俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【第七師団:小樽の兵舎】
「あ、」
俺の右肩から血糊が滴って、すぐ下に落ち、真下に倒れている中尉殿の服の染みになった。「上官の服を汚してしまった」と無礼をわびる思いが湧いたが、そもそも馬乗りになって中尉を押さえ込む事自体、かなりの非礼である。
「…あの……」
中尉と剣を交えて、いくらか経った時、一瞬の隙をついて中尉の剣を払い飛ばした。そこからは早く、俺は手持ち無沙汰になった中尉の両手を掴み、地面へなぎ倒して今に至る。
「……大きな体が味方したな」
両腕を地面に押さえられてもなお、中尉は笑って言った。しかし余裕がある中尉とは引き合いに、俺は焦る。
「い、………」
体の限界が近い。右肩や左の脇の下に切り裂かれたところから血糊がまとわりついていた。
それに、もっと不味いのはこの光景だった。今の状況を何も知らない者が見れば、疑いもなく『上官に欲情して押し倒した兵士』と思われるに違いない。抵抗の末に、成り行きでこうなったとはいえ、誰かに知られればいらぬ誤解を招いて厄介だった。
「襲いかかられた時は、ついぞ犯されるかと思ったぞ」
目を細める中尉を、俺はまっすぐ見下ろして言った。
「男色の趣味は俺にありません。それ以前にそのような不敬死んでもしません」
「では上官を押し倒すことは不敬でないと?」
「え。いや、その、」
不敬に決まっているだろう。矛盾した言い分に、自分で自分を責める。口ごもる俺を中尉は見逃さなかった。
「私ははっきり物を言う方が好きだぞ高橋。お前は全く面白くないが、物怖じしない言い方だけは好感が持てた。私の好いていた男はどこへ行ったんだろうな」
「中尉殿はこの状態で、なぜ口説けるんですか」
正気かと耳を疑う。中尉の首には剣を添えてあった。腕も少しも動かせないほどきつく、俺の片手で両方を頭の上でまとめ、地面に押さえていた。足さえも俺の乗りかかった身体でビクともしない。
つまりこの人を生かすも殺すも、今は俺の手にかかっているのだ。それを分かっているのだろうか。
「ほお、なぜだか分からんのか?これは命乞いだ」
「絶対違うと思います」
俺の知ってる命乞いは、相手にこんな挑発的な目を向けない。
「中尉殿、不敬は承知で申し上げます。俺をずっとここに置いてください。俺は…生涯第七師団に尽くすつもりでここに居ります。身寄りもない俺に、居場所はここしかないのです。ここで役に立って死にたいのです」
「ならば今ここで死ね」
俺はこの時、これまで見てきたどんな死人より、暗く深い黒目を中尉の瞳に見た。改めて、心底信用されてないのだと気づく。
「お前が死ぬことで、私は第一師団へ金塊の件が流れることに、気を張る事もなくなる。お前は身の潔白を晴らすだけで、十分役に立つ。ここで死になさい」
「それは」
言い淀むと、それを読んでいたよう中尉は「フン」と鼻を鳴らした。
「身寄りが無いからこの師団に執着するのか?なかなか無茶な主張だな。身寄りがない者などいくらでもいる。そして、そ奴らは大抵己の思うまま、権力に群がって生きている。居場所はどこでもいいと割り切っているものだ」
中尉の言うことは正しい。実際、身寄りがない事は珍しくなく、戦争が始まってからなおさらその数は増している。それに、身寄りの無い者には、居場所に執着しない者が多いのも事実だ。俺は何も言えなかった。
「居場所を軍に見出したところで、お前が救われる訳ではない。分かっているはずだ。自分が本当は誰かにすがりたいだけだという事を。それが分かっているから、お前は第一師団へ情報を流し、中央へすがりつくつもりなのだろう」
「し、証拠はあるんですか?」
「無いな。今のところ中央や第一師団へ嗅ぎつかれたという報告はない」
「無いのなら信じてくれてもいいでしょう」
「だがそれも時間の問題だ。すぐ尻尾を掴んでやる。まあ……まずそんな事態になる前に殺すのが先決だがな」
「俺は、本当に中尉に尽くすつもりなんです。本当に、第一師団とも、中央とも繋がっちゃいません」
「わざとらしい言い方だ。カマトトぶったところで、お前の素性は、じきに明らかになるというのに、まだ言うのか」
片眉をあげ、冷めた声で中尉は言った。それが純粋に、ただ悲しかった。本心で言った言葉が全て裏目に出ている。こちらには本当に裏も表もない。
それなのに中尉は取り合ってくれる気配がまるでなかった。すると、いくら尊敬する上官とはいえ埒があかないその態度に苛立ちが募る。「なぜ分かってくれない?」と。そうこうしているうちに、沸々と怒りがこみ上げていた。
そう思ったそばから、決定的な一言を中尉が言い放った。
「ああ、それとも……お前も金塊に目が眩んだのか?」
限界が、来た。
「鶴見中尉殿」
呼びかければ腕がわずかに動くが、より強い力を加えて押さえつける。自分の影にすっぽり収まっているこの時だけ、中尉がずいぶん小さく見えた。
俺は額がぶつかりそうな距離まで、顔を寄せる。
「分かっていただけるまで、何度も申し上げますよ」
「面白い…………私を懐柔する気か」
「ええ、そうです。俺は貴方を裏切らない。誓いましょう。俺はね、俺を厄介払いした第一師団や中央に恩義も何も感じとらんのです。あの権力にすがったところで、『おこぼれ』はたかが知れてます。むしろ恩義があると言うのなら、俺が生まれたこの地、この第七師団です。ここで身を捧げることが俺の本望です」
「本望?本当に?」
「もちろん。それなのに、ここへ来てまだ間もないのに自害しろと?師団の為に働こうと息巻いた矢先に?言っておきますが、俺はオレは金塊なんてどうだっていいんですよ。早く役に立って、早く…早く早…クハヤク杉元佐一をブッ殺シタイ。杉元ヲ殺シタイ!」
その時だった。
「ガフッ!!!!!」
ゴツ、という衝撃が体を襲い、一瞬意識が飛ぶ。少しして、俺は誰かに蹴り上げられたらしい、と分かった。
くの字に体を曲げて、床に転がる。
眩む視界の中でぼんやりと中尉をうかがった。提灯の灯りが眩しい。誰かが中尉に駆け寄っている。
「ご無事ですか鶴見中尉」
「面白いところだったのに、水を差したな月島」
耳に届いたその名前に、突然すべての辻褄が合い、合点がいった。すべては監視されていたんだ。
「はぁ、はぁ……っ」
情けない声が漏れ、呆然としていた。今しがた気づいたのだ。最初から信用も何もなかった事に。おそらく、二階堂の世話役というのも、より近くで見張る為の口実。ついでに二階堂と俺を泳がせ、ほかの造反者をあぶり出そうという魂胆だったのだろう。
それを俺は、期待されて任されたのだと思い込み、馬鹿真面目に世話をしようと奮闘していた。
「ハハ……ッ」
頑張るだけ無駄だったんだ。気づいた途端に、やる瀬なさがこみ上げ、みるみる体の力は抜けていった。望みが絶えた瞬間だった。
「……、」
おもむろに部屋の中へ目をやるが、三島や二階堂の姿はすでに無い。結局三島の伝えたい事をくみ取る事も、二階堂を捕まえる事も出来なかった。
どちらにしろ俺が役立たずには変わりなかったのだ。
「やはり監視に気づいた高橋が言い逃れる為、抵抗したようですね。中尉に襲いかかるとは思いませんでした、駆けつけるのが遅くなりすみません。高橋から他の造反者は洗い出せましたか」
「月島軍曹。それは叶わなかったが、面白い事が分かった。高橋上等兵は思った以上に使い道のある人間のようだ。まだ奴の首は斬るな」
「しかし…高橋が依然として第一師団と中央に通じているかどうかは不明なままです」
「たしかに、今だはっきりしないとは言え、こちらに引き込んで操るのは難しい。生かしておいても厄介なだけだ、だが…」
俺は殺されるのか。
二人分の眼光が俺を闇の中から、淡々とうかがっていた。
「…はぁ、……はぁ…」
不思議な感覚だった。
驚くほど、自分の死をすんなり受け入れることができた。
「はぁ……っ」
ギシッ、ギシッ。二人が剣を持ち、こちらへ歩み寄ってくる。音でわかる。
死への恐怖はない。もはや死んだところで悲しむ者はいない。生きていたとしても、誰の役にも立てないのだから。死んで当然と言えば当然だ。
「ナイナ……イナイナ…コウヘイ」
視界の端に、二階堂の姿があった。部屋の隅に変わらず突っ立っていた。
どうやら『無い』ではなく、『居ない』と言っていたのだろう。探しているのは『コウヘイ』という男だろうか?モルヒネを探しているのではないのは確かだが、今とはなってはどうでもいい。
「にか、い…堂。『コウヘイ』…は…見つから…ないのか」
探し人が見つからないのはお互い様だ。
俺の祖母だと偽って数年も共に過ごしたババァの顔が浮かぶ。ババァはよく、俺に憑きまとう両親を睨んで言った。
『この子はまだ彼岸に行っちゃァ、イカンのよ。我が子を思う気持ちはよォ分かるでな。そやけど、どれだけ恋しくとも、あの世には連れて行かせんヨ。この子はアタシが面倒見る。手ェ出したら、いくら親とはいえ、タダじゃおかんよ』
あのババァは今、どこで何しているんだろうか。書き置きもなく姿を消して、本当に俺を捨てたのか。ババァを思うと、一緒に過ごした日々が頭をよぎった。ああ、これが走馬灯か。
「……はぁ、はぁ」
ババァには悪いが、そろそろ本気で死ぬらしい。血が流れすぎた。
「……は、」
死期を悟り目を閉じようとしたとき、二階堂が「キタ!ミツケタ!!」と、ひときわ大きな声で叫んだ。同時に、ふわりと風を感じた。何者かの大きな影が俺を覆う。
その者は、俺と中尉の間に、割って入るような格好で立っていた。
「…洋平殺しちゃヤダッ!」
「二階堂」
男の声。この声ははっきり耳に届いた。見上げれば、包帯を巻いた頭と、腰までしか履物の上がっていない尻が見えた。
「……二階堂、………が二人?」
部屋の隅に立つ、ねじ曲がった首がこちらを向けて体は壁を向いたままの男と、目の前で両手を広げて立つ男を見比べる。瓜二つだった。
「コウヘイ…!ミツケタ!」
部屋の隅で立っていた方の二階堂が、また叫んだ。
「……お前たち…双子だったのか。コウヘイ……とはお前のことだったんだな」
意外な真相に、一人しみじみ呟く。すると、目の前の「コウヘイ」と呼ばれた方の二階堂が、俺の胴にしがみついて、また中尉殿に訴える。
「洋平殺しちゃダメッ!洋平は俺のものなのッ!」
「すみません中尉。いつの間にか着いてきていたようです」
「二階堂ぉ〜〜。ダメだぞ、わがままを言っては。ダメだダメだ。コイツは洋平ではない。よく見ろ、この男はお前を私に売った高橋だ」
「洋平です」
二階堂は静かに答えた。駄々をこねる様子がない。月島軍曹殿も俺も息を飲んだ。中尉だけが楽しそうに笑っている。
「面白い冗談だ二階堂。この男のどこがお前の兄と似ているんだ?ん?言ってみろ」
「コレは洋平です」
「…………」
ふう、と息をつくと、中尉は後ろを振り返らず月島軍曹に聞いた。
「月島、紛失したモルヒネの行方は?」
「はい、先ほど調べたところ寝台の下に未使用のまま、すべて隠してありました」
「という事は、二階堂は今、いくらか正気のままなのだな。ますます気に入った」
俺と二階堂の肩に、中尉の手が強く置かれた。叩きつけるほどの勢いであった。
「二階堂、わかった。もう何も言わなくていいぞ。この男はお前に免じて生かしておくことにしよう」
「ヤッタぁッ!よかったネッ!洋平ッ!」
「ただぁし!」
怒号にも似た声で前置きし、中尉は続ける。
「高橋を信用した訳ではない。高橋上等兵、私はお前のように勇猛な兵士が欲しい、数がいるのだ。今は生かしてやる。だぁが…条件がある。二階堂の補助を完璧にこなし、私の盾となるのだ。それがここを生き延びる、ただひとつの方法だぞ高橋」
「………お安い御用です」
朦朧としかけた意識が再びはっきりとし始め、視界も明瞭になってくる。俺は二階堂の腕から顔を出し、中尉の顔を見上げた。生きたい。役に立ちたい。
「もし二階堂が死んだら、お前は殺す。第一師団ならびに中央に情報が流れたと分かっても、お前を殺す。それでも私の盾になり死ぬ覚悟はあるか?」
第七師団は狭き門にもほどがある。「ハッ」鼻がなった。
「貴方の事は、俺の誠意と敬意を尽くし、生涯守り抜くと誓いましょう」
「まるで私に嫁ぐような勢いだな高橋上等兵。それなら、洋風の婚式にならって…靴に誓いの接吻でもしてもらおうか。いや、左手の薬指を相手に捧げる、だっかな。この際どちらでもいい。どうだ、好きな方を選べ」
洋風が流行るこのご時世、さすが情報将校と呼ばれるだけあって中尉はなかなか洋風に通じているようだ。左手の薬指になんの価値があるか全く分からないが、中尉が価値があるとおっしゃるならあるのだろう。俺にとってこの時から中尉が黒といえば黒であり、白といえば白になる。
「………っ、」
俺は床に転がっていた軍剣を手探りで握った。一瞬で終わらせろ、何度も言い聞かせる。手のひらは上に。薬指の根元に刃を添えながら。
「手伝ッテヤロォカ」
ふいに洋平が囁いた。その瞬間、自分の予期しないうちに刃が薬指を輪切りしていた。
「ガァッッ!!!!!」
痛みに声も出なかった。汗が滝のように吹き出し、体中が尋常じゃないほど震えている。しかし、俺は涙の一滴も呑み込んだ。
「……」
震えながら、なんとか、触れるだけの接吻を中尉の靴に落とした。恐る恐る顔を伺う。
「貴方のためなら…両方…捧げましょう」
「熱烈な男は好きだぞぉ高橋」
その見下ろした眼光は、俺の心胆に冷たいものを残した。中尉は踵を返し、部屋を出て行った。
「あ、高橋ぃ!」
それを見送ったあと、張っていた緊張の糸がプツンと切れて、気力で起こしていた体が崩れ落ちる。俺はついに意識を手放してしまった。
「高橋、死んだァ?」
「死んでない、だから揺らすんじゃないぞ二階堂。俺が医務室まで運ぶから軍医殿を叩き起こしてこい」