ヒカル…秀策について知る。若獅子戦でアキラと対戦。プロ試験へ。
(主な登場人物…佐為、ヒカル、和谷、伊角、フク、平八、平八妻、筒井、本田、村上、アキラ、導師、門脇、桑原、道玄坂碁会所マスター、河合、市川、緒方、岸本、尹先生、洪秀英のおじさん)
3週間後若獅子戦は塔矢アキラの優勝で幕を閉じた。
そのころには、もう院生1組の関心はプロ試験に向かっていた。
7月にはプロ試験の予選が始まるのだ。
「今年は外来はどうかな。」
「去年は院生の合格一人だったもんな。」
「外来も強いのが来るからな。去年は塔矢アキラと辻岡さん。」
「今年はどうかなあ。」
和谷が思い出したように言った。
「そういや。門脇って知ってるか。」
「何年か前、学生名人、学生本因坊、学生十傑の三冠取ったっていう門脇か?」
「伊角さん、よく知ってるね。ネットに出てたんだ。今度プロ試験受けるらしいって。」
「要注意人物か。予選もきつくなるな。」
傍にいた院生が言った。
「まっ、俺は今年は予選パスだから、とりあえずはいいけどな。」
和谷のその言葉に、ヒカルは言った。
「えっ、和谷は予選受けなくていいの?」
「ああ、院生7位までは、そのまま本戦に出でれるんだ。」
「俺、今度6位になったよ。」
ヒカルが言うと、和谷は残念だなと言う顔で言った。
「3か月の平均が7位以内ってこと。ま、今のお前だったら、大丈夫だろ。」
何だよ。人事だな。今強いのが来るって言ったの、和谷じゃないか。
ヒカルはぶつぶつっと言った。
6月の院生対局も明日で終わりだ。
夏休みが始まる頃には予選が始まるのか。
部屋でカレンダーをみていたヒカルの前に、ぽんと佐為が現れた。
「しばらく使わないできましたからね。石の具合を試してみました。」
ヒカルは佐為の耳の石を見た。きれいな赤色だった。
「大丈夫みたいだね。」
「これで、また時々はこちらへ来ても大丈夫そうですね。
ヒカルが言っていた私の棋譜が本になっているというのを見たいとずっと思ってたんですよ。」
佐為は机の上を見やり、目ざとくその本を見つけ、手に取った。
「これですね。」
「私のって。佐為のじゃなくて秀策のだろ。」
ヒカルは訂正した。佐為は答えた。
「秀策は私なんですから、私ので正しいのですよ。」
「ヒカル。最近はこれを並べているのですか。」
「うん。筒井さんが解説が少ないって言ってたけど、俺は何となく分かるんだ。石の意味が。佐
為といつも打ってるからかな。昨日並べていたのはこれ。」
佐為は懐かしそうにヒカルが指差した棋譜に見入った。
それからすぐに石を並べながら解説してくれた。
「ここのところが工夫のしどころなんですよ。アツミに石を追いやったのです。
そうすればここは意味を持たなくなる。」
佐為は、さらに別のところを示した。
「ここは今だったら、こうは打たないですね。コミのことを考えたら。」
ヒカルは自信満々で石を置いた。
「じゃあ、こう打てば?」
昨日からずっと考えていた手だった。
「なるほど。こちらをにらんだ手ですね。それでは、次にこう置かれたらどうします。」
しばらく、ヒカルと佐為は秀策時代の佐為の碁をあれやこれや検討した。
一段落した時、佐為が言った。
「全集とはどのようなものなのか。一度見てみたいですね。」
「立派な本だよ。これよりももっと大きくて。棋院の売店に行けば見れる。
俺は明日は院生対局があるから、一緒に棋院に行く?」
佐為はちょっと考えた。
「一緒に行かなくても棋院の場所は分かってますからね。
明日また来て、ヒカルの対局が終わる頃、売店に寄ってみますよ。」
翌日、佐為は、昼ごろヒカルの部屋に着いた。
時の旅、行きたい時間に合わせられるようになったのだろうか?
それともまだ偶然に頼っていることが多いのか。
だが、ヒカルほどにはうまくはいかなくとも、それほどは外さないようになってきている気がする。
そう思いながら、佐為は心弾む思いで、着替えを済ませ、棋院に向かった。
「ヒカルは今頃あの部屋で対局しているのか。
今日は幽玄の間は覗けるのかな。何も対局はないと言っていたが。
棋院へ行くのはとにかく楽しみなことだ。」
秀策全集というものを見ることができるのだ。
虎次郎との時の旅のしるしが今に残されて、大切にされている。
それをこの目で確かめられるとは何という幸運だろう。
佐為は、棋院の書籍コーナーで、試すがめつ全集を手に取り眺めた。
私の時の旅はこんな形になって、後の世に伝えられている。
虎次郎との出会いには、大いなる意味があったのだ。
時の旅はやはり天意なのだ。
「それをお買いになるつもりですか?」
佐為は物思いにふけっていたので、急に声をかけられて驚いた。
「いえ。眺めていただけです。」
佐為は残念そうに全集を元の場所へ戻した。
「秀策がお好きなのですか。」
佐為は言葉に詰まった。
好き?もちろん私は私の碁が好きだが。
だが、この問には何と答えたら良いものか。
「ええ、有名ですから。どんなものかなと思って。」
やっとそういう言葉を返した。
話しかけた男は言った。
「そうですか。私もそう思って、実は買いもとめたのですよ。
でも素人には無理でした。少しばかり碁をかじり始めた身にはね。
あなたは相当やっていらっしゃるのですか。」
「あっ、いや、どうでしょうか。
私が今碁の勉強をするのなら、そうですね。
現代の碁をやろうと思います。」
相手の男は頷いた。
「ここの2階に一般用の対局場があるのですけど、どうです。
秀策のよしみで一局いかがですか?」
「喜んで。」
碁会所に向かいながら佐為は思った。
この男はどれほどの腕前なのだろう。
話を聞くとあまり強そうではないが。
でも碁好きだ。碁を打とうと声をかけてくるくらいだから。
「あなたは普段どこで碁を打たれるのです?」
「いやあ、近所の碁会所ですが、ちっとも上達しませんでね。」
対局場は、結構込んでいたが、場所を見つけ、佐為と男は向かい合って座った。
打ち合ってみると、その男は確かに未熟な腕だった。
はあ、棋院で出会ったといってもこんなものなのですかねえ。
佐為は心の中でそっとため息をついた。
そんなこととは露知らず、相手の男は言った。
「あなたは本当にお強いですね。プロに習われているのですか。」
私がプロに習う?
佐為は返事のし様がなかった。
が急に思い出して言った。
「普段は仲間内で。ネット碁とかもやりますよ。ネットには強い人も結構いますよ。」
「ネット碁ですか。私も始めてみようかな。
実はこれを貰ったのですが、さっぱり分からなくて。
ネット碁をおやりなら、あなた向きかも。
中国の本で、中韓の強豪の棋譜が出てるものだそうです。
差し上げますよ。」
「そんな大切なものを。」
「いえ、私はまったく分からなくて。それに全然、高いものじゃないんですよ。
私は解説が読めないもので。
そうそう日本の棋士のもあるんですよ。
名前だけは調べて、書き込んであるんです。」
佐為は、対局者の中に塔矢行洋の文字を目にし、思わずその本を受け取った。
その本を渡すと男は、私はそろそろ失礼しますからと出て行った。