風の石空の夢   作:さびる

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『綾目』81~終局まで
白色碁、佐為のいない平安、佐為のその後、未来
(主な登場人物…ヒカル、倉田、アキラ、明子、行洋、緒方、術師、治吉、導師、紅、佐為、美夢、万林博士)


綾目(あやめ)81

倉田はふうぅっと息をして口にしていた。

「それにしてもな。塔矢行洋。

これから面白くなりそうだったのに。」

 

「面白くなりそうって?」

「ああ、俺、昨日棋院で十段戦の棋譜を見たんだよ。

緒方九段に負けたやつな。」

ヒカルは身を乗り出していた。

「どんな碁だったの?」

 

「だから面白い碁だよ。要するに碁が若くなってたんだ。

あの人がまだこんな碁を打つのかって言うようなさ。

あっ、そういや、お前の新初段戦の棋譜も見たぜ。

あの時も、おもしれえって思ったよ。

ただなあ。あれはタイトル戦じゃないせいだって思ったけどな。

新初段戦だからこそって。そう、ああいう碁だよ。

ん?

てことは、もしかして、名人、もうあの頃から変わってたのかな。」

 

ヒカルはふーんと思った。

そうなのか。

行洋と新初段戦を戦ったヒカルには何となく行洋の十段戦の碁が見えるような気がした。

 

「先生は、病気になったから引退を決めたのかなあ。」

ヒカルは思わず、口にしていた。

「そりゃないだろ。だったら、十段戦を戦ったりしないだろ。

いや、戦ってみて、やっぱ、やばいと思ったかな。

いや、違う。やっぱ心境の変化じゃないのかな。」

 

いつの間にかヒカルと倉田は親しく言葉を交わしてた。

ヒカルは、はっと気が付いた。

そういえば、あの時、病院で。

先生、時間は、いくらでもあるって言ってたじゃないか。

先生はあの時には、もう引退を決意してたんだ。

だから、プロ最後の対局は自由に心のままに打ってみたのかな?

でもなぜだろう?

佐為と打てたから満足したとは思えないけど。

だってリベンジ戦は負けだろ。

 

やっぱ、塔矢先生にすぐに会いに行こう。

ヒカルは決めた。

こうなったら、先生が佐為と、どんな碁を打ったのか見に行かなくちゃ。

 

それからヒカルは、目の前にいる子ども子どもした大人、倉田を眺めた。

倉田はどんぶりに残ったスープを啜っているところだった。

ヒカルは言った。

「ねえ。倉田さん、俺と打ってくれませんか。

この後、時間があれば。」

 

「お前と?俺がか?指導碁か?だったら金とるぞ。」

「そんなぁ。」

「だってお前、別に俺の弟子でも何でもないもんな。」

 

ヒカルは揉み手をするようにして言った。

「俺、実は倉田さんを目標にしてるんです。

だから一度打ってくれたら嬉しいなって。」

倉田はそれを聞くと、満更でもない顔をした。

「分かった。いいよ。じゃあ、ここのラーメン代で打ってやるよ。」

 

ヒカルは、ほっとした。ラーメン代なら。

「はい。お願いします。」

倉田はカウンターの奥に声をあげた。

「おーい。ラーメン、もう一杯な。」

「えっ?」

 

倉田はヒカルに向かってニヤッとした。

ヒカルは倉田の丸々した体を眺めた。

この人、まさかいくらなんでも3杯は食わないよな。

ヒカルは指で、ポケットの中の財布のお金をそっと数えながら祈った。

 

その晩、塔矢邸に電話すると、アキラが出てきた。

「父は土曜日なら大丈夫だって。」

何でも、引退表明したため、急に忙しいことになってるらしい。

 

電話を置きながらヒカルは思った。

そりゃそうだろうな。五冠が急に引退したら、大騒動だよな。

でも佐為だったら、きっと言うだろうな。どうしてですか?って。

あっ、もしかして塔矢先生も何で皆騒ぐんだとか思ってんじゃないかな。

佐為と先生って。あの二人は、碁は全く違うのにさ、何となく似たとこあるもんな。

ヒカルは何となく可笑しかった。

塔矢も、もしかしたら苦労してるんじゃないか。

 

土曜の朝早めに、ヒカルは塔矢邸に向かった。

 

それにしてもこの間の碁。

ヒカルはラーメン屋で出会った倉田のことを思い出していた。

幸い三杯目は食べなかった。

ほっとしたヒカルは、あの後、倉田について碁会所へ行った。

 

倉田さんて本当に子どもっていうか、のせられやすい人だけど。

でもあの碁はすごいよな。本当にすげえ強敵だぜ。

塔矢先生からタイトル奪うって、本気だったんだな。

 

それにさ。白色碁なんて初めてだよ。

久しぶりにわくわくした。

必死に打ったけど。

でも俺、全然かなわなかったなあ。

 

ヒカルは倉田こそ、途中から本腰を入れ、必死になっていたことを知らなかった。

 

そういや、佐為は知っているかなあ。白色碁って。

あいつ、この話を聞いたら、きっと喜ぶよな。

やってみたいですぅって言ってさ。

ああ、佐為と会えたらいいのに。色々話したいのに。

ヒカルの想いは結局、いつもそこへ行きつくのだった。

 

 

インターホンをならすと、アキラではなく、明子が出てきた。

「あのぉ、これ、母から言付かってきました。」

母親に言われたとおりの言葉遣いで、ぎこちなく退院祝いを差し出すと、明子がくすっと笑った。

「ご丁寧にありがとうございます。さあ、どうぞ。」

佐為が行洋と打ったあの座敷に通された。

アキラと緒方がいた。

 

緒方はヒカルを見ると言った。

「進藤が先生の家を訪ねてくるとはな。よく来るのか?」

「あっ、俺ですか?二度目です。」

傍にいたアキラがさりげなくフォローした。

「進藤は碁サロンの近くに住んでいるんですよ。」

「ほう。」

そうなのか、だからなのか。緒方は勝手にそう思った。

行洋は取り立てて変わらぬ様子で、緒方に言った。

「進藤君は、この前、病院に見舞いに来てくれたんだよ。

その時、私が、気兼ねせずに、いつでも打ちに来るようにと言っておいたのだ。

それが引退を表明したら、急に忙しいことになってしまってね。なかなか時間が取れなくなってね。引退したらそれこそ暇になると思ったがな。」

 

ヒカルはそれを聞いてやっぱりと思った。

先生、自分が引退するの全然大事じゃないと思ってるんだ。

 

行洋は急に思いついたようにヒカルに言った。

「そうだ。どうかね。進藤君。ちょっとアキラと打ってみないかね。

緒戦を私のせいで、打ちそびれたのだし。アキラもひどく残念がっていたからね。」

 

その言葉に、ヒカルはアキラを見た。

アキラもヒカルを見て力強く頷いた。

緒方は思わず言った。

「私は、すぐに失礼するつもりでしたが、その対局を見てからにしますよ。」

 

二人の戦いは白熱したものだった。

 

高段者の手合いと同じような感覚だ。それに気迫が。

進藤には、今でも佐為さんがついているみたいだ。

アキラはそう感じた。

でも僕は負けない。僕は君と打ちたいと、あれからずっと願って頑張ってきたのだから。

ここで君と相見えるのは願ってもないことだ。

 

緒方は二人の戦いを面白そうに見つめていた。

なるほどな。新初段戦で力の程はおおよそ見当がついたけれど。

ともかく力はアキラ君と互角だと。

今の進藤に足りないのは実践というところか。

これからプロの中でもまれていけば、すぐに強敵となる。

それにしてもあの新初段戦から、まだ少ししか経っていないが、その間に一体どういう勉強をしてきたのか。

この小僧、何気にまた力が付いている気がする。

その進歩の速さが面白いのか。

だから塔矢先生は進藤に関心があったのかもな。

単に息子の知り合いだからじゃない。

とにかく、こいつは本当に何かわくわくさせる小僧だ。

 

緒方は、はっきりそう感じた。

帰りがけに緒方は言った。

「進藤。私は君とプロとして戦うのを楽しみにしてるよ。 今日の碁を見たからな。

アキラ君と二人、早く俺のところに上がって来ることを期待してる。」

 

ヒカルとアキラは顔を見合わせた。

アキラは緒方を見送ってから、ヒカルにそっと言った。

「緒方さんにしては最高の褒め言葉だと思う。緒方さん、本気だよ。僕たちを叩きのめそうって待ってるんだ。」

 

「俺は叩きのめされないよ。」

ヒカルは胸を張って言った。

「僕だって。」

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