転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
ご指摘下さった皆さんありがとうございます。
物騒な気配に教室の入り口から廊下を覗いてみれば、そこには先程出て行ったシンとマリアにシシリー。
その三人を忌々しそうに睨み据えるカート・フォン・リッツバーグの姿があった。
聞き覚えがあると思ったが、今の怒鳴り声はどうやら彼のものだったらしい。
「あいつよ! ずっとシシリーに付きまとって、自分の婚約者だって周りに言いふらしてるの」
マリアが言うところを信じるなら彼はそんなストーカー的な行為を繰り返しているらしい。
不愉快そうな顔に怯えたようにしてシシリーが頼るように寄ったシンの袖を掴むと、その挙動が癇に障ったのかカートはこめかみに青筋を浮かべ歩みより手を伸ばす。
「――っ! こっちに来い!」
しかし目の前で、まして親交を深めつつあるシシリーに対してそんな蛮行を許すわけが無いシンにより伸ばされた腕はあっさりと掴み取られ捻り上げられてしまう。
苦悶に呻くカートは入試の時と違いすぐに解放されていたが、それで冷静に返ったわけでは無いらしく血走った目つきをシンへと向ける。
「無礼者が……いいか!? そこの女は俺の婚約者だ、貴様なんぞに話をする権利は無い!」
これはまた随分な物言いだ。
自分以外の男と話すなという、どのような貞操観念によるものか相手の人格を無視するような無茶ぶり。
しかも婚約者という下りがマリアの言う通りならただの言いがかりでしかない。
……これが本当に貴族として、まっとうな教育を受けた者の言い分なのだろうか?
尋常でないカートの剣幕に怯えているシシリーだったが、その肩にシンの手が掛けられる。
そうして何事か囁かれた彼女は意を決するように拳を握ると、微かに震えながらも相手をしっかりと見据えて言葉を放つ。
「私は……あなたからの求婚はお断りしました、勝手に婚約者と言われるのは迷惑です、止めて下さい!」
彼女からの反発にショックを受けた様子で言葉を失うカートだったがそれも一瞬のことで、怒りを強めた彼は一層声を荒げ、感情のままに飛び出した手がシシリーの襟を掴む。
「何様のつもりだ……貴様ら女は男の傍で愛嬌を振り撒いてればいいんだ! しかもこの俺の傍に侍らせてやろうというのに……ふざけるなよバカ女が!」
あからさまに過ぎる女性に対して差別的な発言、目の前でそんな台詞を聞かされたシシリーも信じられないとばかりに目を見開いている。
そんな発言をして反感を持たれないわけがなく、真っ先に反応したシンが襟を掴んだカートの手を払いのけ、逆に相手の襟を掴み寄せる。
「ふざけてんのはどっちだよ、何でも自分の思い通りになると思ってんのか? 思い上がってんじゃねーぞ」
怒気を滲ませた瞳で睨み、そんな声を放ってシンはカートを軽く押し退ける。
彼に敵わないことは理解しているのか悔しそうに歯噛みしながらも反撃は見せないカートだったが、引き下がる素振りもまた無く。
「く……くくく、そんな事を言っていいのか?」
嫌らしく口端を歪めながらそんな事を言い出したカートの様子に限界を悟る。
明らかに冷静さを欠いている彼の立場と状況、入試の時の振る舞いも考えればどんな行動に出るかは想像できる。
相手をしているシンの方も徐々に怒りを溜め込んできているようだ。
学生同士の口喧嘩程度ならまだいい、時には衝突するのも若人にとっては良い経験。
しかし傷害沙汰までは勘弁願う、このままヒートアップすればどちらかが――確実にカートの方だろうが、痛い目に遭いかねない。
廊下へ踏み出し、制止するべく声を放つ。
「そこまでにしてもらおうか」
「俺の父親は――何?」
水を差されたカートが不愉快そうにこちらを見る。
入試前からあれだけ色々とあったのだ、これまで関わった人物には軽く調べを入れてある。
彼の父、リッツバーグ伯爵は財務局の事務次官、同じく財務局に勤めるシシリーの父、クロード子爵の上司に当たる。
大方その父に何事か吹き込んで脅しをかけようとしたのだろう。
権力の悪用を禁じられた学院でそんな真似をしようものなら王国の法により罰せられるというのに正気だろうか。
「何だ貴様は?」
「ターナ・フォン・マーシァ。私の身上についての説明は必要かな?」
少しの間、眉を顰めていたカートだったが、やがて驚愕したようにハッと目を見開く。
非常識な行動ばかり見せるから不安だったが、説明の手間は省けたらしい。
「マーシァ……まさか、公爵閣下!?」
「そう、まあ身分に関して今はどうでもいいのだけれどね」
たとえ父の助力を得られたとしても、こちらが逆立ちしても敵わない相手であることは理解しているのだろう、カートは口をパクパクとさせて絶句している。
随分と身分を笠に着ているらしい彼に公爵として止めるよう命じるのは容易い。
しかしそれでは私もまた法を犯す立場となってしまうし表向きその身分を利用することはできないが、この様子では必要もないだろう。
「リッツバーグ君、まずは落ち着きなさい。このままでは君のお父上の顔にまで泥を塗ることになるよ」
「なっ……何故、私は……」
「クロード嬢は君と交際するつもりは無いと示した、ならば素直に引き下がりなさい。力尽くで言うことを聞かせようとする真似をこの国では許していない、学院では貴族の権力など意味を持たないのだしね」
そこまで言ってようやく無力を悟ったらしいカートは口をつぐんだきりしばらく肩を震わせていたが、やがて恨めしそうにシンを一瞥すると踵を返し、この場から離れて行った。
騒ぎを起こした張本人が去り、ようやく場の空気が弛緩する。
「――はぁ、ありがとうございました、マーシァさん」
「気にすることはないよ、見たところ貴女に非はないようだから」
やっと気を抜けたことで、こちらへ礼を口にしてきたシシリーの表情も和らいでいる。
「随分と控え目に留めたな、もう少しきつく窘めておいた方が良かった気もするが」
「権力を振るえないのはこちらも同じです、それにああいった手合いは追い詰め過ぎれば時にとんでもないことをしでかします、この場で取り押さえ処罰するなら構いませんが、入学初日からそれでは彼の両親が気の毒でしょう。リッツバーグ伯爵は公正な人物と聞きますし」
次いで教室から出て来たアウグストが指摘するところは理解出来ないでもなかったが、この場では限界がある。
調べたところかの伯爵は不正や横暴とは程遠い、公明正大な人物であるらしい。
だからこそ、そんな父を持つカートがあのような振る舞いを見せるのが腑に落ちないところでもあったのだが。
「オーグも居たのか、えっと……ありがとうマーシァさん、大分頭にキてたから助かった」
シシリーに続いてシンもまた礼を言ってくる。
これまで聞いた話では人付き合いに慣れているはずは無いが、先程の荒っぽいやり取りは随分と堂に入っていた。
実のところ私が介入したことで最も被害が少なく済んだのはカートなのかもしれない。
「初日から災難だったなシン、まあお前がキレたらどうなるか見てみたかった気もするが」
「冗談じゃないだろ、って言うか居たんならさっさと止めろよ!」
からかうような事を言うアウグストの首に腕を絡め怒ってみせるシン。
気安くなっているのは殿下だけではないようで、王子に対する普通の友人のような扱いにはマリア達も目を丸くしている。
私はもう諦めた、一々気にしていては胃が持たない。
「でもこれであいつ、シシリーを諦めたと思う?」
「いや、あんな様子だと気を抜かない方がいいと思うよ。それで俺も考えたんだけど、皆この後ウチ来ない?」
このままカートが引き下がるとは思えないらしいマリアの言葉に同調したシンが発した提案。
それに驚き、色めき立つマリアとシシリー。
男子の家に誘われた反応として妙な気がしたが、すぐその理由に思い当たった。
彼の家に行くということは皆が憧れる人である賢者と導師におそらく会えるということ。
であればこの反応にも納得が行く。
案の定二人に強い憧れを示していたマリアが勢い込んで承諾しシンをたじろがせていた。
「行く! 絶対行く!」
「では私も行くか、どうせ父上もシンの家に行くだろうしな」
当然のようにアウグストも同行すると宣言し、多忙な筈の国王陛下まで賢者宅に向かうということを当たり前のように言ってくれる。
相手は国を救った英雄、功績に報いるものであるしある程度は仕方ないと割り切るつもりではあったのだが国賓とでも言おうか、圧倒的な待遇を受ける彼らはそこらの貴族よりよっぽど特権階級めいて見える。
あまり関わり合いになりたくはないが蔑ろにも出来ない、距離の取り方には注意しないといけないなと、こっそりため息を呑み込んでしまった。
「マーシァはどうする?」
「はい? ああ……私は遠慮させて頂きます、調べておきたいことも出来ましたので」
偉人に会える折角の機会をあっさり捨てるのが意外に思えるらしく、シンを除くその場の三人から信じられないものを見るような目を向けられてしまう。
別に私自身はシンと親しいわけでもないし、おかしいことを言ったつもりはないというのに、面倒な事だ。
「勿体無いよターナさん! 折角賢者様方とお会いできるのに……調べるってそんなに大事なことなの?」
「ええまあ、先程のカート君のことで少し」
隠す必要も無いので聞いてきたマリアに素直に教えると、流石に軽視できない問題であるらしく皆からの追及も収まる。
「彼も王都の中等部で教育を受けていたのでしょう? それにしてはあの様子、尋常でないものだったように感じました」
「それはまあ、確かに、そうだな」
「いくら色恋に目が眩んでいたとしても、それだけであそこまで常識を忘れ暴走するのはいささか腑に落ちません、ですので私なりに調べてみようかと思います、また学内であのような真似をされても迷惑ですから」
問題を解決するなら原因を解消しなければならない、この場合はカート青年の凶暴化した理由とでもなるだろうか。
成人と見なされるとはいえまだ十五の多感な年頃、この世界でそういったものが流行したという話は聞いたことはないが、ひょっとするなら怪しげな薬物にでも手を出してしまった可能性もある。
いずれにせよ見逃しておけば予期せぬ事故を引き起こしかねない不安要素は排除しておくに限る、どこかの偉い人が昔そんなことを言っていた気がした。
「そっか……ごめん、浮かれてた。それなら、私も……」
気づくとマリアが申し訳なさそうな顔をして言い淀み、シシリーも似たような表情になっている。
急にどうしたのかと思いかけたところで、ああと気づかされる。
「マリアさん達が気にする必要はありませんよ、私が勝手にやることですから、王国貴族の身としても彼のような者を放ってはおけませんし。……どうしても気になるというなら、ウォルフォード君にも何か考えがあるのでしょう? そちらの経過報告でもして下されば十分です」
自分達の事情を押し付けたように感じてしまっているのか、気が咎めているらしい二人をそうとりなしておく。
賢者様方に会えると感激していたところをがっかりさせてはあんまりだろう。
やがてこちらの言い分を了承したようにアウグストが頷いて示す。
「そうか、であれば何も言うまい。マーシァ、そちらで何か分かれば私達にも報告してくれ」
「――承知しました、それでは皆様、御機嫌よう」
礼を取りその場を後にする、まずは外に控えている筈のオルソンと合流して財務局に向かうと決めていた。
シンがシシリー嬢らを招きどんな手を講じるのか、興味はあったがこちらはこちらで日々の平穏を守るために動くとしよう。
なにせ賢者と導師、本人達まで居るのだから、有効な対策を練ってくれることだろう――きっと。
遅れ、短い、申し訳ない!
大体アイスボーン(に負ける作者の弱い心)のせい。