コナンと哀ちゃんが花火デートする話。
コ哀で夏の思い出の一頁。
「一体、どういった風の吹きまわし?」
灰原がじとっとした目で少年を見つめる。
阿笠博士の家の前に現れたのは、予想していた大人数ではなく、彼だけだったからだ。
「んだよ、俺がオメーと花火大会に行くのがそんなに変かよ」
コナンは腕を頭の後ろに組み、すたすたと歩き始めた。その後ろをついて歩きながら、灰原は言う。
「だって、二人で、なんて」
まるでデートじゃない、と続く言葉はなんとなく口にできなかった。
いつかだったかの放課後に突然告げられた、『土曜の夜、開いてるか?花火、行こうぜ』という言葉。確かに、誘い文句には、一言もほかの少年探偵団メンバーの名前は登場しなかったけれど。でも、てっきり、吉田さんたちも来るものだと思い込んでいたから――。
「二人じゃ嫌なのかよ」
いつも自信満々な彼の、少し拗ねたような声音に、灰原は弱い。
「・・・別に、そういうわけじゃないけれど」
追いついて、肩を並べて歩く。初めて着た浴衣は、どうにも歩きづらい。
「花火会場で大量殺人でも起きるのかしら」
「人を疫病神みたいに言うなっつーの」
「疫病神じゃなくて、死神でしょ」
「おい」
中学生になってもこうして軽口をたたき合う、何一つ変わらない関係。心地よく、そして、少しだけ苦しい。
花火会場の河川敷は案の定ごった返していて、色々な人がいるもののやはりカップルが目立つ。私たちも周りから見ればただの中学生カップルなのだろうか、と思うと急に恥ずかしくなった。
歩きながら周りを見ていて、灰原はふと気づく。
「・・・ねぇ、女子は浴衣がドレスコードなんじゃないの?」
「ん?」
華やかな浴衣が目立つものの、私服の女の子もたくさんいる。
「だから、博士が浴衣じゃないといけないって・・・ハメたわね、博士」
意味が分からない、と言った様子のコナンの表情から灰原は察して、ため息をついた。家に帰ったら、散々文句言ってやるんだから。
「でも、似合ってんじゃねーの」
「・・・あなたのためとかじゃないから、調子乗らないでよね」
「はいはい」
褒めてくれたのに、相変わらず素直になれない自分がもどかしい。でも、それを笑って許してくれる彼はいつもどおりで、ほっとする。
行列に並んで買ったりんご飴を舐めながら、人ごみの中を黙って歩いた。
提灯の明かりに照らされる彼の横顔を伺う。
最近、彼はますます工藤新一に似てきた。
当たり前だ。同じ遺伝子なのだから。 分かってはいるのだけれど、工藤新一の面影をその眼鏡の奥に見る度に、灰原の胸は鈍く疼く。
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数日前のこと。
浴衣に合う髪飾りがあればと思って、夕飯の買い物帰りに駅前の小物屋に立ち寄ったら、偶然声をかけられた。
『哀ちゃん!久しぶり』
屈託のない笑顔は相変わらずで。
『蘭さん・・・』
社会人になった彼女は、大人びていっそう綺麗になっていた。
今日は会社が早く終わって、今帰り道なのだという。しばらく世間話を――というよりも、蘭の質問に灰原が答えて、という形式に近かったが――していたのだが、突然彼女が悪戯っぽい笑みを浮かべて訊ねた。
『ねえ、哀ちゃんはさ、コナン君と付き合ったりしないの?』
うまく呼吸ができない。
『・・・どうして、付き合わないといけないの?』
やっと口から出たのは、意味のない質問返し。
『コナン君、哀ちゃんのこと好きだと思うんだけどな』
彼女は、何も分かっていない。 私は工藤新一を、殺した。江戸川コナンと二人で。 小学校三年生になった秋だった。
『もう、待たせていられないから』と悲しそうに笑いながら、彼は言った。
諦めるなんて、彼らしくないと思った。でも、いつまでも待っていてくれるであろう純粋な彼女の、そして日夜研究を続け、成果が出ないことに焦っていた灰原のための、苦渋の決断だったのだと、言葉にされなくても分かった。
あの時。もっと強く反対して、思いとどまらせるべきだったのかもしれない、と時々思う。
彼女の恋人を幼児化させた原因を作り、挙句解毒薬を作れずに殺したのは私だ。彼らの仲を引き裂いたのだ。死んだお姉ちゃんを彷彿とさせる、優しい彼女を傷つけて。
そして、彼にとっては私はただの相棒で、それ以上でも以下でもない。彼にとってのアイリーン・アドラーはあなたなのよ、と言いたかった。
『そんなこと、ありえないわ。・・・失礼します』
そう言って、灰原は逃げるように店を出た。
店で見ていた華奢な桃色の花がついたかんざし。地味な紺の浴衣を少しは可愛く見せてくれるかと思ったけれど、そういうのは、彼女みたいな人のためにあるのだと結論付けた。
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「わっ」
考え事をしながら歩いていたら、足がもつれて転びそうになった。
「おいおい、気を付けろよ?」
彼が笑って、そして少し考えてから、「転ばないように」と言い訳のようにつぶやきながら灰原の手をとった。
突然の行動に驚きながらも、「転ばないように」、それだけなのよ、と灰原は何度も自分に言い聞かせる。
雑踏の中ではなんとなく口を開く気にはなれず、お互い黙って川沿いを歩いていく。客引きをする露店の店主、自分の顔よりも大きい綿あめを頬張る子ども、周りの人の笑い声。この国もまだまだ平和ね、なんて考えて、今の自分の状況から気をそらした。
「ここでいいか」
少し開けたところで、コナンはそっと手を離した。行き場のなくなった自分の手は、ぎゅっと浴衣をつかんだ。
「この前、彼女に会ったわ」
彼女の勘違いについて彼に忠告しなければいけない、そう思いながらもずっと切り出せなかった。でも、ここできちんと話しておかなければならない、と思った。
「・・・蘭のことか?」
「ええ。彼女、誤解してるわよ。あなたが私のこと好きだって」
「それ、蘭が言ったのか?あいつ・・・」
コナンが頭を抱えた。
「今どき、別に年の差なんて関係ないでしょ。江戸川コナンだって、その気になれば彼女と付き合えるんだから、頑張りなさいよね」
鼓舞するように彼の肩を叩いた。
頑張りなさいよね。それは、彼と自分の両方に向けられた言葉。
「違う・・・違うんだ、灰原。」
言い訳なんてしなくていいのに、と灰原は俯いた。
その・・・とコナンは口ごもる。しばらくして決意したかのように眼鏡を直すと、ようやく口を開いた。
「蘭に、相談したんだ。灰原のこと好きになっちまったんだけどどうすればいいかって・・・長く一緒にいすぎて、分かんなくなっちまったから、さ。」
「え?」
何言っているの、冗談よしてよね。色々な思いが脳内を駆け巡ったが、うまく言葉にならない。
「そうしたら、今度の花火に誘うのが良いよっていうから・・・。 」
あたりにはもう夜の帳が下りていて、彼の表情は見えない。どこか照れたような、拗ねたような声音だった。
「えっと・・・」
「江戸川コナンとして生き始めてからずっと、灰原のことが好きだった」
「そんな、今更・・・」
違う。こんなことを言いたいんじゃなくて。
色々な思いが交錯する。
「悪かった、俺たち近すぎてなかなか自分でも認められなくて」
そうか。何も分かっていなかったのは、彼女じゃなくて私の方だったんだ。
灰原がそう思った時。
ひゅぅぅぅぅ ドォン
轟音が響いた。反射的に灰原はコナンの腕をつかむ。
彼女の苦手な雷ではなかった。
空が深紅に染まる。
思った何倍も、大きな花が咲いて、散っていく。
「きれいね」
思わず、呟いていた。夜風が髪をなびかせる。
「私ね。ずっと海外にいたから、日本の花火ってどんなだろうって思っていて。だから」
丁寧に言葉を選んで、紡いだ。
「あなたと一緒に見れて、よかったわ。」
こんな一言も、口にするだけで顔が熱い。 好き、なんて素直に言えないけれど、その代わりの言葉だと彼ならきっと分かってくれるはず。
へへっと彼が笑った。
「よかった、オメーなら『ただのリチウムの炎色反応じゃない』って言いかねないと思ってた」
「なにそれ、私の真似?」
灰原が口を尖らせた。
「あと、今のはどっちかというとストロンチウムの色だと思うわ」
「はいはい」
目が合って、同時に吹き出した、その時。
「もう花火始まってるじゃないですか~」
「もう、元太君がスーパー大盛焼きそばを三回もおかわりするからだよ」
「だって、スゲーうまかったんだぜ!なぁ、うな重売ってねぇのかな!」
嫌な予感。急いで腕を離して、俯くも、遅かったようだ。
「おい、コナンと灰原じゃねぇか!」
「え、コナンくん、今日は博士の家で哀ちゃんと研究って言ってたのに、もう終わったの?」
「ひょっとして、抜け駆けですか?」
両手にフランクフルトを持った元太。ピンクの浴衣の歩。口を尖らす光彦。
「あのー、えっと・・・」
口ごもるコナン。誤魔化しの天才の彼も、咄嗟のことに困っているようだ。
助け舟を出してあげよう、と灰原は微笑む。
「私たち、付き合ってるのよ。・・・なーんてね」
「え!?」
「哀ちゃん?!」
「冗談ですか?それとも、本当ですか?」
言葉を失う彼と、銘々に悲鳴をあげる少年探偵団。
だって、大切な友達には、きちんと知らせたいもの。
また一つ、二つ。空で色が弾けた。彼らを祝福するような音と色の舞踏会は、まだ始まったばかり。
少数かもですけど、哀ちゃんの恋心が報われて欲しいこの頃です。