途中で止まっていたので書き終えました
カランカラン、とベルが鳴る。酒場にいた客、荒くれ者、冒険者などはその開いた扉に目を向け、そして皆一様にぎょっと目を見開いた。
白銀の全身鎧。装飾もさることながら、傍から見るだけで尋常ではない力を感じ取れるほどのその鎧が、のそりと酒場に入ってきていた。ガシャリ、と鎧が床を踏みしめるたびに音が鳴り、酒場の客はごくりと喉を鳴らす。
背丈はそれほど高くない。成人男性だとすれば小柄な部類に入るであろう。そんな全身鎧は、マントを翻しカウンターに辿り着くと机に手を置いた。やはり鎧の擦れ合う音が鳴り、静かになった酒場ではやけに大きく響く。
「な、何のご用事で?」
酒場のマスターは恐る恐るその全身鎧に問い掛けた。明らかにこんな場所に来るような手合ではないはずだが。そんなことを思いつつ、ひょっとして王の命令でやってきた騎士か何かなのかもしれないと思考する。その場合、考えられるのはこの酒場が巻き込まれるという結論だ。
「ここは、冒険者の依頼も斡旋しているのでしょう?」
どうする、どうする。そんなことを考えていた酒場のマスターの耳に届いたのは、何とも可愛らしい女性の声。ん? と思わず視線を巡らせたが、周囲にはそんな声を出す人間は一人もいない。というか女がいない。現在女性陣は皆仕事中である。
「聞こえませんでしたか? 冒険者の仕事を探しているのですが」
再度、聞こえた。そして今度こそ声の主が誰であるかがはっきりした。
眼の前の全身鎧。そこから、どう考えてもcv間違ってるぞと言わんばかりに可愛らしい声が発せられていた。
「……はい?」
「ですから! 冒険者の仕事を探していると言っているのです!」
理解出来るかは別の話である。思わず反応が遅れ素っ頓狂な声を出してしまった酒場のマスターを見て、全身鎧は語気を強め机をバンバンと叩いた。その衝撃でカウンターがミシミシと音を立てる。
あ、これマズいやつだ。そう瞬時に判断した酒場のマスターは、こほんと咳払いをするとすいませんでしたと頭を下げた。
「えっと、冒険者の仕事を?」
「ええ。わたくし、流浪の冒険者をしておりますの」
胸を反らしそこに手を当てるようなポーズ、勿論もう片方の手は腰に当てる、をとる全身鎧。それは普通縦ロールとかなお嬢様がやるやつでは、というツッコミを入れられる者はここにはいない。命惜しいもの。
そもそもそのなりで流浪の冒険者は無理あるだろう。続けてそう思ったが、やはり皆口にしない。
「は、はぁ。ええっと、どのような依頼をご所望で?」
そう言いながら、こういうのは普通にもっとでかいところでやれよと酒場のマスターは心中で溜息を吐いた。ここまでの行動を総合すると、恐らくどこぞの貴族の子女であろう。貴族らしい万能感に溢れ、冒険者として少々無茶でもしようと飛び出した、というところか。
大きな場所だと親に見付かるとかそんな辺りか。装備だけ豪華な貴族のボンボンでもやれそうな仕事を適当に見繕うため、酒場のマスターは一応要望に沿うようなものをリストアップしようと。
「ええ。この辺りで一番困っている事件を解決するものが欲しいわ」
「……は?」
全身鎧の言った言葉を反芻する。ああつまりそういうことか、この貴族のボンボンは、世界を救うという壮大なる使命感を持っているのか。思わず嫌味でも吐き捨てようとしてしまい、酒場のマスターはそれを飲み込む。
が、だからといってはいそうですかと向こうに従うこともない。
「悪いんですがね、貴族様。ここにゃそちらの御眼鏡に適うような仕事なんぞありゃしませんよ」
「へ?」
「そういう大きな仕事は、もっと大きな街で受けてくだせえ。その方が貴族様のためでさあ」
「え? でも、わたくしは」
はぁ、という酒場のマスターの表情を見て、全身鎧はしゅんと項垂れる。少女ならともかく、フルプレートがやっても正直キモいだけだが、ともあれ全身鎧は分かりましたと踵を返した。トボトボとカウンターから扉へと歩いていく姿は小動物のようであったが、実際は鎧の塊で歩くたびにガッシャガッシャと音がしているので幻想である。
そのタイミングで再度扉のベルが鳴る。全身鎧からそこに視線を向けた客達は、先程と同じように目を見開いた。
薄い金髪をハーフアップにした女性――年齢からすれば少女と言ってもいいかもしれない――がそこにいた。服装は鎧の意匠が加えられた灰色のゴシック調バトルドレス。ブーツの代わりに具足を纏い、そして背中には女性に似つかわしくない大剣。
服装もそうだが、彼女自身もまた美しい。少し切れ長の目は幼さの中に大人の魅力を加え、唇は小さく瑞々しさに満ちている。すらりと長い手足は、それでいてしっかりと肉付きがされているし、服を押し上げる胸部の膨らみは母性が溢れんばかり。
つかつかと歩いてくることで、ヒップラインも大層魅力的であることを客達の目に焼き付けさせた。
「こんなところにいましたか」
溜息と共に発したその声も、彼女に相応しい。少なくとも全身鎧と比べれば、間違いなくベストマッチだ。
「あら、アーシェ」
「あら、じゃありません! 何やってるんですか!」
「何って……仕事を探しに来たのですわ」
「こんな場末のきったない男しかいない酒場で碌な仕事があるわけないでしょう!? バカなことやってないで帰りますよ」
ボロクソである。いや確かに今いる男どもは汚いが、と酒場のマスターは呟いたが、汚いは酒場に掛かってるだろうがという冒険者達の言葉に視線を逸らした。
ではお騒がせしました、とアーシェと呼ばれた少女はペコリと頭を下げ、そのまま全身鎧を連れて酒場を出ていく。出ていこうとする。
待ちな、と声が掛かった。振り返ると、一人の男が二人を睨み付けているのが見える。
「何か?」
「人様を貶しておいて、その態度はねぇだろ?」
「そうですわアーシェ。汚い男は言い過ぎです」
「……あー、はい。ごめんなさい」
全身鎧にそう言われたアーシェは、小さく溜息を吐くと頭を下げた。えらくあっさり引き下がられたことで、男も思わず毒気が抜け頷いてしまう。では改めて、と酒場を出ていく二人を、そのまま見送ってしまっていた。
カランカラン、と鳴るベルの向こうでは、やっぱり汚いは男に掛かってたんじゃねぇか、と笑う酒場のマスターがいたとかいなかったとか。
「で、姫さま」
「アーシェ、ここでは」
「聞いてる人もいませんよ。それで姫さま、どうしてあんなことを?」
あんなこと、というのは勿論一人で酒場に乗り込み依頼を探していたことである。ジロリと睨まれた姫さまと呼ばれた全身鎧は、バツの悪そうに視線を逸らすと頬を掻いた。勿論全身鎧なので兜をガシャガシャしているだけである。
「わたくしも一人でやれる、ということを」
「証明出来なかったみたいですね」
「アーシェが止めなければ出来ていましたわ!」
「そうですか」
ふーん、と彼女が軽く流したことで全身鎧の姫はカチンと来る。信じていないだろうと詰め寄った全身鎧に向かい、だってそうでしょうとアーシェは肩を竦めた。
「帰る途中でしたよね?」
「……」
ガシャリ、と動きが止まった。ギギギ、と白銀の鎧が錆びついたような動きをし、兜があからさまにアーシェから視線を逸した。
「出来てないじゃないですか」
「……」
全身鎧は動かない。道のど真ん中に放置されたかのような状態のそれを眺めていたアーシェは、やれやれと肩を竦めると一枚の書類を取り出した。まあそんな事は分かっていましたとぼやきながら、その書類を全身鎧に突きつけた。
「……これは?」
「依頼書ですよ。お望み通り、この辺りで困っている事件を解決するやつです」
渡されたそれを眺める。この先の街道に現れる盗賊団を退治して欲しい、そんなような意味合いのものであった。少なくとも二人で受けるような仕事ではなく、大人数でなければ対処出来ない事態だとして冒険者の依頼としては放置気味のものであったらしい。
「で、どうします?」
「勿論、やりますわ」
書類をアーシェに返すと、全身鎧は拳を握り気合を入れた。ガシャン、と一際大きい音が響き、通行人が何事だと二人を見る。そして美少女と全身鎧という謎の二人組を見てぎょっと目を見開き、関わらない方が良いと視線を逸らした。
「それでアーシェ、目的地は?」
「今から行く気ですか?」
「善は急げ。もたもたしていてはまた民に被害が出てしまいます」
そうですか、とアーシェは肩を竦め、こっちだと歩みを進めた。スタスタと歩くアーシェと、ガッシャガッシャと歩く全身鎧。
その途中、分かっていますよね、と彼女はアーシェに声を掛けた。
「分かってますよ。『ブラン』お嬢様」
「ええ」
ブラン、と呼ばれた全身鎧は微笑むような仕草を取った。行きましょう、とアーシェより前に出て、ずんずんと先に進んでいく。
「お嬢様、こっちです」
「……分かっていますわ」
「じゃあそっち行かないでくださいよ」
はぁ、と溜息を吐いたアーシェは、不満げな表情を浮かべているかもしれない全身鎧を眺める。いい加減それ脱いだらいいじゃないですか。そんなことをぽつりと述べた。
そんな彼女の言葉に、ブランは首を横に振る。それは出来ない、とアーシェに告げる。
「この鎧はわたくしの決意の現れ。これを纏う限り、わたくしは王女ではなく、騎士として在ることが出来るのです」
俯いているその顔を見る限り、どんな表情をしているかは読み取れない。というかそもそも全身鎧なので表情が分からない。とりあえず口調は真剣そのものであった。
はいはい、とアーシェはそんな彼女の言葉を軽く流す。そういうのいいですからと鎧の背中をコンコンと叩く。
「わたくしは本気で言っているのですが」
「知ってますよ。姫さまが国を思っているのは良く知ってます」
それを踏まえて自分はその態度である、と口に出さずに続けた。勿論ブランは気に入らんとばかりにアーシェに詰め寄る。表情は分からない。多分機嫌が悪い。
「兄さん」
ピタリと彼女の動きが止まった。それがどうしたのだ、と返したが、アーシェはそんな全身鎧を見てやれやれと肩を竦めるのみ。
「活躍して、名声を高めて。騎士団の筆頭騎士であるわたしの兄さん恋人にしたいんですよね?」
「なんのことでせう?」
「声震えてます」
微振動する全身鎧を見て溜息を吐いたアーシェは、まあそんなことどうでもいいから先に行きましょうと再度歩みを進めた。ちなみに話題を振ったのは彼女である。
町の入口で馬を借り、件の場所まで向かう。馬宿の人間は行き先が行き先なので渋ったが、王国の証文と騎士団の証文のダブルパンチに加え料金を三倍払われたことであっさりと手の平を返していた。
「今更ですけれど」
「どうしました?」
馬に乗り、二人だけで歩く最中、ブランはふと思い出すように声を上げた。アーシェがそんな彼女に視線を向けると、難しい顔をした全身鎧が首を捻っている。勿論難しい顔をしているかは分からないのでアーシェの予想である。
「王国の証文と騎士団の証文を使っている時点でもう既に正体バレバレなのでは?」
「今更ですね」
二人がこうして自称冒険者をするのは今回が初めてではない。そしてその証文を使ってゴリ押しするのも今回が初めてではない。アーシェの言う通り、今更なのである。
とはいえ、今までゴリ押された者達も今回の馬宿番もまさかこの全身鎧が国王の一人娘だとは夢にも思っていないであろう。何をどうトチ狂うと姫様がフルプレート着て冒険者をやるというのだろうか。
「まあ、それはそれでありですわね」
「ありなんですか……」
「演劇でもよくあるではないですか。王族が諸国漫遊して悪人を倒すというものが」
「え? 劇の主役にでもなりたいんですか?」
こいつ何言ってんだ、という顔でブランを見る。対する彼女はドヤ顔だと思われる雰囲気を醸し出しながらアーシェを見詰め返した。そして、それはそれでいいですけれど、と言葉を続ける。
「名が売れれば、その分わたくしの発言力も増すでしょう?」
「うわぁ……」
「何ですかその目は」
「姫さまが物凄く俗っぽい」
「わたくしは所詮小娘、後ろ盾もないただ『国王の娘』であるだけでは、いつか破綻してしまいます。そうならない為にも、自身の立場を強固にするのは何ら間違っていませんわ」
ま、そりゃそうなんでしょうけれど、とアーシェはぼやく。というか真面目に返されるとボケた意味がない。そんなことを追加で思いながら彼女は馬の手綱を握った。
「そろそろよく襲われる場所ですね」
「特定の場所で襲い掛かる、というのならばとうの昔に退治されていてもおかしくないでしょうに」
この街の衛兵はなにをやっているのだ、とブランは溜息を吐く。待ち伏せなり討伐団の編成なりをすれば片が付くような事柄であろうと考え、心なしか彼女の歩みが遅くなった。
それに相反するように、アーシェの歩みが強くなる。とっくに退治されていてもおかしくないような盗賊団が野放しにされ、そして依頼が出されているにも拘らず誰も受けていない。そこから導き出されるのは。
「姫さま」
「アーシェ、今のわたくしは」
「遊んでる場合じゃないかもしれないです」
「ん?」
周囲は丁度崖を切り取ったような道である。左右を高い壁に囲まれているがごとく、待ち伏せするには相応しい。
そのタイミングで馬が嘶いた。なんぞや、と疑問を持つ前に突如暴れだした馬は二人を振り落とし、そして逃げていってしまう。帰りの足がなくなった、とぼやいているアーシェを見ながら、ブランはやれやれと溜息を吐いた。
「遊んでいる場合ではなかったのでは?」
「そうですね」
背中の大剣の柄に手を掛けた。崖の上から感じる大量の気配に視線を向け、さてどうするかと一人呟く。
「アーシェ」
「なんです?」
「あの馬、逃げるよう訓練されていたのかしら?」
「まあ、あの手の馬は危険を察知すれば持ち主の場所に戻るよう躾けられていてもおかしくないですけど……」
ブランの言いたいことは分かる。つまり、今回の盗賊団はあの町の人間と手を組んで獲物をおびき寄せているのだ。そう彼女は主張している。
だが、アーシェとしてはそこには少し疑問があった。もしそうだとしたら、あの馬宿の人間もこいつらの協力者ということになるわけで。騎士団の証文と王国の証文を使ってゴリ押すような二人組を選んで襲うような馬鹿ならばとっくに足がついている。
「いや、まあ、盗賊団とかやってる時点で馬鹿なんでしょうけど。でも違う気がするんですよね」
「そうですか……では、答え合わせといきませんこと?」
鎧の拳を握り込む。金属がぶつかり擦れ合う音が響いた辺りで、こちらの様子を伺っていたらしい件の連中が顔を出した。その数は二十はくだらない。皆一様にニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら二人を崖上から見下ろしている。
「……いかにも、って感じですね」
「何の捻りもないですわね」
明らかに数で負けている。多勢に無勢、という言葉が示すように、普通ならばこの状況は絶望してしかるべきである。だというのに、アーシェもブランも取り乱すことなく自身を取り囲んでいる連中を眺めていた。
その中の一人が誰かの名を口にした。奴の言った通りだと笑っていた。久々の上玉だ、と舌なめずりをしていた。どうやら話を総合するに、町がグルであるわけではなさそうである。ただただ、盗賊団が何人か紛れ込んで情報を横流ししているだけなのだろう。
それはそれで街の衛兵は何をやっているのだというところに行き着くのはまあ仕方ない。が、今問題なのはそこではなく、会話の内容だ。
「うげぇ……」
「どうしたのです?」
「典型的な野盗って感じですね。何かわたし達犯す気満々ですよ」
「よくある話ではないですか」
「はいはいそうですね。街の裏通りとかにある本屋の官能小説によくあるやつですね。お嬢様とか姫とかが冒険に出て野盗とかオークとかに襲われて犯される話とか」
「そこまで言ってはいませんが…………え? よくある話なの?」
「今自分で言ったじゃないですか!?」
「金を奪い女を奪う、野盗の思考はそんなものでしょうという話だったのですけれど……アーシェ、そんなものを読んでいるの?」
うわぁ、とブランがちょっと引く。対するアーシェはいや違うんですと手をブンブンと振りながら彼女へと詰め寄った。何が違うのか、と問われればそれはもう何も違わないのだが。
だがそれでも彼女は違うと言い放った。自分は悪くないと言い張った。
「だって兄さんが、兄さんが」
「……アーシェ、いくらなんでもそこでリオンの名を出すのは」
「いや本当なんですよ! 兄さんそういうの好きなんです!」
風評被害である。彼女の兄は勿論そんなものを好き好んで読んではいない。本棚にこっそり紛れ込んでいるくらいだ。だから内容を知っているのは純粋にアーシェ自らの行動の結果である。
「リオンは、姫を乱暴に犯すのが好き……」
「あ、いや気の所為でした。うん、絶対姫さまを乱暴にしたいとかそんなの百パーセントありえません」
尚、現在のブランは全身鎧である。ちょっぴりイケナイ妄想をしていやんいやんと悶えているビジュアルは、全身鎧がクネクネしているようにしか見えないのである。
勿論盗賊団は何だこいつ、となった。気持ち悪い鎧がいるぞ、と誰かが叫んでいた。
「……? わたくし達の他にも何かいるのですか?」
「いや姫さまのことです」
「誰が気持ち悪い鎧ですか!?」
「だから姫さまのことです」
さらりとそんなことを述べ、まあいいからとりあえず片付けようともう一度大剣の柄に手を掛ける。さっきはグダグダと話していたせいで抜かなかったが、今回は。
大人しくすれば痛い目に遭わないで済むぞ、と野盗の一人がアーシェに告げた。その顔は決して自分達が負けることはないと確信しているものであり、捕まえた美少女をどう楽しもうかということまで考えている顔である。
勿論その辺りは先程のやり取りで分かっている。だからアーシェとしてはとっととぶっ倒したいというのが本音だ。
「まあ勿論抵抗してくれてもいいんだけどな。お前さんみたいな女騎士が最終的に命乞いするのは大好物だ」
「はいはい。もうそういうのいいんでとっととかかってきてくださいよ」
盗賊団の連中は笑みを崩さない。いくら口で強がったところで、女とよく分からない騎士の二人だけでは数的有利は覆せないという確信を持っていたからだ。なら少し痛い目を見てもらおう、と盗賊団は崖から彼女達へと襲い掛かる。
そうして第一陣が二人に辿り着いたタイミングでアーシェの剣が振り抜かれた。
「アーシェ」
「一応殺してないと思いますよ」
大の男が纏めて吹き飛んだ。崖の上でその光景を眺めていた盗賊団の残りは、どさりと地面に落ちた仲間を見て間抜けな声を上げる。何が起こったのかが暫し理解出来ず、そのため動きがほんの少しだけ止まった。
その隙を付けば一気に敵を瓦解可能である。が、アーシェは別段それをしなかった。大剣の腹を手でペシペシと叩きながら、やっぱり滅茶苦茶弱いですねとぼやいている。
盗賊達が我に返った。殺せ、と誰かが叫び、生け捕って楽しもうという考えを捨て崖の上から矢を射る。崖下にいる二人に向かい、雨のようにそれが飛来した。
「その程度で、このわたくしを貫けるとでも!」
アーシェの眼の前に全身鎧が仁王立ちした。飛んでくる矢を己の体のみで弾き飛ばしながら、手の甲を頬に当て高笑いをしている。所謂お嬢様笑いというやつであろう。勿論ビジュアルは全身鎧である。
そして加えるならば四方八方から飛んできているのでアーシェは完全に防げていない。
「確かに姫さま『は』無事でしょうね」
「……あらアーシェ、貫かれたのかしら?」
「そしたら死んでますからねわたし」
「その時はわたくしが責任を持って、リオンを王女の恋人として迎えましょう」
「絶対、死にませんからね!」
大剣を盾に、あるいは振り抜くことで切り払い、飛んでくる矢を彼女は防いだ。少なくとも一方向は気にする必要がない状態であったので、その点は感謝をしているのだが、当のブランの発言がアレなので決して口には出さない。
そうして矢の雨を無傷でしのいだ二人を、崖の上の盗賊団は再度驚愕の目で見詰める。何だこいつらは、と誰かが呟き、その得体の知れない恐怖が段々と蔓延していった。何の苦労もなくやってくる獲物を捕まえ楽しむ予定が、一体どうしてこうなったのだ。そんなことを思い、思わず後ずさった。
そしてその呟きを聞いていたブランは、そんなに知りたいのですかと崖の上に向かって叫ぶ。結局こうなるのか、と頬を掻いているアーシェのことなど気にせず、自慢げに鎧で硬い胸を張る。
「ならば! 教えて差し上げましょう!」
大仰に手を振り上げ、まるで歌劇の舞台上で歌う主役のごとく。観客の目を一身に集め、ブランは兜に覆われて尚良く通るその美しい声を張り上げた。
「我が名はマルガレーテ! マルガレーテ・ラ・ブラン・シュネーズ・ヴィッツェン! 今貴方達が踏みしめているこの国、シュネーズ王国の王女にして、可憐なる姫騎士ですわ!」
驚愕で誰もが目を見開いた。まさかそんな、と思わず盗賊団は視線を向けた。
アーシェに、である。
「え? いやわたしはアーシェ・アシェンプト・レラ・ツェレントラっていう王国騎士団の一騎士で姫さまのお目付け役ですよ?」
ちょこんと両手を上げ、何かを弁明するようにそう述べる。またかよ、という空気が彼女から発せられていることから、どうやら盗賊団のような視線を受けるのは今回が初めてではないらしい。
「そんな……馬鹿な」
「ふふ、まあ驚くのも無理はありませんわね。ですがこれは真じ――」
「こっちが姫騎士じゃないのかよ!?」
「――は?」
どうやら盗賊団の中でもそれなりの地位にいるらしい一人の男がそんな驚愕の叫びを上げた。どうやら今のブランの言葉は、彼女の隣にいたアーシェのものだと思いたかったらしい。全身鎧とゴシックバトルドレス、どちらが姫だと聞かれればとりあえずぱっと見で後者を選ぶ。
「姫さま、もう毎回のやり取りじゃないですか」
「納得いきませんわ! 何故毎回毎回毎回毎回アーシェの方を皆見るの!?」
「全身鎧着て冒険者やってる王女がいたら見てみたいですよ」
「ここにいるではないですか!」
「姫さましかいないのが問題でしょうねぇ……」
まあもうどうでもいいでしょう、とアーシェはブラン――マルガレーテ王女の肩を叩く。納得いかないともう一度呟いた彼女は、分かりましたと溜息を吐いた。
「まあそれはそれとして。貴方達盗賊団を、ここで退治します。大人しくすればこれ以上の危害を加えないと約束しましょう」
それさっき向こうが言ってたことと同じなんですよね、とアーシェは一人肩を竦めた。この場合は仕方ないとはいえ、それはそれでどうなのか。そんなことを考え、まあ別にいいかと彼女は結論付けた。別に人一倍強い慈愛の精神なんぞ持ち合わせてはいない、こういう連中は力尽くで押し潰しても心を痛めるわけでもない。
「そもそも、ここで痛めつけようが無傷で捕縛しようがぶっちゃけここまでやらかしてたら死罪ですよね」
「……」
マルガレーテは返答をしなかった。先程の言葉を違えてしまうのではないか、とほんの少しだけ顔を伏せ手で覆った。
が、幸いにして盗賊団は投降を選ばなかった。ふざけるな、と各々武器を持ち、二人をどうにかするために突撃してくる。相手が王族であろうとなかろうと、ここまでくれば襲撃相手でしかない。そう彼等は割り切ったのだ。
何より、自分達には切り札がある。だからこそこれまでここで盗賊団として傍若無人に振る舞えたのだ。
「仕方ありません。では」
「姫さま若干ホッとしましたね」
「おだまり。――では、改めて」
両の拳を握り込んだ。全身鎧の体を半身に構え、軸足に力を込める。
それを合図にしたかのように彼女の鎧の一部が展開・スライドし、溜まっていた蒸気を開放するかのように白い煙が吹き出した。プシュー、という音を上げながら、マルガレーテの全身鎧に力が集まっていく。
「プリンセス・ブーストダッシュ!」
何だか物凄く頭の悪い技名を叫んだマルガレーテが、文字通り飛んだ。脚部や背中から青白いオーラを発しながら、崖をものともせずに一直線に盗賊団へと突っ込んでいく。
勿論盗賊団は突撃を中止し、逃げた。
「逃しませんわ!」
何かを噴射するような音を立てながら崖の真上まで飛んだ彼女は、重量感のある着地をすると右手を腰だめに構えた。先程と同じように今度は右腕に力が集中し、そして青白いオーラが溢れ出す。
「プリンセス・ブーストナッコゥ!」
何でもプリンセス付ければ王女の技になるというものではない。ないが、とりあえずその掛け声とともに真っ直ぐ突き出した拳は目の前にいた盗賊達を薙ぎ倒した。やはり名前の通り、ブースト噴射込みで行われたダッシュパンチを受け止められる盗賊は一人もいない。
盗賊団から悲鳴が上がった。当然である。この国の王女を名乗る全身鎧がバーニア吹かしながら突っ込んでくるのだ。逃げない理由がない。
「よ、っと」
マルガレーテから遅れること少し。崖を駆け上がってきたアーシェは、彼女が暴れまわっているのを見て自身の大剣を一振りすると背中の鞘に仕舞い込んだ。もう姫さま一人でいいんじゃないですかね。そんなことを呟いた。
「た、助けてくれぇ!」
「嫌ですよ。アンタ達盗賊団でしょう? こうなる覚悟くらい最初からしててください」
逃げてきた盗賊を蹴り飛ばし、アーシェは溜息を吐く。思ったよりも楽勝だったと頬を掻き、あとは事後処理をどうするかを頭の中で思考し始めた。
この人でなし、と盗賊が叫ぶ。そちらを向いたアーシェは、とりあえず無言で大剣を抜き放ち、振り下ろした。
「何でアンタ達みたいな人でなし代表にそんなこと言われなきゃいけないんですか」
ふん、と鼻を鳴らすと剣を一振りし、再度鞘に仕舞い込んだ。剣の腹でぶん殴っているのでとりあえず死んではいないだろうと彼女は思っているが、まあ別に死んでいてもそれはそれでと軽く考えていた。相手は色々やらかしているのだから、今更きちんと扱われると思っている方がおかしい。そういうスタンスである。
「アーシェ」
「ん? どうしました姫さま」
「わたくしは、人でなしという意見は一理あると思いますわ」
「今度兄さんに姫さまの欠点吹き込んで好感度ダダ下げしておきます」
「そういうところですわよ!」
そっちが先にやったのだから、とアーシェは目を細める。こちとら普段色々やられているのだから後である、とマルガレーテは主張する。つまりはどちらも先に手を出したのはお前だと言い張っているわけだ。
盗賊団置いてきぼりであった。命が助かったことを安堵する盗賊達であるが、しかし捕まえられれば重い罪に問われるのは分かっている。ならばやれることは二つ、逃げるか、二人を始末するか。
盗賊のリーダー格はここで尚後者を選ぶ男であった。こちらの切り札があれば、所詮小娘二人――片方鎧だけれど――は恐るるに足らず。
「あ」
「どうしましたアーシェ……あれは!?」
リーダー格が広げていたのは一枚の呪文書。書、と言っても本ではなく、見開いた程度の大きさの紙、使い捨てのものである。そこに魔法陣と呪文が描かれており、発動すれば術者の能力に関係なく効果が発揮される。
そして男の持っている魔法陣は召喚魔法。何か強力な存在を喚び出しこちらを打ち倒す手段にするのだろう。
「使い捨て呪文書って、こんな盗賊が持ってていいものじゃないでしょうに」
「ですが、実際に眼の前では召喚が行われています。……成程、この盗賊団が討伐されない理由の一つはこれでしたか」
魔法は強力な技術である。その辺の衛兵程度がどうにか出来るレベルではない。その分費用や知識などがべらぼうにかかる贅沢な技術でもある。アーシェの言う通り、盗賊が持っているはずがないものなのだ。
一際大きく輝いた呪文書は、リーダー格の背後に巨大な魔法陣を描く。そこからずるりと這い出てきた物体を見た男は驚愕に目を見開き、そしてこれならば勝てると笑みを浮かべた。捻じくれた角、獣のように耳まで裂けた口、四足歩行の獣を思わせるその顔と牙。にも拘らず、二足歩行が出来るかのような鋭い爪を持った四肢と、大きな翼。
「はぁ!? レッサーデーモン!?」
「魔獣、ですわね……。少なくとも盗賊団が買えるほど安くはない代物のはずですが」
凄いぞ、とはしゃいでいる男を眺め、どうやら自分であれを選んだわけではなさそうだと判断した。誰かから貰ったものか、あるいは奪ったか。あれを持っているような存在が盗賊団程度に襲われ奪われるとは考えにくいので、とりあえず前者だと仮定しようとマルガレーテは頷いた。
「となると、この盗賊団と繋がっている存在がいますわね」
「あれを売った奴がいるって話ですか?」
「その通りです。……少しきな臭くなったわ」
高笑いを上げているリーダー格は二人を始末しろと声を張り上げる。そんな声を聞いたレッサーデーモンは、ジロリと男を見るとそちらに向かって腕を振り上げた。え、という間抜けな呟きと共に、リーダー格の男はレッサーデーモンによって押し潰される。
「姫さま」
はぁ、とアーシェが溜息を吐いた。何でそういうことするのかなぁ、と肩を竦めた。
彼女の目の前には、リーダー格を押し潰そうとしているレッサーデーモンの腕を己の鎧と自身の装備である盾により受け止めている姿が。
「当然でしょう。たとえ悪人であろうとも、目の前で助けを求めているのならば、わたくしは助けます」
「何も言ってなかったですよそいつ」
「……助けを求めている気がしました!」
つまり気分で助けたわけだ。そう指摘するとそういうのじゃないと拳をブンブン振り回しマルガレーテは抗議する。その振り回している鎧の手甲にぶち当たり、リーダー格は吹っ飛んで意識を飛ばした。
「さて、とりあえずあれを倒すのが先決ですわ」
「あ、なかったコトにした」
レッサーデーモンが制御不能だということを知った盗賊団はほうぼうに逃げ出していく。既に二人によって倒された大半の連中は意識もなく、そんな事が出来るのは一握り。放置してもいいが、どうしようかとアーシェはほんの少しだけ逡巡した。
「姫さま」
「なんですか?」
「ちょっと残り片付けてくるんで、レッサーデーモンの相手しててください」
「早めに戻ってきてくださいな?」
「はいはい」
足に力を込めると、アーシェは一気に地を駆ける。逃げる盗賊団に追いつくと、背中の大剣を抜き放ち横薙ぎに振るった。大地ごと切り裂くその一撃は、走って逃げていた盗賊団を真上に跳ね上げ地面に叩き付ける。よし次、と同じように逃げる相手に追いついては同じように剣を振るい盗賊団を吹き飛ばしていた。
そうして逃げ出す盗賊団の後始末を行った彼女は、倒れている一山いくらの連中を指で数えつつ一纏めにする。文字通り山になった有象無象を一瞥すると、視線を向こう側へと向けた。
「姫さまー? 倒しましたー?」
「見て分かるでしょう!? 一々嫌味を言わないと生きられないのですか貴女は!」
「いや今のは割と純粋な質問だったんですけど」
ポリポリと頬を掻きながら、アーシェは全身鎧とレッサーデーモンがぶつかり合っている場所へと赴く。両者の戦いは拮抗しているのか、どちらも有効打を叩き込めていないようであった。
それを見て彼女は首を傾げる。おかしいな、と全身鎧、マルガレーテを見やる。確かにレッサーデーモンは召喚魔獣で普通の冒険者ならばとてつもない脅威であるが、ある程度の実力を持った者ならば――例えば王国騎士団ならば余程の新米騎士かどうしようもない落ちこぼれ以外はそうそう敗れることはない。そして曲がりなりにもアーシェはその王国騎士団の一員で、マルガレーテは怪しい全身鎧ではあるがそこに並び立つ実力を持っている。
「何で苦戦してるんですか?」
「強化陣が仕込まれていたようですわ。通常騎士ならばトリオが必要でしょうね」
そう言いながら、彼女は溜息とともに相手の爪を受け止める。ギャリギャリと白銀の手甲がぶつかり合い火花を散らすものの、マルガレーテ自身は何ら揺るがない。ただの人間ならば容易く肉塊に変えられるそれを簡単に弾かれたことで、レッサーデーモンの目が僅かに見開かれた。
「アーシェ」
「はいはい?」
「援護を」
「いります?」
「いります!」
面倒だなぁ、と隠すことなくぼやくアーシェに向かい、マルガレーテも隠すことなく文句を述べる。そもそもとして少し待てという話だったのだから、終わったのならば手伝うのが当然なのだ。そう主張し、彼女はブーストを吹かし飛び上がるとレッサーデーモンの横っ面をぶん殴った。
「……いります?」
三倍以上はある体躯を拳一つで吹き飛ばしたその光景を眺め、彼女はもう一度問い掛ける。だからいると言っているでしょう。マルガレーテは頬を膨らませアーシェの質問にそう述べた。そんなような気がしただけで、実際そんな顔をしていたかは勿論不明だ。
はいはいとアーシェが隣に立つ。背中の大剣を抜き放つと、肩に担ぐようにそれを構えた。
「わたくしが前に出ます。アーシェは致命を叩き込んで」
「了解しました」
全身鎧が煙を吹く。ブーストダッシュで立ち上がったレッサーデーモンとの間合いを詰めるとマルガレーテはその拳を握り込んだ。捻るように振りかぶり、そして螺旋の力を纏いながら全身のバネと鎧のギミックを余すことなく叩き込む。
「プリンセス・ドリルブースト・ナッコゥ!」
レッサーデーモンの腹に波紋のような捩れが生まれる。明らかに不自然に生まれたそれは、魔獣の腹を食い破るようにその全身へと衝撃を広げた。大きく裂けたその口が苦悶で開けられ、鋭い牙を顕にさせつつ喉から悲鳴が漏れ聞こえる。普通の魔獣ならば、本来の量産されるような呪文書の召喚術で喚び出されたレッサーデーモンならばその一撃で勝負は決まっていたであろう。だが、何者かによって強化の術式を加えられた目の前の魔獣は、その一撃を耐えた。耐えてしまった。苦痛を、永らえてしまった。
「じゃあ、行きますか」
す、と腰を落とす。足に力を込めると、アーシェは先程の全身鎧のブーストと遜色ない加速を行った。流石に蒸気やオーラを発しているわけではないので見た目は地味だが、だからこそその動きは驚嘆に値する。残念ながらそれを見ていたのは既に慣れきっているマルガレーテとこれから討伐される魔獣だけであったので、そんな彼女の動きを称賛してくれるものはどこにもいなかったが。
マルガレーテの隣へと追い付いた彼女は、そこで跳躍。レッサーデーモンの頭部まで跳び上がった彼女は、そこで担いでいた大剣を握る手に力を込めた。
どうでもいい話ではあるが、人の優に三倍以上ある魔獣の頭部へとジャンプをする時点でスカートの中身は丸見えである。スカートをバサバサとはためかせながらパンツ丸出しの美少女は、戦いの最中であるというのに何とも不思議なエロスを感じさせた。が、見ていたのは生憎と同性なので興奮も興味もないマルガレーテとこれから討伐される魔獣だけであったので、そんな彼女の左右を紐で止めるタイプな薄ピンクのショーツを称賛するものはどこにもいなかったが。
「とっとと、始末しますよ、っとぉ!」
「『と』ばかりですわね」
「そこに文句つける必要なくないですか!?」
愚痴りつつ、アーシェはレッサーデーモンの頭部へと剣を振り下ろす。それが祟ったのか、僅かに剣閃は頂点を逸れた。真っ二つにする予定であったその一撃は、レッサーデーモンの頭部の右側を削り落とすだけに留まってしまう。当たり前だが、余程のことでもない限り普通の生物はそれでも死ぬ。
問題は相手が魔法で作られ、強化された魔獣であるということだ。
「うわ、まだ動く」
「申し訳ありませんアーシェ。今のはわたくしの落ち度ですわ」
「そうですね。間違いなく姫さまのせいです」
「普段であれば何か文句の一つでも言うところですが、今回は何も言えない……っ!」
ギリギリ、と拳を握り金属の擦れ合う音を響かせながらマルガレーテが悔しがる。そんな彼女を一瞥し、まあ二人でとどめを刺すチャンスが出来たと思えばいいとアーシェは笑った。
ガシャン、と全身鎧の頭部が振り向く。まるで目をパチクリとさせているかのようなその仕草を見て、アーシェは何ですかと問い掛けた。
「いえ。それは確かに、と思いまして」
「ふふん。今良いこと言ったんで、帰ったらボーナスくださいね」
「リオンとのお茶会をセッティングしてくれたら差し上げます」
「あ、じゃあいいです」
「どうしてですの!?」
がぁ、と叫ぶ全身鎧を受け流し、アーシェは視線を前に向けた。頭部を三分の一程度失った魔獣が、それを行った相手に反撃をせんと爪を振り上げているところであった。
「よっし、行きますよ姫さま」
「ええ。行きますわアーシェ」
剣を構える。拳を構える。相手の爪は眼前に迫っているが、それがどうしたと二人は己の得物を振りかぶる。
一直線に繰り出された拳は、爪を砕き手を吹き飛ばした。それでもまだ勢いは衰えず、魔獣の頭部へと向かって突き進む。
縦一文字に振り抜かれたそれは、爪を切り裂き手を両断した。それでもまだ勢いは衰えず、魔獣の頭部へと向かって突き進む。
拳についた血を振り払うかのように、全身鎧は右手を振るった。剣についた血を勢いで飛ばすように、少女はその大剣を一振りした。
それと同時。頭部を完全に失いその体を縦に切り裂かれた魔獣が、灰になって消えていった。
「一件落着。ですわね」
「ですねぇ」
山と積まれた盗賊団を呼び寄せた騎士団に引き渡し、マルガレーテとアーシェは戻ってきた町でぶらぶらと歩いていた。騎士には王宮へと帰らないことで苦い顔をされたが、全身鎧は気にしない。いや気にしましょうよ、とそんな彼女を見てアーシェは溜息を吐いた。
「まだ、この町にいた盗賊団の伝達役と呪文書を渡した相手の特定が出来ていませんから」
「伝達役は騎士に任せましょうよ……。まあ、呪文書を渡した奴は確かに気になりますけど」
意外と理由がまともだったのでアーシェとしても文句が言いにくい。が、それはそれとして現地調査をする必要性がそこまで無いのも確かなわけで。何よりそういう情報は王宮へ戻って調べる方がいい場合が多い。前者はともかく、後者は、だ。
「でも、リオンに」
「兄さんがどうしたんです?」
「…………立派に事件を解決するから、楽しみにしていてくださいと、手紙を」
「はーい帰りましょう」
訂正、しょうもなかった。そんなことを思いながらアーシェは全身鎧の腕を掴む。ズルズルとそれを引きずりながら、彼女はそのまま騎士団のいる場所へと歩き出した。ガシャガシャとうるさいが、そんなことは気にしない。見た目の割に軽いので、重量も問題ない。
「待って! 待ってくださいアーシェ! わたくしはまだやることが!」
「兄さんに良い格好見せたいとかそんなくだらない理由なら、無いも同然ですよ」
「いやそれは確かにそうなのですが。でもやっぱり気にはなるのです!」
「だからそういうのをきちんと調べるために一回戻るんでしょう? 我儘言ってないで帰りますよ。兄さんは別にその程度で姫さまの評価下げませんし」
「……本当、ですか?」
ガシャリ、と鎧をきしませてマルガレーテが上目遣いでアーシェを見る。傍から見ていると可愛さの欠片もないそれを眺め、彼女は笑顔を見せた。ええ勿論、と目の前の全身鎧に言葉を紡いだ。
「だって姫さまに下がるような高評価ないですもん」
「笑顔でとてつもなく酷いことを!?」
「わたしも普段からあることないこと兄さんに言ってますからね」
そう言ってサムズアップをしたアーシェを見て、マルガレーテは膝から崩れ落ちた。分かってはいたけれど、改めて口にされると辛い。そんなことを言いながら、全身鎧がガシャンと項垂れる。
「……いや冗談ですよ? 別にそこまで兄さん姫さま嫌ってないですし」
「慰めは結構ですわ……所詮わたくしなど、路傍の鎧も同然」
「意味分かんないです」
「そもそも『嫌っていない』、という評価の時点で望み薄……っ!」
「…………まあ、恋愛対象としては見ていないでしょうからねぇ」
仕えるべき主君の娘たる姫君、あるいはこれから忠誠を誓うべき主。評価としてはそんなところであろうか。
もしくは、手の掛かる妹分。
「なんたる、こと……」
「妥当だと思いますけど。っていうか知ってるでしょうに」
「くっ…………殺しなさい!」
「何で!? もうちょっと前向きに生きてくださいよ! 好きではあるんですから」
「……ほんとうに?」
「いや姫さまのいう意味ではないですけど」
「くっ……」
「だから!」
はぁ、とアーシェは溜息を吐く。テンションの下がるたびにやるこのやり取り、後何回すればいいんだろう。そんなことを思いながら、彼女はぼんやりと空を見上げた。
続けようと思えば続けられるけどとりあえず続かない