何もないような日常だったけれど、案外気に入ってたらしい。

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あっけない

 卒業式は、呆気ないほど簡単に終わってしまった。

 何かの感傷に浸る間もなく、今までの思い出を噛み締める暇もなく、気づけば皆散り散りになって体育館の外へと足を進めていた。

 私は体育館の端っこに立ち尽くし、外へ出る人々の背を眺めていた。

 彼ら彼女らは、これからどんな人間になっていくのだろうか。特に仲が良かったわけではない。一度も喋ったことのない生徒だっている。しかし、同じ場所で過ごす最後の時だったからだろうか、そんな詮無い思いが私の頭を覆った。

 しかし別に彼らの足を止め聞くほどの物ではない。私は心に浮かんだ疑問をそっとポケットの中に入れた。

 周りを見る。後輩たちは私たち先輩がいなくなるからか、少し悲しそうな表情をしている。中には泣いている子もいるほどだ。

 しかしその後輩たちが私を見ることはない。関わったこともないのだ、当たり前だろう。

 

「ホント、呆気ないな……」

 

 呟いた言葉は、広くがらんどうとした体育館に響いた。

 私だけが、前に進めずにいた。

 

 校門を出る。誰も私を呼び止めなかった。ちらりと胸元に視線を落とす。

 結局、この第二ボタンは全く意味の持たないものだったらしい。

 寄せ書きも後輩の涙もない、簡素な卒業式。別に悲しくなんてない。私が選んだ道なのだ。

 ちらりと校庭を見ると、たくさんの卒業生たちが親や親友などと写真を撮っている。彼らの近くには、三月色をした桜が陽光を浴び柔らかく輝いていた。

 ちくりと胸を刺す痛み。それは、一体なんだったのだろうか。

 その答えはわからずじまいのまま、視線を前に戻した。帰る前に寄りたい場所があった。

 

 

 その場所は、小さいころから私にとっての秘密基地だった。

 何か嫌な事があったり親に怒られた際には、逃げ込むようにここへ駆け込んできていたのを今でも覚えている。

 私は目の前にある長く大きな階段を見ながらぼうっと昔のことを考えていた。

 ここは小さな寺。あまり人気のないこの場所は、地元の人間はおろか観光客さえもいないという、なんとも寂しげな場所であった。

 階段の一歩目に足を置いて、私は空を見上げた。私の心情とは裏腹に、よく晴れた麗らかな春日和だった。

 階段を上る。久しぶりだからか、随分と疲れる。

 

 

「変わってないな、ここ……」

 

 階段を上り終わった私を待っていたのは、桜の雨だった。

 数十本の桜の木々が、まるで私を待っていたかのように風に揺れ花弁を運ぶ。春の匂いが頬を撫でた。

 その桜は普通のものよりも細い幹を持っており、枝は花弁の重さに頭を垂れている。

 寺に咲いているには珍しい、枝垂桜だった。花弁のせいで、幹は半分以上その姿を隠していた。

 そっと、小さな歩幅で歩きだす。小石が敷き詰められた境内は、落ちた花弁と混ざり合って、灰と薄紅の奇妙なコントラストを生み出している。

 私は垂れた枝を潜るように、頭を下げて下を通る。甘くて、どこか酸っぱい花の匂いが鼻腔を擽る。

 一本の桜の木の下へと入る。それと同時に、様々な思い出が私の脳裏を駆け巡った。

 

「変わらない、なぁ……」

 

 嫌なことがあったら、この桜の木の下に座って一人で泣いていた。いっぱい泣いていた。泣けば泣くほど、心の中に溜まった悲しい思いが消えて、次の日には笑えるようになるから。

 ぐっと背伸びをすると、爽やかで優しい春の空気の奥底に、じっとりと蒸し暑い梅雨の空気が感じられた。

 あと数週間もすれば、桜の花は全て散っていくだろう。その時、私はどんな気持ちになるのだろうか? 

 そっと桜の幹に触れてみる。がさりとざらついた樹皮には、暖かさが感じられる。

 

「私はさ、あなたから見て、どんな人間だったのかな」

 

 小さく問いかける。もちろん返事はない。しかし、何故か満足だった。

 ため息を吐きだす。なんだかとても疲れてしまった。卒業式という、私にとっては何の意味もないような行事に出ただけだというのに、心は重りを付けられたかのようにだるくなっていた。

 顔を上げると、薄紅のカーテンが私の視界を覆う。どこを見渡しても桜が満ちていた。

 何も変わりはしない。どこか遠くへ行くわけでもないし、この桜の木が枯れるわけでもない。

 

 それなのに、こんなに悲しい。

 胸が張り裂けそうになるほどに、痛い。

 

 好きな事も、大切なものも、やりたいこともなかった高校生活だったけど、私は私が思っていたよりも、そんな生活が気に入っていたらしい。

 そう頭の中で結論が出た瞬間、様々な高校の思い出が頭に浮かんできた。

 入学式の時、期末試験の時、修学旅行の時、体育祭の時、文化祭の時。

 

 思えば、その中で私は、笑っていたように思う。

 つまらないと思っていた生活を、楽しんでいたのだ。

 そう考えた途端、かぁっと目頭が熱くなった。

 

 ぽろぽろと、涙がこぼれだす。だが不思議なことに、私の口元には微笑が残ったままだった。もうあの生活には戻れないという悲しさが心を襲ったが、それ以上に、楽しかったという思いが強かった。

 ぽたりと、足元の小石に黒い斑点ができる。

 大丈夫、涙は桜の花びらが隠してくれるだろう。

 

 泣いて、泣いて、泣いて。

 明日には、笑えてるはず。

 



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