三面打、院生試験、アキラ新初段戦、森下先生研究会
(主な登場人物…ヒカル、佐為、導師、術師、白川、岸本、正夫、篠田、和谷、桑原、フク、帝、伊角、アキラ、座間、森下、冴木)
三谷は校門を出る時、足元にあった小石をポンと蹴った。小石は塀に当たり、跳ね返って転がった。
ふん。俺みたいだ。俺が子どもっぽく拗ねただけか? いや進藤が自分勝手だからだ。
俺は大会に出るためにメンバーを探しまくった。やっと夏目が碁を始めたことを聞いたんだ。教室で少し腕を見た。これなら大会に出られるぞ。そう思って、囲碁部に誘ったちょうどその日に、進藤の奴は、院生になりたいと言ったんだ。
ああ、確かに部活は個人の自由だぜ。でも、あいつは分かっていた。院生になったら大会には出られないということを。それでも12月の試験を受けると言った。冬の大会をすっぽかしても院生を目指す、いや、プロを目指すと な。
俺が猛烈に腹を立てた時に、あの加賀とかいう三年生が現れたのは偶然なのだろうか。
加賀の奴は俺に言った。
「ふーん。お前は怒ってる訳か。で、筒井は仕方ないと思いつつ、あきらめきれないってとこか。よし分かった。
部活も大会も個人の勝手だ。出る出ないは、自分が好きに決めて悪いことはない。
だがな。進藤。お前は、ここにいるお前の仲間を納得させて出ていけ。それくらいはしろ。」
「納得って、どうやって…。」
進藤は困惑していた。そうさ。俺は納得できないから怒ってるんだ。俺は大会に出るため、夏目を引っ張ってきたんだからな。 一生納得なんかするか。
加賀は、俺の腹立ちを無視したように筒井さんに聞いた。
「碁盤は幾つある?」
三枚と聞くと進藤に向かって言った。
「進藤、覚悟はあるんだろ。塔矢を追っかけると決めたんだからな。だったら、三面打ちをしろ。」
それから俺の方を見て言った。
「おい。そこのガキ。ふくれっつらしてないでお前も付き合え。進藤は俺と筒井とお前に実力を見せつけてから出ていくんだからな。」
加賀って、本当に高飛車な奴だ。あいつに逆らうなんてできない。
俺は三面打ちなんてしたことはなかった。俺たちがゆっくり考えて石を置いても、加賀は何にも文句を言わなかった。でも進藤には厳しかった。
「モタモタするな。」
「多面打ちに考える時間なんかねーよ。カンで打つんだよ、カンで!」
「カン!センス!ひらめき!」
そうわめき続けて、進藤を急かした。
進藤は確かに急成長して、あの大会以来俺は進藤に勝てたことはなかった。ますます差は開いている?だけど、こんな場面なら、俺が勝ってもおかしくはない筈なのに。進藤は加賀に喚かれて、目を白黒させていたんだから。なのに、進藤は、ノータイムでしっかり急所に打ちこんでくるんだ。 俺は本当に歯ぎしりしたぜ。畜生!そう思った時、加賀の檄が聞こえた。
「筒井、粘れよ。進藤に楽をさせるな!一矢むくいてやれ!」
筒井さんは頑張っていた。それでも、最初に手が止まったのは筒井さんだった。
「これまでだ…投了だよ。」
寂しそうな声だった。筒井さんの夢の終わりか?だがそんな感傷にふけってる余裕は俺にはなかった。
「ダメだ。足りねえ…。」
結局、俺はそう呟くより仕方なかった。進藤との力の差は埋まらなかった。終わった。
そう思って隣を見ると、加賀と進藤はまだ打っていた。
「俺の六目半勝ちだな。」
加賀は満足そうにそう言ったんだ。…
三谷は自分が蹴った石を拾いあげ、そっと電柱の根元に置いた。
俺が腹を立てたのは何でだろう。俺は進藤が取り返してくれた1万円のために囲碁部に入ったに過ぎなかったんだ。だから大会に一度出たら当然もう辞めればいいわけだ。でも続けたのは…。
そうだ。楽しかったから。チームで戦う楽しさが俺を夢中にさせたから。
進藤だって楽しくない訳がない。だから俺を囲碁部に引き入れたんだろ。その楽しさを捨ててまで、やりたいことがある のか?あいつは。
三谷は思い出していた。ヒカルの院生試験を受けるという、その言葉に、もう遠い過去になってしまったあの言葉が思い出された。
折角、先生が言ってくれたのに。
「一生懸命頑張れば院生になれるかもしれない。」
「一生懸命しなきゃなれないの?」
「うん。まだまだだね。毎日すごく頑張って勉強すれば、なれるかもしれない。」
「頑張って勉強?遊びじゃなくて?それでも“かもしれない”なの? じゃあ、やだな。俺。」
俺はなんて甘えた返事をしたんだろう。あの時。
進藤の奴は自分が受かると思ってるのか?院生に。それでもって院生になったら、プロになれると思ってるのか?あの加賀には負けたじゃないか。それでも院生になるつもりか?
だが、三谷には分かっていた。
きっと、あいつはあきらめないんだな。毎日頑張って勉強したらなれるかもしれないと言われたらあいつは、やるんだな、きっと。毎日毎日毎日。
ああ、でも俺は納得してないぞ。そういえば筒井さんは進藤が院生になるのを認めたのかな。
もしかしたら一番納得できなかったのは加賀なんじゃないか。あいつは自分を納得させるために三面打ちしたんじゃないか。
ヒカルは、三面打ちの話を佐為には、しないつもりだった。佐為がどう思うかは分からなかったが、大会をすっぽかしたことは事実だし 、こんな面倒があったなんて言いたくないし。
加賀には本当に感謝しなきゃなんないな。あれが佐為のいう手順の一つなんだ。
でもあれで皆納得した?俺は強さを見せつけて出て行けた訳じゃない。加賀には負けた。三谷は囲碁部を辞めちゃったし。筒井さんの囲碁部を潰しちゃった んだ。いや、あかりは囲碁部を辞めないって言ってたな。でも俺は囲碁部のことに口出しなんかできない。俺にはもうその資格がないんだから。
もう囲碁部では打てなくなった理由を説明するために、佐為には結局三面打ちのことを話すしかなかった。
佐為は黙ってその話を聞いてくれた。
軋轢というものはどこにも存在する。ヒカルは初めてそれを自分のこととして味わったのだ。それは自分の力で解決せねばならない。人はそうして大人になるということか。
「ヒカル。その三面打ちで納得してもらえたかどうかを気に病んでも仕方ない。あとは結果を出して納得させるしか、ヒカルには道はないと思うが。」
そうなんだ。俺は前に進まなきゃなんない。もう俺には、それしか道はないんだから。
三面打ちという形で自分を送り出してくれた加賀にも、囲碁部を続けていくというあかりたちにも、報いる道はそれしかない。
ヒカルは毎晩佐為の元に向かい明け方まで打ち続けた。
院生試験の一週間前になって、ヒカルはやっと両親に囲碁の塾に行きたいんだと打ち明けた。
ただしプロ棋士養成所であることは伏せておいた。
「そこは強い子どもが行くところで試験があるんだ。」
白川先生に推薦状を書いてもらうということも話した。
父はともかく母が案外すんなり認めてくれたことにヒカルは安堵した。
やっぱ手順を守るっていうのは、大切なのかな。
ヒカルは翌日、母が用意してくれた菓子折を携えて白川の元を訪ねた。
「先生。来週、院生試験があるんですけど…。先生に推薦書を書いてもらいたいんです。」
白川はあんぐりと口を開けた。
「院生試験?進藤君が?私が推薦?」
「うん、だって俺、他にプロの先生知らないし。それにもう先生の名前書いて申し込みをしちゃったんです。 推薦書は当日持って来ればいいって言われてて。」
白川は内心でため息をついて、それから言った。
「進藤君。分かった。推薦書は書こう。でもその前に一局打ってみようか。」
確かに進藤君は、どんどん力をつけているけれど、それは中学生の部活ということで 、あくまでもアマチュアでのこと。阿古田さんに勝てたからといって、院生試験とは。子どもというのは考えが飛躍しすぎるかも。まあ、受けていけないということはないだろうけれど。そういえば、今の院生師範は誰だったかなあ。
そう思いつつ、白川はがらんとした教室の一隅でヒカルと向かい合った。
「今はどんな形でやっているのか分からないが。院生試験というのは勝負じゃないんだよ。あくまで志願者に伸びていく力があるかどうかをみるものなんだ。 プロになるための素質がありそうかどうかをね。」
ヒカルは頷いた。
白川は、ヒカルと対局しながら思わず唸った。
この前進藤君が阿古田さんと打ったのは確か10月だった。今は11月の終わり。まだ二ヵ月に満たないのに。 この間に進藤君はどんな練習を積んできたのだろうか。
進藤君はあの時すでに段の力があったが、今はさらに数段飛び越えた力を示している。
でもそれでも院生試験に通るかは分からないが、でも可能性はあるかもしれない。
白川は推薦書を書き上げた。
「進藤君。 本当に君は力をつけたね。でも試験というのはまた別物だ。たとえ、今回落ちてもガッカリしてはいけませんよ。君はまだ碁を始めて1年ほどなのだからね。これからだから。」
「 大丈夫だよ。もし落ちてもまた次に頑張るから。」
ヒカルはそう言ったが、もちろん落ちるつもりは、さらさらなかった。
俺は落ちない。あと1週間できるだけのことをする。そして院生になる。
進藤君は受かるかもしれない。彼はプロになりたいのか。院生になれても、でもその先は厳しいよ。 プロになったら、さらに厳しい。
だけれども進藤君は、もしかしたらその道を乗り越えていくかもしれないな。
何といっても、彼に手ほどきしたのは私なんですよ。私は彼の進歩に何も手を貸してきてはいないけれど…それでも進藤君は私の教え子 という訳ですね。
白川は不思議な感慨を抱いてヒカルを見送った。