俺を喚んだのは過去の俺 作:鬼柱
「リョーマ、リョーマ。大変だ」
浅草にあるとある家屋。後にアパートと呼ばれる貸し部屋の一つにその女性はいた。黒いセーラー服を身にまとい、部屋の中を忙しなく浮いている。慌てたような声色を出しながら、彼女は表情一つ変えずに己の半身とも言える男へと声を掛けた。
リョーマ、ともう一度呼ばれた美丈夫は見ていた資料から顔を上げる。きょとりと瞬きを二、三回してから彼は笑顔を浮かべる。
「どうしたんだい、お竜さん。そんなに慌てて」
いつになく忙しない彼女に男は微笑ましそうに見守る。人の形を取っているとは言え、相手は人間ではないのであぁして感情のままに慌てるようなことが少ない。表情があまり変わらないのも彼女の本来の姿故だ。
話を聞くがてら休憩でもしようと、ふぅと息を吐いた男はシャツのボタンを緩めた。立っているならまだしも座っている状態だと、少し苦しい気がするからだ。
そんな彼を見た彼女は、ずいっと顔を寄せて瞳を見つめる。相手の目の中に自分が映っているのが見えた。
「大変も大変だぞ!少なくともお竜さんにとってはな!」
ガシリと両肩を掴んだ彼女は無表情のまま言ってのけた。
「カエルがない」
「…………ぁー」
彼女が言いたいことを悟った男は苦笑いを浮かべる。カエルがない、そう言うということはストックで取ってあった分まで全てなくなってしまったのだろう。
「煮干しはどうしたんだい?干してあったでしょ」
「そんなもの乾いた瞬間に食べた」
「あれ、保存用だったのだけど」
尽きては寂しいからと保存用を作ろうと言ってきたのは彼女の方だ。だから用事の合間を用いていそいそと作っていた。それを自らの手で台無しにするとは……あの努力はなんだったのだろうか、と乾いた笑いを零した。
「全くお竜さんの食欲は底なしだね」
「カエル限定だがな。カエルさえあれば、お竜さんはなんだってできるぞ」
「それは頼もしい」
まぁ今はそのカエルが無いのだけど。
「どうする?自分で取って来るかい?」
「んー……オルタにとって来てもらう」
「あぁ、成る程。もうすぐ帰って来るだろうしね」
ちゃっかりしている。彼女ならばきっとお願いを聞いてくれるとわかっているのだろう。基本的に自分で考えて行動しない天然なところがある彼女は人の頼みというのを断らない。押しの強いこのカエル好き相手なら尚更。
見知ってる相手というのもあるのだろうが。
「(ん?)」
噂をすれば何とやら、だ。この数ヶ月間で慣れ親しんだ気配がこの部屋の前へと現れた。それと知らない気配だ。敵意は無い、しかし警戒されている。サーヴァントでないその気配に記憶の中を探るが、ヒットする人物はいなかった。
しかし出迎えないわけにもいかない。警戒されているとはいえ、サーヴァントでもない相手に此方が下手に出ることもないだろう。それにこの気配はこの時代で“鬼”と呼ばれているものではないことから、少なくとも敵ではない。ただの人間だ。
椅子から立ち上がり、シャツのボタンを留めて上着を着る。いつもの格好になった男は、未だ扉の外にいる人物へ安心させるように柔らかい声音で語りかけた。
「オルタ君、だよね?」
小さくあぁと声が聞こえた。やはり話していた彼女らしい。ふっと息を吐いて、扉を開けた。そこにいるのは見慣れた姿の女性と、見知らぬ少年の姿があった。
黒い軍服と袴をを合わせた独特な服装に、その上からゆるりと羽織をまるで半着の様に着ている。背中に背負ったものはこの時代では滅多に見なくなったものだ。
髪をも全て合わせて真っ黒な少年はその深緑の瞳を此方へ向け、そっと目を逸らした。
「お疲れ様、大変だったろう?」
「おでんを食べたいぐらいにはな」
「そっか、後で買いに行こうか」
「リョーマ!お竜さんの分もだぞ!」
「はいはい、カエルもね」
お茶を入れようか、そこの君もどうぞ。と男は少年を招き入れる。その無防備さに少年はしばしば呆けるが、ずっと扉の前にいても話が進まないのでそそくさと部屋の中に入った。洋式の扉を閉め、草履を脱ごうとして男に待ってと止められた。
「靴履いたまま上がって。西洋式なんだ、この建物」
よくよく見れば皆土足だ。男は革靴をそのまま履いて部屋の中にいるし、己を連れて来た女はそのおかしな靴を脱ぐ動作もしなかった。何故か浮いている黒髪の女は靴は履いていなかったが、きっと地に足を付けないからだろう。郷に入っては郷に従え。少年は草履から手を離し、勧められるがままにソファーに座った。
その様子を見届けた男はニコリと笑ってから、台所と思われる場所で何やら作業をしている。お茶を入れようと言っていたことから来客用のコップを出しているのだろう。こぽこぽと液体が注がれる音と香りが部屋に広がった。
しばらくして出て来たのは西洋式のカップ。中には黒々とした液体が注がれていて、目の前にそれを出された少年は怪訝そうな表情を浮かべる。
「コーヒーだよ。西洋のお茶、みたいなものでね。苦いのは苦手だったかな?」
「いや」
静かに首を振った彼は恐る恐るカップを持ち上げ、一口味わう。最初に来るのはコーヒー独特の香りと味。未知のそれに少し驚き、飲み込んだ後に来る苦味に少し顔を顰めた。思っていたより苦い。しかし味わったことのない苦味だった。
「さて」
男も一口だけコーヒーを飲み、少年の対面側へと座る。カップを間にある机の上に置き微笑んだ。
男が座ったソファーの背もたれに黒髪の美女は座り込み、対して少年の背もたれの近くには先程おでんを所望して来た彼女が立っている。その立ち位置はまるで、主人に仕える召使いのようで……ちらりと少年を見た彼はあぁと納得した。
「良いのかい?」
静かに彼女に問う。
彼女には一人のマスターがいる。今ではもうマスターではないけれど、初めて現界し記憶を失くした彼女にとって唯一無二の存在だったのだ。ずっと無窮の場所で待っていたのだから、思い入れは果てしないはず。なのに選んだのは目の前の少年だ。
今回の現界は抑止の守護者として我らは召喚された。しかし男とは違い、彼女は元々一度の現界にだけに調整された霊基を持っていたが為に非常に危うい存在になっている。故に、この世に繫ぎ止めるマスターの存在が必至となっていたのだ。
しかし今回の現界でも出会ったマスターは既に契約したサーヴァントがおり、それを見た彼女がまだ余裕がある状態だから契約しなくても大丈夫だと断った。その時の気持ちの奥まで男は察することはできないが、彼女が決めたことだと口は出さなかった。
そんな彼女が連れて来た少年。つまりは。
「獪岳が私の新しいマスターだ」
マスターにする為。
「そっか」
もう既に決めていた様だ。
決意に溢れた表情を浮かべた彼女にもう何も言うことはないだろう。他人の決定に口を挟むものではない。
脚の上で手を組んだ男はニコリと笑って少年改め獪岳の方へと向き、初めましてと言った。
「僕は坂本龍馬。こちらはお竜さん」
「お竜さんだ」
「で、そちらが沖田総司。僕らはオルタ君と呼んでる」
「名乗ってなかったな。魔神・沖田総司だ。まじんさんでもオルタでも呼んでくれ」
流れで紹介したけど名乗ってなかったのか、と龍馬は呆れる。
そんな龍馬を余所に聞いたことのある名前を名乗った目の前の彼らに驚きながらも、そういうのもあり得るのかと納得した。何せ弟弟子から来る手紙にはそんな内容も書いてあったからだ。しかしこの状況を考えるに、あまり軽率に流して良い情報ではなかったのではなかろうか。
「(あのカス、あったことを何でもかんでも書きやがって)」
まさか先生まで巻き込んでねぇだろうな、と頭の隅で考えながら、坂本龍馬と名乗った男が差し出して来た手を見る。握手という西洋式の挨拶だろう。名前に反してなんともハイカラな男だ。
「宜しく、獪岳君」
自身より遥かに強いその男の手を握り返し、冷や汗を流しながらも獪岳はニヒルに笑った。
「あぁ、宜しく頼むぜ」
正直僅かに感じる威圧に逃げたくなるが、ここで引き返しては意味がない。
全ては関わっているであろう、あの勝ち逃げ野郎に意趣返しする為にこのサーヴァントに付いて来たのだから。
『逃げろ!!生きろ!!生きるなら鬼としてじゃなく、人間として!!生きろ!!!』
チッ、と心の中で舌打ちを零した。
「(俺に説教なんざ、百億年早いわ)」
借りはきちんと返さないと気が済まない。
結局のところ、善逸の言う通りにすることにした。
あの後炭治郎達への説明会が終わり、食後の緑茶も片付けてひとまず解散ということになった。朝っぱらからサーヴァント戦だったこともあり立香の魔力回復を名目に、しばしの休憩とのことだ。あとでまたどう動くか、という話し合いが行われるんだろうけど、まぁ自由時間ができただけ有難い。なのでそれを利用して善逸に会いに行こうと思ったんだが……。
「(念話で呼びかけても無視を決め込まれ、近づこうとすれば来るな!と牽制して来る)」
つまり、手詰まりなわけだ。
いや令呪を使った命令ではない為に強制力はないから、善逸の言葉を無視して近づいても良いのだけれど、それをすると嫌われそうだから中途半端な位置でウロウロするしかない。
これが忠実で誠実な騎士とかだったら、マスターの言葉に反して近づいて護衛しなくてはならないのでとか言うんだろうけど、お生憎様だが俺は剣士である。騎士王の口調を真似していたとしても、ただ流れに流されて剣士になってしまった元孤児だ。俺にそういうのを求めてはいけない。
善逸達の部屋からだいぶ離れた縁側。きっと治療の為と善逸が使っている縁側とはまた別の場所である。そこにちょこんと座って、身体を小さく折り畳める。膝の上に顔を埋めれば、視界は塞がれ暗闇が広がった。
「……」
視界が塞がったとはいえ、聴覚までなくなったわけじゃないから屋敷中の音が脳内に届いた。サーヴァントになったお陰か、生前よりもまた良くなってしまった耳を煩いとばかりに手のひらで閉じ込めるけれど、自分から聞こえて来る音は更に煩かった。心音は安心するとは言うけど、それはトクトクと小さく規則的になる音だからで、こうして聞こえてくる音は轟音だ。心臓はドクンドクンと脈を打ち、それ以前に盛大に流れて来る血潮の音は轟々とまるで大きな滝が流れる様な音を出している。
サーヴァントって不思議だ。身体がエーテル体で構成されているから、これら全部は偽物なのに、何故ここまで再現度が高いのだろうか。手のひらから聞こえて来る音達は確かに人間の音で、心臓、血潮、筋肉の収縮や、軟骨が擦れる音まで厳密だ。涙は出るし、涎は溢れる。水分は出るのに、運動して汗はかかない。冷や汗は出るのにな。
不思議だなーと顔を上げて、立ち上がる。庭に降り立ち、やがて聞こえて来る音に対して構える。
「ほんと、相変わらず……だなッ!!」
刹那に見えた藍色の頭に両手を添えて左に受け流した。砂埃を上げて滑ったそれは此方に振り返り拳を振り上げる。鳩尾に向かって放たれたそれを掌底で弾き、その腕を持って背負い投げを決めようとするが関節を外され難なく着地される。持っていても仕方ないと一瞬引っ張ってから腕を離し、たたらを踏んだその腰へと横蹴りを加えるが受け止め掴まれ、仕方ないとばかりに掴まれた脚を軸に一回転してもう一度同じ場所に踵落としを決める。所謂、脚の裏でする横蹴り。
もろに受けて俺の脚を離し飛んで行ったそれは途中で地面を蹴り空中に躍り出る。そしてくるりと半回転して塀の上へと降り立った。腹の底からの雄叫びが響く。ビリビリと鼓膜を震わすそれに思わず耳を押さえた。み、耳が痛い。
「ガハハハハ!!鈍ってねぇようで安心したぜ!!!」
「サーヴァントなんだから鈍るも何もないだろ!あと煩いよ!!伊之助!」
その美麗な顔を惜しげもなく日に照らす同期であり友人の伊之助へと文句を言う。何故か胴体の皮が増えた猪の頭を肩に乗せている彼は、嬉しそうに破顔している。うわ、眩しい笑顔。ここに女の子でもいれば全員が落ちてたなってぐらいにいい笑顔だ。
羨ましいぐらいに整った顔を楽しげに歪めた伊之助は二振りの刀を出現させる。刃毀れしているあの刀は伊之助の日輪刀だ。綺麗な青鼠色をしたそれをまるで猪の牙のように掲げ、突進してきた。俺も同じ様に刀を出現させて素早く抜き放ち、二振りの刀が交差する段階で受け止める。だが力が足りず押し負けそうになり、左手に持っていた鞘を放り出して柄へと手を添える。
「手合わせって刀ありかよ!!!」
「あん?誰も手合わせなんて言ってねぇぞ?これは勝負だ!!」
「あぁ成る程!これぞ文字通りの真剣勝負ってね!!……じゃかましいわ!!!!」
伊之助相手に力勝負で勝てるはずもないので刀を滑らして、返す刀で斬りつける。受け止められて蹴りを入れられた。地面を滑って後退する。まぁ喰らうわけないよな。剣戟でいうなら伊之助に分がある。何せ二刀流だ。男の浪漫を野生児ながらにわかってらっしゃる相手に、居合しかできない俺では敵うはずもない。相手に攻撃する隙さえ与えず倒すのが一撃必殺の雷の呼吸、壱ノ型。仲間相手に放って良い技ではない。
ま、伊之助なら防ぐだろうけど、それはともかく。
「シィ」
伊之助は勝負って言ってるけど、俺とってはこれは手合わせである。限度はあるし途中で止めるけれど、死ぬ可能性のない戦いを利用する手はない。
サーヴァントは基本成長しない。死んでいるからに他ならないからだが、だからと言って現界しても変化しないわけでもない。力や能力はサーヴァントになって固定されてるだろう。マスターによって違ったりするけど、現界してからその数値が変わることはない。でも、経験はどうだ。知識は?次に喚ばれるときには記録に変わってしまってるから持ち越せないけど。
「(でも、そんなの“今”は関係ない)」
刀の柄に両手を添えて握った。目の前でだらりと腕の力はある程度抜いて、対象的に脚には力を入れる。強化魔術はしない。これは伊之助との手合わせ。だったら生前に習得したものを用いよう。そして。
「シッ!」
今、思いついたことを実行しよう。
伊之助の後ろに回って両手で斬りつける。しかし防がれてたので彼の刀を蹴り上げてから、くるりと回り後ろ手で斬りつける。キィンと音が鳴ったと同時に離れた。
俺がいつもやる戦術。ヒットアンドアウェイ。俺が唯一出来る型を放って離れ、様子を見てまた放つというのが常套手段だ。けど今回はそれを霹靂一閃ではなく、刀を抜き放ったままで行う。つまり居合を捨てる。
けれど全集中の呼吸はしている。雷の呼吸は主に脚を使った呼吸だ。速さを売りにしているって言っても良い呼吸だから、脚にだけ集中させるのだ。つまり言ってしまえば、居合をしない霹靂一閃。うん、矛盾しすぎて意味がわからん。
まぁこんな事しても、他の型はとんとできないんだけれども。
伊之助への攻撃を剣術と体術合わせて行なっていると、突然彼は笑い声をあげた。楽しくなってきたらしい。
「ガハハハハハハァ!!面白れぇことすんじゃねぇか!!!権逸!!!!」
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「肆の牙ァ!」
「ッ!」
まずい!!
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二振りの刀から素早い六連の剣筋が走るのと、避けるために俺が上へと跳ぶのは同時だった。あっぶね、と冷や汗を掻きながら空中で魔力ブーストをかけて更に跳ぶ。腰に鞘を出現させて納刀した。重力に従って落ちる前にその場で型を放つための姿勢になる。
「雷の呼吸」
---壱ノ型。
「霹靂一閃」
何もない空中からの霹靂一閃。生前なら魔力放出なんてできなかったので、この体勢から霹靂一閃を出来るとは思っていなかったのだろう。驚いた表情で此方を見ていた伊之助に向けて型を放つ。
ドォン!と雷鳴が屋敷中に轟いた。
▼かいがくがなかまになった!
魔神さんと獪岳のドタバタ鬼退治(鬼がいるとは言ってない)はカット。長くなりそうな気がした。