首都から伸びる街道を北に向かった場所にその村はあった。
北にあるルーフスと呼ばれる山や、ぐねぐねとうねった街道の先にある雪と氷の大地を向かう者が利用している。旅の者達の休憩地であり、宿屋や小さな薬屋などが見える村だ。
もっともあまり北に行く者はいない。東にあるセリカン国へ向かうのであれば南の街道を向かった方が安全であり、北側をわざわざ通る理由がない。あえて北側の凍土を越えて行く場合はよほどの理由がある場合か、もしくはその土地に住む者ばかりだ。
村は大きくもなく、かといって小さいとも言えなかった。
見れば村全体が茜色に色づいている。既に陽が傾き、一日の仕事を終える時間だった。それは村人達を見ても分かる。他愛のない話をしながら農作業を終えた人達が家に帰る姿や、馬車などが宿屋に向かう姿が見えた。
だからなのだろう。宿屋の一階の酒場には徐々に人が集まりつつあった。
室内には様々な人がいた。その殆どは他愛の無い話をツマミにしながら、今日という日の締めとして黒々としたエールを楽しんでいる。
その中に三人がいた。
部屋の隅のテーブル席につき、三人で肩を落としながら飲んでいる。三人は堅気の人間とはけして言えぬ姿である。ハードレザーの簡素な鎧と腰には剣があり、顔にも傷を持つものがいる。
三人はほとんど流し込む様に飲んで、ただ酔いたいといった飲み方だった。
「あーくそっ! せっかく捕まえた金の成る木が……!」
「言うなって……唯でさえ不味い酒が不味くなる」
「……」
鬱憤を酒気と共に吐き出すように愚痴を言いながら飲み、またエールを頼む。
「でも……まさか竜だとはな」
先ほどまで喋らずにエールを流しこんでいたヴァレリが言った。三人の中では一番体が大きく、またがっしりとしている男だ。顔には細かい傷が幾つかあり、威圧感がある。
「だよなー。まさかあんな所に住んでるのが竜だとは思わなかったぜ」
スケロスは木製の杯を口に運びながら言った。鼠の様な細い顔は赤くなってきている。体も細く、細い指先はフォークでちょろちょろと目の前の料理を口に入れる。
「だからこそ悔しいんだろう! 売れば高く売れたんだ!」
言ってからストマはエールを流し込む。流し込んでから、何時もであるならば人を騙すために笑顔を作っている顔は下を向き、ため息をつく。中肉中背の体が小さく見えた。
「……でもあれは無理だろう」
「あー確かに」
「……そりゃ、そうだが」
ヴァレリの言葉に、二人は脳裏に竜の姿を思い浮かべる。
二人が思い浮かべた竜は――正確には竜になった子供であった。
三人は街道から外れたルーフス山の近くで見つけた子供をさらい、奴隷商人に売ろうとしていた。
初めは人の子供だと思っていた。だが途中で眼を覚ました子供が泣き叫ぶので黙らせるために剣で脅すと、雄たけびを上げて竜に変わったのだ。そして竜は暴れると空を飛び、南へと飛び去ってしまった。
「空を飛ばれちゃ、人にはどうもできん」
切り替えが早いヴァレリは逃がした竜の事は諦めたのだろう。エールをぐいっと飲み込む。だがストマはまだ諦めがつかず「うぅ……俺の金……」と言いながらエールを飲んだ。
ストマの言葉にスケロスがため息をつきながらエールを飲む。その時であった。
バンッと宿の扉が勢いよく開き、三人が入ってくる。宿にいる者は一斉に三人を見た。
一人は黒髪の男で一目で戦士であることが分かった。エリンの戦士と比べると細身の体だ。腰にあるのは、東方の更に海を渡った先にあるヨシハラと呼ばれる国特有の刀と呼ばれる剣であろう。
その後ろには若草の色をしたローブを身につけ、背中に子供を背負った女がいた。
奇妙な三人を見て宿内にいる何人かの者達が「あれ? 昨日のじゃないか?」「ああ……なにかあったのか?」等と喋りだす。
三人は宿の女将に二、三言うとお金を渡してから二階へと向かった。
それを見ていたストマは飲むのを止めて、
「おい……今の見たか?」
「ああ」
「あれ、あの子供だよな」
「……ハッキリとは見れなかったが、あの特徴的な赤い髪からして間違いないと思う」
「どうする?」
「あーちょっと待ってくれ。今考えをまとめる」
奪うのか、奪わないのか――そう含ませたスケロスの問いにストマは顔を伏せて、眼をつぶる。
どうするか。さっきの様子だともう竜ではない。子供の状態なら奪うのは簡単だろう。だが二人……冒険者のような二人がいる。一人は男で腕っ節もありそうだ。もう一人は、ローブ姿で細身の美人だ。あれも売れば金になるだろうし――別の用途にも使えそうだ。
でも竜になったらどうする? ……薬で眠らせ続ければいけるか?
ストマはエールに沈んだ頭に舌打ちしながらも何とかまとめた。抜けている部分もある気がしたが、どこが抜けているかは分からなかった。
でも……余程の事が無い限りは成功しそうだ。
ストマは顔を上げるとスケロスとヴァレリにニヤリと口角を吊り上げる。それを見てつられる様に、スケロスとヴァレリは頷き、嫌らしい笑みを浮かべた。
「……寝てからか」
ヴァレリは開いている木製の窓から見える外の様子を見てつぶやいた。外はもはや夜に近い。暗闇に近くなってきている。
「当分はこのままだな」
スケロスはカウンターを横目で見ながら言った。カウンターでは先ほどの男が女将から湯の入った桶を貰っている。頭を下げてから二階に上がって行く。
「あれの相手はあまりしたくないな」
スケロスの言葉にヴァレリも同じ気持ちなのだろう。「逃げた方がいい」と呟く。
基本的に三人は強くない。そもそも実力や勇気があれば人攫いなどしていない。弱者であり臆病だからこそ、こうした底辺の仕事をしているのだ。それは戦いとなれば矢面に立つヴァレリであっても変わらない。
とはいえ今回は直接戦う必要はない。
「どうやらまだ運はついてるらしいな」
「へ、そうみたんだな」
「では――乾杯といこうか」
三人は杯を掲げると、杯と杯を合わせてエールを飲み干した。
■
宿の二階の一室。
こじんまりとした室内に、簡単なベットが置かれている。壁には外套と革で作られた袋や刀、杖といったものがあり、ベットの近くには汚れた湯の入った桶と蜀台とがあった。
蜀台にはロウソクがあり、火が灯っていて、ぼんやりと室内を照らしていた。
淡い光に照らされて部屋には二つの影があった。
シグマとエーダインである。
二人はベットの傍で穏やかな表情で眠る子供を眺めていた。
「でも……どうしてあんな所で倒れていたのかしら?」
エーダインは子供を慈しむ様に頭を撫でながら言った。
「大きな怪我もなかったし……」
宿に入って汚れなどを落とすとき傷の有無の確認をしたが、傷などは見当たらなかった。
だとしたら、一体何故あんな何も無いところで倒れていたのか?
それはシグマも気になっていた。
盗賊などに襲われたにしても、街道周辺には足跡など大量についていなかったし、地面が荒れている様子もなかった。もし何かが通ったのであるなら、昨日の雨だ。地面が荒れているか、近くに何かしらの痕跡が残っていてもいい筈である。
それに近くにある村といったら今シグマがいる村ぐらいだ。あのまま先に進んでも子供がこれるような距離には村はない。
「この村の子供っていう訳でもないようだしな……」
「そうね……女将に聞いたけど、知らないって言っていたしね」
シグマは腕を組み悩むが、やはり何も思いつかなかった。そして天を仰いで
「……駄目だな。目を覚ますのを待つしかないな」
「そうね。身に着けてるのはこの赤い宝石の……たぶんだけど火水晶かしら? このネックレスぐらいだしね」
子供の首からさげられているネックレスの中央にある宝石は、透明感があり、見る角度によって表情を変える。
特別な火水晶なのか、それとも職人の腕が良かったのかは分からないが、シグマはまるで炎の様なこの火水晶は見たことがなかった。
「……貴族か何かかもな」
「貴族にしては服がみすぼらしくないかしら?」
「だがそのネックレスについている石は相当良いものだと思うがな」
「確かに石はね。でも他の部分はそうでも無いわ。もし貴族だったら他の部分も質が良いものじゃないかしら」
エーダインの言葉の通り、子供の服は村の子供が着ているようなものであった。アサで作られた手縫いの服であり、けして珍しくない。
では平民か。それもどこか違う。けしてありえないわけではないが、あまり平民がこの様な質のよい宝石をつけたネックレスなど持ってはいないだろう。
……結局分からんって事だな。
埒が明かないとはこの事だろう。
シグマはため息をつくと刀を腰に差し、外套を手に取る。自分の荷物を全て身につけるとエーダインへと向き、
「考えてもどうにもならないみたいだしもう寝る。エーダインは今日はこっちで寝るんだよな?」
「ええ。酷い状態じゃないけれどやっぱり心配だしね」
「なら、何かあったら呼んでくれよ」
「大丈夫よ。一応、部屋には結界を張るしね」
エーダインは杖を握って「こうやってね」と杖で床を叩く。
「……お前、それは宿の人は除外しとけよ」
「やーねー。宿に住む精霊に力を借りるからその辺は大丈夫よ。――変な事しなければ」
「それ大丈夫じゃないんじゃ……」
宿の人にはこの部屋には入るなって言っといたほうがいいな。
エーダインは微笑みながら言っているがあまり笑えない。もし仮に何かあった場合どうなるか想像もつかない。
「くれぐれも、ほどほどにな」
「はいはい」
エーダインに手を振られながら、シグマは部屋を出る。ガチャリと扉が閉まる音を聞きながらシグマは「よし。まずは女将に部屋には入るなと言ってくるか」と一階へ向かった。
〇
月明かりのみが村を照らしていた。
既に酒場の騒ぎも収まり、村の者達も家々に帰り床に付く時間であった。
街道沿いにある村ではあるが住む者たちが寝静まれば、聞こえてくるのは昆虫の鳴き声ぐらいであった。
故にその音は良く響いた。
ゴッ――!
村中に響いたのではないかと思うような轟音が隣の部屋から聞こた。同時に何か大きなものが壁にぶつかった様な音と振動がシグマの部屋まで伝わって、置いてある荷物を揺らした。
「!?」
突然の音に、がばりとシグマは起き上がる。
どうやら隣――エーダインと子供がいる部屋で何かあったらしい。今も廊下では声と音が聞こえてくる。
「エーダインッ!」
急いでベットの近くに立てかけてある刀を手に取り、廊下にでる。
廊下は暗く、暗闇のせいでよく分からないが人影が見えた。
一人は廊下に
「ちっ!」
立っていた人影はシグマを見て舌打ちすると、こちらに一歩でて剣を抜く。
「何者だ!」
シグマは抜刀し、そのまま踏みこんで袈裟げに刀を振り下ろした。影は剣を頭上で構えて刀を防ぐ。鋼と鋼がぶつかる甲高い音が廊下に響きわった。
――このまま潰す!
剣ごと人影を潰そうとして、シグマは刀に込める力を強めた。大陸の人間と比べると小柄なシグマではあるが、日々の鍛錬によって鍛えられた肉体から放たれる圧力は大陸の人間にも劣らない。見かけとは裏腹な力は徐々に影を押していた。
「駄目だ……引くぞっ!」
相対していた影の後ろで、蹲っていた影が立ち上がって言った。傍にもう一人いて、それが舌打ちをしながらシグマに何かを投げる。
シグマは飛び退き、何かを避ける。
廊下に転がった何かからはもくもくと白煙があふれ、狭い廊下を白くする。
「――ッ」
しまった! これでは何も見えん!
周りが煙でうまり、視界が真っ白になる。何かは煙幕であった。シグマは警戒していると「なんだ!? 火事か!?」「おい! 大丈夫か!」「くそっ! 階段はどこだ!」等と人の声と足音が増えてきている。
くそ――逃がしたか。
どたどたとした足音と怒号交じりの声を聞きながら、シグマは歯軋りした。今の状態では探す事など不可能だ。それに既に逃げている事だろう。そうなれば追いつく事はできない。
煙幕がはれてきて、人々の声にも落ち着いた様子が戻ってきた。シグマは納刀するとエーダイン達のいる部屋へと入る。
「エーダインッ! 無事か!?」
シグマが入った部屋は薄くぼんやりとした光に照らされていた。
明かりに照らされて見える部屋の内部は突風が吹いた後のようであった。扉へ向かって荷物や備品が床に飛び散っていている。
シグマが部屋に入ると、ベットの上で子供を守るように抱えながら杖を構えたエーダインがいた。鋭い目つきでいたエーダインはシグマを見ると険しい顔を崩し、安堵したほほ笑みを洩らす。
「シグマか……脅かさないでよ」
「大丈夫か!?」
「ええ……結界が役に立ってくれたわ。なかったら危なかったわね」
シグマは吐息をもらすと「無事でよかったよ」とエーダインの隣に座り込んだ。
「……何があったんだ?」
「寝てる間に襲われた――て事なんでしょうね。精霊が判断したという事は敵意を持っていたということでしょうし。ただ、目的は分からないわね」
エーダインが子供を撫でているのを見ながら、シグマはあいつらは一体なんだったのだろうと頭をひねった。
ここ最近にあった事といえばギルドの仕事をこなし、後は子供を拾ったぐらいである。恨まれる事などは身に覚えがないし――もっとも知らずの内に恨みを買っている可能性は十分あるが――考えもつかない。
そもそも――何故エーダイン達を狙ったのか?
仮に何らかの恨みや依頼であったとするならばシグマも狙われていておかしくない。だが実際には襲われていないのだ。
なら――やはりこの子供か?
自分達にないのであるならば、後は子供に理由があるとしか思えない。
「子供を狙ったのかもな」
「この子を?」
「ああ。何故狙ったのかは分からないがな」
「この子をねぇ……」まじまじとエーダインは子供を見る。「そんな特別な子供には見えないけれど」
「明くまでかもしれないってだけだ」
「うーん……何にしてもこれからは警戒が必要ね」
「だな」
シグマは言うと立ち上がる。相手の狙いが分からない以上は後手に回ってしまうがこれ以上考えても仕方がない。
「さてと。とりあえず荷物を片付けようか」
「そうね」
二人は一緒に片付け始めた。