アキラと生身の佐為の初顔合わせ、ネット碁
(主な登場人物…佐為、ヒカル、導師、筒井、三谷の姉、市川、和谷、フク、アキラ、緒方、sai、zelda)
「導師さんは、俺が強くなったって言ってたけれど、実際俺って進歩したのかな。
佐為の打っているのを見ていただけで?そんなこと、あるのかな。
確かに佐為の打った手は俺、大抵覚えてる気がするけどさ。」
碁が強くなったという実感が今ひとつ、わかないヒカルはそう呟いた。
2学期が始まって、初めての部活の日だった。そんなヒカルにあかりが言った。
「囲碁教室、すごく楽しかったよ。それで私、当分通うことにしたんだ。先生も優しいけど、あの教室にいる阿古田さんが すっごく親切でね。今私、阿古田さんにいろいろ教わってるのよ。だいぶ打てるようになった気がしてるよ。」
あかりは夏休み中、白川先生の囲碁教室に通っていたのだ。
「えっ?阿古田さんが親切?阿古田さんて、あの阿古田さんだろ?違うのかな。」
「えっ?ええ、阿古田さんて、あそこに一人しかいないと思うけど。白川先生の教室の中で一番強い人だよ。
そうそう、そういえば白川先生がね。進藤君は元気にやってるかって。で、元気です。碁も強くなったみたいですって言ったのよ。そしたら ね、どんなに強くなったか楽しみだね。たまには遊びに来なさいって言ってたよ。ヒカル、今度一緒に行かない?白川先生のとこ。」
「うん、行く行く。」
ヒカルは勇んで言った。
白川先生の囲碁教室か。久しぶりだな。俺の腕が上がったか試してみたい。
あかりのいう親切な阿古田さんに勝てたらいいな。
そういえば今度、佐為のところへ行ったら、術師にも会うことになってるんだった。
術師ってどんな人なんだろ。名前が何となくかっこいいよな。術師なんてさ。どんな術を使うのかな?いや使わないとか言ってたっけ。そんなんじゃないって。どうだっけ。ああ、忘れちゃった。
まあいいか。とにかく時の石を持ってた人だろ。絶対普通の人じゃないぜ。
このところ何かわくわくすることが多いな。
そんなことを思って通りを歩いていたヒカルはいきなり腕をつかまれた。
「君に話しがある。」
ヒカルは驚いて振り返った。
「と、塔矢じゃないか。何だよ。いきなり、びっくりするじゃないか。離せよ。」
そう言いながら、つかまれた腕を振りほどいた。
アキラは手を離したが、ヒカルの反応など全然気にしていなかった。
「君に聞きたいことがある。」
あの日、ネット碁を打った後、アキラは深いため息をついたのだ。
何ともいえない虚脱感のようなものに襲われた。
初日は休んでしまったが、プロ試験は続いていた。もちろん、アキラは休むことなく、淡々とプロ試験を受け続けていた。
現実には碁を打ち続けるなら、プロになるしかないだろう。でもプロになることにどんな意味がある?あのネット碁を思い起こすたびにアキラは思った。次に勝てるかどうかは分からないけれど、でもsaiに勝たなければ、この思いは消えない。そんな気がした。
saiは間違いなくあの人だ。打ってみてアキラは確信していた。
とにかくもう一度あの人に会わなければ。それには…。
進藤ヒカル。手がかりは彼しかいない。
アキラはヒカルを睨みつけるように見た。その鋭い眼差しにヒカルはたじろいた。
「君はsaiを知ってるだろ?」
「佐為を?」
ヒカルは今度こそぎょっとした。まさか佐為の奴、碁会所で塔矢に名前を言ったのか?こいつは強い奴の名前は忘れない筈だし。いや、確か佐為は登録もしなければ名乗ってもいないって言ってた。
「ああ、エス・エー・アイでsai、ネット碁の覇者だ。」
「俺、ネット碁なんてしてないよ。」
「君がネット碁をやるかなんて質問していない。それはどうでもいい。saiを知っているか聞きたいだけだ。」
「なら知らない。」
「そうか。」
進藤はあの人がネット碁をするのを知らないのかもしれない。
「だったら僕と碁会所で打った人について教えてくれないか?」
「お前と碁会所で打った?」
もしかして佐為がsaiだって分かってるのか、こいつ?
「そうだ。長い髪をしている若い男の人。丁寧な言葉遣いをする人で。君はその人を知っている筈だ。その人がsaiなんだ。僕には分かるんだ。君に教えてもらいたい。」
ヒカルは少し混乱して言った。
「お前が言っているのが誰か分からないよ。第一そのお前と碁会所で打ったのがどうしてそのsaiだと分かる? それに俺が何でそのsaiと知り合いなんだよ。」
「答えよう。碁会所で打った人とsaiは打ち筋が同じだ。君のような初心者には分かるまいが、打てば同じ人間かどうかなどすぐ分かる ことだ。
それと君はおそらくそれほどの知り合いではないのだろう、だからsaiのことを知らないのも分かる。saiのことは置いておくよ。ただ、僕が碁会所で打った人は、君が以前僕に見せた棋譜の打ち手だろ。違うか?」
ヒカルはぐっと詰まった。
「それとこのハンカチ。その人が忘れていった。君の名前がついている。」
ヒカルはアキラが差し出したハンカチを見た。進藤ヒカルと書いてあった。
このハンカチ、なくしたと思ってた。佐為の奴、よりによってなんで塔矢のところで。まったく。
で、佐為のことをこの塔矢に話せっていうのか?どうしよう。
まずいんじゃないか。やっぱ、しらを切りとおすぞ。
「このハンカチは俺のだけど、その人のことは知らない。」
「もしかしたら君はその人が打つところをみたのだろう。どこで見たのか教えてくれればいいんだ。たまたま君がハンカチを落としたかなに かしてその人が拾ったのかもしれないが。
君が2度置いた棋譜を一体どこで見たんだ。言え。」
なんなんだ。こいつ。「言え」だって。誰が言ってやるもんか。
その少し前まで、ヒカルはアキラに佐為のことを教えなくとも、佐為には碁会所に行 ってアキラと打ってやってくれと言おうと思ってたのだ。
こんなに佐為の碁に夢中になっているんだ。俺とおんなじじゃないか。打たせてやろうぜ。
そんな気持だった。
しかし、今はすっかりその気が失せてしまった。
ヒカルは頭にきていた。
「俺はsai なんて知らないよ。ついでに、あの俺が置いた棋譜はな、俺はたまたま打っているところをみただけさ。でもどこでなんてお前に言う必要はないだろ。第一お前の碁会所に、そいつは来たことがあるんだろ。また来るかもしれないんだったら、待ってればいいじゃないか。俺が 見たところにだって、この先来るかどうかなんて分からないじゃないか。」
「君は何故隠す?」
「な、何だよ。何にも隠してなんかねえよ。」
「あの人は君には必要ない人だ。でも僕には必要な人なんだ。」
「それはどういう意味だよ?」
「君だったら誰でも適当な人に習えばいい。僕は君と違ってプロを目指しているのだ。それも父のようなトッププロだ。 」
「目指せばいいだろ。」
「あの人はプロじゃないけど腕はすごい。僕はあの人に勝ってみせる。僕は神の一手を目指しているんだ。そのために必要なんだ。 あの人と打つことが。」
アキラの目は真剣に燃えていた。
ヒカルはその目の中に、佐為とアキラが打っているところが見えた。
そこで打っている二人の目は共に遠くを見つめていた。はるかなる高み。
アキラの腕が佐為と比べてどのくらいなのか、実際のところ、ヒカルには分からなかった。
でも…塔矢と碁会所で打ったと話した時の佐為の顔はものすごく満足そうで、充実していた。
そうあのネット碁の時も。
俺は話しかける気にならなかった。あの張り詰めたような空気の中に入っていけなかった。
あの時もこいつはこんな目で、佐為に向かってたのだろうか。
みんな真剣で。
いや俺だって真剣だ。碁を打つ時にいい加減な気持にはなれない。
それでも違う。何かが違う。俺の真剣と佐為やこいつの真剣は別物みたいだ。
ヒカルは無性に腹立たしかった。
塔矢の奴、佐為が俺に必要ないって。塔矢の奴なんかに何が分かる。佐為と俺は特別なんだからな。
「分かった。君が教えてくれないなら、もういいよ。僕はあの人がまた現れるのを待つから。」
ヒカルは去っていくアキラの後ろ姿を見て思った。
塔矢の奴ってすごいな。佐為を探して俺を追いかけてくるなんて。
でも俺自身を追いかけてるのじゃない。俺は塔矢にとってその他大勢なんだ。
佐為も塔矢も目指すのは神の一手なんだ。
佐為は、俺がいくら強くなっても自分にはかなわない。神の一手を極める人間は俺とは違うって言ったけど。塔矢はどうなんだ。佐為の相手にふさわしいのか。
きっとそうだ…。
俺だけ仲間外れなのか。ただ碁を打って楽しいって思うだけじゃ駄目なのか?
碁ってなんなんだ?