俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【杉元一派:釧路のコタン】
釧路にて、海岸のコタンに住むフチの15番目の妹の元で夜を明かそうとしていた時のこと。
ウミガメの肉に舌鼓を打ち、一行は穏やかに眠りについていたが、ひとりの男だけは目をジッと天井の向けたままであった。
「眠れないのか、尾形」
「ほっときなよアシリパさん」
案の定、アシリパの問いに尾形が答えることはなかった。代わりに、杉元へ向けて盛大な舌打ちをした。
「お前のせいで余計なことを思い出した」
「なんで俺のせいだ。テメェの寝付きが悪いのは俺に関係ねぇだろ」
「………今後、高橋の話はするな」
「高橋?」
杉元には意外だった。気に入らない様子だったのは分かっていたが、数日前の話題から引きずるほどだとは思わなかった。過去によほど何かあったらしい。「はいはい」と流して、深追いせずに杉元は眼をつぶる。
しかし白石は察しが悪かった。
「なになに高橋ちゃんがどうだって?」
「し〜ら〜い〜し〜!」
お前はサッサと寝ろ、黙ってろ、余計な事するなと杉元、谷垣、アシリパの順に能天気な口を抑え込む。それでも「クゥーン」と嘆く白石ので、さらに三人は睨みを効かせた。
「ヤツは、俺と二階堂が脱走することを事前に知っていた、ただ一人の男だ」
尾形が静かに告げた。
「もっとも、ヤツは涼しい顔でそれを断り、後に鶴見中尉へ報告したがな」
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【尾形の回想(小樽の病院)】
高橋は週番看護兵やその他諸々の用件を頼まれ、医務室へよく来ていた。ちょうど俺の顎が治ってきた時、俺はヤツに脱走の件を持ちかけた。高橋は二十七連隊で唯一第七師団に染まっとらん男だった。大尉のお気に入りという噂もあったから尚更だ。俺はほとんど噂は本当だろうと見ていた。だから俺の誘いも二階堂同様、乗ってくるに違いないと踏んでいた。
「高橋、お前今夜ここに来い」
「顎の具合はもういいんですか、尾形上等兵殿」
言葉の内容より、高橋は俺が喋れたことに驚いた。目を若干丸くすると、大きな背を折り曲げて俺の顔をのぞき見る。
「まだ抜糸したばかりで、顔の跡が痛々しい…安静にしたほうが身のためですよ」
「ハハッ…ずいぶん立派なことを言うようになったな、俺に忠告するとは軍医にでもなったつもりかお前」
寝台の上から見上げた男の姿は、より一層大きな影を背負って見えた。見下すつもりが本人に無くとも、その冷静な態度が鼻に付く。
俺はかけられた毛布から、右手を振り上げた。
「お前は来るだろう、断る理由がないはずだ」
右手で高橋の襟を掴み、こちらに顔を引き寄せる。高橋の息が口にかかる。高橋の黒目がわずかに揺れた。
「誰に垂れ込まれたか知りませんが、俺は第七師団から離れるつもりは毛頭ない。生涯を捧げるつもりです」
やはり、ここを脱走する話だと分かっている。つまりコイツにもその気があった訳だ。煮え切らない態度が癪だが、押せば落ちると確信する。
「お前は師団の女房か。その心意気には感心するがまだ納得できん。これまでまったく鶴見中尉に接触していないはずだ。いつの間に懐柔された?」
「懐柔なんてされてません、むしろ俺はこの地に来た時からずっと尊敬はしています。203高地での偉業は聞いておりますから、さぞ素晴らしいお方でしょう」
「大した忠誠心だな?高橋上等兵」
「ありがとうございます」
嫌味も通じない堅物、聞いていた通り調子の狂う男だった。俺は掴んだ首元を突き放した。薄い体がグラリと後ろに傾く。
「この師団に執着する意味が分からん、とお思いでしょう」
「大尉への手柄が望みか」
「本当に違います」
高橋はきっと睨みつけていう。
「ここの師団の方が、よそ者を嫌う気持ちはよく分かる。恐れ多くも大尉に命じられ、ここに移って来たのは事実ですから」
こう前置きし、苦々しくを伏せた。
「しかし……ここから離れるつもりはない。ここは俺にとって最後の居場所です。唯一の居場所だった祖母が居ない今は」
「…………」
「俺は奉天の後、家に帰り祖母を探しました。だがどこにも祖母の姿がない。実家の秋田まで足を伸ばし、村中を探しましたが、そこにもいない。後で聞いた話、祖母は死んだそうです」
「身寄りがなくなった訳だな」
「…………」
黙ったままだった。息を飲む音が、かすかに聞こえた。
「………そうだけど、そうでもないんです」
俺の目を見つめ、高橋は言った。珍しく身の上話かと思えば、話している男の頬には汗が滲んでいた。奇妙だ。これはいよいよ、ただの身の上話じゃないと勘が言う。
「俺の祖母は、俺が生まれる前に死んでいた」
「……なんだと?」
「俺は、両親が幼い頃死んだのは知っていました。それで祖母と名乗るあのババァが現れて、引き止める家族を振り払い、俺を連れ出した。ババァは、俺の才能は自分の血を受け継いだものだと言ったのです。実際俺はババァと同じ芸ができた。だから俺はずっとそれで納得していた」
「……そのババァは赤の他人だった訳だ」
高橋は小さく頷く。
「今思えば、俺が出兵するのを止めなかったのも頷けます。赤の他人の面倒を見るのはあの年じゃ辛い。どこへでもいいから捨ててしまいたかったんでしょう。それにババァの稼業も落ち目だった。継ぐつもりもない俺は、ただの重荷でしかないはずの男だ。幸い、剣の覚えはありましたから、捨てても軍で拾われると見込んでいたんでしょう。今は俺もそのババァとは会う気はありません、それより、勘違いとはいえ満足に弔ってやれなかった両親や祖母に申し訳が立たんのです」
「………」
「だから俺は、せめてもの親孝行として、地元の軍である第七師団に従事したいと思っています。この地の方々に恩義を尽くすつもりで…」
「…………」
俺は内心で頭を抱えてていた。コイツの言い分は確かに理にかなっている。だが、それはあえて中央を敵に回すほどの理だろうか。
俺の逡巡をよそに、高橋はとんでもないことを言い出した。
「それに、両親もこの師団で『才能』を生かす使命があると、離れれば呪うと言っていますから」
その言葉を聞いた時、俺は目の前の男が得体の知れない奇人に見えた。
「お前がここに執心する理由は分かった、納得はしていないがな」
死んだ両親が言った、というのはこの際『遺言』の事を指してると思えば腹に落ちる。しかし大きな疑念が、ただ1つ残っていた。
「さっきから言う『才能』とは何だ。ババァの稼業と関係あるのか?」
「ああ、口寄せですね」
「は?」
俺は、聞き間違えたのかと思った。胡散臭い事を、さも当然のように言ってのけたのだ。
「正確には『生口(いきくち)』という生きている人の魂を自分へ移し、その本心や願いを聞く儀式を行っておりました。他にも『神口』『仏口』などありますが、出来る人間はごく限られてます。祖母……いえ、ばあさんはその能力に特に並外れており、横浜では有名な霊媒師でした。それを聞きつけた地方の村に呼ばれることも少なくない。俺もそれによく手伝いとして連れていかれた。ただばあさんは、俺の方がその儀式をする能力があると執拗に言っていました。昔から俺は幽霊を信じていないし、生きてる人を宿すことはできなかった。結局儀式は手伝いしかしたことがありませんがね」
「……信じてないのに、死んだ両親は見えるのか」
「俺が見たことないのは幽霊であって、両親は幽霊じゃありませんよ。何言ってるんですか」
何を言っている、はこちらの台詞だった。こいつの頭はおかしい。そう確信すると、俺は男に背を向けて目を閉じた。馬鹿馬鹿しい、寝てしまおう。
「もういい。分かった。貴様の冗談は。お前は本当は第一師団で厄介者だったんだろう。だから居心地が悪くて、自分を知らない北の果てに逃げてきた」
「……厄介者扱いは、いつもの事です。ただ、今の話は全て真実です」
神妙に言う言葉を真に受けるほど、俺はお人好しじゃない。ましてや『幽霊は信じてないが、死者とは話せる』と真顔で言う男の言葉だ。真面目に聞くのも馬鹿らしい。これ以上話せば、キチガイがうつる。
「そうかい。なら、ぜひともその『才能』を拝んでみたいものだな」
俺はそう吐き捨てると、今度こそ口を閉じた。
この時すでに高橋から興味は失せていた。むしろ関わりたくない気持ちでいた。
脱走の件を伝えるのは、二階堂だけでいい。コイツは巻き込むだけ無駄、何の役にも立たないだろう。あとで脱走の口封じをしておけば問題ない。
「いいですよ」
その言葉に、沈みかけた意識が戻った。閉じたまぶたが、ゆっくり開く。
「なんだと?」
高橋に背を向けて横になったまま、俺は尋ねた。
「口寄せでしょう?やって見せましょう。そうすれば、貴方はこの話を信じることでしょう。それに…」
ポン、と大きな手のひらが俺の肩に落ちた。
「これからやろうとしている馬鹿な企ても、止めるはずだ」
いつの間に、そばに寄っていたんだ。置かれた手を払い、真意の分からない男を用心するように、身を起こした。
「その前に一つ聞きたい」
最初の会話で分かった不可解な事が、脳裏をよぎっていた。さっきの身の上話から嫌な予感がする。
「お前は鶴見中尉とつながってないと言っていたが、それなら最初から何故俺が脱走すると分かったんだ?鶴見中尉に関わっていないと、俺が脱走する意図を知らないはずだ。どこで脱走の企てを知った?」
「いや、見れば分かりますよ」
小枝のような長細い指が、悠々と俺の頭上まで持ち上がって、ピタリと止まる。
「ほら。ずっと隣で貴方の弟が『兄様行ってはなりません』とおっしゃっているでしょう」
目を見開いて高橋を睨んだ。
そして俺は唯一この時、この男は本物かもしれないと思ってしまった。