転生公爵令嬢の憂鬱 作:フルーチェ
魔法学院から感じる魔力の性質はオリベイラから感じるものにどこか似通っている、それが意味するところは。
「カートは無事に魔人化したようですね、これで王国における私の目的は達成されました」
「魔人、化……まさか、王都周辺で魔物が増加していたのは――っ!」
呆けている場合ではなかった、生じた魔力の反応に気を引かれてしまっている内にオリベイラから火球が放たれている。
その狙いはこちらではなく、先程の魔法で軽く傷を負い脇で膝をついている捜査官のオルト。
「……
咄嗟に間に割って入り掌を向け展開させた魔力障壁でそれを受け止める。
障壁によりその熱と威力は完全に遮られたが、その向こうでオリベイラが足元へ向けて打ち込んだ魔法による爆発が起こり、爆炎と共に辺りを覆い隠すような土煙が上がる。
その目的は視界を奪い不意を突くこと、ではなく。
「しまった……!」
急速に遠ざかるオリベイラの魔力反応。
逃げの一手、目的を達したという言葉からして最早この場に用は無いということか。
包囲する時間を稼ぐつもりが、まんまと足止めされていたのはこちらだったらしい。
魔人と化した影響で身体能力も常人のそれを上回るだろうオリベイラを追うのは困難だ。
一杯食わされた事実に歯噛みしてしまうが後悔先に立たず、まずは事態への対応だ。
「オルト捜査官、オルグラン団長!」
「――っ、はっ!」
「怪我人の救護、及びオリベイラの追跡を任せます。ただし、オリベイラの追跡はおおよその逃走方向を探れれば良しとする。もし抗戦されるようなら即時退くよう兵に厳命して下さい」
「承知しました!」
緊急事態とはいえ外部の、それも年端もいかない娘の指図を受けてくれるかどうか心配だったが二人は拍子抜けするほど素直に応じてくれた。
何はともあれ助かるのには違いない、駆け寄って来たオルソンにも続けて指示を飛ばす。
「オルソン、追跡に加わってくれ。異常事態があればアレを使ってもいいから私に連絡を」
「承知しました、閣下は?」
「私は学院に跳ぶ。――厄介なことになっているだろうからね」
学院からの魔力反応は健在だ、オリベイラの言葉に偽りがないならその元凶はおそらくカート。
人工的に魔物、あるいは魔人を生み出す技術を生み出した可能性のある彼を逃がしたのは痛手だったが、こちらも無視は出来ない。
すぐに適当な建物の壁とSクラス教室とを繋げ、驚愕するオルソン以外の人間達を尻目に学院まで転移する。
到着した教室は無人。
予定通りならクラスメイト達は今の時間、練習場で魔法の実習を行っている筈だ。
すぐに学院内の気配を探ると本校舎と講堂の間、校庭の辺りで魔力が濃くなっているのが視える。
おそらくカートはそこだろう。
身体強化の魔法を効かせ、窓から飛び降りて駆け走りまっしぐらにそちらを目指すと――居た。
すぐに視界に入った校庭の中心、オリベイラとは違い獣のように猛りながら魔力を集めているカートの姿。
その眼は赤く染まり、本当に魔人と化しているように見える。
それに伴い制御力も上がっているのだろうが、我を失ったように興奮しているカートが集めすぎている魔力は暴走寸前、一つ誤れば学院が吹き飛んでもおかしくはない。
すぐに止めなければならない、が。
「カーートォォ!」
「なっ……ウォルフォード君!?」
対峙していたらしいその人物に気づくのが遅れてしまった。
叫びながらカートへと突っ込むシンの手には何らかの魔法が付与されたと思しき一振りの剣が握られている。
制止する間も無く飛び込んだシンが振るった剣は過たずカートの首を捉え、その命ごと断ち斬る。
魔力の暴走を懸念したのかシンがカートを包むように魔力障壁を張っていたが、その死体が崩れ落ちると同時に魔力は霧散し事なきを得る。
絶句していると魔人化していたとはいえカートを殺す結果となったことを悔やむように地面を殴りつけているシンに駆け寄る二人の男女。
「大丈夫かシン!?」
「シン君、怪我は……」
「ああ……大丈夫……」
アウグストとシシリーに気遣われ、シンは人を殺めたことに負い目を抱いているのか顔色を悪くしながらも立ち上がる。
「カート……あいつ、シシリーのことを付け狙ったり、魔人にまでなっちまったけど、討伐することしか出来なかったのが悔しくて……絶対におかしいんだ、こんなこと。何かこうなった理由がある筈なのに……!」
魔人化がカート自身の意思によるものではないことを察しているのか、胸を痛めている様子のシンを痛ましそうにシシリーらが見ている。
どのタイミングで魔人となったのかは分からないが、元に戻せる保証などどこにも無い以上、暴走状態にあったらしいカートを被害が出る前に殺すことで処理した彼を責めることは誰にも出来ないだろう。
もう少し早くこの場に駆けつけることが出来ればせめて拘束することは出来たかもしれないが、間に合わなかった以上はこちらも同様のこと。
思えばオリベイラはカートの暴走を防がれないよう、私を学院から遠ざけたのだろうか。
救えたかもしれない命を取り零した無力感に苛まれていると、いつの間にかシンの周りにはSクラスの面々が集まってきており。
「信じられない! カートが魔人化したときはもうダメかと思ったのに……」
「自分も死を覚悟しました……」
冷や汗を浮かべながらマリアやトールが魔人という災厄を前にした脅威を語る一方で。
「ウォルフォード君、凄かった」
「ね! ね! 魔法も凄かったけど剣で魔人の首をスッパリって!」
「あれなら騎士養成士官学院でも首席を狙えるのではござらんか?」
魔人となったカートがどれほどの脅威だったのかは不明だが、それを圧倒したらしいシンに対しリン、アリス、ユリウスらが称賛するとそんな空気が変化したように見える。
「うちは代々騎士の家系だけど、あんなにきれいな剣筋は見たことがないねぇ」
「ウォルフォード君ってぇ、やっぱり凄い人?」
「お前ら……見てたのかよ?」
トニー、ユーリらも戦いの一部始終を見届けたらしく浮ついた様子でシンを褒め称える。
……危機感が薄いというか、魔人が現れたにしては随分と余裕があったらしい。
「校舎内までは避難したんだが、途中で振り返ってみたらお前が魔人を圧倒し始めててな、そのまま見学させてもらった」
アウグストに至っては見学などとまで口にしている。
暴走状態にあったとはいえ、自国の民が殺されるのを目にした王族の発言としては不謹慎ではないだろうか。
微かな苛立ちを覚えながら、そのままカートの遺体を転がしておくのも捨て置けず彼らの方へ向かう。
「……む、戻ったのかマーシァ。幸いだったな、信じられない話かもしれんがカートの奴が魔人に――」
こちらに気づいたアウグストが目を瞠り、次いで他の面々もぎょっと目を見開いている。
ああ眼帯を外したままだったと、その反応で思い出し顔を背けるついでにカートの亡骸の脇にしゃがみ、転がる頭部の見開かれた瞼を閉じさせる。
どうしようもなかったと理解していても、紛れも無い被害者となった彼に心の中で詫びずにはいられなかった。
このまま彼の遺体が人目に触れればリッツバーグ家に余計な悪評を招くかもしれない。
異空間収納からシーツを取り出しカートにかぶせておく。
「マーシァ、その目は……」
「ただの義眼です。こちらも色々とありましたので、おおよそ状況は把握しております」
「なんだと? 一体何が――」
事情を聞きたい様子のアウグストだったが、そんな彼に呼び掛ける校庭に響くような大声に遮られる。
「殿下ーー! 御無事ですか、魔人はどこに!? 我々が全力を以てお守りを……」
通報があったのか、鎧に身を包みハルバードや長槍で武装した騎士団員らが王子の危機とあってか必死の形相で駆けてきていた。
そんな彼らに対しアウグストはもう遅いとばかりの顔をして告げる。
「もう終わった、魔人ならあそこに倒れているのがそうだ」
「……な、えええ!?」
伝説の魔人が再び現れしかも既に倒されているという、二重の予想外な事態に騎士達は驚愕に包まれる。
「ま、まさか魔人を討伐されたのですか……?」
「ああ、私ではなくこのシン――シン・ウォルフォードがな」
「ウォルフォード……! け、賢者様の御孫様ですか!?」
騎士達の落ち着きなくひたすら慌てふためく様は段々と呆れが湧いてくるほどだった。
そんなことよりも事態の収拾を優先して欲しいものだが、そうこうしている内に危機が去ったことが伝わったのか生徒達も校庭に集まり始めている。
魔人が現れたという報せも広まっているらしく、怯えた様子でざわつきを見せている生徒達を見たアウグストが何を思ったのか、声を張り上げる。
「皆、安心しろ! 魔人は賢者マーリンの孫、シン・ウォルフォードが討伐した!」
そのよく通る声は集まった生徒達の耳にも届き、一瞬辺りが静まり返る。
次いでその場に訪れたのは、英雄の孫の活躍に対する熱狂だった。
「凄い! さすが賢者様の孫!」
「英雄……新しい英雄の誕生だ!」
「賢者様の孫、シン・ウォルフォード!」
あっという間に校庭は熱に浮かされた人々によるシンを称賛する声で満たされる。
生徒達に名を連呼されシンは耐えきれないように身を屈めていた。
「恥ずすぎる……やめて……」
「やっぱりこうなったか」
その騒ぎを扇動した張本人のアウグストが呟くのをシンが恨めしそうに見ている。
王子は何気ない風にしているが、皆の恐怖を鎮静させようとしたにしても実質的な脅威が去った後でこんなシンを担ぎ上げるような真似をするのはいささか軽率ではないか。
彼の活躍を周囲に印象付けたい、そんな狙いでもあるのかと勘ぐってしまいそうになるが、何はともあれ国内の事態はこれで収束に向かうだろう。
――カートという少年の命を犠牲に払って。
「何が平穏に暮らしたい、だ。この間抜け……っ」
この騒動の元凶である魔人、オリベイラに対して大層な理想を語っておきながら身近に居た人間の命すら守れなかった。
とどのつまり、自分も平和に被れて危機に鈍感になっていたに違いない。
周囲が新たな英雄の誕生に浮かれる中で、そんな不甲斐なさに胸の内は晴れないままだった。