俺を喚んだのは過去の俺 作:鬼柱
無限城に落とされてから二刻程経ったが、撃破されたのは今のところ新しい上弦の陸とサーヴァントの紅閻魔。対して鬼殺隊の主要戦力は誰一人として落ちていない。優勢だった、優勢に見えている。相手を余裕を持って落とせている、そう考えても仕方ない状況だ。
しかしそうでもない。そう見えているだけで鬼殺隊側の劣勢だった。確かに上弦とサーヴァントをこの短時間で倒せたのは快挙だろう、普段ならばそれらを倒した隊員に柱の称号を与える程の功績。だが、問題はそこではなく相手の頭領にある。
鬼舞辻無惨。“前”では協力者の鬼により毒薬を投与され、時間が経つにつれて弱っていった鬼の始祖。弱らせた上でやっとの事で死なせることができた化け物。しかし“今”は五体満足で無限城の何処かにいる。
まずい、彼女の頭の中にその一言だけがぐるぐると回っている。
彼女は“前”の当事者ではない。いや、確かに自身と同じ存在が絡んでいたのだろう。しかし彼女にとって現実である“今”では雲泥の差だ。
「(薬すら打てていない、無惨は眠っていない。鴉達の報告でこちらの方が有利に思いがちだけど、あの男が五体満足でいる限り私達は一生不利)」
冷や汗を玉のようにかきながら無限城の中を歩き続ける。走るのに特化していない着物ではあるが、それでも普通に歩くよりも早いそれに二人の少年はきっちり付き添っていた。
彼女、珠代は鬼でありながら鬼殺隊の密かな協力者でもある。此度は鬼舞辻無惨を弱体化させる為にここまで来たのだが、何一つ成功させていない。薬は完成している、しかし打ち込まなければ意味のないそれは珠代の手の中で眠っていた。
鬼を人に戻す薬。
これにて無惨の鬼の力を削ぎ。
早い老化を促す薬。
これにて無惨の鬼としての寿命を削り。
細胞分裂を阻害する薬。
これにて無惨の逃亡を防ぎ。
そして細胞を破壊する薬。
これにて無惨の治癒力を防ぐ。
これら四つの薬を一つのカプセル内に纏めたモノが珠代と蟲柱・胡蝶しのぶの協力によって作り出された、対無惨用の毒薬である。
強力な毒薬だ。普通の鬼が飲めば、ものの数秒で塵となるだろう劇薬。しかし無惨相手ではそこまでの即効性を求めることはできない。ある程度分解され、耐性を持つという予想を立てて作り出したものとしても、かの鬼の始祖に直様隙を与えられるわけではない。相手がなんてことない薬だと油断し、そして鬼殺隊の皆が協力しなければ、あの鬼を倒すことなど到底不可能。
「(私と無惨とでは鬼の格が違う。もし会敵しても私は死んでしまう)」
あのサーヴァント達から聞いた“私”とやらは上手くやったらしい、と珠代は眉を顰める。薬により弱体化し、しっかりと作用していたのを見たと言っていた。大丈夫です、貴女の願いは叶います、と泣きそうな笑顔で言ってくれた少年から青年へと成長した彼はこの城で何をしているのだろうか。敵と戦って勝っているのだろうか、鎹烏の言葉には出てこなかったけれど、それでも珠代は彼が生きている事を願う。
死してなお、他人の為にと剣を取り続ける優しい人の子、そして自身を人と思ってくれた優しい少女。
この時代に生きた子供とは同一人物でありながら別人である事は理解しているけれど、彼らの行動は、言葉は確かに心に根付いているのだから。だから。
「(せめて、彼らの未来の為にも)」
自分はこの薬をあの怪物に打たなければならないのだ。
希望を背負った毒薬を。
時は少し遡り。
「まぁさか断るとはなぁ」
無限城を渡り歩く黒衣を着たサーヴァントである鬼はふぅと息を吐きながら、そう呟いた。一歩踏み出せば姿が軋み、何の変哲も無い鬼であったその男はゆらりと長い髪を揺らして、呵呵ッと笑う。何が面白いのだろうか、黄色い猛禽類を思わせる瞳を輝かせていた。
男が思い出すのは今し方の出来事。自陣営側のサーヴァントに直接、鬼舞辻無惨の下へ送るという提案をし、そして断られた事だ。
「あー面白れェ。ラスボスに繋がる裏ルートを使わずにコツコツと敵を倒してレベル上げするタイプだとはなー。インドの神さんに言えば、“それも一つの手だろうけど”とでも言われそうだ」
あのゲーム好きの象にしてみれば、ラストボスさえ倒せば終わるという状況においてならば面倒な雑魚敵など無視するだろう。そこにミッションやら特別な報酬があるのならば、意味も出てくるがこの場合においてはそうでもない。そもそもレベルアップによる回復というのもないのだから、戦えばただ消耗するだけだ。
「あっ、でも乱入してくる場合もあるか。それは考えていなかったな」
鬼の祖が消えれば自分たちも消える。即ち死ぬことになるのならば、張り切って頭領を死なせないよう尽力するだろう。そうなれば不利なのはこちらだ。
「戦いってのは面倒だねぇ。俺はただの侠客だから、んなこと考えなくても良かったんだが……ま、マスターの命だ。暗殺者らしく暗躍させてもらうか」
まずは頭領のところだな、とその男は笑う。
自身へ下った命令はただ一つ、この大局を俯瞰し、カルデア側のサポートをすること。決して本当の姿を見せることなく、その能力を持って手助けをする。助太刀ではない為に表舞台には出れない、しかし侠客である自分にはぴったりな任務だ。
彼を守らせてくれないところには不満があるが、言っていても仕方がない。自身から目を離すということは信頼してくれているという意味もあるので、彼にとっては重要な命令が下っただけで充分幸運なこと。呵呵と機嫌良く笑っては姿が揺れた。
既に男の姿は無く、着物を着た一つ目鬼の女が現れる。左手には琵琶を、右手に撥を持ち、その弦を弾いた。
———べべん!
「んー……まだまだか」
終わりのない押し問答が続く。
「良かったのか? 溝口少年! あの鬼の誘いは魅力的だっただろう! 断るのは鬼殺隊として立派なものだが、見るに君の知り合いだったのだろう! 随分と親しげだったが!」
「(相変わらず声が大きいな、炎柱様は)」
隣にいたからか耳鳴りがする脳内を目を細めて耐える。耳に手を当てたからか、自身の唯一自慢できる髪が指に触れては揺れた。
どこを見ているかわからない瞳をげんなりしながら見た村田は、煉獄の言葉にまぁそうだなと心の中で同意した。
敵の捜索のために無限城の廊下を走っていた己らは先程正体不明の鬼と出会った。鬼の時点で正体不明じゃないと思われるかもしれないが、その鬼が無惨の手下ではなく、更には目の前を走っているサーヴァントの竈門炭治郎と同じ気配をしていたからである。無惨の鬼でありながら、サーヴァント。矛盾しているこれらはその鬼を正体不明なものだと判断するのには充分な材料だった。ただ、炭治郎にはその正体がわかっていたようだが。
「(正直、俺がいても直ぐに死ぬだろうから別にどっちでも変わりないけどさぁ……お前は違うだろ)」
村田は日々人が死んでいく鬼殺隊の中では古参の部類に入る。運が良いのか、比較的自身の実力に見合った任務しか入って来ずに着々と階級を上げて生き残ってきた。柱や一歩手前の甲と行かずとも、実力はそれなりにあるしちょっとやそっとでは死なない。まぁ那田蜘蛛山では少し死にかけたし、服は溶かされたが、それでも何も出来ずに死んでいった新人よりはマシと言える程の力はある。今年の新人達が可笑しすぎるだけで、村田は普通の隊士よりは強い。
しかし、この城ではそんな自負も持っているだけ損だ。隣にいる炎柱や英霊という存在に比べれば、自分なぞ塵芥も同然。柱稽古で下弦程度の鬼には勝てるようになった、しかしそれはこの城では雑魚である。一昔前なら快挙であるそれも、普通の事になってしまった。
「(けどお前は違う。貴方達は違う。きっと無惨の前に放り出されても直ぐに殺されない)」
どれだけ強いかなんてわからないけれど。でもきっと、己がずっと見てきた背中よりも向こうにいるんだろう。英霊なんてものになるほどに、無惨を倒しても終わらなかった戦いを生き抜いた彼らなら、もしかしたら倒せてしまうかもしれない。
なら断らなくても良かったはずだ。あの鬼だってもしかしたら親切心で言っていたのかもしれないし、この広い無限城を只管走り回るよりよっぽど効率的だ。
何故断ったのだろう。隣にいる炎柱も答えない炭治郎に思うところがあるのか、どうなんだ少年! と声を上げている。間違えた名前すら言わなくなった。
「……煉獄さんと村田さんだから言いますけど、あの人は俺の仲間です。いやマスターのと言った方が正しいですが」
だろうな、と村田は思う。出会った事のある接し方だし、相手も炭治郎も相手の事を良く理解していたように見える。それなりに接して、それなりに関わったはずだ。
しかしマスター……それは藤丸立香のことを指す言葉だったな、と思い出しては炭治郎の方を向く。煉獄がうむ、と一つ頷いた。
「それは見ていて分かっていた! 俺が聞いているのはそうではない。何故、君があの鬼の誘いを断ったか、だ」
珍しく声が静かだった。良く通る声なのは違いなく、しかし抑揚の無い音。普段の煉獄杏寿郎からは予想できないものだ。
そんな煉獄の言葉に炭治郎は徐々にスピードを落とし、最後に止まってしまった。思わずおいと言葉をかけてしまう。話しながら移動するのは良いが、止まってとなると時間の無駄だと村田だって理解している。隣の煉獄だってそうだ。流石に怪訝に思ったのか、その特徴的な眉を顰めている。
むーん。禰豆子が心配そうに声を上げた。
「あの人は仲間です。マスターに協力してくれている、ただそれだけの」
それは決して自分に協力してくれてるわけではない、とも言える発言だった。
どういうことだろう。村田は良くわからなかった。藤丸立香というのは我らで言うところのお館様だろう、ならばサーヴァントというのは鬼殺隊士に当てはまる。つまり仲間だ。
「(仲間なら……いや、そっか。そういう)」
仲間だからって信用できるわけじゃないらしい。鬼殺隊士も隊員同士で争い事はある。一人の人間だ、意見の食い違い、価値観の違い、性格の相違、少し噛み合わせが悪かったからと喧嘩に発展する事は間々あった。鬼殺隊に所属する人間は何も良い奴ではない、世の為人の為とは銘打っているけれど、結局のところ自身の中にある怨讐を消化しきれずに八つ当たりし続けているだけだ。そんな人間が人を信用できるだろうか、信頼できるだろうか。
否、できない。
「あの人はマスターの為ならなんだってする人ですから。その紆余曲折が非道だとしても、最終的に“利”があると考えるのなら、なんだって」
それに、と彼は笑った。
「断ったとしてもです。こうして———」
刀が滑らかに引き抜かれ、炭治郎の側にあった襖を一刀両断にした。
「ぁっ、ぐっ!」
突然の出来事。今まで気配すらなかった鬼の登場に炭治郎以外が咄嗟に臨戦態勢を取った。
襖ごと斬られたのか、鬼の身体からぽた、ぱたと血が滴る。それを見ながら炭治郎は己の刀に付いた血を振り払う。
「鬼を嗾けられますし、ね」
正直に申し上げる……まだ書けてない!!
言い訳をしようと思えば、あの手その手が浮かんできますけど結果は明白なんで口閉じます。
明日更新予定でしたが、明後日になりますねぇこれ……。