風の石空の夢   作:さびる

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『円居』 71~80
ヒカル新初段戦からプロ対局、塔矢行洋引退
(主な登場人物…ヒカル、佐為、緒方、桑原、和谷、越智、アキラ、行洋、天野、導師、美夢、紅、美津子、明子、倉田)


円居79

「俺が初めて佐為に会ったのは。

そう、一番初めは、俺が時を旅したのです。佐為じゃなくて。

俺がおじいちゃんの蔵で、不思議な石を拾ったのが始まりなんです。」

 

ヒカルはそれからゆっくりと初めて佐為とあった頃の話を始めた。

初めて出会った佐為とケンカしたこと。

 

行洋は、ヒカルが話す、ヒカルと佐為の初めの頃のやり取りには思わず笑っていた。

 

「本当にしゃくに触って、だから俺は何とか佐為をぎゃふんと言わせたくて、碁の勉強を始めたんです。

白川先生のところの囲碁教室でまずは石取りゲームを教わったんです。

俺は碁は打てなかったけど、碁サロンで塔矢が石取りゲームの相手をしてくれた後で、棋譜並べって言葉を初めて聞いて、それで俺も並べてみようと思った。

平安で初めて見た佐為と導師さんの対局を。頭に植え付けられて忘れられなかったから。

その対局に魅せられていたから。」

 

ヒカルはアキラの方を向いた。

「塔矢はきっと不思議に思ったんだよな。

碁が全然打てない俺があんな棋譜を並べているのを見てさ。

でも佐為が打っているのを見たら、絶対頭に焼きつくと思うんだ。

誰だって。」

 

それからヒカルは、その後、不思議な形でより深く囲碁の世界に誘われていった事。

そのうち佐為が体ごと時の旅が出来るようになったこと。

たまたま、ひと夏ネット碁を打つ機会に恵まれたことなどを話した。

 

 

行洋はふと思いついたように尋ねた。

「進藤君のお父さんは、佐為さんが時の旅をしていることを信じたのかね。」

 

「さあ、どうなんだろう。父は時の旅を信じたと言うより、佐為という人間を信じてくれました。

それから自分の子ども、俺を信じてくれました。

だから時の旅がどうかということは、俺の父には関係がなかったんだと思えるんです。

今、目の前にある事実を理解してくれたと思うのです。

もしかしたら、父はその時、神様の魔法にかかったのかもしれない、そう思うんです。

俺の父は碁は全然興味がないのに、それでも佐為とは何かものすごく気が合っていて、二人が話していると、俺、なんとなく仲間外れにされている気分になったものです。」

 

そうしてヒカルは佐為と父親の微妙にずれながらも息の合った不思議な会話を教えた。

行洋は少しおかしそうに、だが、そうかというようにその話に耳を傾けていた。

 

ヒカルが話せるだけの佐為と自分の話をし終えると、行洋は言った。

「サイさんは、詳しいことは進藤君に聞いてくれと言ったのだが、今初めて君とサイさんとの深い繋がりを理解したよ。」

 

それから少し黙った。

ヒカルも話すことがなかった。

アキラは気づいたようにお茶を注いで父親とヒカルに渡した。

 

やがて行洋は言葉を選ぶように話し始めた。

「私がなぜ急にサイさんが時を隔ててきたことを信じたのかという話に戻るが。

あの時、私が倒れた時、アキラはサイさんの姿は見えなかったのだね。」

そういって行洋はアキラを見た。

アキラは素直に頷いた。

 

「はい。僕はサイさんが時を旅してくることは知っていたけれど、でも姿が見えないことなど想像したこともなかったから…。」

 

行洋は、そう呟くように言うアキラから、ヒカルへと視線を戻した。

「サイさんは、私との約束を果たすため。リベンジ戦のだよ。

もうその“時の石”とやらが使えないながらも、魂だけになって私の元に訪ねて来たのだ。

私は驚くべきだったと思う。その時の気持ちは何とも言えない。

でも私は驚きもせず、当然のことが起きていると思い、極めて当たり前にそのことを受け止め、サイさんと対局したよ。

そのリベンジ戦の内容は退院してから見せるよ。」

 

行洋はちょっと言葉を途切らした。

「それよりも、サイさんはその時、君に一つだけ伝えてほしいと言っていたのだ。

本当は君に会いに行こうとしていたのに、なぜか、私のところへ来てしまったのだと。申し訳ないと。」

そう言うと、行洋はじっとヒカルを見つめた。

 

ヒカルは行洋の突然の告白に驚いた。

ヒカルが返事をしないうちに、行洋は続けた。

 

「私はその時サイさんから、君とサイさんが最後に別れた時の話だけは、しかと聞いたのだよ。

君は自分の命を捨てても、サイさんが元気になることを願ったそうだね。

サイさんは、おかげで元気を取り戻し、無事航海を終えて、念願の土地へたどり着いたそうだ。

サイさんは君が元気でいるかどうかを一番に気にしていた。

私はその時、君が長い間、入院していたことは知らなかった。

ただアキラと初対局を控えているのは知っていたから、プロ第一戦を前に張り切っているようだと答えておいた。

サイさんはほっとして、元の世界へと戻っていったよ。

 

私はね。進藤君に会って、サイさんとのことを話さなければならないと思ったが。

ちょうど妻がたまたま君がひどく具合を悪くして入院していたことを聞いて来てね。

それは君がサイさんに命を懸けたためだと私は思うのだが。」

 

ヒカルはその通りだというように軽く頷いた。

 

「そんな君に、実は君ではなく、私の元にサイさんが来たというのが、何となく言い難くてね。

どういったものかとずっと考えていたのだよ。」

 

ヒカルは行洋の気遣いがとても嬉しかった。

「先生、気を遣ってくれてありがとうございます。

でも俺、今の話を聞いて、佐為が俺に会おうと思いながら、先生のところへ行って、碁を打ったというのを聞いて本当に嬉しいです。

なぜって、佐為は碁を打つために時を旅してきたんだから。

碁を打ちたいと願ったから、時を旅することが出来たんだ。

そりゃ碁を打ちたいと思う者はたくさん居る。

でも佐為の才能は特別だった。」

 

ヒカルは少し言葉を区切った。

 

「それに佐為は石がもうすぐ力を失うというのが分かった時から、俺に出来る限りのことをしてくれました。本当だったら新初段戦までに、先生の空いている時間を少しでも見つけて、リベンジ戦だって、できたかもしれない。

でも佐為は自分の願いをすべて捨てて、俺を導くことを最優先してくれたんです。

だから、だから俺は今の話が本当に嬉しいです。

 

佐為は別れる時、船の上で言ったんです。

俺が無事に元の世界に戻れることを祈っている。

でももし、もう一つ願いが叶うなら先生ともう一度打ち合いたいと。

その佐為の願いが叶ったことが分かって、俺は今何より嬉しいです。

その上、先生が佐為のことを理解してくれたのが。」

 

そう言い終えると、ヒカルは行洋に感謝を表して頭を下げた。

それはヒカルが平安で覚えた礼儀のひとつで、佐為譲りの優雅な所作だった。

行洋はそれを見てひどく心を動かされた。

 

「私が退院したら、家に来てほしい。あの対局を早く君に見せたいよ。

それに君ともまた打ちたいしね。

時間は心配いらないよ。いつでもとれるからね。」

 

 

ヒカルが帰った後、突然アキラは立ち上がった。

「アキラ?」

「僕、進藤に話があるんです。」

 

アキラが出て行くのを見送りながら、行洋は少々の苦笑を込めて、思っていた。

「それにしても進藤君も私にサイさんのことを説明をするのを随分悩んだんじゃないかな。

私がリベンジ戦のことを説明するのに悩んだくらいには。

まあ、それしか道がなかったと言えばそれまでだが、サイさんも罪作りな人だ。

しかしそれでも憎めない魅力的な人でもあるな。

 

進藤君がサイさんとめぐり合えたのは本当に僥倖だ。

進藤君の才能がサイさんと結びついたというのは確かだが、私には、それ以上に進藤君の性格がサイさんの時の旅を助けたという気がする。

もし、アキラがサイさんと出会っていたら、こういう風な形には恐らくならなかっただろうな。」

 

それからひどくおかしそうに、呟いた。

「しかし、それはそれで面白い見ものかもしれないが。

アキラの性格はサイさんに似てなくもないから。

思慮深いと勝手に思う二人がぶつかりあって、大変なことになっただろうな。

サイさんが手を焼いているところを見たかった気もする。

 

もっとも今回はアキラも相当サイさんには振り回された方かもしれないが。

たしかサイさんは、アキラには時を旅しているという証拠を見せたとか言っていたから。

そう考えると進藤君が初めてサイさんに会った時、ぎゃふんと言わせたかったというのは結構、的をついた話だ。

 

ふふ、碁打ちはみんな似ているか。

たしかに身勝手で自分の相手にならないものには見向きもしない。

私もその中に入っているが。

進藤君もサイさんの薫陶を受けて、プロの碁打ちになったんだ。彼ももうそれに染まったかな。

まあ、彼は少々毛色の変わった碁打ちになるかもしれないな。」

 

 

父親が突飛な感想にふけっていることなど知らずに、アキラはエレベーターへ飛び乗っていた。

ヒカルが病院を出たところへ、アキラが追いかけてきた。

「進藤。待ってくれ。話がある。」

「塔矢?」

ヒカルは立ち止った。

アキラは追いつくと、すぐ尋ねた。

「君は、サイさんが君ではなく父を訪ねたことを本当に怒っていないの?」

 

いつもながら心臓に悪い奴だが、塔矢の奴、そんなことを確かめにわざわざ?

でもヒカルは塔矢のまっすぐな気持に何となく胸が熱くなった。

ヒカルはアキラを見据えて言った。

 

「塔矢だって佐為と打ったんだ。分かるだろ。

あいつは碁を打つために生きてるんだって。

それが佐為の本性なんだ。 俺は佐為とは第一に碁を打つことで繋がっているんだ。」

 

ヒカルは佐為と初めて出会った時のことを思い起こした。

碁が打てないものは用がないという。 あれが本当の姿なんだ。

 

「そりゃ、佐為が、先生のとこじゃなくて俺のところへ来て俺と碁を打ってくれて居たら、それはそれで嬉しいさ。それに佐為と、せめてもう一度話をしたいとも思うよ。

でも今の俺じゃ、まだ佐為の相手にはならない。それは十分過ぎるほど分かってる。

だから俺はこれから頑張って打ち続ける。

もし佐為がもう一度、旅ができるのなら、今度は塔矢先生でなく、俺の元に碁を打ちにきてくれるようにな。

佐為はこの世界で一番ワクワクする碁を打てる人間の元へ来るに違いないから。

次は絶対にそれに選ばれるようにするんだ。」

 

ヒカルは決心したように、こぶしを握り締めていた。

アキラはヒカルの言葉をしっかりと受け止めた。

 

「そうか。進藤。分かった。僕も同じ気持だ。

僕は今、君に一つ謝りたいことがある。」

ヒカルが訝しげにアキラを見つめると、アキラは続けた。

 

「サイさんが時の旅をしてきたことを、本当は僕は信じていたよ。

サイさんが目の前で消えるという信じられないようなことを2度も目にしたんだもの。

信じざるを得ないだろ。

でも僕は悔しかったんだ。なぜ、僕ではなくて、君とサイさんなのかということが。

時の旅をするのがだよ。

僕は、君とサイさんの関係に嫉妬してたんだ。

でも今日詳しく君とサイさんの話を聞いて理解したよ。

すまなかった。」

 

ヒカルはにこっとして言った。

 

「塔矢。お前が信じてくれるのが俺には一番嬉しいよ。

俺には石のことは分からないけれど、いくつかわかることがある。

石は二人以上の人とは共有できないんだよ。

俺が最初に見つけたから、もうこの時代のほかの人には使えなかった、見えなかったってことさ。

 

それに嫉妬っていえば、それは俺の方だよ。

俺が本当に初心者で、もがいていた時に。

お前は本当にすごい碁を打っていた。佐為はいつもお前を一番に評価していたから。

それって本当に悔しいもんだぜ。

 

それより何より悔しいのは、お前が見ているものと佐為が見ているものが同じだったこと。

二人で同じ目をして、遠く碁の高みを見つめている時、俺は本当に羨ましかった。

俺にはその高みの実態がまだ理解できなかったから。

そこまでの棋力がなかったから。

いつかそれに手が届くのだろうかって。

いつかそれを分かる時が来るのかって。

 

俺は佐為の期待も裏切りたくなかったし、ただ必死にもがいて、お前の後を追っていったんだよ。

佐為に出会ってからの2年間、ただひたすら。お前の背中を見て追い続けた。それしかなかった。

必死で頑張ればいつか、塔矢アキラの隣に並べるって、そう言ってくれた佐為の言葉だけを頼りに、今日までやってきたんだぜ。」

 

アキラはヒカルの言葉をかみしめた。

嬉しい気持が胸にこみ上げてきた。

 

「進藤。サイさんが僕とではなく、君と知り合って、君を磨いてくれたのを今は本当に感謝してるよ。

僕は今君と打つのを楽しみにしている。君の打つ碁を見たから。

サイさんと父の打つ碁を見たから。

僕も君と同じだよ。サイさんが父だけでなく僕のところへも碁を打ちにきたいと思ってもらえるように。

僕も頑張るよ。」

「競争だな。」

「うん。」

 

アキラはそういうと、手を差し出した。ヒカルはその手をしっかりと握った。

ヒカルは今いろいろなことから解き放たれて嬉しかった。

アキラと握手しながら、今から先、俺も佐為や塔矢と同じ目をして碁の高みを見つめて打ち続けるのだと感じていた。

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