そこは本来であるらならば青々とした緑が生い茂る森であった。
様々な昆虫や動物などが住み、生命あふれるばしょであった。
だが――現在は一切の命の鼓動を感じられない。
月明かりに照らされているそこは――まるで荒野の如く――あらゆるモノが枯死していた。
枝いっぱいに葉をつけた木々は根元から枯れ朽ち、そこに住んでいたあらゆる生命が地面へと落ち、まるでミイラの様に干乾びている。地面でさえもが砂漠の様な有様へと変化していた。
灰色の――死の世界。
見るからに死が十万したこの空間には、生命そのものを拒絶する何かがあった。命あるものを遠ざける、意思に近い何かが。
「ひっく……ひっく……」
――だからこそ、その二人は異様だった。
二人は、子供であった。
一人は女の子だ。何かから逃げてきたのかの様に体のあちこちに泥をつけて、膝にはすり傷がある。
その女の子の手前……そこにもう一人、男の子が倒れていた。
こちらもあちこちに泥をつけている。
だがそれだけではない。
――斜めに奔る大きな傷と大量の血の染み。
染みは子供の胸全体にあり、この出血では生きていないだろう。
「やだ……ひっく……こんなのやだよぉ……」
女の子は嗚咽を漏らす。
懇願する様に。
懺悔するように。
女の子は――何時までも泣き続けていた。
一
その日――慶介はいつも通りに自宅へと帰宅していた。
定時では片付かないので残業をして、帰りにコンビニで缶ビールを買って帰る。
十時には家に着き、家に帰ればラップの掛かった晩御飯が用意してある――そんな当たり前の、普段と変わらない日であった筈であった。
「――――」
だから――目の前の光景は意味が解らなかった。
少なくとも、朝は普段と変わらない日だった。
だが今の家の様子はどうだ。
慶介の前に見えるのはどれもこれもが壊れ、原型を留めていない荒らされた部屋があるばかりであった。
壊れたテレビ。
砕けたテーブル。
床に散らばった料理と足跡の様な黒い汚れ。
他にも花瓶や、飾ってあった物が床に落ち、まるで何か大きな地震にでもあったかの様な有様であった。
「な、なんだ……これ……」
呟き、慶介の手からコンビニの袋とバックが落ちる。
自然と体が震えながら、慶介は中に入る。
慶介はやけに大きく響く心臓の音を聞きならが、大きなハンマーで叩いたのか、真ん中から砕け散ったテーブルや、辺りに散らばった料理を避けて進む。
「……本当、何があったんだ?」
尋常の有様ではない。
足跡の様なモノがあることから、何かが入ったというのは分かるが……それにしても不可解だ。それこそ強盗がたとえ入ったとしても今の部屋の様にはなりはしないだろう。
「なんだ……?」
慶介が慎重に進むと――それはあった。
それは見た目は枯れ木の様なモノだった。
水分という水分を吸い取られ、カサカサになっている。触れればすぐさま壊れてしまうだろう。
慶介はそれを訝しげに見る。
家に今までこんなモノは無かった。
だが――それを良く観て慶介は「ひっ――」と小さく悲鳴を上げた。
それは……良く観ると人の形をしていた。あらゆる部分が細くなり、片腕が肩から千切れ、脚の部分も外れていたりして解らなかったのだが、紛れも無く人であった。
一体何がこの人物の身に起こったというのか。
人がこの様な有様になるなど、尋常ではない。
その上――この様な有様であるにもはっきりと分かるほどに、顔は今にも悲鳴が聞こえてきそうな程に歪んでいる。
慶介はその良く分からない人物の顔を見て恐怖のあまり脚から力が抜け、後ろに倒れこんだ。
まさか――そんな――!
人物――それは自分の妻である美咲の顔であった。
「――――!」
なんだ――なんなんだよォ! あれは!
あまりにも異様な姿の妻の姿を見て、声が出ず、内心で恐怖の声を上げながら後ろへと下がる。
少なくとも、朝はこの様な姿ではなかった。何時も通りに元気であった。
ならば――どうしてああなったのか。
普通ではない。例え何かしらの病気であろうともあのような枯れ果てた姿になどにはならない。しかも顔にはまるで何か恐ろしい者にあったかのような恐怖の表情が張り付いている。
不可解である。少なくとも慶介はあのような姿の死にざまは知らなかった。
「ひ、ひぃ――」
呼吸がままらないまま、慶介はただただ、この場から離れようとする。
そしてリビングから出たとき――ソレと眼があった。
「――――」
ソレは――黒い人形の何かであった。
全身がタールの様に黒く、時折良く分からない音と共に泡ができ、弾けて体が波打っている。顔がある部分には目も鼻も口も無く、のっぺりとしていた。
「な、なん、なん――」
なんなんだ――そう言おうとするも口が回らず、慶介は泣きながら黒い人形を見る。
黒い人形はそんな慶介を気にした様子も無く、慶介に近づく。
黒い人形が一歩進める毎に泡が弾け、音が漏れる。
慶介は近づく黒い人形から逃げようとして――
「――――!」
断末魔の様な声と共に目の前が真っ暗になった。
■
平坂護が起きると既に七時をまわっていた。目をこすりながら一階に降りる。一階には誰もいなく、テーブルの上には食パンと一枚の紙切れがあった。
「最近、恵さん忙しいな」
手に取り、呟く。紙切れには護に向けたメッセージが残っていた。
内容は実に簡潔で、また当分帰れないという育て親である恵の言葉である。
仕事が忙しいのか、どうも恵はここ最近帰ってきていない。すでに一週間近くは顔を見ていないのだ。もっともこのメッセージがあることから昨日――護が寝ている間に帰ってきたようだが。
護は紙切れをゴミ箱へ捨てると台所へ向かい、パックの野菜ジュースをコップに注いで、椅子に座ってテーブルの上にある食パンと食べ始める。
「……」
何時もの様にリモコンでテレビをつける。やってるのは天気やニュースだ。何か大事件などがある訳でもなく、かといっても事件そのものがない――火事や、遠いところでの殺人事件などはやはりある――という訳でない。いつも通りの代わり映えのしない内容だった。
何となく流しみていると既に時間が結構たつ。
そろそろ行くか。護は席を立ち洗面台へと向かう。
鏡の中にはボンヤリとした様子の、何時もの自分の顔がある。
護の顔立ちは悪くはない。かといって良いともいえない。幾らか中性的だが平凡といっていい。
頭をみると黒い髪が寝癖でぴんぴんとはねている。適当に頭に水をつけてワックスで整える。時間をかけるつもりはないので簡単に見れる姿になったらそこで護はやめた。そのまま歯磨きをおえ、見慣れた制服に着替える。全体的に紺色が多い制服である。
「んじゃ、行くか」
教科書とは教室にある机の中であり、常に使うやつは学生鞄の中に入ってる。あとは財布と携帯ぐらいだ。
護は自室にもどりそれらを持ってくるとテレビを消して家を出た。
■
千引町は山に囲まれている町で、自然と坂が多くなる町である。
町の中心部は道路整備などもされていて、それなに建物は遊ぶ施設などもある。だが中心部から外れるとだんだんと田畑や山の斜面などにつくられた家々が多く立ち並ぶ住宅街へと姿を移す。
私立千引高等学校――この学校もそんな外れにある学校の一つだった。
山を切り開いて建築された学校で、グランドの裏手には直ぐに山がある。
また元々が山であっただけに学校への通学路は坂が多く、特に校門前の坂は急であり、通称ジゴク坂――男子生徒は下品にパンツ坂なんて呼んだりするが――なんて呼ばれているほどである。
一クラス四十名。それが六クラスあり、普通科の他に体育科もある。運動に力を入れている学校で実際運動部はそれなりに強い。
そしてこの私立千引高等学校こそが護の通う学校だった。
「よお」
「おっす」
聞いた事のある声へと顔を向けるとそこには幼馴染の始がいた。
「そういや昨日の――」「ああ、あれな――」
他愛もない会話をしながら校門をくぐり、同じクラスへと脚を向ける。
始とは小学校からずっと同じだった。ここまでくると腐れて縁といっていいだろう。
自分の席へと向かい、荷物を降ろして椅子へと座る。
「ふぁー眠い」
「なにでかい欠伸してんのよ」
「弥生か。はよ」
「おはよ」
背後に顔を向けるとそこにいたのはサイドテールを揺らした弥生だった。
弥生も小学校からの付き合いだった。
■
「じゃ、明日な」
「ああ」
護と始は分かれ道でわかれた。
山沿いの道を進むと始の家がある。対して、護の家は住宅街にある。
少し歩き出せば、すぐに住宅地だった。回りには畑や田んぼなどがあり、のどかな光景である。
空をみればあかね色になっている。護は赤く染まった家と空を見ながら帰路を歩く。
少し先では子供と母親が手をつなぎながら帰る姿が見えた。
きっとこの団地に住む親子なのだろう。
「親子、か」
こんな時間だからだろうか。
どうにも感傷的になってしまっている。
――護には小さい頃の記憶がなく、両親もいない。
より正確に言えば七歳までの記憶がない。
当時の事は鮮明に覚えている。気がつけば白い部屋にいた。今だから分かるが、あそこは病室だったのだろう。
もっとも当時はそれすら分からず、本当に意味での白紙――何もかもがない状態だった。
当時は当たり前の知識すらなかった。常識は知らなかったし、喋る事すら難しく――そもそも言葉や文字など護の内には存在していなかった。
そんな護を引き取ってくれたのが今の育て親である平坂恵であった。
恵はどうやら父親の妹らしく、会った事もあるらしい。
とはいえ両親の写真を見てもピンとこない護には、会った事があると言われてもそれが本当であるかは分からなかった。
それは今でも変わってはいない。
この人達がお前の親なんだ――そう言われても何の感慨も浮かばない。他人にしか思えない。
でも……だからこそ今の様に親子の姿を見ると考えてしまう。
もしかしたら、あんな頃があったのか。
もしかしたら、父親と遊んでいたのか。
もしかしら、母親と手を繋いで歩いていたのか。
考えても仕方がない事ではある。護とてないものねだりだとは分かっていた。
だけど自分の中にはないと分かっているからこそ、気にしてしまう。
「……気にしても意味なんてないんだけど」
護はため息をつく。既に十年近く前の事だ。今更だとは身にしみていた。
「バカバカしい。さっさと家に帰ろう」
護は考える事をやめた。
すでに家は近い。見える位置にある。
護はポケットから携帯を取り出す。そして中を見るが、恵からの連絡は入っていなかった。
「書いてあった紙の通りか」
護は携帯をしまって暗い家へと入ったいった。
■
廃工場の中は暗闇で包まれていた。
丑班――暗視ゴーグルをつけた闇色のボディアーマーを着けた集団は周りを警戒しながら工場内へと進む。
岩藏巴もその一人であった。
工場内は年月の経ったゴミが積まれていた。段ボールやら布の塊、はたまた置き捨てられたのかスパナや、空き缶などが落ちている。
いつどこから何が来か分からない。その恐怖で巴の手に力が入る。手に持つ八十九式五・五九ミリ小銃がいつもよりも重く感じられた。
――落ち着け。こちらには機装士がいる。
巴達の後には鋼の鎧に包まれた人影があった。
機装士。それはかつて精霊騎士と呼ばれた存在を現在の科学と魔術で再現した対魔装備を着る者の事である。
かつての精霊騎士は精霊騎と呼ばれた鎧――精霊の憑いた鎧――と契約し、初めて鎧を身につける事ができ、その真価を発揮する。
だが現在の精霊騎――機装騎は精霊の代わりに人為的に作られた九十九神であるAIを代わりとし、鉄の鎧は軽く、なおかつ魔力の通しやすい合金を基本としている。内部には魔力を通すための回路をつけ、なおかつ魔力に抵抗を持たせる為の防御魔術が刻印されている。汎用性、操作性でいえば昔の比ではない。もっともやはりある程度の資格は必要であるが。
巴は自らの言葉で鼓舞すると、先に進む――突然、先頭が止まり、静止の合図が出る。
暗視ゴーグルから見える奥には人影があった。
全身真っ黒なのが三人。
いや――違う。あまりにも黒すぎる!
人ではない。人の筈がない。
班の人間は皆同じくそう思ったのだろう。銃を構え、奥にいる影にそなえる。
「――――!」
バネが戻るように飛んだ影は、一瞬にして工場の壁に張り付く。
影がいた所から考えれば十メートル近くはあったはずである。
術により肉体強化は可能だが、目の前の影の様な動きはできない。確実に人ではなかった。
「目標発見!」
班の誰かが言った。同時に引き金が引かれた。
四五ACP弾がばらまかれる。銃声抑制器によって押さえられた射撃音が辺り一面から聞こえる。
だが――影はばらまかれた銃弾をものともしなかった。
耳障りな音を鳴らしながら影は壁を移動。軟体動物のような動きで、ちぢんだと思ったら爆発的な跳躍をする。着地の度に工場の壁を破壊しながら動く。
「化け物め!」
叫びと共に巴は引き金を引く。
肉体は術により底上げされており、辛うじて影の動きを追うことができていた。
それでも……影には当たらない。
定まった形がないのだろう。初めは人の形をしていたように見えたが、今では黒い塊が変幻自在に形をかえて弾丸を避ける。
それは周りで戦う者達も同じだった。
放たれた四五ACP弾は工場を破壊するが、影には一向に当たらない。
だが――その動きをとらえた者がいた。
振動/轟音。
巴の後ろから風が通る――機装士であった。
「■■■■――!」
「ふん!」
呼気と共に拳が放たれる。
地面が爆ぜる程の踏み込みによって打ち出された拳が影を工場の奥へと吹き飛ばす。それを着地と同時に機装士が追う。
「各員、五一番を援護しろ! 他の奴らを近づけるな!」
「了解!」
残り二体を封じ込めるように、弾丸が放たれた。
影に仲間意識があるかは分からないが、動きを変える。今までは周りを飛び弾丸を避ける動きのみだったが、こちらへと飛ぶ。
「■■■■」
「あがががが――」
――それは異様な光景だった。
一人の班員へ影がまきつくと、まるで人が中身を吸い取られていくようにしぼんでいく。立っていられないのか、膝をつき倒れ……そして最後には枯れ木の様な姿になった班員が残った。
一瞬の出来事だった。あまりにも速すぎて誰もが反応できていない。
仮にこれを見た人間が一般人であったなら、あまりの出来事に正気を失いかねない。
「……化け物め!」
しかしここにいるのはこうなることを覚悟してきた者達だった。
巴は瞬時に銃を構え直し、未だに班員へとのしかかる影へと引き金を引く。
弾頭に施された対魔力体術式が影に牙をむく。
着弾と同時に対象の魔力結合を強制的に解く。あくまで弾頭の面積にしか効果はないが、弾を広くばらまく事により面攻撃となった弾丸は影の体を引きちぎっていく。
「■■■■■■!」
悲鳴と言って良いのか、これまでにない雄叫びをあげる。
効いている。これならッ!
巴が影の姿を見てそう思ったときだった。
「ッ――なんだ!」
上から破壊音。見れば天井に穴があいている。
穴のあいた方向を見る。舞い散った埃でよく見えない。
「そこから離れろ!」
インカムから声が響く。この声の主は機装士のものだ。
機装士には複数のセンサーと感覚器官を補助する機能がついている。それが落ちてきた何かを探知したのだろう。
危機感を募らせる声に反応する前に、空気が動く。
「な――ぐががが」
もう一体いたのか!
現れたのはまたもや影であった。
巴のすぐ前にいる者を倒し、枯れ木へと変える。
「このッ」
引き金を引く。影はその場から跳躍。それを追うように巴と他の班員も弾丸を走らせる。
「くそッ! 奴も逃げやがった!」
「あれは……」
工場内を逃げていた先程の大きな影に小さな影が飛ぶ。先程銃弾を浴びせた奴だ。二体はまるで初めから一つの塊であったかのように一体化する。
「■■■■■■――!」
それは叫びだったのか。大きな音を立てて天井の穴へと飛ぶ。
追うように大地を揺らして機装士が現れる。
「っ」
機装士の拳は届かなかった。
「くそったれ!」
誰かの悪態が聞こえた。
ポッカリと空いた穴からは既に奴らの姿は見えない。あの早さだ。こちらの足では追いつくのは難しい。外にいる狙撃手とて補足するのは無理だろう。
機装士ならばと思うが、中にいるのは人間である。一人で追い、待ち伏せを受ければひとたまりもない。そもそもどれだけの数がいるかすら把握できていないのだ。無謀すぎる。
巴は歯がみして影が消えた穴を見た。
奴はこれからまた人を殺すだろう。しかし巴にはそれを防ぐ事はできない。
『乙班、丑班。作戦は失敗。直ちに帰還してください』
「了解した。おい、後は甲班に任せるぞ」
丑ノ二番の言葉に誰もが顔を歪めた。
当たり前だ。こちらは二人やられている。出来ることならば自分達の手で敵を討ちたい。だが同時に今できる事がないのも分かっている。
故に全員が苛立ちを乗せて「了解」と呟く。
巴は殺された丑ノ三番の遺体を運ぼうと手を伸ばす。
だが……触った所から形が崩れ、まるで砂の様になる。
形さえ残らない。知っていたとはいえ、実際に見るのは初めての巴はその光景を見て息を飲んだ。
……こんなのってない。これじゃあ家族にはどう知らせば良いというのか。
「……六番。装備だけ取れ。遺体は俺達ではどうにもできん。甲にまかせるんだ」
「……はい」
慰める様に肩に置かれた手と声に力なく返事をする。
あまりにも無力。自分ではどうすることはできない。
できる事といえば装備を拾い集めることだけ――。
「許さない……」
砂の山から顔をのぞかせたドックタグを握りしめた。
■
何時もの様に目覚ましの音で起きると、良い匂いが一階から香る。
一階に降りればテーブルには白米、味噌汁、目玉焼きがそれぞれ二人分あった。
台所に視線を向けると食器を洗う恵の姿があった。
「おはよう。いつ帰った?」
「おはよう」恵が手をとめてこちらを振り向く。「三時ぐらいよ」
恵の姿は既にスーツだ。これから直ぐに仕事に行くのだろう。
マモルは座りながら「恵さん、最近ずっとそんな調子だけど大丈夫?」
「大丈夫よ・それに――」
恵が椅子に座る。そしてテレビを見て言葉を止める。
「?」
マモルがテレビに顔を向けるとニュースが流れている。内容はいつもと変わらない・事件がどこであったとか天気といったものだ。けして目を引くような事はない。
「あー今日は雨か。傘持っていかないと」
「……」
「……どうかした? やっぱり疲れてんの?」
「違うわよ。ほら、速く食べちゃいなさい」
恵は白米を口に運ぶ。淡々と朝食を終えると台所へと食器を片付ける。そして時計にちらりと目をやるとテーブルの足下に置いていたバックを持つ。
「私はもう出るけど、あんた今日から速く帰るようにしなさい」
「なんで?」
「いいから。それとネックレスは今持ってる?」
「いや……部屋だけど……」
「あれはいつも身につけておきなさい」
「あれ邪魔なんだけど……」
「マモル。あれだけは必ず身につけなさい。絶対よ」
いつになく真剣な顔で恵は言った。
なんでネックレスごときでと思う。しかし恵のあまりの真剣さにマモルは「分かった。つけるよ」と答えた。
それを聞き恵は表情をほころばせる。
「じゃ、後はお願い。当分は帰れないから戸締まりはしっかりね」
「はいよ。行ってらっしゃい」
背を向ける恵に手をひらひらとやりながらマモルは恵を見送った。
マモルは朝食を食べ終えると台所に食器を下げ、そのまま自室へと向かい机の前に立つ。
「しっかしネックレスね」
机の上に無造作に置いてあるそれは狼の頭部をかたどったネックレスだった。
丁度、目の部分にはガラス玉のような透明な小さな玉が嵌め込んであり、それ以外はチェーンも含めて銀で作られている。
「大切って言えば大切なんだろうけど……」
父親の形見――らしい。
もっともマモルにとっては形見と言われてても実感がわかない。年期は入っている物だから出すところに出したら高く売れるかもしれない――その程度の認識だ。
「御守りにしては形がな」
こいつだけ残った――そう考えると御利益はあるかもしれないが……。
「別につけなくてもとは思うが、後でバレると面倒だしな」
マモルはそのままネックレスを首から下げる。
そして学校へと行く準備をすませると家を出た。
■
黄昏。
逢魔が時。
夕闇がかかり、住宅街も薄暗くなってきている。
マモルはその中を一人で歩く。手には途中で買ったコンビニ弁当、お菓子、それとコーラが入っている袋を持っていた。
一人ならば料理をするのも面倒であったし、どうせ明日は休みだ。ならずっと起きたままでもかまわないだろう。そう思った買った品だった。
「始に用事がなけりゃあなー」
どうも家の用事らしく、今日は始は学校に来ていない。今までもこういう事はあった。やはり家業があると色々とあるのだろう。
「明日にでも顔出してみっか」
何か手伝える事があるかもしれないし。
そう思い、角をまがる。
「……何でこんな所に自転車がころがってんだ?」
マモルは足をとめて道の中央で倒れた自転車を見る。今倒れたばかりなのかタイヤが回り、空気をけっている。
不思議に思いつつも顔を上げて先を見る。
「ん?」
影。それが四つ。
顔はよく分からないが何かを持ち上げた影と、さながらてるてる坊主が風にゆれるようにブラブラと揺れる女性のような人型が前にいる。影の後ろには人と大型犬のようなのもいた。
「な……なんだ?」
よく目をこらして見れば後ろにいるのは人とライオンのような何かである。
だがその前にいるのはなんなのか?
影――としかいいようがない。
全身が真っ黒であり、人の形はしているものの、目や口などが見当たらない。それが女性物の服を着た細長い何か――まるで人の様なそれの首を握る。
途端、握った所から折れ、道路にソレが落ちると形を崩した。
気味が悪い。前にいる奴等が何かは分からないが、とてつもなく此処にいてはいけない気がしてならない。
関わってはいけない――。心臓が早鐘を鳴らす中、少しずつ後ろへと移動する。
「――――」
人影と目があった。
薄暗い中で顔すら正確に分からないというのに、こちらを見ているのが分かる。
駄目だ。やばい。速く逃げないと!
マモルは背を向けて走り出す。とにかく此処から一歩でも遠くへ。奴等から離れたかった。
しかしそれは叶わない。背後からマモルの頭上を越えて影が降ってきて、前をふさぐ。
「そんなんありか!」
人ではありえない脚力である。たとえ鍛えた人間でも五メートル以上離れた場所から、その上人の頭を飛び越えて現れる事などできはしない。
目の前に立つ影は人の形はしているが、やはり目や口などはなく、全身が黒一色で作られていた。時折体の内側から弾け、奇っ怪な音を出す。
少なくとも、これは人ではない。人であるはずがない。そもそも生物であるかすら疑わしい。化け物といった方が正しいだろう。
「くそッ」
マモルは足を止める。
前は駄目だ。後ろは奴等が――
逡巡――その間に影は地を蹴った。
「な――」
音が鳴った……そう思った時には既に影を見失い、マモルは押し倒されてていた。
「ぐ――」
抵抗する暇もない。背中を強かに打つ。その間にも化け物はまるでこちらを食らおうとするかのようにマモルに覆い被さる。
「ふざけんな!」
包まれた腕を道路にたたきつける。アスファルトで腕が削れるがそんな事を気にしている余裕はない。そのまま頭にへばりつく化け物を掴むと乱暴に引きちぎり、投げ捨てる。
化け物はそれでも生きている。分かれた部分と体にまとわりつく部分がうごめいた。
「ほう。触れて死なぬとはな」後ろから関心する様な声が聞こえた。「もどれ」
一言で今までマモルについていた化け物がはがれる。化け物の行く先をみれば、そのまま一つになり、後ろにいる男の隣で人型でたたずむ。 男達を睨み付けながらマモルは立ち上がる。既に先まで怯えはない。あるのは怒りだった。
「なんなんだ……てめぇら」
とはいえ――自分が知る常識の埒外に男達がいることは理解していた。
化け物としか言い様のない影やその化け物を従える事といい、むやみやたらに殴りかかったところでどうにかなるものではない。
せめて一発は殴りてぇが……場合によっちゃ逃げねぇと。
どちらにせよ相手を知らなければ難しい事だった。今すぐ逃げようとした所で化け物に押さえつけられておしまいである。
だからこそマモルは沸々と沸き上がる怒りを抑えて相手を観察する。
目の前にいる男は全体的にガッシリとした体格だった。背は大体百七十ちょっと。精悍な顔立ちであり、少なくとも二十代の様に見える。こちらを見る目には何処か面白そうな色があった。
その隣にいるのは金色の獅子だった。
一体どの様な人物が作ったのかは分からないが、威風堂々としていてまさに百獣の王といった風格があった。
しかもどの様な仕組みなのか獅子は自らの足で一人で動く。見るからに金属で作られているのに、こちらへと歩く様は生きているかのようであった。
「なんだ、か。俺は一介の拳士のつもりだが……お前が聞きたい事はそうではあるまい」
男は悠々と歩き、マモルへと近づく。マモルは男に押される様に後ろへと下がる。
「日本的に言うのであれば鬼、仙人といった所か」
「鬼? 仙人?」
マモルからすれば鬼や仙人はフィクションであるが――今の現状を考えると世迷い言とはいえなかった。現にマモルは男の後ろにたたずむ化け物に襲われている。既に現実とは思えない自体に遭遇しているのだ。
「それでその仙人がこんな所で何やってんだ? 仙人なら仙人らしく山奥とかにいろよ」
「生きが良いな。この状態でまだそんな口がきけるとは。まぁ……どうせ死ぬのだし教えてやろう」
言うと――男はマモルの目の前にいた。
何時動いたか分からない。まさに一瞬の出来事だった。そのまま男はマモルの首を掴み上げる。
「ぐッ……! はな、せ!」
マモルは両手で男の手を外そうとするも万力で捕まれたかのようにビクともしない。
「目的は命を集めること。門を開くにには幾らあっても足りんのでな。もっともお前は何故か陰気が利かぬようだが」
「ぐがッ……」
言葉と共にマモルの首を絞める力が強くなる。必死にふりほどこうとするが、力が弱まる事はない。
シーン六
気がつけば走っていた。
何故走っているかは分からない。だがその場で立ち止まる事だけはいけないと感じていた。
「もう無理だよ……」
左手で握っている誰かが言った。前を見てひたすら走っているから顔は分からなかった。だけど声から小さい女の子だと思った。
いいから走るんだ!
息を荒くしながら叫ぶ。
停まってはいけない。とにかく前に進まなければ。
前に。前に。前に。
けれど無限に走り続ける事などはできない。いつかは限界がくる。
脚が止まる。もう走れ名かった。息も絶え絶えに後ろを見る。誰もいない。人っ子一人いなかった。手を握っていた誰かさえもが。確かにこの手で握っていた筈なのに。
「――え?」
急に胸に違和感を感じた。自分の胸を見ると、銀色の腕が生えている。おそるおそる腕の先を辿る。
鎧。まるで中世の騎士の様に全身が銀色に包まれている。
腕が引き抜かれる。
全身に力が入らない。
死ぬ。助からない。
嫌だ。死にたくない。けれど死ぬ。そうだ。死んだ。嫌だ。■との約束が守れない。暗い。寒い。意識が――
――最後に三つ首の狗を見た。
■
「――――」
マモルが目を覚ますと天井が見えた。いつもの自室の天井だった。
「……何だったんだ今の」
今見た夢を思い返し呟く。やけに生々しい夢だった。未だに死ぬときの恐怖がこびりついている。
「大体、なんで胸なんだよ」
寝そべりながら左手で胸を押さえる。
そこには大きな傷跡があった。何かに突き破られたかのような大きな傷跡が。
もっとも夢の様に胸を貫通されたら既に死んでいるだろう。どうしてこんな傷があるかは覚えていないが、こうして生きている以上は夢の内容は関係ないといえる。
「気持ち悪り……」
夢は夢に過ぎないとは分かっていたが、よい気分にはけしてなれない。
■
ダン! という音がなり、相手へとせまる。
魔力によって強化された肉体は一瞬で相手の前に移る。踏み込みの勢いを利用して右を打ち出す。
だが相手も機装士。それを防ぐと拳を放つ。
そこからは拳の応酬だった。
払い、放ち、体を入れ替える。
組織での訓練が生きていた。少なくともこの場で戦える程には動ける程には。
無論の事これは機装しているからというのもあった。膨大な魔力によって強化された肉体だからこそ相手に追いつく事ができている。内部のセンサーの恩恵も凄まじい。それは相手を見ただけでどういった動きになるのかが直感的に解る程であった。これは機士と機装騎が霊的に繋がる事により、センサーを考えずとも理解できるからだった。
しかし――それは相手も同じだ。
「ふ――」
「ちぃ――!」
両腕で拳を受ける。
拳の勢いで後ろに流れていく。
「どうやら貴様はまだ日が浅いようだな」
「なに……?」
「未熟者だといったんだ」
「だったらどうだっていうんだ」
「は――その上馬鹿か」
相手が近づく。それにマモルは構える。
「手間が省けていいがな」
鋭い踏み込み――気がつけばマモルの目の前に既にいる。
「――!」
速いと思う前に腹部に衝撃がはしる。そのまま上にあげられ、ホテルから外へと投げ出される。
けして慣れないだろう浮遊感を感じながらも、見えたのはホテルの壁を下っている相手の姿だった。
なんだあれは。あれはまずい。
センサーによって相手の右に魔力が集まっているのが解る。
「ジャ!」
ホテルの壁を蹴り、こちらへと向かってくる。
マモルはこちらに右を振り下ろす男の姿を見て、とっさに体をまるくする。
振り下ろされた右はマモルを地面へと吹き飛ばす。
男はそのまま地面に何事もないように着地する。
「ぐ……あ……」
まるで全身がバラバラになったかのような痛みがはしる。
なんだ……これは。
そして何よりも受けた両腕が石の様になっていた。
他の部分と違い、そこだけがあきらかに動きが悪い。感覚すらなくなっていた。
みためも受けた所を中心として灰色へと変化している。
「終りだ」
体の方は既に鎧によって回復が始まって幾らか楽にはなってきている。
しかし腕の状態は変わらず、何より目の前の男を避ける事が出来る程ではない。
立たなくては。
ここで――こんな所では終れない。
男がゆったりと此方に歩いてくる。魔力が右拳へ移っていくのが鎧のラインで解る。
――くそっ!
次にあれを食らえばどうなるか――。
だがマモルの体は自分の意思とは別に、思うようには動かない。
その時だった。
「……これは?」
排気音。後ろからこちらへとだんだんと近づいてくる。
こんなときに!
誰だか知らないが、男と鉢合わせたらそいつは死んでしまう。
次第に近づく排気音に男も気がついたのか、足を止め、後ろへと振り向く。