風の石空の夢   作:さびる

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『千早』51~60
ヒカル…秀策について知る。若獅子戦でアキラと対戦。プロ試験へ。
(主な登場人物…佐為、ヒカル、和谷、伊角、フク、平八、平八妻、筒井、本田、村上、アキラ、導師、門脇、桑原、道玄坂碁会所マスター、河合、市川、緒方、岸本、尹先生、洪秀英のおじさん)


千早55

神の一手に近いというあの者の棋譜が。

彼はどんな碁を打つのか。

佐為は座ったまま、貰った本を開いた。

そっけない薄いパンフレットのような棋譜集は佐為にも読めなかった。

 

中国の本ということは中国の言葉で書かれているのか?

私も勉強してきた筈なのに、見慣れぬ文字だ。読めぬ。

しかし棋譜はすばらしいものだ。面白い。

もともと時間が余ったら、ヒカルとは2階で待ち合わす約束だったのだから。

この棋譜でも少し並べて、時間を潰すか。

 

ああ、でも折角碁盤と碁石があるのだ。誰かと打ちたいが。

今じゃ私はヒカルと打つのが一番手応えを感じるものとなっている。

それはそれで嬉しいが、たまには他の力量のある者とも打ちたいものですよ。

今の人はともかく、何といっても棋院だ。

もう少しは手応えのある碁が打てるかもしれない。

 

佐為は周りをぐるりと見回した。

その時ちょうど入ってきた若い男とぱっと目が合った。

男は、そのまま、まっすぐ佐為の傍にやってきた。

「相手が居ないのなら、私と一局打ちませんか。」

「はい、喜んで。」 

二人は向かい合って座った。

男は言った。

「本当は院生とでも打てればと思ったんだが。

まあ、取り合えず、肩慣らしをしたくてね。」

佐為は男の顔をしげしげと眺めた。

この男、私を見くびっている?

院生と打ちたい?私と肩慣らし?

何気に相当に自信がありそうだ。

 

「あなたは院生だったことがおありなのですか?」

「いや。ただ、院生はプロを目指してるんだろ。

そこそこ強いだろうからな。手応えがあるかなと思って。」

そうか。この男も手応えを欲しがっているのか。

どのような腕前なのか楽しみだ。

わくわくした思いで佐為は石を握った。

「あなたが黒ですよ。」

 

いざ打ち始めてみると男は確かに強かった。

院生といえば、ネットで打ったzeldaより、この男の方がずっと手応えがある。

今のヒカルなら?いや、今のヒカルでもこの男に勝てるか怪しいものだ。

この男はかなり打ち込んできている。

 

佐為は楽しげに微笑を浮かべた。

いや、本当に楽しい。さすが棋院の碁会所だ。

私は幸運ですよ。こんな相手に出会えるとは。

私の敵ではないが、この手応えがたまらない。

少しいろいろ遊んでみるか。

肩慣らしといっていたが、もう少し磨けばこの男、なかなかのものになる。

ヒカルといい勝負ができるかもしれない。

 

自信満々な様子で軽く打ち始めた男は愕然としていた。

こいつ?なんだ?

俺は自分の腕を知っている。

そこいらの下っ端のプロより腕はずっと上だと思っていたが。

まさか?こいつプロじゃないだろうな。

俺を振り回してないか?

遥か上から俺を見下ろしているようだ。

 

間もなく決着はついた。

ふふふ。楽しかった。

まあそこそこ適当に勝っておきましたけれどね。

久々に面白い碁が打てましたよ。

佐為はにっこりした。

相手の男はそんな佐為を上目遣いに見た。

「あんた、プロじゃないだろうな。」

「いえ、違いますよ。それにしてもあなたはなかなかの腕前…」

 

相手の腕をほめようと、口を開きかけた時、佐為はドアの向こうにヒカルの姿を認めた。

「あ、もう行かなくては。」

佐為は席を立ちかけて、思い出した。

「忘れるところでした。」

佐為はさきほど貰った本を椅子から取り上げて、若い男に会釈をすると、急いでヒカルの元へ向かった。

 

若い男はその本をちらと眺めた。

中国語か?もしかしてあいつ、中国のアマとか?

まさか今度のプロ試験を受けようっていうんじゃないだろうな。

みたところ年齢的には可能そうだ。だとしたら…。

男はじっと考え込んだ。

 

「ヒカル。」

佐為は対局場のドアを押しながら声をかけた。

「あっ。佐為。ここにいたんだ。ちょっと待って。

今度の研究会のことで連絡することがあるんだ。

すぐ行くから。玄関に居てよ。」

 

佐為が玄関前に佇んで、ヒカルを待っていると、老人が声をかけてきた。

「あんたは、先ほどの子の知り合いかな。」

佐為は老人を見た。見知らぬ人だった。

もっとも佐為がこの時代で知っている人は多くはないが。

 

知らないけれど、でも私は、この人のことを知っているような気もする。

なぜだろう。

佐為は思った。

「知り合い?そうですね。」

この人はヒカルと関係があるのか?

もしそうだったら、どういったら良いのだろう。

佐為は何と言っていいか分からず、曖昧に答えた。

 

老人は構わず続けた。

「あんたは相当の腕前だが、プロにはならなかったのかな。」

「私の腕前をご存知ですか?」

まさか、私のことを知っている?

この老人は。年は分からないが、いくらなんでも秀策の時代の人間ではないだろう。

「さっき、碁会所で打っておったのをちょっとばかり見させてもらったよ。」

佐為はほっとしたような気持ちで答えた。

「それは、全く気がつきませんでした。」

 

「あの男には随分と加減しておったな。

ところであの子に碁を教えているのか。

あの子は院生じゃろ。見どころはあるかな?」

「私は見どころがあると思っております。」

「あんたはあの子を教えている。

そのあんたがいうのだから間違いはないだろうな。」

 

私の答えはヒカルにどう影響するだろうか。

しかし、この老人には嘘は通用しない。

なぜか分からないが、碁は打っていないが、私は今この老人と対局している気分だ。

この老人がそういう態度なのだ。

この人は誰なのだろう。

 

「ええ、いずれ頭角を現すと信じています。

ですから彼に私の全てを注ぎ込みたいと思っているのです。」

佐為はきっぱりと言った。

老人は、ほうという顔で佐為を見つめた。

「そうか。わしの勘もまだ衰えてないな。」

「勘?」

「前にあんたたち二人を見かけた。

その時に感じたのだよ。何ともいえないものだ。

わしの第六感に響いたとでもいうかな。

あの子はあんたの期待を裏切らん。

ということはわしの勘も裏切らんということだ。」

 

老人はそのまま行きかけて振り返り言った。

「あんたの力は先ほどみた。あんたの力のほんの少々をな。

あの子はともかく、あんたは、一番の謎じゃな。」

佐為が何か言いかけようとすると、老人は言い添えた。

「わしはもう先が長くないのでな。お前さんという謎を解こうとは思わんよ。」

そう言って老人はすたすたと立ち去った。

 

エレベータの前で老人は立ち止まり、佐為とヒカルが棋院を出て行くのをじっと見送った。

「売店であの男を見かけてからずっと後を付けた甲斐があったな。

今日は面白いものを見れた。運が良かったというべきか。

わしはあの男と行き会う運命にあるのかも知れんが。

だとしても、わしはあの男と打つのは御免じゃよ。

謎は解かんでも良い。

もちろんあの男にわしが負けるとは思わんが、さりとて勝てるとも思わん。

わしの残り時間は少ない。

その力のすべてを、自分の力をすべてを、わしは若いもんに向けたいのだ。

あ奴は今最も興味深い男だが。

だが、既に完成している者に向ける時間はわしには残されていない。

未知の力をわしは待っているのだから。

わしが待っているのはこれから伸びる力だ。

わしが本因坊で居る間にあの子は出てくるかな。楽しみなことだ。」

そう呟くと現本因坊はエレベーターに消えた。

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