風の石空の夢   作:さびる

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『野風』41~50
三面打、院生試験、アキラ新初段戦、森下先生研究会
(主な登場人物…ヒカル、佐為、導師、術師、白川、岸本、正夫、篠田、和谷、桑原、フク、帝、伊角、アキラ、座間、森下、冴木)


野風48

ヒカルは棋院の入口で深呼吸をした。

今日で1月の手合いは最後だ。何とか勝機を掴みたい。いや掴むぞ。

 

12月の始めに院生試験に受かった後、初めての院生手合いまで、ヒカルは佐為の元に通いつめ、指導を受けた。

そして満を持して臨んだ院生手合いの初日。周囲が俺のこと気にしてるのは分かった。新しい院生が入るたびに、どの程度の力の持ち主か、ライバルになりそうかと気をもむのだろう。

相手は院生2組の5位の女子。ヒカルにはそれほど強い相手とは思えなかった。

 

「おう、ちゃんと勝ってるな。」

院生試験の時声をかけてくれた和谷が、盤面を見て言った。

「でもな、1組にはまだ遠いぜ。」

俺はすぐ言い返した。

「すぐ上がるさ。1組に。」

「ふーん、強気だな。まあ、強気じゃなけりゃやっていけないけどな。待ってるぜ。お前が上がってくるのを。」

 

手合いは毎週日曜と第2土曜。初めは順調にいくと思ったのに、なぜか3週目辺りで躓いた。

相手は今まで打った奴らと大して変わりはない筈なのに。自分より強いとは思えないのに。

もちろん弱いとは思わないさ。でもどっこいだったら、俺勝ってもいいんじゃないか。佐為とあんなに打ってきたのだから、俺は勝って当然じゃないか。 なのに6連敗。

 

「俺。力が付いてきてると思うのに…。なのに何で勝てないんだろう。」

佐為はその時一言だけ言った。

「ヒカルがその理由を自分で見つけることが連敗を抜ける道です。」

理由?俺が負ける理由?やっぱ、理由があるのか?

そこで俺は負けた対局を検討した。でも、ここでこうすれば良かったのに。そんなことしか浮かんでこなかった。 佐為には分かってるんだろうか?教えてくれてもいのに…。

 

これじゃ白川先生のとこへ報告に行けないじゃないか。

院生試験に合格したことを報告した時、白川はヒカルに言った。

「これからですね。院生はみんな多分進藤君より場数を踏んでますからね。簡単にはいきませんよ。」

「俺絶対すぐに1組になってみせる、見せます。」

「はは。楽しみにしてますよ。1組になったら報告に来てください。お祝いをあげますよ。」

 

そうだ。白川先生が言っていった場数が足りないってやつか?いや、そんなことはないさ。佐為とは毎日、いやっていうほど打っているじゃないか。 何局何十局と打ち続けて来たぞ。

もしかして負け癖がついちゃったのかな。

今日は何としてもきっかけをつかまねば。流れを変えなければ。

 

「…新初段戦に…」

ヒカルが手合いのある大部屋に入った時、そんな言葉が耳に飛び込んだ。

「新初段戦?」

ヒカルはその言葉を思わず繰り返した。

そばにいた和谷が振り返った。

「ああ、今日は塔矢アキラの番さ。午後から。」

「相手は?」

「座間王座だよ。玄関に張り紙出てただろ。」

 

ヒカルは対局を見たいと思った。

「見たいのか?見れないことはないぜ。モニタールームで観戦できるぜ。」

「モニタールーム?」

「ああ。こっちだ。」

ヒカルは教えてもらった部屋を覗いた。少し大きめのテレビとテーブルとイスがあった。

「全部は見れないけどさ。院生対局が終わってからここに来ても後半ぐらいは見れるぜ。」

 

院生対局の間、ヒカルは落ち着かなかった。

俺は塔矢アキラの碁を知らない。どんな碁を打つんだろう。もちろんネットで佐為と打ったのは知ってるけど。 すごかったよな。あれも。なのに何でおれは追いつくからなんて言ったんだろう。あいつに。 良いつもりで思わず言っちゃったんだ。でもあいつ思いっきりプライド傷ついたって顔してたな。

 

ヒカルは午前中の手合いはまた負けた。

午後は、また駄目だったと思ったが、相手がミスして、勝ちを拾った。だが内容は悪い。

まあ、それでも勝ちは勝ちだ。検討もそこそこに、ヒカルは急いで、モニタールームへ向かった。

 

入口でヒカルは和谷に出会った。

「6連敗もやっぱり見るのか?」

「違う。6連敗じゃない。」

「勝ったのか?」

「いや、8連敗だ。」

そう言い捨てると、ヒカルはさっさと部屋の中に入った。

和谷が聞いてきた。

「お前、塔矢アキラ知ってるのか。関心あるのか?」

黙っているヒカルに代わって、既にモニタールームにいた伊角が言った。

「打ったことがなくても、名前ぐらいみんな知ってるだろうぜ。注目の的だもの。関心もあるさ。」

 

ヒカルは何も答えなかった。

先週、本当に偶然、駅前で塔矢アキラに出会ったのだ。

俺は6連敗の後で、落ち込んでて。でもあいつの顔を見た時に急に思ったんだ。あいつにも佐為と打たせてやりたいって。何で急にそんなこと思ったのか、分からないけど。

俺は急いで、塔矢に声をかけた。

あいつは怪訝そうに俺の顔を見た。もしかして俺のこと忘れてたんじゃないかって思ったぜ。 あいつは碁が弱いやつのことは忘れるから。

「あのさ、この前は本当にごめん。佐為のこと、知らない訳じゃないんだ。佐為にも都合があるから、いつでもってわけにはいかないだろうけど、 話してみるよ。」

そう言った時、塔矢ものすごく冷たい返事をした。

「別に、もういいんだ。僕も忙しいんだ。だからもういいよ。saiのことは。君の言うように、またここに来たら打てるだろうし。君の手を煩わすこともないよ。」

取りつくしまがなかった。

俺は塔矢の背中に向かって思わず言っていった。

「いつか。俺、お前に追いつくから。きっと追いつく。」

塔矢は立ち止まり、ぱっと振り返った。

「君が僕に追いつくって?」

塔矢は思いっきりばかにした声で言った。プライドを傷つけられたことが分かった。

 

部屋の中では、数人が観戦している。

「王座が戦いを避けたね。」

「座間先生は余裕で戦いを避けたのでは?」

「違うだろ。この新初段相手に危ない橋は渡れないと思ったんだ。塔矢アキラの力にうろたえているところさ。」

ヒカルはそんな話声を聞きながら、モニターを見つめた。

 

その時話していた男が振り返った。

「和谷君に伊角君か。そっちは?」

「今月入った院生です。」

和谷が答えた。ヒカルはぺこりとした。相手は頷いた。

「週刊碁の編集の人だ。」和谷が小さな声で教えてくれた。

 

伊角が和谷とヒカルに言った。

「初手から並べてやるよ。黒が塔矢で白が王座。ハンデがあるぜ。先番の上、黒が5目半コミをもらうんだぜ。」

「ハンデがあるの?」

「トッププロと新初段だぜ。いい勝負にするためにはハンデがいるだろ。本当はこのくらいじゃ新初段には厳しいけど、トッププロの方はさほど真剣に打つわけじゃないから何とか勝負になるんだよ。」

「だったら塔矢なら楽勝とか?」

「それが今日の王座は真剣だ。」

「本当だ。黒のホウリ込みに白は切らずに取りだ。」

「王座が慎重なんだ。新初段相手に。」

伊角は言った。

「甘く見たらやられる。丁寧に打ち相手の隙をじっと待ち、最後には必ず勝ちを自分のものにする。そういうつもりで打っているよ。座間先生は。」

「それなのに塔矢はここを守らなかった?面白いけど、でもここを白に攻められたら?」

 

「さあ、そこに王座が打ちこんできたぞ。黒の守りのウスイところに白が打ちこんでくるのは黒とて百も承知。どう戦う、塔矢アキラ。どう戦う座間王座。」

 

ヒカルはしびれたように画面を見つめた。

守っていれば勝てるのに、なおも攻める。塔矢、お前って本当にすごい。

 

アキラは、真っ直ぐ前を向いて碁を打っていた。

何故かわからないけど、座間先生は僕を気に要らないみたいだ。 僕に思いっきり力を籠めて打ってくる。望むところだ。新初段だからという理由で適当な碁など打たれたくはない。

座間先生が僕のことをどう思おうと、僕は僕の碁を打つだけだ。

 

僕は決めたんだ。僕が見据えるのは僕の前にいる500名のプロ棋士だけ。それが僕の相手だ。

他の誰ももう何も関係ない。僕はただ前を目指して進む。守ることなどしない。

 

「あ。 黒。 ―無理だ。…切り取られる。深入りし過ぎだ。アキラ君。王座の応手を読み切れてない!」

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