放課後、僕は君に名ばかりの恋をする。   作:颯月 凛珠。

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プロローグ1

 ~プロローグ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『きみはだあれ?』

 

 暗闇の中で幼い男の子の声がする。

 

『えっ……?』

 

 その子の声に、困惑する女の子の声。どちらも顔は見えないが、女の子の方は声色からしてかなり焦っているように思える。

 

『わたしだよ。──―だよ』

 

 女の子の声には、どうして私の名前を知らないの? といった風な悲痛な叫びが隠れているような気がした。

 

『そっか。──―ちゃんっていうんだ。よろしくね!』

 

 そんな悲痛さもつゆ知らず、男の子が無邪気な声でそう言いながら、女の子に手を差し伸べる。

 しかし差し伸べられている女の子は、男の子の手を一向に取る気配はない。

 それを不思議に思ったのか、男の子が首を傾げて彼女に問う。

 

『……どうしたの?』

 

 その問いに、女の子は怯えながらそっと呟く。

 

『……ねぇ、リクくん。ほんとうにリクくんなの?』

 

 ……”リク”? この男の子はもしかして、僕なのか? 

 

『え? ぼくはリクだよ』

『……うん、そうだよね、リクくんだよね』

 

 男の子の口から確認が取れて安心したのか、やっと手を握ろうとする女の子。

 そんな女の子に、もう一度男の子が口を開く。

 

「……ところで、きみはだあれ?」

 

 

 

 

 

 

「──―っ!!」

 

 体が一瞬浮いたかのような感覚に囚われて、慌てて机にしがみ付く。

 

 ──また、あの夢か。

 

 汗で濡れた額を拭い、未だにエンジンのようにバクバクしている心臓を落ち着かせる為に、深呼吸をする。

 窓から入り込む新鮮な空気が、鼻から喉へ、喉から肺へと入り込み、火照った身体と寝ぼけている脳を"さまして"くれる。

 "さめて"くると、理解の追いつかない頭が、自ずと自分に疑問を投げかけてくるのだ。

 

 ──ここはどこだろう。

 

 脳の命令に従って、辺りを見渡す。その答えはすぐにわかった。

 

 教室だ。それも僕が通う高校の。

 

 そこまで気付いた時、僕の頭の中の記憶が全て繋がった。

 ……そうだ、夏休みで狂ってしまった時間感覚を取り戻す為に、いつもより早めに登校したんだった。

 あまりにも早く来すぎてしまったせいで、どうやら寝落ちしていたらしい。どれくらい眠っていたかは、自分一人だけで閑散としていたはずの教室に、見覚えのある数多くの生徒が#屯__たむろ__#している時点でお察しだ。

 

 椅子の背もたれに寄りかかり、後ろに向けて伸びをする。パキパキッと、骨の鳴る音が心地良い。

 

 良かった。起きたらいつの間にか学校にいた、なんていうシチュエーション、明らかにデスゲームに参加させられる流れだ。そうじゃなくて、本当に良かった。

 夏休み中に読んでいた漫画の内容を思い出し、苦笑いする。

 そういえばあの漫画の主人公も、目を覚ましたのはこの窓際の一番後ろの席だった。

 

 彼はここからどんな景色を見ていたんだろう。

 

 窓の外を見る。強い日差しを宿す夏の晴れ空は、未だ眠たいと駄々をこねる僕の目にはとても眩しかった。

 

 

 

 

 

 今日から新学期。

 

 

 

 

 

 高校生になってから初めての夏休みは、思ったよりも早く過ぎ去っていった。まだ始まったばかり。まだ半分。後十日もある……そして時の流れの残酷さを感じて憂鬱になっていったのは、思った通りだったが。

 現に教室の各所から聞こえてくる声は、テンションが低いようで、皆と会えた喜びが三割。長期休暇が終わってしまったことへの悲しみが七割と言ったところだろう。

 

 しかし憂鬱だなんだと言っていた僕は、別に学校に来るのが億劫だと思っている訳では無い。寧ろ話しかけてくれる友人が沢山いるおかげで、休みも学校も両方好きでいられることができている。

 ……では僕にとって、何が憂鬱なのか。

 

「あ、リクくんやっと起きた! おは~!」

「陸も昼夜逆転してる感じなのか~?」

 

 窓から目を外し、声のする方を見る。そこには見覚えのある、甘栗色のショートボブの女子生徒と、ワックスで逆立てた髪の毛が特徴的な男子生徒が、椅子に座る僕を見下ろす形で立っていた。

 僕はその二人に短く「おはよ」と挨拶を交わして、体ごとそちらに向き直った。

 

「確かに、昼夜逆転してるかも」

「へー、意外。リクくんって、お休みでも規則正しい時間に寝てるイメージあった」

 

 女子生徒が驚いたようにグイッと顔を近づけてくる。仄かに香る柑橘系の香り鼻腔をくすぐり、反射的に顔を背ける。

 

「——っさん、ごめんちょっと近い」

 

 一瞬言葉に詰まり、慌てて彼女から上体を反らす。

 

「あっ、ご、ごめんね……」

「全然」

 

 慄く彼女に手を上げて「大丈夫」と笑ってはいるが、内心では冷や汗が止まらなかった。いつもの事ながら、この病には本当に苦労させられる。

 

 

 

 

 

 

 

 僕——明石陸は、人の名前を忘れてしまうのだ。

 

 

 この二人とは高校生となった約半年前からの付き合いだが、夏休み前までは確かに毎日一緒にいた記憶がある。その筈なのに、どうやって思い出そうとしても、名前の一文字目すら出てこない。

 

 ——"後天性人名忘却症"。

 

 簡単に言えば、脳が人名を覚えない病気。

 その人達と過ごした思い出や、声も覚えている。でも確かに覚えていたはずのその人達の名前だけが、突然記憶からすっぽりと抜け落ちてしまう。そしてそれがいつ抜け落ちて、いつから思い出せないかもわからない。こうして名前を発しようとしてから、抜け落ちていることに気づく。そんな厄介な病気なのだ。

 だから基本的に、返事はできる限り名前を呼ばないように心がけていたのだが、先程は夏休みボケのせいで気が抜けていた。

 

 今日からまた一から覚え直しだ。しかも、一度は相手の名前を知っていた身。流石にまた「名前を教えて貰ってもいい?」なんて言えるわけもない。

 それに、僕はこの病気のことを家族以外に伝えていない。伝えれば僕の生活はきっと今より良いものになるとは思う。……でも、それを伝えることは、何も関係ない赤の他人に甘えるという事だ。それだけはしたくない。

 

「おぉ……#チナ__・・__#が、女の顔をしている……」

「し、してない!」

 

 ——だから、こうして他者から情報を得るしかないのだ。

 ……チナさん。頭の中にある記憶に検索をかけても、眩しい何かと雲のようなモヤが漂うだけで、それらしき名前は僕の記憶の中には入ってはいなかった。やはり、彼女の名前も完全に記憶の中から抹消されているのだろう。

 僕は心の中で一人、そっと溜息をついた。

 

「陸? ちょっと顔色悪いけど大丈夫か?」

「……え? あ、あぁ、大丈夫大丈夫」

 

 しかし、どうやら心内だったつもりが、顔に出ていたらしい。男子生徒が心配そうにこちらを見ていた。

 

「ごめん、私がデリカシー無く近づいたばっかりに……」

「いや、そうじゃないんだって。ちょっと悩み事があっただけで」

 

 少しばかり落ち込むチナさんに弁明するようにそう言うと、男子生徒が少しだけ驚いたように「へーっ」と言うと、顎に手を当てて思案顔になる。

 

「陸にも悩みってあるんだな」

 

 ……失礼な。

 

「それってすぐ解決できそうなの? 私でよければ相談乗るよ?」

 

 男子生徒とは対象的に、チナさんは優しくそう言うと、スカートの裾を両手で抑えて俺の真正面に座った。その優しさに、先ほどの決意がグラッと揺れかけたが、なんとか堪えてから首を横に振った。

 

「まぁ、解決できそうだから大丈夫だよ」

「……ん、そっか。話せるようになったら言ってね」

 

 僕の返答で察したのだろう、彼女はそれ以上深堀はしてこなかった。

 

「陸の悩みかぁ……なんだろ?」

 

 ただ、その気遣いが分からない男子生徒が一人。けどまぁ、こいつからも深堀されることは恐らくないだろうだってこいつは——

 

「もしかして夏休みの課題が終わってない、とか?」

「リクくんに限ってそれは無いでしょ。アンタじゃあるまいし」

「う、うるせーよ! あと数学だけなんだぞ!」

「いや、夏休み終わる前に全部終わらせとこうよ……」

 

 ——話をコロコロと変えるやつだから。

 現に彼らの今の話題は既に俺の話題ではなく、男子生徒自身の怠惰の告白になっていた。その会話の中で、まるで漫才師かのようにボケとツッコミを繰り返していくチナさんと男子生徒。先ほどまで、僕の心配をしてくれていた彼らは果たしてどこへ行ってしまったのだろうか。

 

「二人共本当に仲が良いよね」

 

 そんな彼らを見て、僕はクスクスと笑いながらそう言った。そんな僕に、二人は同時にこちらを向いてから同じような顔をして声を荒げる。

 

「「よくないっ!」」

「ほら、息もぴったし」

 

 まさか声まで重なるとは。

 僕がそう指摘すると、ぐぬぬ……といった感じに言葉に詰まり、お互いに「お前のせいだぞ」といった感じに睨み合っていた。それを見て、僕は更に笑った。それと同時に、夏休み前にもこんな感じの言い合いを聞いていたことを思い出した。

 

 その時は確か、『なんで付き合ってないの?』と聞いたことに対して、彼らは互いを指を差しながら、同時に『なんでこいつと?』と言わんばかりの顔をしていたはず。あまりにシンクロしていたので、ツボに入ったことを今でも覚えている。……お似合いだから付き合えばいいのに、と未だに思っているのは秘密だ。

 

 しばらく続いた彼女達の言い合いに、心内で笑いながら耳を傾けていると、キーンコーンと始業のチャイムが鳴った。それを合図としたかのように、担任の男性教師がガラッと音を立てて教室に入ってくる。

 

「さぁ、お前ら席につけー!」

 

 朝から良く通る声でそう言う担任。その元気の良い声音で、クラスメイト達は学校が始まってしまったことを改めて実感しているのか、目に見えて残念そうな顔をしていた。

 

「あー、もう! アンタのせいでリク君と全然話せなかったじゃないの!」

 

 ただ、チナさんだけは違う意味で残念だったようで。

 

「俺のせいではないだろ!」

「リクくん、また後で話そうね!」

 

 忌々し気に男子生徒を睨みつけた後にそう言うと、彼のツッコミを綺麗に無視して、スカートを翻しながら自分の席へと走り去っていった。ちなみに男子生徒は俺の前の席なので、ブツブツと文句を言いながら椅子に腰かけていた。

 

 担任は最後に席に着いたチナさんの方を傍目に頷きつつ、教卓に音を立てて教員簿を置くと、教室を見渡してから言う。

 

「見た感じ全員居るように見えるが……。居ないやつがいたら手を挙げろー!」

 

 教室が一瞬でシンッ……と鎮まり返った。忘れてた。この担任、人当りや元気いっぱいなのは良いのだが、偶に白けるようなギャグをかましてくるのがキズな人だった。そして、ツッコミを入れないと理不尽に怒り出すのだ。

 

「せんせー! 居ないやつがどうやって挙げるんだよー」

 

 それが分かっているのだろう。目の前の男子生徒が手を上げて笑いながら言う。でもその笑いは、どこか乾いているような気がした。

 しかし、ツッコミが入ったことで担任は上機嫌だ。

 

「気合いだ」

「根性論じゃねーか!」

 

 そのまま更にボケをかましてきた担任に、今度は間髪入れずにツッコミを入れた男子生徒。傍から見るとあまりにもシュールなその光景に、先程まで憂鬱そうな顔をしていた生徒たちは皆、その顔を明るくさせて笑い声を上げていた。

 僕はその光景を見て、少しばかりの懐かしさと眩しさを感じていた。

 

「それじゃあ、朝のホームルームを始める。委員長、よろしく」

 

 担任が、機嫌良くホームルームの進行をそそのかすと、いかにも真面目そうな眼鏡を掛けた女子生徒の「起立!」という凛々しい声が教室中に響き渡った。その声に反応して、僕を含めた生徒達は皆ガタガタと音を立てて一斉に立ち上がった。

 

「礼っ!」

 

 名前を忘れた夏休み明け。クラスメイト達が作り出す雑音の中で、僕は学校生活の始まりを噛み締めていた。

 

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