アキラと生身の佐為の初顔合わせ、ネット碁
(主な登場人物…佐為、ヒカル、導師、筒井、三谷の姉、市川、和谷、フク、アキラ、緒方、sai、zelda)
インターネットのできる店ってここか。
ヒカルは扉を開けた。明るい店内にパソコンがいくつも並んでいた。
「進藤君ね。祐輝から聞いてるわ。」
笑顔を見せて、席に案内してくれたのは、三谷の姉だった。
「“ワールド囲碁ネット”?そこにアクセスすればいいのね。私、パソコンのことは分かるけど、碁のことは分からないわよ。」
「うん。後は大丈夫。やり方分かるから。」
彼女が操作するの眺めながら、聞いてみた。
「ねえ。三谷ってどこで、碁を覚えたの?」
「死んだおじいちゃんからよ。それから碁の打てる小学校の先生が居て、よく相手をしてくれたのよ。」
三谷の姉は、マウスをヒカルに渡しながら聞いた。
「祐輝って強いの?」
「強いよ。知らないの?」
「へー、そうなんだ。君は?」
「俺?そうだなあ。三谷と同じくらい強いよ。」
三谷の姉はそれを聞いて笑った。
受付に行きかけた彼女に、ヒカルは囁いた。
「ホントにお金、いいの?」
「ええ。私が居る時だけよ。」
「今度もう一人連れてきてもいい?」
「いいけど、その時はお金は取るわよ。進藤君一人の時だけ、特別よ。」
三谷の姉が行ってしまうと、ヒカルはちょっとため息をついた。
佐為はやっぱ連れて来れないなあ。お金かかるんじゃあ。
まあ、しかたない。どうするか、また後で考えよう。
明日は海に行くんだし、今は碁を打つぞ。
ヒカルは、登録名にKUROと打ち込むと、それを満足そうに見つめた。それから、適当に相手を選ぶと画面に集中し 始めた。
佐為は、ヒカルの部屋にいた。慣れた手つきで着替えを済ませると、ヒカルが用意してくれている水筒のぬるい麦茶を一口すすった。
「時の旅は疲れます。喉が渇きましたよ。お母上が出かけられるまで、水も飲めないのですから。」
一度そう言った時に、ヒカルが考えて用意してくれたのだ。
「面白い入れ物ですね。」
佐為が漫画のキャラクターのついた水筒をしげしげと眺めると、ヒカルはちょっと懐かしそうに言った。
「小学校の時に使ってたんだ。今はちょっと使えないし。それに少ししか入んないんだ。」
「好きな時に部屋の外に出られないなんて本当に不自由なことですよ。」
ヒカルはそれを聞くとぶすっと言った。
「そう思うんだったら、来るなよな。」
そのやりとりを思い出しながら、佐為はくすりと笑った。
ヒカルはすぐむきになるから。まあ、子どもですから。しょうがないですね。
それでもあれには参りましたね。
「トイレに行きたかったら、平安に帰れ。」というのは。ヒカルったら全く…。
お母上は4日の間は、きちんと午後出かけられますが、3日間はいつお出かけになるか分からないのですからね。
もっともヒカルの父に出会ってから、3週間近くたった今、佐為はそれほど街中を出歩くことに執着は無くなった。
電車やバスというものに乗れば、遠くまで出向くことはできる。しかし乗り物には料金がかかる。賭け碁でせしめた金の置物でも 平安から 持ちこめれば…こちらで売れればいいのですけどね。
佐為は本当にそのことを真剣に考えて、一度試みたものの、結局、身につけた衣服以外、平安の世から持ち出せるものは無かったのだ。
時の旅が叶ったとはいえ、行きたい日時を選び取れないのは不便なものだ。いつかそういう技も身につけられるのだろうか。
平安ではヒカルを自由に歩かせるわけには行かない。ヒカルの時代は平安のような危険は無くても、別の意味で自由に行き交うこと ができない。
本当に時の旅とは、条件が揃わなければ、つくづく困難なものだ。
それが佐為の結論だった。
ヒカルは今日は友達に誘われて、海に出かけている。
海に行くという話を聞いた時、いつもの会話が交わされた。
「私も行きたいです。」
「だめっ!車で出かけるんだ。友達のお父さんが運転して。子どもが3人で満杯だもん。 佐為の乗れる場所はない。それに海水パンツ持ってないじゃないか。」
普通の人々が、遊ぶために海に入って泳ぐ。テレビのニュースで見たが、面白そうな、奇妙な光景だった。本当に人間の営みは変われば変わるものだ。
「帰りが遅くなる。もし佐為が来ても帰る時、俺は居ないよ。大丈夫だよな。お母さんはいつもどおり仕事に出かけるって 言ってるけど、でも5時に帰ってくるからな。佐為が出かけるんだったら、5時前に部屋に戻るんだぞ。絶対だぞ。」
時間があるというのは厄介なものです。時の旅をしていながら、佐為は時間を呪った。
それから言ってみた。
「5時を過ぎるとどうなるんでしょうね?」
「お母さんに見つかる。それからみんなに知られる。」
「知られたらどうだというのでしょうか。」
ヒカルはちょっと考えた。
「さあ。分かんない。でも、もしかしたら…」
「もしかしたら?」
「石の力がなくなっちゃうかも。秘密の石なんだろ。その秘密がみんなにばれちゃったら。」
佐為は頷いた。
「そうですね。そういうこともあるかもですね。」
やはりヒカルもそう感じているのか。
大勢の人に知られると石が働かなくなるかもしれないという危惧は、前々から佐為にもあったのだ。
階下で美津子の出かける音がした。
佐為は、本から顔を上げて呟いた。
「図書館にある書物はどれも初心者向けだ。棋譜の書以外は。それでもコミと時間制限のある碁に慣れるまでは私には有用 だったが 。でも私は書物ではなく、ここに出ているような対局をしたいのだ。碁を打ちたいのだ。」
この時代の優れた碁打たち…。
佐為は棋譜の本を脇に追いやった。
それは好局集シリーズという本だった。
この本因坊戦もこの世界戦も。そして特にこれ、この名人戦のような対局。
どうしたらそれが可能になるのだろう。今みたいにヒカルの部屋にこもるだけの時の旅だったら、私には何にもならない。
そろそろ昼時だった。佐為はそっと階下に降り、 ヒカルが用意してくれているカップラーメンにお湯を注いだ。それはヒカルが居ない時の佐為の非常食だった。
それから冷蔵庫の野菜室からきゅうりを取り出した。佐為の今のお気に入りはマヨネーズだった。 マヨネーズをつけたきゅうりをかじりながら、佐為は新聞に目を通した。中ほどにいつも小さな囲碁欄があるのだ。
それを見ながら、佐為は急に決心した。
「そうです。これから碁会所に出かけて見ましょう。ヒカルと一緒でなくても大丈夫ですよ。大体の雰囲気は分かってます。」
佐為は以前、三谷と出会った碁会所を思い浮かべてから、首を振った。
駅前の碁サロンというところに行くのです。名人に会える確率はほとんど無いようだが行って見なければ分からない。 会えるかもしれません。
佐為は二階に上がり、ヒカルが佐為のために分けてくれた引き出しを開いた。そこには時の石とこの家の玄関の鍵、それに千円札が一枚入っていた。
「これは碁会所の料金。佐為の分。」
ヒカルが7月分の小遣い、全額を取っておいたのだ。
あの時、佐為がすぐに行きたいといったら、ヒカルは言ったものだった。
「二人で行くと1500円で足りない。それに詰まんない奴しかいない時に行っても千円が無駄になっちまう。碁会所に行くんだったら、強そうな奴が居る時じゃないと。夏休みになったら、ゆっくり行こうぜ。 祖父ちゃんから千円せしめるから、一緒に行けるよ。」
佐為は聞いたものだった。
「強い人が居ると、どうやって分かるんです。」
「金を払う前に、打ってる奴を観察すればいいじゃんか。佐為ならすぐ分かるだろ。打ちたい相手がいたら、受付で金を払 えばいいよ。」
ヒカルは、お金のことになると細かいんですからね。
佐為は思い出して、くすくすと笑った。
でも無駄遣いするよりはいいです。ヒカルは何もけちというわけじゃ、全然ありませんしね。
何といってもヒカルは私のために小遣いをこうして置いてくれてるのですから。感謝せねば。
散歩の途中で、何度か見上げていたビルの前に来ると、佐為は慣れた様子でエレベータに乗り、碁サロンに足を踏み入れた。
ヒカルが言っていた通りですね。あそこの碁会所とは、えらい違いですね。
その日は店内は閑散としていた。明るいサロンを見渡しながら佐為は思った。
人が少ないですよ。今日はやっぱりやめるべきでしょうか。
その時、受付の市川が声をかけてきた。
「初めてですか。棋力がお分かりになれば、適当な方をご案内しますけど。」
ヒカルの忠告を思い出し、佐為はここぞとばかりにっこりした。
「あっ。そうですね。ええ。そこそこの腕前なんですが、今日は人が少ないようですね。」
「ええ、今の時間は。夕方になると人が増えるかと思いますけど。」
「あの、ちょっと拝見してもよろしいですか。」
「ええ、どうぞ。」
佐為は何組か打っているテーブルをゆっくり見て回った。
なるほど。ヒカルの言うのも頷ける。ここの連中は、ヒカルよりはずっと上手だが、この程度なら、ヒカルと打つ方がいいかもしれない。ヒカルの小遣いを使うほどではなさそうだ。 やっぱり今日はやめよう。