風の石空の夢   作:さびる

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『円居』 71~80
ヒカル新初段戦からプロ対局、塔矢行洋引退
(主な登場人物…ヒカル、佐為、緒方、桑原、和谷、越智、アキラ、行洋、天野、導師、美夢、紅、美津子、明子、倉田)


円居74

佐為は床に臥せっていた。

「分かっていないことはあるが、はっきり分かっていることがある。 」

佐為は呟いた。

私は戻ってこれた。だが、私の石はもう…。

あの時、塔矢アキラには、きちんと説明できなかったが、彼は分かってくれただろうか。

多分、ヒカルのところへ服を持って行ってくれただろうから、ヒカルが訳を話すだろう。

 

 

佐為が臥せっているという事を聞いて、心配した導師が駆けつけてきた。

「佐為、一体どうしたことか。」

「導師。申し訳ございませぬ。私は導師に黙っていたことがございます。」

佐為は導師に、ヒカルの時代へ行ったことを話した。

 

「何?佐為。そなた時の旅に出かけたのか。この体で。」

「いえ、出かけた時は、体は元気でした。戻ってからこうなったのです。

私は石がこうなりかけた今、分かることがあるのです。時の旅について。

石は私の体とともに旅をする。石と私、二つの力が合わさって、旅はなる。

導師が以前言われたことが正しかったのです。

私の体は、別に何ともないのです。ただ石の力が弱まってきただけです。

もし石の力を維持したければ、私の体がその力を分けなければならないのです。

せめてもう一度だけ、ヒカルに会いたい。だから私は今こうして石に力を分け与えているのです。」

 

導師は痛ましそうに佐為を見た。

「それが分かっていて何故旅をしたのだ?ヒカル殿に会いたければ、来るのを待てば良いだけではなかったのか?」

「すみませぬ。自分の望む碁が打てないのなら私には生きる意味がないのです。ですから、私は旅をするほかに生きる道が見つからなかったのです。」

 

そう言ってから、佐為は導師に黙っていた旅の話を始めた。

ヒカルの成長に矢も立てもたまらず、時の旅に出かけたこと。

そこで塔矢行洋と運命的な出会いをしたこと。

対局の約束をしてから、自分を鍛え、三度対決をしたこと。

「その三度目は私の負けでした。その者とは雪辱を果たす対局を約束をしたのです。」

 

「佐為。その体で本当にいく積もりか?」

佐為は寂しげに首を振った。

「いいえ。私には分かっていることがあります。三戦目を終えた時、力尽きて、あの者の家で倒れてしまったのです。そのときに感じました。分かったのです。

私が旅しようとしまいと、この石の寿命は尽きるということが。この石は、あとふた月、いいえ、ひと月も持たぬと。

だから私は決心したのです。残されたわずかな期間に出来ることをしたいと。」

佐為はそこでまで話すと一息つき、また続けた。

「ヒカルに私の伝えうる出来るだけのことを伝えると。ヒカルに私の全てを託そうと決めました。」

 

「そうか、それであの鬼のような指導をしておったのか。」

「はい。厳しい試練をヒカルはよく耐えたと思います。でももしかしたら。」

「もしかしたら?」

「ヒカルはあれを厳しいとも試練とも思わず、楽しみとして頑張っていたような気もしました。」

「何?」

「それにヒカルはあの者とみんなの前で対局することになっていたのです。もちろん力の差を考慮して、ヒカルに有利な条件で用意された対局ですが。

でもあの者がヒカルを指名したのですよ。私への挑戦状でもありました。」

 

佐為は思い出すように、遠くを見つめた。

「私自身はもうあの者と戦う時間は残されていないとすれば、ヒカルには堂々とした対局をしてもらいたかった。

私には分かっていました。石が力を失えば私は自動的に平安のこの地に戻ることを。石を使ったこの場所にです。

だから賭けました。ヒカルの晴れ姿を見たかったのですよ。心残りはございません。

ヒカルはすばらしい態度で対局をしてくれました。あの特別の部屋で。私が授けた思いを全て受け止めた良い碁でした。そしてあの者をもきちんと満足させる碁でもありました。」

佐為は思い出すように言った。

導師は口を挟まなかった。

しばし静寂が部屋を包んだ。

 

がすぐにそれは途切れた。

部屋がぱっと明るくなり、ヒカルが現れたのだ。

「やっと石が使えたよ。来れたんだ。佐為のところに。」

ヒカルは佐為が床に臥せっているのを見つけ、眉根を寄せた。やっぱり、悪いことが…。

 

「佐為。病気だったの?」

佐為はそれには答えずに、言った。

「ヒカル。あなたにはもう会えないと思っていた。 でも一目もう一度会いたいと念じていた。願いが通じたようだ。」

ヒカルと佐為はじっと見つめあった。

 

導師が言った。

「佐為には無理でも、ヒカル殿は今までどおり、時の旅が出来るのか?」

佐為は首を横に振った。

「多分、ヒカルの石の方が磨耗が少ないのでしょうが。

でも二つの石が合わさった力の全てが時の旅を左右するのです。一つの石では無理です。」

 

ヒカルは部屋の隅で手早く水干に着替えながら、佐為の話に耳をすませた。

 

「ヒカル殿は知らぬのじゃな。先ほどの話を。」

導師は非常に厳しい顔をしていた。

ヒカルにとも佐為にともなく、導師は言った。

「私は先ほど、初めて佐為に話を聞いた。もう時の旅は終わりにせねばならない。今の佐為の言葉を聞けば、それは佐為だけではない。佐為とヒカル殿、二人共にだ。

佐為よ。もう目的は達したのではあるまいか。 

佐為は念願の相手に会えて数回対局をしたそうではないか。それにヒカル殿は無事囲碁の棋士になられた。

これ以上危ないことはしてはならぬ。

私は佐為が石の力を伸ばすために試したことを聞いて、ヒヤッとしたことだ。」

それからヒカルに言った。

「ヒカル殿。すまぬがそなたの石を見せてはくれまいか。」

佐為の石同様、ヒカルの石も光がかなり鈍くなってきているように思えた。

 

ヒカルは導師から、石のからくりを聞いた。

「じゃあ、あの夏に佐為が体調を崩したのは、やっぱ時の旅と関係があったんだ。」

 

石が力を維持し続ければ、同化している佐為の体力を奪うことになる。

それでも何もしなければ、まず石が力を失い、佐為は平安に戻っていくのだ。

それで佐為の体が突然に消えるのか。

消える感じが佐為には分かっているのだ。だから消えないよう石の力を自分の体力で、少しづつ補ってきた。

対局でも体力を使ったから、塔矢先生のところで倒れちゃったんだ。

 

「石の力を維持するには二つの石を持っていればいいと、私はそう思いました。それで、ヒカルと数回試してみました。

ヒカルには悪かったが、あの者との四度目の対局のためと称して。出来れば私も勿論そうしたいが、時間がない。」

ヒカルは佐為の顔を見た。

佐為は何を言おうとしているんだ?俺の予感は的中か?

 

「もしかして、佐為はもう俺の時代へ来ることができないのか。俺の石を使っても?」

佐為は寂しげに、だがあっさりと認めた。

「ええ、あの時はまだ大丈夫でした。ヒカルの石と私の石、二つの力が時の旅を支える。だから、私はヒカルの石を持って、塔矢邸に出向き、打った。

また新初段戦の折も、二つの石を持って棋院へ行った。

二つの石の力と、私の体力とその三つの力を合わせて旅を実現させた。石の力は確実に弱まっている。ますます。」

佐為は続けた。

「それでも石の力が弱まれば、自然と私は平安に戻れますし、ヒカルは自分の時代へ帰れます。石の最後の力です。それは。」

 

導師は首を横に振った。

「いや、考えが甘い。それはまだ石が力を持っているからだ。もし、石がただの石に戻ったらどうなるというのか。佐為の時はまだ 、うまくいったが、ヒカル殿はここから自分の世界に戻ることが出来るといえるのか。いや、分からぬ。無事では済まぬかもしれぬ。

ヒカル殿。すぐに戻られよ。私はそなたが好きだ。会えれば嬉しい。だが、危険をこれ以上冒させるわけにはいかぬ。もう二度と会えぬとは寂しいことだが 、それがヒカル殿のためだ。

さあ、すぐに衣服を着替えるのじゃ。そして戻るのじゃ。自分の時代へ。」

ヒカルはそれほど急ぐ必要はないと思ったが、導師の厳しい口調に、服を着替えることにした。

 

ヒカルは残念に思った。自分の石がまだ力を保っていると感じられたからだ。

でもそれより何より佐為と一緒ならここにいてもいいような気もし ていたからだ。

だが、今の導師には逆らえなかった。しかたなく着替えようと、ヒカルが立ち上がった時だった。

門前が騒がしくなった

佐為と導師は顔を見合わせた。

「何事か?」

 

まもなく用人がやってきて言った。

「宮中より火急の用件につき、すぐにご同行くださるようにとのことでございます。」

導師と佐為は顔を見合わせた。

「すぐに用意をいたしますから。」

佐為がすばやく衣服を改めている間に導師は、使いの者にそれとなく、声をかけた。

「どなたか他にもお呼び出しがありましたか。」

 

楓の大納言と術師が呼ばれているらしい?

その言葉に導師は不吉な予感を隠せなかった。

「佐為。」

「大丈夫でございます。私には何も疚しいことはございませぬゆえ。」

 

ヒカルと導師を残して、佐為は帝の元に向った。

佐為の姿を見送りながら、ヒカルはすぐには絶対戻れないと思った。

「俺。佐為が戻るまで、ここにいることにするよ。石の力は突然に消えるものじゃないんだ。俺にだって、石の力の加減は少しは分かるんだ。」

導師はそれを聞いて軽く頷いた。

 

ヒカル殿のことも心配は心配だが、今はそれよりも佐為のことが心配だ。

「ヒカル殿。とりあえず最悪のことを考えて準備を怠らぬほうがよい。わしはちょっと邸に戻ってまたすぐ来る。」

 

 

ヒカルは一人で佐為の邸で留守番をすることは慣れていた。

一人といってもいつもの口の利けない用人はいる。

 

ヒカルは一応自分が着ていた服を小さくたたんで、布に包んだ。

いざとなったらそれを抱えて、このまま戻れば。試してないけれど、佐為は戻った時、狩衣を身に着けてたんだから、その逆で、俺だって大丈夫だろう。

 

導師も佐為も遅かった。

外にも出れないし、佐為が持っている本は、筆で筆写されているもので、ヒカルには殆ど読めなかったし、読めたとしても面白くはなかっただろう。することは何もなかった ので、ヒカルは書物をぱらぱらとめくった。

「あれ?」

ヒカルは書物の間から一通の書状を見つけた。

術師あてみたいだ。ここに置いとかない方がいいんじゃないか。

もし誰かが来て、この部屋を調べたりしたら…。

ヒカルはその書状を自分の服の間にしまった。

 

それからヒカルは、碁盤を引き 寄せた。でも、石を並べる気には、なれなかった。

佐為は大丈夫だろうか。

何をしようとしても落ち着かない。

ヒカルは諦めて碁盤を片付け、ごろっと寝そべった。

 

もし今戻ったら…。二度と佐為に会えない。

佐為がちゃんとここで無事に居るところを見届けてから戻るから。

その内ヒカルは寝てしまった。

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