俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【第七師団:小樽の病院】
夕暮れの医務室。薬の在庫切れの確認を済ませ、二人分の衣服を手にとった。しかし、ふと俺はある事を思い出して、その手を止めた。
「まずい、月島軍曹に呼ばれているのだった」
衣服は脇に置き、ガラス戸に映る自分を見て、急いで身なりを整える。襟を正し、失礼のないように気を配る。今夜は鶴見中尉から重大な任務があるとの事で、月島軍曹の部屋に休憩中行くように言われていた。
「……これでよし」
肩についた塵も払う。そして俺は寝台の方を振り返って、一連の様子を眺めていたであろう男に言った。
「二階堂、悪いが風呂は先に行っててくれ。俺は月島軍曹のところへ行ってから行く」
「厠ッ!!!!」
寝台から上半身を起こした二階堂が元気よく答える。俺は上等兵であるが、敬語がないのは特に気にしていない。しかし突飛もない二階堂の言葉には頭を抱えたい気持ちだった。
「……………二階堂、俺は厠じゃない」
「違うッ!厠行きたいのッ!連れてって!」
「ひとりで行けるだろ」
「ヤダー!連れてって!連れてって!」
左の薬指を失って以来、二階堂は口を聞いてくれるようにはなった。なったのだが、最近は無駄口が多くなり、正直全て取り合う暇がないほど多弁になっている。だが、それらを無下に扱うことはできなかった。
「もう義足にも慣れてひとりで歩けるだろう。知ってるぞ、今朝もそこの廊下を駆け回っていたことを」
「無理だもんッ!まだ歩けないもんッ」
「隠しても無駄だ、ひとりで行きなさい。俺は月島軍曹のところへ行く」
「……………俺泣いちゃうよ」
「………………」
恨めしそうな目で二階堂がこちらを見る。
「俺が泣くと鶴見中尉が来るよ」
「……」
「泣いてる俺を見られたら鶴見中尉に認められなくなっちゃうよ、それでもいいの?」
「分かった厠に付き添おう」
そう、この脅し文句のせいで俺は二階堂に逆らう事が出来ない。事実中尉に世話が出来ない、と思われればまずからだ。どれだけわがままを言われようと、甘んじてそれに従わなければならなかった。
「……ほら行くぞ」
「ヤダ。だっこ」
差し出した手がパシャと振り払われる。そっぽを向く二階堂に、もちろん罵倒は吐けない。できるだけ機嫌を損なわないよう、俺は静かに言った。
「お前ひとりで歩けただろ」
「だっこ!だっこがいい!だっこしてッ!」
「頼む二階堂、俺は急いでるんだ。早く月島軍曹のところへ行かないと、」
「……泣いちゃうよ?」
「分かった。いくらでもだっこしてやろう」
こうなってはしょうがない。二階堂が駄々をこね始めると、絶対に譲ってくれなかった。しかも、泣かれてはもう、中尉に世話を任せてもらえないかもしれない、元も子もないのだ。俺は二階堂を担ごうと、体をひょいと持ち上げた。
「こら、足バタバタするな」
「優しくしてッ」
「何を言う、十分優しいだろう。ほら、担いでやるからじっとするんだ」
「俵みたいな担ぎ方しないでッ!優しくしてぇッ!」
「…………分かった。おんぶにしよう、優しいだろ」
そう言うと、納得したのか二階堂はおとなしくなった。義足に気をつけながら、ゆっくり寝台の上に二階堂を座らせた。その際、チラリと部屋の時計を見る。休憩時間は半分以上過ぎていた。二階堂を風呂に入れる事も考えると、今すぐ月島軍曹のところで用事を済ませなければならない時間だ。
「おんぶッ!漏れる!早くしてッ!」
「分かった分かった」
もう風呂は諦めよう。二階堂には悪いが、一日くらい入らなくても大丈夫だろうと高を括る。寝台に腰掛ける二階堂の前に俺は背を向けて、跪(ひざまず)いた。
「優しくするから暴れるなよ」
「うんッ!」
二階堂の返事を聞いて、俺はまた時計を見る。よし、2分で厠から帰ろう。背負ったらすぐ駆け足で行こう。
そう息巻いて、医務室の引き戸に向かったが、先に引き戸がガラッと開いた。
「お前達何をしている!!」
血相を変えた月島軍曹が立っていた。
「は、二階堂をおぶっています」
「……………そのようだな」
軍曹殿はどこかよそよそしかった。
凄まじい剣幕で入ってきた割に、後の声は独り言のように小さい。しかも「てっきり…」と続けて何か言おうとしたが、咳払いで濁した。
どちらにせよ、ここへ軍曹殿がいらっしゃった理由には察しがつく。俺は先をつくように、頭を下げた。
「申し訳ありません、すぐ向かおうと思ったんですが、」
「お前、二階堂を連れて来るつもりだったのか?」
「いいえ。二階堂を厠へ連れて行ってから、行くつもりでした」
「それでは遅すぎる。今でさえ、来るのが遅いからこうして気になって出向いたんだ。どれだけ休憩時間が過ぎていると思っている。二階堂は一人で行かせておけばいい。今日は重大な話をすると言っただろう」
「そうしたい思いは山々だったんですが、いかんせん二階堂がど…イタダダダ」
突然襲われた背中の痛みで、言葉が途切れる。二階堂が静かに背中をつねっていたのだ。しかも、月島軍曹が見ているにもかかわらず、口を耳に寄せてコソコソ呟いた。
「自分が運びたいから運んでますって言って」
「……自分が運びたかったが為、二階堂を運んでます」
ほとんどそのまま言ったはいいが、文脈がおかしい。案の定、俺の不可解な言い分に軍曹は眉を寄せた。
「過保護になりすぎだ。二階堂は十分回復している。今日の演習でも、ほかの健康な兵に遅れを取らない動きであった。心配する気持ちは分かるが、厠ぐらいは一人で行かせろ」
「おっしゃる通りです」
俺は大きく頷いた。二階堂も、その言葉に納得したのか、もうつねるようなことはせず、おとなしかった。
「ほら二階堂、ひとりで行ってこい」
俺は二階堂を背中から降ろすと、軽く背中を叩いた。 クルッとこちらを振り返る二階堂。
「…………」
ものすごい形相だ。への字口が曲がりすぎて、もはや唇がない。
「行くぞ高橋」
「………はい」
「………………高橋、何をやってる行くぞ」
「いや、」
足をずっと踏まれている。すごい、ものすごい力で踏まれている。進めない、右足だけが未だに二階堂の元にとどまっている。大きく左足を踏み出すが、どうにも右足はついてこなかった。
フン!ふんふん!と、とにかく前に進もうとしたが、ビクともしない。
「二階堂、高橋の足を踏むのはやめなさい」
「ヤダ!いつ帰るか言ってッ!言わないと行かせないよッ!いいの!?」
「大丈夫すぐ済む。ですよね、軍曹殿」
「いや、今晩は帰らんだろう」
「ほらな。今晩は帰ら、え?」
思わず隣に立つ月島軍曹を振り返る。ただ将校部屋へ行って、話を聞くだけじゃなかったのか。
「詳しくは言えないが、俺と高橋は今日このまま小樽の街に出る。これは鶴見中尉からのお達しだ」
「なるほど。ということで今晩は帰らないらしい二階堂」
「ヤダー!ヤダヤダヤダヤダ!!!」
「……………」
手足をばたつかせ、のたうち回る二階堂。
仕方ない……こうなったら初心に帰り、縄でしばりつけ、布団で簀巻きにし、おとなしくさせるしかない。
俺が懐に忍ばせた縄に手を伸ばしたが、月島軍曹が先に声をあげた。
「二階堂、駄々をこねない!暴れるな!」