風の石空の夢   作:さびる

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『円居』 71~80
ヒカル新初段戦からプロ対局、塔矢行洋引退
(主な登場人物…ヒカル、佐為、緒方、桑原、和谷、越智、アキラ、行洋、天野、導師、美夢、紅、美津子、明子、倉田)


円居77

ヒカルが退院したのは意識が戻ってから3週間以上も過ぎた後だった。

 

家に戻った時、ヒカルは聞いた。

「俺の部屋掃除した?」

「ええ、したけれど?どうして?別に何も捨ててないわよ。掃除機をかけただけよ。ヒカルがゆっくり休めるように。」

「ううん。なんでもない。ありがとう。」

美津子はその言葉に首をかしげながら階下に降りた。

「ヒカルがありがとうなんて。どうしちゃったのかしら。」

 

ヒカルは自分の部屋で、ベッドに寝転がりながらじっと天井を見つめた。

石が消えていった時のことを思った。

俺には分かってた。母さんが掃除しなくたって、この部屋にはあの石は残っていない。

あの時すべて空に舞っていったんだ。

もしかしたらあの石はそうやってまた時を旅して、佐為の元に戻ったのだろうか。

佐為の元に戻って、また赤い輝く石になったんだと信じたい。

ヒカルはそう思いたかった。

佐為が耳に赤い石をつけて、微笑んでいる姿を思い描いた。

でもそんなことはないのだ。石は役目を終えて、ちりとなって消えたのだ。

時の旅はもうできない。

もう2度と佐為には会えないのだ。

あの時、俺にできたのは、あれしかなかったんだ。佐為に力を送ること。

それはでも、本当にうまくいったのだろうか。

ヒカルは、そのことを考えるのをやめた。

 

ヒカルの体力は確実に回復してきた。

まだ外には出歩かないが、家の中では、普通に生活できるようになっていった。

でもただ一つ、碁を打つ気力が湧かなかった。

 

碁石を持てないまま、ヒカルは他のことを考えた。

塔矢先生はリベンジ戦を楽しみにしているんだ。

俺、説明しなくちゃならない?

時の旅を先生は冗談でなく、信じるだろうか。

塔矢は、あれほど俺が説明したのに、信じられないと言った。

目の前で佐為が消えたのを見ているのに。

 

ヒカルは入段式を欠席した。

数日後、ヒカルの元へ和谷が来た。

「進藤。病気で入院してたんだって?痩せたな。大丈夫か。」

「うん。ありがとう。もう元気になったよ。そろそろ外出してもいいって、言われてるしさ。

今度の研究会には行けるよ。」

「そうか。良かった。今日はな。入段式の時にもらった書類を届けに来たんだ。」

和谷は、書類の中から一枚を引っ張り出した。

「それを見てみろよ。お前のプロ第一局の対戦相手だぜ。それ見たら、お前、すぐに元気になると思ったんだ。」

 

和谷が帰った後、美津子がお茶を片付けに覗いた。

「あら?これは?」

「森下先生からのお見舞い。」

「まあ、お礼を言わなくっちゃ。白川先生からもお見舞いを頂いているのよ。」

母がいろいろ言っているのを聞き流しながら、ヒカルは思っていた。

 

俺のプロ第一局。 相手は塔矢アキラ二段。

そのことを考えた時、初めてヒカルは力が湧いてくるような気がした。

そうだ。俺は、ここで、もう佐為に会えないとか、うじうじしてはいられないんだ。

 

そしてあの船で、佐為が目覚めた時、ヒカルに色々話してくれた時のことを思い出した。

あの新初段戦のこと、モニタールームであったこと、塔矢先生と交わした会話。

あの時、導師さんと共に傍にいたきれいな女の人は佐為の恋人なのかなあ。

俺のことを聞いても、佐為の話も全然驚かなかった。

時の旅について知ってるんだ。

「ヒカル殿は、虎次郎殿とは違いますのね。でも佐為殿にとても似つかわしい方ですわ。」

そうにっこりと言ってくれた。

あの時最後に、佐為は言ったんだ。

「ヒカルが無事戻れるなら私は他に何もいらない。

私は私の居場所に。ヒカルもまたヒカルの居場所に戻るのだ。」

導師さんが頷いて言った。

「ヒカル殿。天地の秩序を守ることじゃ。さすれば、佐為も元気になる。」

「ヒカルには自分の時代で生きて欲しい。

私が伝えた全てを受け継いで、さらに腕を磨いて欲しい。

私には、それがすべて。だが、そうだな。

心残りといえば、あの者とリベンジ戦が出来なかったことか。」

 

佐為は言ったんだ。

「リベンジ戦ができないことは随分前から分かっていた。ヒカルがあの者の家であそこに石を置いた時に、私にはもう時間が残されていないと。だからヒカルの新初段戦に全てを賭けたのだ。」って。

そうなんだ。俺、言われたじゃないか。

「いつか必ず、もう一度、石を見つけて、ヒカルの元へ行きたい。ヒカルがどの程度腕をあげたか確かめに。

ヒカルは自分の道を進め。ヒカルの時代の強者と打ち合え。」

ヒカルは、佐為のその言葉を思い出し、かみ締めた。

俺は佐為を受け継いで自分の道を進まなくちゃ。俺がいるべき場所で。

いつの間にか、ヒカルは碁盤を引き出し、碁笥のふたを開けていた。

 

アキラは、会場を見渡した。

アキラが新人としては異例なほど賞を受けたその入段式に、ヒカルの姿はなかった。

 

進藤は、つい先ごろまで病気で入院していたらしい。

もちろん、僕は見舞いになど行かなかった。

なぜならその時には僕のところに配達されていたから。これが。

アキラは対局表をじっと見つめた。

対局者:進藤ヒカル。

その名をじっと見た。

 

進藤と話をして以来、信じたいけれど、信じ切れない、そんなもやもやした気持で過ごしてきた。

僕はあの時、サイさんのことばかり聞いて、言いそびれてしまった。

君と打つのを楽しみにしていると。

この進藤との対局で僕はやっと、前に進める気がする。

いろいろなことを吹っ切れると思う。

 

行洋の方は五冠ということで、忙しい日々を過ごしていた。

だが、夜になると一人、ため息とともに思うのだった。

私はすぐにでも打てるという気持でいっぱいだが。こんな状態では、サイさんとのリベンジ戦はもう少し先になりそうだ。

プロでいるということも善しあしか…。もし私が彼のように束縛されない身なら…。

 

いくら行洋が忙しいとはいっても、朝のアキラとの一局は続いていた。

アキラが碁盤を睨み付けるように見ているのを眺めながら思った。

このところ、アキラは張り切っているな。

「アキラ、何か良いことでもあるのか。」

アキラは素直に答えた。

「次の大手合は進藤が対局者なのです。」

「そうか。それは楽しみだな。」

行洋はそう言って、ふと思った。

あの新初段戦は楽しかった。進藤君の夢中な姿に、思い出したのだ。まだプロになるとも思わない頃、今度はどんな手を打って相手を慌てさせようか。負けないぞ。友達とそんな自由な気持を持って打っていた頃を。

進藤君はあの者の気迫を受け継いでいるが、碁は違う。また別のタイプの碁を打つ。

アキラとは対照的かもしれない。本当に楽しみな対局だな。

 

大手合の日の前日だった。アキラは、ふうっと息を吐き、心を落ちつかせて誓った。

明日は、いよいよ進藤との対局だ。いろいろ考えないで、ただ集中して対局に臨もう。まっすぐに。そう、まっすぐにだ。

早めに床についたものの、アキラは夜中にふと目が覚めた。滅多にないことだった。

やっぱり緊張しているのかな?

アキラは時計を見た。

「まだ12時か。水でも飲んで寝よう。」

 

台所へ向う途中、アキラは、父親の座敷の明かりがついているのを目にした。

まだ起きてるんだ。

そっと覗いて見ると父親が碁盤の前に座っていた。

アキラは知っていた。

父は毎晩、儀式のように、碁盤の前に座るのだ。

棋譜並べじゃない。碁笥は一つは自分の横に、もう一つは向いに置く。

サイさんとのリベンジ戦に備えてのことだ。

いつも、そうやって、頭の中でシュミレーションをしているのだ。

 

僕だって父さんのリベンジ戦が終わったら、サイさんにまた相手をしてもらうつもりだ。

でも今は僕にとって大切な対局がある。明日。望み続けていた対局があるんだ。

僕がまっすぐに向かっていける望む相手と。

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