅ができるのかも知れぬな。ヒカルが石を身につけていなくても。」
ヒカルの部屋に無事到着した時、佐為は満足そうに微笑んだ。
「では、早速、勉強を始めるぞ。」
佐為は、やる気満々だった。ヒカルは疑わしそうに聞いた。
「佐為。本当にできるの?歴史か国語くらいじゃないの?佐為ができるのは。」
「失礼な。ヒカルが学べるようなものは私にも理解できる。手本を見せてみよ。」
それから佐為は、思い出したように言葉遣いを改めた。
ヒカルの時代では丁寧な言葉を使うことにしたのだった。
「見せて御覧なさい。」
そう言って傍にあった理科の教科書を手に取り、ぱらぱらとめくった。
「この辺りから出るのですか。顕微鏡? 顕微鏡とは何です?」
「ああ、やっぱ。こうなると思ったんだよ。ほらこの写真の。こういう奴だって。小さくて見えないものを見るんだ。」
「小さくて見えないものを見る?もう少しきちんと説明がほしい。どうやって使うんです?」
「ええと、ここにこういうのを入れて…。」
ヒカルが写真を指で指して説明すると、佐為は言った。
「言葉で説明して下さい。」
ヒカルは面倒くさいという風だったが、急いで説明を探した。
「これがプレパラートっていうんだ。 見たいものをこれにはさんで、ここに置くんだ。それをこっちにこう動かすと…。」
目新しさはあったが、理に適えば、大体のことは理解できるものだ。
教科書やノートを読んで、佐為が疑問に思うことをいちいち聞くと、 ヒカルは「思ったとおり邪魔なだけだ。」と言ったものの、自分も覚えていないことばかりでもあったから、佐為の素朴な疑問の答えを探し出すことは有効な勉強法だった。
佐為は、そのうち社会のノートを見つけた。
「相変わらずの字ですね。しかし、読めないことはないですよ。ああ、これ。総理大臣の名前? 総理大臣とはどんな大臣です? ヒカルはちゃんと名前知ってますか?」
「待ってよ。まだ、こっちが終わってないんだから。」
佐為は、ヒカルがくしゃくしゃにしまっていたプリントやら小テストやらをきれいに番号順に整理した。
「これだけでも、勉強ができるようになった気分がするでしょう。」
ヒカルは渋々頷いた。
佐為は毎日のようにヒカルの部屋にやってきた。中学の勉強もだが、ヒカルの時代への旅にしっかり慣れてきた。
「早く試験が終わり、ヒカルと碁を打ちたいものです。早く外も歩いてみたいですよ。」
数学の問題を解くヒカルの傍らで、佐為は窓の外を覗きながらのんびり言った。
ヒカルは佐為とは反対に憂鬱になっていった。佐為のことを誰かに話すのがこれほど、重荷だとは。
そして佐為の能天気な様子に腹が立ってきた。ヒカルは呟いた。
「いいよな。なあんにも悩みがない奴ってさ。」
ヒカルが勉強している横で、漫画を読んで、くっくと笑っていた佐為が顔を上げた。
「ヒカル?今何か言いませんでしたか?」
「ううん。なあんにも言ってないよ。」
試験の結果は、ヒカルとしてはかなり上出来だった。
だが、試験がすべて終わった日、ヒカルは鬱々とした気分で家に向かっていた。
「どうする。佐為が試験が終わったかと待ち構えて来るかも。」
ヒカルは道端の小石を蹴った。
ええい、どうとでもなれ、面倒くさい。 佐為を呼びつけて、お母さんに会わせてやる。後は佐為に話してもらう。それだけだ。
居直った気持ちで、ヒカルは、家についた。そして思い出した。
「そうだ。お母さん、いなかったんだ。」
美津子は最近、仕事を始めたのだ。
「火曜から金曜まで、お昼から5時くらいまで、留守にするから。」そう言ってたっけ。
テーブルにおにぎりが置いてあった。
"手を洗ってから、食べなさい。”
メモが添えられていた。
ヒカルは申し訳程度に、キッチンの水道で手をぬらした。手を拭くと、おにぎりを手に取り、かじりながら二階に上がった。
自分の部屋の前に着くと、碁石の音がするのに気づいた。
げっ、佐為の奴、もう来てるんだ。
部屋を開けたヒカルは、その様子に絶句した。佐為は一人で碁を打っていた。
それだけなら驚くにあたらない。そうじゃなくて。
「佐為。どうしたの?その格好は?」
佐為は少し気恥ずかしそうにヒカルを見た。
「烏帽子がないと落ち着きませんが。どうです。似合いませんか。」
佐為は、古びたTシャツにジーンズ姿だった。 髪はゴムで束ねてあった。ミュージシャンだといっても通る風情だった。
「似合うって…。」
確かに似合う。かっこいい。うーんと、そんなことよりだ。
「その服、どうしたの?」
佐為はニコニコしながら言った。
「ヒカルのお父上はいい人ですよ。私のことをよく分かって下さって。何でも若い時の服で、中年になっておなかが出てきて、もう着れないので私に下さるというのですよ。ほら、見て下さい。冬用のものまであるんですよ。」
佐為が指したほうを見ると、大き目のダンボールがどんと置いてあった。
そういえば、この箱のことで、お父さんとお母さんが喧嘩してたっけ。
でもどうやって?いや、それよりなんでお父さんが家にいたのか?お父さんは佐為とどうやって出会って、どう思っ たんだろう。
まあ、いいや。 とにかく俺の心配はこれでOKになった訳…なのかな?
ヒカルが頭を巡らせていると、佐為が言った。
「ねえ。ヒカル。折角ですから、散歩に行きましょうよ。私はこの時代をじっくり見て回りたい。ヒカルが戻ってくるのを待ちわびていたのです からね。」
佐為はわくわくした表情だった。
「ああ、わかったよ。」
ヒカルは、仕方なさそうにそう言ったが、玄関で佐為の靴がないことに気づいた。
服のついでにお父さんが履いてない靴を借りるか。
そういってヒカルは靴箱から父親がジョギング用にと買っていたシューズを取り出した。
佐為には、ちょうどよい大きさだった。
「歩きやすい靴ですね。」
佐為は軽やかに歩いていた。通りを歩く佐為はどうみても現代の普通の青年に見えた。
ちょっと、きょろきょろし過ぎだけど、まあ、大丈夫か。ヒカルはほっとした気持だった。
「今お金ないから、碁会所には行けないぜ。」
そう釘を刺した。
「いいですよ。それよりヒカルが今まで話してくれた場所を案内してくれませんか。」
通りを並んで歩きながら、ヒカルは思いついたように言った。
「佐為はやっぱ、石のあるところに着くんだな。俺がいなくても部屋に来れたんだ。」
佐為は、それを聞くと、少し考え込んだ。
「まだ断定には早過ぎますね。石だけあっても旅はできない。それは確かだ。身につけなくてもヒカルと深く結びつくところに石があればいいのかもしれない…。 ヒカルの存在は欠かせない。それは確かです。私には感覚で分かる。」
その時、佐為が急に叫んだ。
「ヒカルゥ。アレ、アレは何です?」
ヒカルは佐為が指した先を見上げた。
「飛行機だよ。前に話しただろ。空を飛ぶ話。あれがそうだよ。」
佐為は飛行機雲がだんだん薄くなるまで空を見上げたままだった。
「近くで見れますか。ヒカル。乗ったことありますか。」
佐為は興奮した口調で言った。
「乗ったことはない。いいか。これから、何かあっても、絶対騒ぐなよ。人がいなかったからいいけど。恥ずかしい。」
ヒカルは偉そうにそう言った。大人の格好してても子どもみたいだな。まったく。
だが、すぐ思い直した。
佐為は初めて見るんだから、珍しいのは当たり前だよね。
それで付け加えた。
「でもさ。でもそんなに見たかったら、飛行場へ連れてってやるよ。今日じゃないぜ。今度いつかだぜ。」