自分の『なりたいもの』は本当に『将来の夢』なのだろうか。
現在スランプ中なので、リハビリとして投稿します。
最近は少しずつ書けるようになってきました。
まぁ短編ですけどね。
私の夢は小説家である。
理由としては、人を笑顔にしたいからである。
くだらな過ぎて笑える、面白くて笑える……どんな理由かは置いておくとして、私は人を笑顔にしたい。
しかしそれは『なりたいもの』であり『将来の夢』であはないのかとよく思うことがある。
『なりたいもの』は確かに小説家だ。
たが、自分の『将来の夢』は本当にそうなのか。
夢物語を語って
そう考えることがよくある。
『なりたいもの』と『将来の夢』は似ているようで違うものだ。
よく『将来の夢』を考えるときに「〇〇になりたい!」と考えることが多いため、同じだと考えてしまうだけだ。
『なりたいもの』は小学生が考えるような、現実味の無い夢物語にしか過ぎない、ただの空想だ。
『将来の夢』は【将来】と言う未来を表しており「いつか」は不明だが、現実味があることを考えるものだろう。
ならば「なれないかもしれない」と、考えるのは本当の『
先ほど述べたことを否定してしまうが、私は違うと思う。
いくら否定されようと、馬鹿にされようと頑張った者だけがなれるもの。それが『
現実味が無い?現実見ろだって?ハッ、知らねぇよそんなの。現実を見て、自分がそう決めたんだ。親だろうが、友達だろうが、結局は他人の意見だ。どうしようと自分の勝手だ、協力したりするのはいい。だが勝手に
私はまだ『なりたいもの』であり『将来の夢』とは言い難い夢である。それに自分の『なりたいもの』を考えたのが一年前である。その頃はまだ空想すら無かったのだ。
本当にそれが『
『なりたいもの』は非現実的『将来の夢』は現実的、そう述べた。
なら改めて考えよう本当に自分は何をしたいのか、何をこれからしていけばいいのか。
それは本人にしか分からない。辛くなったら相談をすればいい、なんだったら私が受けよう。しかし、決めるのは君だ。自分の人生だ、自分で決めて過ごしていけ、誰もその道を止めるものは居ない。
そしていつか『
いくら挫折しようと、どんなことがあっても諦めない。所詮は「気合い」や「根性」と言ったただのまやかしの言葉になってしまうが、それが大切である。
仮に失敗しても自分がしてきた頑張りは本物だ、そのことだけは忘れてはいけない。
そうして『
仮に未来を操れようと、絶望的な夢を見ても私は諦めることを知らないであろう。何故なら、私は馬鹿でマイペースであり、小説を書くことしか知らない。それだけなのだから。
自分の好きなことはいつか『
だが『
……後書き中に予測変換で「げん」まで打ったところで最初に「現在」っ出てきたけど、誤字ってないよな?