弾けろ筋肉!飛び散れ汗!これぞ肉体派!水野蒼太のお出ましだ!宇佐の日常は混沌としているが、筋肉があれば万事解決!
「もしもし?住子さん?…うん。やっと河合荘に戻れそうだよ。え?麻弓さんと彩花さんは旅行?時期は被ってるけど一緒に行ってるわけじゃないんだね。…麻弓さん旅行先で迷惑かけてないといいんだけど。彼氏さんと一緒?なら大丈夫そうかなぁ」
スーツアクターとして参加していた特撮映画の撮影がようやくクランクアップを迎え、抑えられたホテルで僕は下宿先の管理人さんと通話をしていた。何でも新しい子が来るそうで、ここ最近住子さんは三日に一回、ウキウキとした様子で僕に電話をかけてくる。
『河合荘』。河合住子さんが管理する、まかない付きの賑やかな下宿だ。
そんな河合荘には『面接』というものが存在しており、そこで住子さんは新入居者の品定めをする。
何でも『宇佐和成』という名前で、今年から律っちゃんと同じ高校に通い始めたとか。『変人に好かれそうなタイプ』らしく、河合荘の個性的なメンツに丁度いいとのこと。物静かな律ちゃんはともかく、ダメ男吸引力の変わらない掃除機の麻弓さんや青少年の純情でジャグリングする彩花さん、ドMを超えた超Mのシロさんを相手どるのは無理があるのでは?
僕?僕は結構まともな方だよ?うんうん。麻弓さんを慰め、彩花さんのストーカーを叱り、シロさんに高負荷のトレーニングをやらせて満足させる。『河合荘の苦労人』と言ってもいいくらいだ。かける迷惑といってもちょっと暑苦しかったり、ちょっとトレーニングの騒音が大きかったりするだけだ。うん。そこはちょっと反省してる…
「麻弓ちゃんなら大丈夫よ。きっとフラれても、三日ぐらい酒飲んで悪酔いして蒼太くんとシロくんに頑張ってもらえばいつも通りの上機嫌に戻るわよ。」
「三日、ですか…ホント振られてないといいですけど…」
「うふふ、気をつけて帰っておいで。明日は蒼太くんの大好きな唐揚げにするからね」
「ありがとうございます。夕方くらいに河合荘に到着しそうなので!」
住子さんとの通話を切り、キャリーバッグに荷物を詰め込む。あの人の料理は絶品だ。自分もそれなりに料理はできる方だと自覚しているけど、経験の差か、住子さんには敵わない。趣味のお菓子作りも菓子作り友達の有無によって差をつけられている。
別に僕の友達の数が少ないわけではない。ジムの筋肉仲間や麻弓さんに頼まれて(脅されて)友達付き合いを始めたイケメン俳優達など、数はいるけれど製菓趣味の友達がいないのだ。彼らは日夜筋肉と熱い対話を試みたり、美女とアツい対話を試みたりしている。残念すぎたり男の純情で遊んだりしないちゃんとした美女とである。
料理において生地との対話は時に熱く、時にクールにアプローチしなければならない。麻弓さんのようにガッついても、本当のイイ男は本能的に残念さを見定めてしまい、別の女性とくっついてしまう。生地も恋愛も筋肉も距離感が大事なのだ。
それにしてもお菓子のことを考えていたら甘いものが食べたくなってきた。今日は早めに寝て、河合荘に戻ったらお菓子を作ろう。
「よし、これで荷造りは完了っと」
ファスナーをきっちりを締め、カギで簡単に開かないようにする。入っているのは着替えに歯磨きセット、暇つぶし用の料理雑誌、健康サプリ、プロテイン、各地で確保した全員分+新入居者さんへのお土産だ。
お土産の中身は全て食べ物系だ。住子さんはともかく、他の住民にストラップや小物を渡してもロクな扱いを受けない。
これは憶測だが、シロさんはきちんと部屋に飾ってくれるが受け取った際にドギツい下ネタをかまし、麻弓さんはずさんに扱って壊し、彩花さんはメルカリで他の人の元へ。律ちゃんは渡したことが麻弓さんと彩花さんに即バレして十日間くらいイジられる。筋肉によって鍛えられたメンタルも、この猛攻では太刀打ちできるかどうか非常に怪しい。やっぱり食べ物系で正解だ。
…さて、そろそろ寝てしまおう。住子さんの唐揚げも楽しみだ。
「…麻弓さん、フラれてたらめんどくさそうだなぁ…」
※
「…ッケンジのぶぁっかやろおおお!!」
バイクで帰ってきた僕は、そろそろ河合荘に着くかというぐらいの場所で聞き覚えのある叫び声にバイクを止めた。
ああほら、一番めんどくさいパターンだ。
河原で酒瓶や缶が入ったゴミ袋を背中に、枯れた声が吠えている。嗚咽と悲しみのオーラを振りまき、一人の女が夕日に照らされ、そのデカい乳が影をさす。
「こういうのホントにやる人いるんだ…」
その背後にはドン引きした男子高生。いかにもステレオタイプの失恋に驚愕しているようだ。ん?てかあの子、話に聞いてた宇佐くんでは?電話口で聞いた特徴にはピッタリと当てはまっている。
僕はバイクを降り、手で押しながら、宇佐くん(仮)に近づいていく。
「あのー、もしかして宇佐くん?」
「へっうわっ爽やか系マッチョ!?」
後ろから声をかけたのはまずかったのか、一瞬ビクッとした後、引き気味に振り返る。驚かせてしまったようだ。
それにしても第一印象がマッチョとは、なかなか宇佐くん(仮)も『理解』ってるじゃないか。
「というよりなんで俺の名前…ってもしかしてシロさんが言ってたもう一人の…」
「どーも、宇佐和成くん。僕は水野蒼太。シロさんと同じく、河合荘に下宿させてもらってるんだ。気軽に蒼太さんとか筋肉さんって呼んでね。宇佐くんは一目見ただけで住子さんのイメージにぴったりだったよ!特に『変人に好かれそうなタイプ』ってとこ!」
「好きで好かれてるんじゃないです!って筋肉さんって何すか!」
おお。ツッコミのキレも相当だ。期待の新人さんだなぁ。
それに比べて、あの残念クイーンは…
「あのクソチンポ男!皮剥くのも手術の引きこもり野郎が、コンドームつけただけでよだれダラダラ垂らしてんじゃねぇぞ!他の女とヤった後でテメェは二発目だろうが!ちったあ気張れや!あとせめて二股バレても開き直んなよ開くのは皮だけにしとけやガワが良くても可愛いナニじゃ入れても何?って感じだわチンポも誠意も小せェおチビちゃんが!ケンジからオチンチンに改名しろやけんちん汁!」
おお。ブッコミの無礼も相当だ。卑猥な隣人さんだなぁ。
麻弓さんの下ネタはエロに興味津々な青少年でも太刀打ちできないほどのエグいレベルで生殖器の名前を叩きつけてくる。それに今はいつもより酔っているのか、直接的な表現が多い。
「…なんかあの人の独り言聞いてると、男としての何かがすり減ってくる気がします…」
「彼氏がいるときはまだマシだから…ね?」
ああほら、少し前まで麻弓さんを心配していたような隣の宇佐くんは殆ど死んだ目で川を眺めている。こりゃもう色々悟ったんだろうなぁ。
しょうがない。彼の心労を少しでも減らしてあげるため、この蒼太、一肌脱がせてもらいましょう。
「麻弓さーん!お外で飲むのはやめましょうよー!」
「あっテメェ筋肉!いつから見てやがった筋肉!事と筋肉によっては容赦なく川面に叩きつけてやるからな筋肉!悲しんでる女を慰めずに傍観しやがって筋肉!脚の筋肉より三本目の脚の方を鍛えやがれ筋肉!チンポにダンベル括り付けてやろうか筋肉!お得意の筋トレだピーシー筋だぞピーシー筋肉!キンタマの中身はちゃんとプログラムされてんのかき、きんにっ…くっ……くくくっ」
「キッズアニメのキャラクターみたいな語尾」
もちろん僕はPC筋だってきっちり鍛えている。全身余す事なく鍛えるのが筋肉道であり、それにはアソコの筋肉でも含まれる。
「自分で言って自分で笑ってるじゃないすか麻弓さん。PC筋でそこまでツボにハマってる人は初めて見ました…来たのは今さっきですよ。住子さんも、麻弓さんが中々帰ってこなくて心配してるでしょうから、早く帰りましょう?ね?」
午前中は都内でバタついていたので今日は筋トレをしていない。こちらはさっさと河合荘に戻ってチンニングを始めたいのだ。なお、チンニングは決して下ネタではない。
「やだやだ〜!帰りたくない〜!どーせお前はさっさとこんな女の介護終わらせて部屋戻ってあの懸垂マシン、何だっけ…そう!チンキングしたいんだろ!チンキング!アレ買ってからお前チンチンチンチンうるさかったからな、住子さんドン引きしてやんの!バーカ!」
オーケーオーケー。筋肉は平常心。筋肉は平常心。住子さんの誤解はしっかり解いたし、チンキングじゃなくてチンニングだし、チンチンチンチン言ってたわけではない。そして何よりチンニングは決して下ネタではない。それは絶対だ。チンアップも下ネタではない。だいぶアレだが下ネタではない。
「はいはい。チンチンチンチン。ずっとゴネてたら引きずってでも帰らせますよ…ごめんね宇佐くん、先行ってていいから」
「やめろォ筋肉!離せオラァ!もうちょいお前に迷惑かけさせろォ!」
「あははは…」
十二分に迷惑被っている状況で何を言っているのだろうか。宇佐くんもどうしていいのか分からずにただ苦笑いを浮かべている。
今日は一段と荒れているし、段々僕一人では解決できなくなってきている気がしてならない。いつもなら下ネタも含みを持たせたり比喩表現を好んで使っているのに、今回は直球かつ豪速球だ。
ええい。この酔っ払いめ。ファイアーマンズキャリーしてぐるぐる回ってやろうか。アルコールを遠心分離してやる。
「離せオラァ!」
「離すかオラァ!」
「…何してんですか二人とも。宇佐くん戸惑ってるじゃないですか」
夕陽を背に本を持った女子高生が一人。河合荘の華、河合律ちゃんだ。他二人はラフレシアとハナカマキリなので僕はノーサンキューで。
「…あ、律先輩…どもっす…」
「ん」
「あは、アハハ…」
うわ宇佐くんめっちゃ頰緩んでるしめっちゃ後頭部掻いてる。ホの字?ホの字なのか?デレデレオーラと失恋オーラが入り混じって混沌としているんだが。
「あっっっの青春小僧が…!私が幸せになる前に幸せになろうとするんじゃねぇ…!」
「世界反面教師ランキングで上位を狙えそうっすね麻弓さん」
「大人気ない大人だ…」
失恋オーラが一層強大になり、怒りのオーラも滲んでいく。それ以上顔を歪めると変なしわが残っちゃいますよ。言ったら確実に鳩尾狙いのブローをかましてくるので言わないけど。
まさしく鬼の形相と呼ぶに相応しい顔をした麻弓さんは僕の拘束を振りほどくと、土手の上まで登っていき、階段の手すりに跨った。
「うわーん!こうなったらここから滑っていって適度に擦りむいて罪の意識植えつけてやるー!」
「悪質!」
本当に何をやっているんだあの人は。
しょうがない。麻弓さん程度の体重ならブレーキなしで手すりを滑っても受け止めるのに苦労はしない。俺は腰を下ろし、受け止める構えをする。
「さぁ来い!」
「あ、やっぱやめた」
麻弓さんはどっこいしょの掛け声と同時に大股を開き、手すりに跨るのをやめる。羞恥心は酒の彼方に消えてしまったようだ。というか、滑るつもりじゃなかったのかよ。
「てか、なんであたしは手すりを滑ろうとしたんだ?なんでわざわざ擦りむき傷を作らなくちゃいけなかったんだ?チェリー小僧のためにこんな痛い目に遭わなくちゃならないなんて…」
「頼んでないし自分で怪我しようとしたんでしょうが!」
このままじゃ麻弓さんを家に帰らせるのは不可能だ。やはり強引にでも運んでいくしかないかもしれない。
僕は階段を駆け上がると、麻弓さんの確保を実行する。
「なんだお前!おいやめろ婦女暴行だぞ!筋肉に抱かれるシュミは無ぇ!」
「誤解される言い方はやめましょうね…!ほら、暴れないでください!階段なんですから危な…っ!」
瞬間、麻弓さんの駄々っ子アッパーが僕の顎にヒットする。
「ちょっ…!」
完全に脳を揺らしにきた。瞬間僕の体から力がふっと消えていき、意識は微睡みの中、階段から落ち、頭から激突_____
「_____しないッ!」
首を鍛えていて助かった。不意のパンチでも咄嗟に首の筋肉に力を入れ、脳震盪を阻止する。一瞬目眩がして、階段から落ちるギリギリの姿勢。仕事のアクションシーンでもこんな危険な状況にはならない。麻弓さんといると危険には事欠かない。危険を請け負うのはシロさんだけでいいのに。
俺はしっかり踏みとどまるために使う筋肉を意識し、麻弓さんごと体を引き上げる。
「唸れ僕の脊柱起立筋ンンン!」
「何あのすっげぇ背中…」
「蒼太さんは筋トレが趣味なんだ。河合荘でもたまにああやって筋肉を唸らせてるよ」
「なんか蒼太さんから湯気出てません!?」
「気にしないで。いつものことだから」
いつもやってるわけじゃないです。これも全部麻弓さんが悪い。唸らせた脊柱起立筋はしっかり僕の脳からの指示に応え、ギリギリの事態から脱する。
ともかく、日課の筋トレが功を奏して落下を阻止できた。やはり筋肉。筋肉パワーは偉大なり。
このまま麻弓さんを担いで河合荘に帰ろう。宇佐くんには悪いが、路肩に停めてあるバイクは彼に押してもらうしかない。そして麻弓さんには住子さんにきっちり叱られてもらおうか。
「あー、唐揚げ食いたいなぁ…」
確か住子さん曰く、夕飯は唐揚げになるはずだ。さっさと帰って夕飯を待とう。
僕はタイヤロック用のキーを渡すため、宇佐くんの方、階段下に振り向く。
「宇佐くん、悪いけどバイク押してもらえないかな?ほら、麻弓さん放っておくとアレだし」
「あ、はい!」
「私、ゴミ袋処理しておきます」
律ちゃんに言われて目に入った、さっきまで麻弓さんがいた河辺のゴミ袋は酒の缶でいっぱいだった。麻弓さんはあの場所で何時間泣いていたのだろうか。
「二人ともありがとう。じゃ、帰ろうか」
「う"う"ぅ〜〜〜…っ!」
担いだ方の肩から呻き声が聞こえる。よほど前の彼氏の二股がショックだったのだろう。だからといって僕のシャツで涙をふくのはやめてください。
「はぁ…」
やはり今日は唐揚げの気分ではない。無性に親子丼が食べたくなってきた。
同じ鶏料理だし、住子さんに頼めば作ってくれるだろうか。
筋トレマニアかつ製菓趣味、職業はスーツアクターの水野蒼太くん
一応設定は作ったけど65%くらいの確率で続かないです…