放課後、僕は君に名ばかりの恋をする。   作:颯月 凛珠。

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プロローグ2

「お前ら気を付けて帰れよ~。ただでさえ夏休みボケしてんだから。ボケるのは頭だけにしとけよ」

「せんせーひど~い!」

 

 今日は始業式ということもあり、午前中に執り行われる帰りのホームルーム。その中で、一ヵ月というブランクを感じさせないような生徒と担任の会話に、クラス中で笑いが起こった。

 

「まぁ、何はともあれ、明日から課題テストだ。気を抜かずに真っ直ぐ家に帰って、しっかり勉強しろよ。それじゃあ解散!」

 

 担任の声を合図に各々が一斉に立ち上がった。みんな素直に先生の話を聞く——ワケもなく。「カラオケ行こーぜ」だったり、「今日バイト行きたくなーい」だったり。かと思えば、何も言わずにスっと教室から出ていく者だったりと、教室内は良くも悪くも高校生然とした様相が繰り広げられていた。

 

 仮にも先生が勉強しろと言った後なのに、その本人の目の前でそういう話ができるのは正直凄いと思う。現に先生も『こいつら聞いちゃいねーな』って、渋い顔をしているし。

 

 そんな皆の自由な会話を小耳に挟みつつ、僕は荷物をまとめて席を立った。だからと言って家に帰るわけではなく、今日は完全下校時刻まで教室で勉強していくつもり——だったのだが。

 

「ねぇ、夏休み何してた?」

「私? 私はねぇ——」

「お前、まだ英語終わってねーのかよ」

「うるせーな! 答え見れば一瞬だって!」

 

 勉強しようにも雑音が多過ぎて、全くできる環境ではないのだ。

 

「さて、どうしたもんかな……」

 

 ここでしようにも集中出来ないし、家に帰ったら、誘惑が多すぎてどうせしないだろうし。近くのカフェ……は絶対に何か頼まなければいけないので、お金がない学生には少しばかり厳しい。

 なにはともあれ。とりあえずここで勉強できないのは明白だし、移動しながら良い場所を決めることにしよう。

 

 そう結論付けて、鞄を持って教室の出口へと向かおうとした──その時。

 

「そういえばさ、知ってる? 夏休み前あたりから図書室にさー」

「あー、知ってる知ってる!」

 

 近くの席で談笑していた女子生徒のそんな会話が耳に入った。それを聞いて、出口へ向かおうとしていた僕の足は止まった。だからと言って、彼女たちの会話の続きが気になったわけではない。

 僕が気になったのは”図書室”というワードだ。

 確かにあそこなら静かだし冷房も効いてるから、勉強に最適だろう。何より、分からない所があったらすぐに調べられそうだし。

 

 心の中で女子生徒たちにお礼を言いつつ、止めていた足を再度出口の方へと進めた。目的地はもちろん、図書室だ。

 未だ減る気配のない喧騒の中、僕は人の間を縫うようにして、出口へと向かった──のだが。

 

「リクくん、一緒に帰ろ~! 今日ね、新作スイーツが出たお店があるんだー! 一緒に行かない?」

 

 その行く手を遮るように、一人の少女が立ちはだかった。勿論、チナさんである。僕は内心溜息を吐きながら彼女に言った。

 

「あー、ごめんね、チナさん。今日はパスで」

「えーなんでー?」

 

 チナさんが首を傾げる。どうやら本当に断られた理由を理解していないようだ。

 

「テスト勉強しなきゃならなくてさ」

「えー。でも、リクくん勉強できるし大丈夫じゃない? ほら、期末も順位表の上の方にいたじゃん」

 

 彼女は嫌味でも何でもなく、至って当たり前のことでしょ? という風に笑った。そんな根拠のない大丈夫は信用できない。

 

 確かに僕は、一学期中間テストと期末テストで学年上位に名前を連ねてはいた。でもそれは、常日頃から勉強をしているおかげであって、決して天才だから、というわけではない。

 だからこそ、それが分かっていない彼女に問う。

 

「チナさん、僕の社会の点数知ってる?」

 

 僕の言葉に、彼女の笑っていた顔が固まった。次いでその笑顔を徐々に引っこめると、目を明後日の方向に向けながら呟いた。

 

「……ごめん」

「分かってくれて何より」

 

 僕はその反応に、苦笑いしながら頷いた。

 名前を忘れてしまうということは、つまり歴史上に登場する人物全員の名前が覚えられない、ということだ。事象や講和条約を完璧に覚えることができても、人名が分からないのであれば、その問題自体解けなくなってしまう。だから一夜漬けでもして、名前を忘れる前に詰め込まなければならないのだ。……基本的に成功したことの方が少ないが。

 ちなみに、チナさんには「とにかく暗記が苦手」と伝えてある。

 

「そういうことだからごめんね。また今度埋め合わせするからさ」

 

 僕がそう言うと、前にいたチナさんはスッと横にズレて道を譲ってくれた。こうなってしまっては、彼女に僕を止められる術はなかったのだろう。

 

「ごめんね、引き止めちゃって」

「いえいえ。チナさんもちゃんと勉強してきなよ」

 

 僕の忠告に、彼女は沈んだ顔をスッと戻すと、可愛らしくはにかみながら「はーい」と返事をして、小走りに喧騒の中へと消えていった。

 

「あの様子を見る限り、勉強する気はないんだろうなぁ……」

 

 その後ろ姿を見送りつつ、そう呟いた。

 かく言う僕も、こんな病気さえ患っていなかったら、きっと勉強もせず、この喧噪を作り出しているその他大勢と同じように青春を謳歌していただろう。「たられば」の話なんて、何度しても事実は変わらないのだが。

 

「さて、そろそろ勉強しに行かないとな」

 

 そんな卑下する自分に喝を入れるように頬を一度ペシッと叩いて、後ろの扉から喧騒の外へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 階段の最後の一段を上りきり、フッーと一つ息を吐く。

 たった十数段の階段を四回上っただけで、五十メートルを全力で走った後のような疲労感。長期休みの後はどうも身体が働かなくて困る。

 

 漫画、ゲーム、昼寝がルーティンだった日々を思い出し、つい先日のことながら寂寥感を覚えてしまった。

 そんな未練を吐き出すかのように、上がった息を深呼吸で整えて、踊り場から廊下へと移動する。

 

 本校舎北側四階。

 

 目的地である図書室が佇むこの階は、教室が各教科ごとの準備室として使われているため、普段から人の出入りはほとんど無い。

 今日も今日とて通例を裏切らず、廊下には自分以外の生徒は誰一人として徘徊していなかった。恐らくこの調子なら、図書室も人は皆無だろう。やっと集中して勉強に取り組める。

 

 肩掛けのカバンをもう一度背負い直してから、廊下を歩く。

 

 今日はやはり歴史を重点的に復習するべきか。それとも、長いブランクで抜け落ちてしまった英単語からやるべきか。

 

 廊下に備え付けられている窓が開いていないからか、妙に蒸し暑い。額に汗が滲んだ。ワイシャツの襟元で扇いで、風を送り込む。

 

 図書室はこの廊下の一番端だ。正直、今になって反対側の階段から上ってきたことを後悔している。

 

 ……図書室に着いたらまず空調を点けよう。

 

 あれ? そもそも今日って図書室開いてる……よね? 

 

 図書室の前に着くまでの数十秒、そんな思考がグルグルと頭の中を回っていた。最後の懸念に関しては、図書室の近くまで差し掛かった時に室内の電気が点いていたので、そっと胸を撫で下ろした。

 

 初めて入るこの学校の図書室。

 

『図書室内は静かに』と、書かれた張り紙を傍目に見つつ、戸に手を掛けて力を込める。戸は少しの抵抗をした後に、ガラガラと音を立てながら横に開いてくれた。

 物音を立てないように、足を踏み入れる。

 

 中は思った通りの静けさで、外の喧騒との落差に耳鳴りがする。その差はあまりにも激しく、まるで別の世界に来てしまったのではないかと錯覚する程だ。

 そして視界に飛び込んでくるのは、童話や歴史の本、ライトノベルまでもが置かれている本棚の数々。

 窓が開いているのか、風を受けて、まるで存在感を見せつけるかのように大きく揺れるカーテン。

 それら全てを優しく包み込むように明るく射し込む、夏の終わりの柔和な日差し。そして——

 

 僕は、思わず息を呑んだ。

 

 教室を見渡す僕の目に最後に映ったのは、それらの風景の一部のように佇む一人の少女だった。

 

 椅子に寄りかからず、しゃんと背筋を伸ばして本を読むその姿が。

 風で靡く綺麗な黒髪が、本に被らないように押さえるその仕草が。

 一文字一文字を決して零さぬようにと文字列を追う、真剣でいて優しげなその瞳が。

 まるで著名な画家が描いた一枚の絵画のようで──。僕の目を釘付けにするには十分であった。

 

「こんにちは」

 

 絵画の中の少女が、顔を上げずに声を発する。その控えめながら澄んだ綺麗な声に、僕は思わず肩を揺らした。

 

「……こんにちは」

 

 彼女の言葉だけの挨拶に、返事を返す。

 

「珍しいですね。始業式の日に、図書室に来る人がいるなんて」

 

 彼女は会話を続けた。余程人が来るのが珍しかったのだろうか。

 

「まぁ、ちょっと、勉強したくて」

 

 何故か少しばかり緊張してしまい、声が上ずりそうになるのを、すんでのところで抑える。

 

「マジメな方もいらっしゃるんですね」

 

 彼女はそう言うと、本を下げてこちらを見た。やはりとても綺麗な顔立ちをしていた。

 

「話しかけてしまってごめんなさい。どうぞ、ご自由に掛けて。見ての通り私以外誰もいませんから」

「あぁ、は、はい」

 

 彼女は俺の返事に頷くと、まるでゲーム序盤の説明を終えたNPCの様に、姿勢よく佇んだままそれ以上声を発さなかった。先程まで会話をしていたのがウソのようだった。

 

 僕は数瞬迷った後に、彼女から少し離れたところに腰掛けると、鞄を置いた。

 しかし、彼女と話したことで気持ちが昂ってしまったのか、どうにも勉強する気にはなれず、僕はただただ絵画を眺めるように一点を見詰めたまま、物思いにふけってしまった。

 

 気づいたときには、あの女子生徒の姿は消えていた。先程まで響いていた生徒たちの喧騒もすっかり消えており、不思議に思った僕は時計を見た。時計の短針が5を、長針は6を刺していた。つまり、完全下校時刻をとうに超えていた。

 

「あ、ヤバ!」

 

 僕は慌てて鞄を持って、急いで席を立った。どうやら窓は、あの女子生徒が閉めてくれていたらしく、冷房を消すだけで片付けは済んだ。図書室自体の戸締りは……多分、見回りの先生か誰かがやってくれるだろう。

 

 

 

 最後にもう一度、何か忘れていることはないか確認する。

 

「自分の席周りは、大丈夫そう……ん?」

 

 視界の端に光るモノを見つけ、僕は顔を上げた。先程の女子生徒が座っていた席だ。近づいてみると、机の上に猫柄の付いた栞が置いてあった。彼女の忘れ物だろうか? 傾きかけた陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。

 

「おーい、誰かいるのか!?」

 

 その栞を手に取った瞬間、入り口の方から声がして、僕は飛び上がってしまった。次いで恐る恐るそちらを見ると、今日の見回りの先生だろうか、眼鏡を掛けて白衣を着た先生が立っていた。

 

「すみません! 勉強してたら時間忘れちゃって……」

「なるほどな。……勉強熱心なのはいいが、時間はちゃんと守れよ」

「いや、ほんとすみません」

「鍵は閉めとくから、ほら、帰った帰った!」

 

 先生はそう言うと、手の甲をひらひらと前後に揺らして僕を図書室から追い出した。どうやら怒られずに済んだらしい。……でも。

 

「あの人の栞、持ってきちゃったよ……」

 

 どうしようか。明日、またここに来ればいるかな? でも、明日はテストだし、もしかしたら来ないかもしれない。

 

 僕は、階段を降りながらグルグルとそんなことを考えていた。

 取り敢えず栞は、折れないようにしっかりと本の間に挟んでしまっておくことにしよう。

 

 

 

 

 

 今思うに、この時から僕は彼女のことを気にかけてしまっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 校門を出て、陽の光を浴びる。周りでは、ヒグラシが休む暇なく鳴いていた。

 

 高校一年生の夏の終わり。この日が、僕と彼女の初めての会合だった。

 

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