俺を喚んだのは過去の俺 作:鬼柱
「あっ」
小さな少年がそう声を上げた。黒い短パンとハイソックスに挟まれた膝小僧をぷらぷらと揺らしながら、どこまでも続く天井を見上げた。遠くにある格子に目を向けながら、ごろりとその場に寝転がる。両腕を広げて五体投地した彼は、あ〜ぁと残念がるように舐めていた飴を持ち上げる。
「われちゃった」
棒付きのキャンディーであるそれは元の丸い形を残さずに欠片だけ引っ付いていた。
「ぼくの能力あげたのになーにやってんだか」
変な人形なんか作らずに可愛いぬいぐるみだけを作っておけば良いのに。
そうジト目で割れた飴を見ながら呟く。
「せっかく無惨様が上弦の陸を刻んでくれたのにさぁ、それに傲るからだめなんだよ」
だめだめだめ。
だめだめ。
だめなお馬鹿さん。
「次の子は上手くやってくれると良いけど」
「やっぱりサーヴァント相手は分が悪いのかなぁ」
「マスターと逸れてしまった……」
「むーん」
「落ち込んでいても仕方ないぞ! 蒲口少年少女!!」
「竈門です、煉獄さん」
「むん」
「確かに誰かと合流するのが先だよな……色々と不安な人選だし」
「ほら! 山田少年もこう言っている! だから脚を動かそう!!」
「村田です、炎柱様」
何回言っても人の名前を間違える煉獄杏寿郎に炭治郎と村田は揃ってため息を吐いた。そんな二人を慰める様にぽんぽんと背中を撫でる禰豆子はやれやれと頭を振る。
確実に入った場所はバラバラだというのに、早い段階で合流した二人と一騎は当てもなく無限城の中を走り続けていた。炭治郎自慢の鼻もあちこちから鬼の匂いがすることにより役に立たず、秒毎に部屋の形も変わっていっているので道を覚えることもできない。生前の記憶を引っ張り出そうとも摩耗した記憶ではここで無惨を倒したということと、誰が死んだぐらいしか覚えていない。
「(こういう時善逸がいてくれたら)」
何かと頭が良い彼の事だ。この無限城で起きたことも鮮明に覚えているのだろうな、と考えては頭を振った。そんな事を思っても事態が好転するわけでもないし、こんな事で他人を頼るなど言語道断。それにここには心強い人達もいる。性格は難ありだろうがその信念と実力は誰よりもある炎柱に、何事も卒なくこなす村田。何より頼りになる禰豆子がいる。不安に思うことあれど、杞憂に終わることだろう。そう炭治郎は願っている。
別に鬼の強さを忘れたわけではない。しかし生前と比べれば断然、今の戦力の方が良いのは確かだ。生前では上弦の陸に腕を持っていかれ中盤で引退した音柱と、上弦の参に出会したことで死去してしまった炎柱が加わり、また炭治郎含め何騎かのサーヴァントも手を貸してくれている。相手もそれだけ戦力増強してはいるが、かと言ってこちらも劣ってはいない。
ただ、何が起こるかわからないのが少しばかり懸念である。
「(けど、それは生前の時と同じだ。前と同じように全力で鬼を倒すしかない)」
「むーん?」
「大丈夫だよ、禰豆子」
此方の懸念を悟ったのだろう、炭治郎を心配そうに覗き込んできた禰豆子に安心させるよう微笑んで頭を撫でた。移動しながらではあるので少々雑にはなりはしたが、それでも嬉しいのか目を細めた彼女に炭治郎は嬉しくなる。
「(それになにより煉獄さんと共に戦える……不謹慎だけど心が少し湧き立つな)」
生前ではあり得なかったことを今成し得る。それはどんなに嬉しくてどんなに悲しいものか炭治郎は良く理解している。しているからこそ、その複雑な気持ちを抑えながらしっかりと前を向いた。
曲がり角から出てきた異形の鬼達を即座にそれぞれの呼吸で斬り捨てる。寸分違わず首を狙ったそれは綺麗に直線を描き、鬼達の首を落とした。
「にしても数が多い。もう殆ど人型じゃないな……柱稽古受けてなかったら俺死んでたかも」
「ここの鬼達は下弦程度に強化されてます。気を抜くと死にますよ、村田さん」
「怖い事言わないで!? いや今自分で言ったけどさ!」
「安心しなさい! この炎柱がいる限り死なせはせん!!」
「あ、ありがとうございます。炎柱様」
この人言動はあれだけど戦闘に関しての安心感半端ないな、言動はあれだけど。
主に名前関連。そう村田は思いながらも鞘に刀を納めた。自分の薄い水の呼吸でも下弦の鬼程度の力を持った鬼ならば倒せるらしい。ただ柱稽古を受ける前の自分ならば、突然現れた鬼達に反応できずに死んでいただろう。厳しすぎな稽古を実施した柱達に改めて感謝した。目の前にその内の二人がいるんだけども。死ぬかもしれないと思った稽古をまだ村田は忘れてはいなかった。感謝はするが、苦しかった事には変わりないので。
「しかしこの程度の鬼に足止めされている場合ではない! 無惨を倒せば全て終わる! 急ごう!」
「はい! 煉獄さん!」
「むん!」
「は、はい!」
———まて。
「ッ!!」
ザッと臨戦態勢を一斉に取った炭治郎たちは冷や汗を流しながら左右を見渡した。気がつかなかった。弱いながらも長年鬼殺隊を続けてきた村田も、柱という鬼殺隊最強の称号を得ている煉獄も、そして一騎当千であるサーヴァントの存在であるはずの炭治郎すら、声をかけられるまでこの場に鬼がいるとすら思っていなかった。つまり実力が炭治郎達より上であるか、気配を隠すのがとてつもなく上手いかのどちらかだ。ただ、嗅覚が直感スキル並みに発達している炭治郎が察知できなかったとなると後者の可能性が高いのだが。
「(いや言い訳してどうなる。この場合相手がその気になれば此方に先手を取れたはず)」
「隠れてないで出てきなさい。何、逃げはしない! この鬼殺隊、炎柱である煉獄杏寿郎が相手しよう!」
「(なんで相手の能力もわからないのに先に名乗るんだろ、炎柱様)」
「むーん」
「禰豆子、言いたいことはわかるけど口に出さないように。村田さんもですよ」
「いや出さないけど?? というかその子の言葉わかる人いないんじゃ?」
「伊之助と善逸ならわかるぞ」
「なんで??????」
———ふはっ! 相変わらず旦那は面白いなぁ。
困惑する村田の言葉に何処からか聞こえてきた声の主が吹き出した。何が面白いのかクククと声を殺して笑うような音も聞こえて来る。そうして建物の影からまるで今現れたかのように出てきた人影に鬼殺隊士組は警戒する。ぐっと柄を握れば、ストップストップ! と制止の声が慌てて飛び出した。
「俺はアンタらの敵じゃない! 今は仲間でもないが、斬りかからないでくれよ? じゃないと反撃してしまう」
その日輪刀やらが折れても俺は補償できないからなー、なんて和かに笑うそれに炭治郎は違和感を覚えた。鬼というのは全て無惨の手によって鬼殺隊は敵という認識を植え付けられてるはずだ。そうでなくとも自身の命を奪いにやってくる存在となれば敵対するのは明確。そも最初に敵じゃないからと言って友好的に接して油断を誘うとしても基本的に鬼に恨み辛みを持っている鬼殺隊士に効くわけもない。
スンと炭治郎は鼻を吸った。匂ってくるのは相変わらず建物中に充満した鬼の匂いと……相手から香ってくるサーヴァントの匂い。だが普通の鬼だ、根本的に違うサーヴァントである鬼とは違い鬼殺隊が相手してきた無惨が作り出した鬼の気配がする。
そこまで炭治郎は考えて、ハッとした。
「鬼の言葉は信じられんな! 第一、この良くわからない建物にいる以上無惨の仲間でないという証拠がない」
「待ってください、煉獄さん」
「? 少年?」
刀から手を離した炭治郎は未だ臨戦態勢である煉獄達の前に立ち、鬼を見据えた。炭治郎を見た瞬間にへらりと特徴的な笑みを零したその鬼にやはりと確信する。
「すみません、失礼をしました」
「少年!?」
「竈門!?」
軽くとはいえ鬼相手に突然頭を下げた炭治郎にぎょっとする煉獄と村田。何してるんだという驚愕の声を無視して、頭を上げ相手が出てきた用件を聞く。この状況、この場面でわざわざ対面しなくともこの人ならばどうにかできたはずだと炭治郎は思っている。内容を記した紙をさらりと渡すとか、小声で伝えるとか。けれどそうしないのはそれ相応の理由があるから。
「そうかしこまんな。いやー俺のこれもまだいけんだなーと思えたし」
なぜかマスターには見破られるし、他の旦那達もな。
そう笑っては頭を掻くその人に炭治郎は同じように苦笑してから、それでと続きを促す。
「何をしに?」
「ん? あぁ、選択肢を選んで欲しくてな。こればっかりは俺にはわからないからさ」
「選択肢……?」
そう、選択肢。
「アンタらが無惨の下へと行きたがってるのはわかってる。でも鬼殺隊の戦力が分散し過ぎてるし、相手は鬼殺隊士の位置を分かっている。それは旦那も知ってるな?」
こくりと炭治郎は頷いた。後から知った話だが、この広い無限城の中でわりと最初から上弦の鬼と対峙できたのはとある鬼が誘導させてたのではないかという話だ。ただ全員ではなく、点在する監視カメラのような存在から居場所を特定してたという推測がある。もし本当にそうなら今回も例外ではない。
「それじゃぁ相手の思う壺だ。“前”の事は俺も良く知らないが決して楽な戦いではなかったはず、なのにそれに加えてサーヴァントすら加わってるときた。一般隊士が出くわせば直ぐに死ぬ存在だ」
戦力はなるべく残しておきたい。此方としても一々下弦程度の鬼に足を止められていては無惨の下へと一向に辿り着かないだろう。そして他の上弦の鬼にすら。
「つまり此方も状況を考えて動かないといけない。鴉から伝令が来たら従え、あれはお館様代理と繋がってる。全体の戦局がわかる唯一の手だ」
「何故鬼がそれを知っている」
「煉獄さん!」
ぶわりと広がった威圧に気がついた炭治郎は炎柱の名前を呼んで諫める。気持ちはわかるがここは話が進まないので押さえていて欲しい。お館様といえば鬼殺隊で敬うべき存在であり支えでもある。それを代理とはいえ存在を知り、そして此方の状況を深く知っているのはいくら禰豆子という良い鬼の存在を知っていても警戒するのは当然だ。しかしそれは相手が鬼であることが前提であり、炭治郎の目の前にいるのは鬼の姿をしていようと別の存在であるからこそ警戒する必要もない。
「で、だ。俺が持ってきた選択肢とやらは」
ごくりと誰かの喉が鳴った。
「このまま無闇矢鱈に鬼を探すか」
———無惨の下へ直行するか。
「どっちが良い? 旦那たち♪」
「“前”とやらを覚えてる無惨は厄介この上ないね」
そう広く、そして不気味な座敷の中で呟く。定期的にべべんと琵琶の音が鳴り響き、どこからか剣戟の音が反響する無限城を見渡すように頭を動かしては小さく微笑んだ。
「お館様」
「槇寿郎、すまない。引退した君を巻き込んでしまった」
「いえ、既に引退した身でまたお館様のお力になれる事を嬉しく思っております」
「ふふ、ゲホッゴホッ」
「お館様!」
「大丈夫、大丈夫だよ」
子供達の痛みに比べればこのぐらい。
安心させるような笑みでそう言ってみせた産屋敷耀哉に煉獄槇寿郎は浮いた脚を元に戻した。槇寿郎は医者ではない、お館様の苦しみを和らげる方法を知らない。だがこの症状には見覚えがある。焼け爛れたような皮膚が顔全てを覆ったとき、彼らは、お館様はこの世から去る。
「それに託せなかったからこそ、私は最後まで見届けたい。平和になったこの世をどうか」
どうか。
「せめて彼らの心からの笑顔が咲き誇ると嬉しいね。そうは思わないかい、槇寿郎、あまね」
「えぇ、あなた」
「それには同意でございます、お館様」
F分の一の揺らぎの声を実際に持ってる人っているのだろうか。