佐為とヒカルが出会い、中学囲碁大会に出るまで
(主な登場人物…佐為・ヒカル・導師・あかり・白川先生・塔矢アキラ・磯部秀樹・筒井・加賀)
佐為はそれを受け取ると、じっと眺めた。確かに対の石だ。
「私は石を耳につけている。」
そう言うと文箱の蓋を開け、中から縒った丈夫な絹糸を取り出した。それを石にあけてある小さな穴に通し輪にして、ヒカルに 渡した。
「そなたは耳につける訳にも行くまいから。これを首からぶら下げるが良い。」
ヒカルはもらった石を嬉しそうに首にぶら下げた。
「佐為とお揃いなんだね。」
それから少し得意そうに言った。
「お母さんも友だちもこれが見えないんだぜ。この石は俺にしか見えないし、さわれないんだ。」
佐為はそれを聞いて、ヒカルとは縁があるという導師の言葉を改めて思い出していた。
「ヒカルも、虎次郎と同じく、私と何か繋がりがあるのかも知れぬな。だから、そなたには、この石が見えるのだ。この御世のものが見え 、時の旅ができる。きっとそうなのだ。」
ヒカルは、佐為に親しみを感じてきた。
案外いいい奴なんだ。佐為って。きっと昔の人間だから、今の奴とちょっと違うだけでさ。
佐為とこの不思議な石で繋がっていることが、その気持を強いものにしていた。
「ところで、ヒカル。黒船を知っているか?虎次郎が江戸に暮らしていた頃、異国よりやってきた船だ。」
「黒船?うん。」
「それは江戸のいつ頃か?」
「いつ頃って、江戸の終わりだよ。」
「すると、その後、そなたの住む東京が始まったのか?」
「始まった?そういうことになるのかな?明治時代になったんだ。俺は平成生まれさ。」
佐為は分からぬというように頭を振った。
「幕府は今どこにあるのか?」
「幕府ぅ?」
何言っているんだ。こいつ。江戸幕府って言うんだよな。ところで幕府ってなんだっけ。
「幕府とは国を治めるところだ。この京の都には帝がおられて、国を治めている。」
「ああ、そうか。幕府って言わないんだ。今は。それって、東京にあるよ。それと帝って天皇のことだよね。東京に 住んでるよ。」
「そうなのか。それでは、京はどうなっているのであろう?」
「どうもなってないよ。あるよ。」
「京の御所はどうなっているのであろう。」
そういえば、祖母ちゃんが行ったって言ってたな。そこに。
「俺の祖母ちゃんが、この前そこに行ったよ。花がきれいだから見に行ったらしい。」
「そうか。様変わりしているのであろうな。」
「よく分からないけど、この時代とは違うんじゃないの。」
「ヒカルは京へ行ったことはあるのか?」
「ない。」
修学旅行の行き先が変わって、ヒカルはまだ京都へ行ったことがなかった。
「そうか。虎次郎は京へ行ったことがあって、その時の京はもう、この平安の御世とはひどく隔たった場所に思えたものだ。ヒカルの時代ではさぞ、 変わっているのであろうな。」
「多分ね。でも昔の建物は残ってるのもあるんだよ。」
ジャージの衣服を見ながら、佐為は言った。
「碁は変わりないのであろうな。」
「そんなの分かるかよ。俺に。碁、知らないんだから。」
佐為はため息をついた。
そうであった。この子は碁を知らぬ子であったな。
ヒカルはその佐為のため息が腹立たしかった。
こいつのため息はなぜか頭にくるんだよな。でも碁って変わるものなのか?
「虎次郎は、この時代と同じ風に碁を打ってたの?」
「いや。少々異なっていた。決まりが少々。だが碁に変わりはない。碁盤の目も同じ広さであった。」
それからその時を思い出し、いとおしむように続けた。
「虎次郎の時代には実に様々な者が碁を打っていた。この平安の御世とは何よりもそれが違った。皆、碁に心血を注いでいた。何よりも私の心を熱くする碁打が大勢いた。」
佐為はそう言うと、その頃に思いを馳せるように、遠くを見つめた。
ヒカルはその佐為の顔を見つめながら、佐為にとって碁がどんなに大切なものなのかをおぼろ気に感じ取っていた。
佐為は色々ヒカルから聞きたかった。しかし、碁については、聞いても無駄なのだ。ため息を押し殺し、佐為はヒカルに聞いた。
「そなたは普段何をして暮らしているのか?」
「俺?俺、小学生だよ。えーと、学校に通っているんだ。来年からは中学校へ行くんだ。」
「ほう、学校というのは学び舎だな。」
学び舎というのは昔の言い方だろうとヒカルは思った。
「佐為は何をしてるの?」
「私か。私は碁を教えている。」
へえ。そんな仕事があるのか。今と同じじゃん。
ヒカルは囲碁教室の講師のことを思い出していた。
「ヒカルは学問をしているのなら、訊ねたいが。私は虎次郎の時代にお城碁を打ってきたが。
あれは、将軍の元で、打つものであった。もし、幕府が無くなったのなら、どうなったのであろう?名人碁所はどうなったのであろう?」
ヒカルは困った。佐為が知りたいのは分かるが、何なんだ。オシロ碁?名人碁どころ?
「あのね。そんなの、小学校で教えるかよ。俺、聞いたことないよ。オシロ碁に名人碁どころなんて。」
そう言ったが、急いで佐為がガッカリしないように付け加えた。
「でも今も碁を教えるのを仕事にしている人はいるよ。」
佐為はいつのまにか、碁の話をしている自分に苦笑した。
「すまぬな。そなたの通う学校では、どのようなことを習うのか?碁はやっていないのだな。」
「うん。やってないよ。授業は退屈さ。算数はまあいいけど、国語とか社会は好きじゃないんだ。一番好きなのは体育だ。」
「たいいくとは?」
「運動をするんだよ。」
佐為は少し顔をしかめた。
「私は、体を動かすのはあまり好かぬ。」
ヒカルは佐為を見た。
結構引き締まった体つきに見えるけどな。
その時、足音が聞こえた。導師が戻ってきたのだ。部屋に入りながら、導師は満足そうに言った。
「二人とも、仲良うやっておるな。」
そう言うと、布包みを差し出した。
「ヒカル殿の髪型だがな。これをかぶるとよいだろう。」
包みを開くと、みずらに結った髪の毛が出てきた。
「へえ。カツラだね。これ。」
ヒカルは面白がって、それをかぶってみせた。
「ほう、なかなかに立派じゃ。これで、外を歩いても一応一安心じゃな。それほど出歩くことはなかろうが、用心にこしたことはない。」
ヒカルは鏡を見たかったが、ないので残念に思った。外を見ると、少し日が傾いていた。
3時か4時くらいかな?
そう思っていると佐為も外を眺めて言った。
「もう、夕餉の時刻ですね。」
間もなく、三人の元に、膳が運ばれてきた。干物と野菜の汁物と飯という質素なものだった。
食事が済むと、導師は言った。
「ヒカル殿はすぐ戻られるか?」
「この前戻った時、ずいぶん時間が経ってると思ったのに、10分しか経ってなかったよ。」
「10分とはどのくらいか?」
「えーと…ゆっくり六百数えるくらいだよ。」
佐為が頷くように言った。
「ヒカルが明日までここに居たとしても、その10分より出ることは、まずあるまい。虎次郎の時もそうであったが、時の旅とはそういうものなのだ。こちらの時とヒカルがいた場所ではともに時の減り方が同じではないのだ。 そしてその時間は、常に同じという訳ではなく石を持つ者の力加減で微妙に変化するようだ。」
そうなのか。何か良くわからないが、その程度だったら構わないよな。
「俺、もう少しここに居たいな。」
ヒカルがそう言うと、導師は楽しそうに言った。
「わし達はまた碁を打つが、ヒカル殿はそれをゆっくり見れるわけだ。」
「うん。」
ヒカルは目を輝かした。
ヒカルは碁が好きでないというのにと、その様子を見て佐為はちょっと不思議に思ったが、何も言わなかった。