俺はフショウの高橋だ   作:後味のらーな

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【第七師団:小樽の兵舎】

 

ごねる二階堂を病院の医務室に置き、俺と月島軍曹は軍曹殿の下士官室へ向かっていた。

 

「聞いているのか高橋」

 

「………はい」

 

足音は2人分、しかしもう1人後ろから誰かが尾けているのが分かった。自分を見張っているつもりだろうか。

 

「それならこっちを向いて返事をしろ。後ろを向くな」

 

「…………はい」

 

後ろにいたのは、腰より下が無いシロクマ、否、青年だった。地面を滑るように這いながら、月島軍曹と俺の後ろを憑いてくる。

 

「………」

 

なんだこのシロクマ?

実は月島軍曹が病室に来た時から、コイツはずっと居た。初めて見るヤツだ。栗色の髪を左右に流し、シロクマの毛皮を被っているので、まず兵士ではないことは分かる。

男はよほど俺たちが気になるようで、こちらを不安げに眺めていた。目的は俺たちにあるようだ。

月島軍曹は、生前の彼と何か深く関わっていたのか。それとも彼の執着する物を月島軍曹が持っているのか。

 

「後ろに何かあるのか?」

 

月島軍曹が足を止めて、目線の高さは合っていないものの、その青年が立つ方へ振り返った。

 

「…………シロクマが、」

 

「シロクマ?」

 

俺は指をさそうとすると、男が首を振る。俺は言いかけた口をつぐみ、男の話をするのはよした。本人が望まないなら、彼の素性を深くは聞くまい。

 

「何でもないです、それより今日の用件というのはなんでしょうか?」

 

「部屋で話す。下手に盗み聞きされては困るんだ」

 

 

このシロクマ男には聞こえてもいいのだろうか。

月島軍曹が特にこの男について触れないので、俺も触れない事にした。

 

「……分かりました」

 

「後ろを向いて返事をするな高橋」

 

うっかりまたシロクマ男を見ていたのを、月島軍曹殿の声で、視線は前へ戻す。

俺たちは夜も更けた営庭の中を歩いて、連隊本部の2階の予備室の前まで来た。月島軍曹が扉を開け、中に入るよう促す。それに従って部屋へ入ると、青年も這い寄って中に入った。お前ここまで憑いてくるのか。

 

「どうした」

 

「…………なにもありません」

 

目を見開いて固まる俺に、月島軍曹は不審な目を向けた。変な誤解を招かぬよう、なんでもない風に振る舞う。

そう気を取り直した矢先だ、月島軍曹が言った。

 

「そうか。なら、今すぐ脱げ」

 

「……………」

 

今度こそ体は動かなくなった。軍曹殿の言葉に頭が追いつかない。そうこうしている内に、まだ暗い部屋の中、軍曹殿が服を脱ぎ始めた。確実におかしい。男が暗い部屋で二人きり、何も起きないはずがないのだ。

俺は考えた末に声を絞り出した。

 

「お、俺に男色の経験はありませ…」

 

「違う」

 

食い気味に否定され、ほっと胸を撫で下ろす。

月島軍曹は使い古された着物を、俺の胸に押し付けた。

 

「これに今すぐ着替えろ。俺も着替える。お前は今日、鶴見中尉の囚人狩りの下準備をしてもらう」

 

「囚人狩り」

 

「金塊の話はどこまで聞いている?」

 

俺は一旦受け取った服を手近にあった作業机の上に置き、自身の軍服のボタンを外し始めた。軍曹と着替えながら、兵営内でまことしやかに囁かれる噂を思い出していた。

 

「アイヌの民達がかつて集めた金塊がどこかに隠されており、数名の囚人に掘られた刺青が集まると、金塊のありかが判明する、とは聞いています」

 

「そうだ、鶴見中尉殿は今は亡き戦友のたむけで、北海道を栄えさせる為の軍資金として、その金塊を探しておられる」

 

月島軍曹が裸電球の明かりをつけた。部屋の真ん中にある机、その上に軍曹が懐から取り出た物をゆっくり置いた。

 

「それが、その刺青ですか」

 

つまり人間から剥ぎ取った皮だ。こんな訳の分からないものが、どうしてあそこまで中尉を魅了するのか。橙色の明かりに照らされるそれは、思っていた以上にちっぽけな物だった。

 

「……違う、これはある者に作らせた偽物だ。本物は中尉が肌身離さず持っている」

 

「これ自体は本物の人の皮ですか?」

 

「そうだ。恐ろしいのか?」

 

「………………」

 

俺の反応を試している。それは視線で分かっていたが、こちらとしては視界の端でソワソワしている青年が気になった。もしや、と軍曹に尋ねる。

 

「この皮の人間は、死ぬ前シロクマの毛皮を着ていましたか?」

 

「は?」

 

俺の反応がよっぽど思いがけないものだったのか、軍曹はまじまじと俺の顔を見た。

 

「……いや、この皮の人間がどういう奴かは知らない」

 

「どうやって死んだかも分かりませんか?下半身を失った、だとか」

 

「この人間を調達したのは、これを作った剥製屋の男だ。知りたければその男に聞けばいい…と言いたいところだが、」

 

「そいつは今どこに?」

 

「死んだ」

 

そう告げた軍曹の声は、心なしか沈んでいた。そして話を聞き終えた後、おそらくそれは思い違いではないと分かった。

 

「今のお前のように、中尉殿に心から忠誠を示し、中尉殿に褒められたいと願っていた男だった。中尉殿の為、懸命に偽の刺青人皮を作っていた。しかしその最中に、男は事故にあって、ついに中尉にもう一度会うこと無くこの世を去った。亡くなる直前、俺に託したのが数枚の偽物で、そこにあるのがその内の一つだ。そういえばその時、剥製屋が確かシロクマの毛皮を着ていた」

 

上半身だけの男は、俺の顔をちらりと見て、すぐ目をそらした。なんという顔をしているのだろう。傷ついた子供のようだ。そんな青年を見るのは辛かった。

なるほど。ここに居たんだな、剥製屋。

 

「さも苦しかっただろうな」

 

「……どこを見ている?」

 

剥製屋を見ていた。同情半分、 もう半分は恐ろしくもあった。これは他人事では無い。俺も中尉に認められる前に、死んでしまうやも知れんのだ。

 

「着替え終わりました軍曹」

 

「………そうか、俺もだ」

 

 

軍曹の方へ振り返ると、何か言いたげな顔だった。そういえばさっき話しかけられた気がしたが、なんと言ったんだろうか。

改めて「さっき何か仰ってましたか?」聞き返すも、「いや、いい」としか言わなかったので深追いはせず、話を戻した。

 

 

「それで、下準備というのはどういう事をすれば良いのですか?」

 

「エサまきだ」

 

月島軍曹の目が俺から卓上の人皮に移る。

今俺が着た、このいかにも呑んだくれと言わんばかりの服と、医務室時月島軍曹が言ったことを思い出し、軍曹殿の言葉の先を読む。

 

「つまり、偽の刺青人皮を、小樽の港町に流せばいいんですね」

 

「そうだ。正しくは、ある賭博場に、だが」

 

頷きつつ、月島軍曹が新聞記事の切り抜きを、机の上に広げてみせた。

『稲妻強盗と蝮のお銀』と目立つ見出しが載っている。

 

「この稲妻強盗の男が元囚人で、今回の獲物だ。コイツも囚人に掘られた刺青を探し、金塊を狙っている」

 

「金塊を狙う者が他にも?金塊の噂はよほど有名なんですね」

 

「………………ああ」

 

探るような目つきだった。月島軍曹は気づけば、いつもこんな目で俺を見ている。

だが、俺はあまりそれを気に留めていなかった。あいにく、探ったところで知られて困る後ろ盾もない。まったく気を配らず、思ったままに言った。

 

「もしかして、本当に金塊があったりして」

 

一瞬、月島軍曹が目を見開いて俺を見た。

それからまた、いつものしかめっ面に戻って、裸電球の明かりを消す。

 

「………………さっさと行くぞ…」

 

何か変なことを言っただろうか。それを尋ねる暇もなく、先を急ぐ月島軍曹の後ろを追って、部屋を出た。

もちろん、剥製屋もその後に続く。

 

 

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

【第七師団:小樽の街】

 

「眠らぬ街とはこの事ですね」

 

最初に会ったときから、奇妙な男だとは思っていた。いまや金塊捜索作戦の一員ともなった者が、今さら金塊の存在を認めかけているなんて、茶化しているとしか思えない。今は笑えない事を言う必要などないだろうに。

俺は「無駄口は控えろ」と睨んだ。すっかり敵意を隠したつもりだが、中尉殿に言わせれば、まだ露骨な言い方に聞こえるらしい。俺自身は、中尉の憶測と高橋の不可解な言動で、特に自分の振る舞いを変えるよう意識したことはなかった。

高橋と会話するとしばしば出た、的はずれな受け答えが引っかかっていたせいかもしれない。いや、これはもう認めて、鼻についたと言うべきか。

笑えない軽口を言ったり妄言を言ったり突飛も無い事を言ったり、連隊内でも高橋の言動の裏を読み、推測が入り乱れていた最中だ。ここ1、2週間で『高橋はただの天然馬鹿』という仮説が急速に定着してきたように感じる。しかし俺にはその仮説さえ、高橋がこちらの隙を作る為の作戦に思えて仕方なかった。

いつ見ても表情が乏しいうえに、得体の知れない男だ。隙が無い。どんなことがあっても、気を許すことはできない。

 

「いいか。このエサ撒き、本来なら俺だけでやるはずだったが、今日は二人で行う」

 

「ええ、そう中尉殿がおっしゃられたんですよね」

 

わざわざ俺が確認した意図を高橋は察したようだ。自分から話題を振ってきた。

 

「中尉殿の疑心は尽きませんか」

 

「近頃はずいぶん寛大になられた。気前が良い日には、でかい勤めでお前を使う事もある。今みたいにな」

 

「そうか……それは良かった」

 

独り言のような声だった。また高橋が言った。

 

「反乱分子扱いですか」

 

「お前のことか?」

 

「違います」

 

「……俺たちを裏切るつもりなら遠慮なく言え」

 

「それは無いです。ここに居られなくなる」

 

俺は歩みをピタリと止めた。しばらく話せば、やはり勘に触る男だ。堪忍袋の緒も切れそうになるが、努めて冷静を装って聞いた。

 

「鶴見中尉に忠誠を誓ったのは、ここに居るためだけの手段だったのか?」

 

「そうですよ」

 

衝動的にその胸倉を掴む。冷静さはすぐ消えて、高橋が薬指を切った時、少し見直した気持ちさえも、たちまち失せていく。

 

「貴様、」

 

「冗談です、落ち着いてください軍曹殿」

 

「………笑えない冗談だ」

 

言い終えて、掴んだ首元を突き放した。キョトンとした表情で高橋がこちらを見る。本当に心の内が読めない男だ。

 

「笑えませんか…?」

 

「当たり前だ」

 

それからしばらく、裏路地に回って黙々と歩いていた。

 

「そういえば、このようなやり取りは前にもありました」

 

「お前が喧嘩を売って、こんな風に簡単に買ったヤツが俺以外にいたのか」

 

「喧嘩?売ったつもりはありませんが……そうか、そういう誤解があったから尾形殿もあの時不機嫌に」

 

「尾形、だと?」

 

また俺は足を止めて高橋の顔を見る。

 

「いつ尾形と話した」

 

「月島軍曹、この進歩だと賭博場に着くのは朝になりますよ」

 

「いいから質問に答えろ、尾形といつ話した?お前が小樽に来たのは尾形が脱走する少し前のはずだ」

 

「話したのはその脱走の前日です。その時ちょうど俺は看護助手の使役に駆り出されていて、医務室にいる尾形の世話も見ていました。その際に脱走の企てに乗るよう誘われました」

 

怒りでこめかみがズキリと痛む。怒鳴るべきではない、それでは相手の思う壺だ。落ち着け、落ち着けと自分で自分をなだめた。

 

「なぜ黙っていた?鶴見中尉に、あれ程尾形と脱走の事で何か会話したのか尋ねられていただろ」

 

「脱走の時に何か話したか、としか聞かれませんでした。俺が話したのは脱走の前日」

 

「屁理屈を言うな。どちらにしろ、そういう事は早く言え。わかったな」

 

「はあ、分かりました」

 

覇気のない返事に、もはや呆れさえ覚えた。

この態度に尾形がキレたというのなら、不本意ながら尾形に同情する。本当にわかっているのか怪しい。

 

「尾形と話した内容は、また詳しく聞く。いいな」

 

「はい。でも本当にたわいもない話しかしていません。俺を育てた祖母が実は赤の他人だったとか、尾形上等兵が弟を殺した張本人だったとか、そういう話を」

 

「『たわいもない』………?」

 

また俺は歩くのをやめて、高橋の顔を見た。

お前にとって、それは取り留めもない事なのか。どういう神経をしているんだ。俺が過敏すぎるのか。それとも白兵戦を生き残り、剣技を極めた猛者となると、ここまで懐が深くなるのか。

 

「軍曹殿、そう何度も止まられると、いよいよ朝になりますよ」

 

「………もういい、俺は何も信用しない事にする」

 

「分かりました」

 

そのあと、目も合わせず黙々と歩き、やっと大通りまで出た。かつて大通りまでの道のりが、こんなにも長く遠かったことがあっただろうか。

本当にこの勤めが上手くいくのかも、もはや怪しくなってきた。そんな心配から少し息をつく。

一方隣の男はそんな俺の心など露知らず、涼しい顔をしていた。いや、というよりか、心なし目が輝いてさえ見える。

 

「……横浜みたいだ」

 

高橋がそっと呟いた。第一師団の名残りを感じた。おおかた、住み慣れた街と小樽のこの広い通りが重なったのだろう。

 

「似ているのか?」

 

「人の身なりはまったく違います。ですが、この活気はよく知っています。ああ…懐かしい」

 

懐かしいという感情がこの男にもあったのが、驚きだった。すると、そんな思いが顔にも出ていたのか、高橋がこちらを見て目を細めた。

 

「どうされました、変な顔をされて」

 

「お前が珍しい事を言うからだろ」

 

「たしかに……初めてこの土地の魅力を見つけた気がします。景色を褒めたのは初めてだ」

 

「そういう事を言っているんじゃない」

 

「月島軍曹殿はここが好きですか?」

 

不意をつくように、高橋が首をやや傾けて尋ねた。これは流石に、ただの興味本位で聞いていることだと分かる。少しだけ肩の力を抜いて答えていた。

 

 

「……嫌いではない。賑やかだと気がまぎれるだろう」

 

「無礼講というやつですね」

 

「そういうことだ。だが、今は勤めの最中だという事を忘れるなよ」

 

「ええ……あ」

 

二、三度頷いたかと思うと、素っ頓狂な声を漏らして、再び俺の顔を高橋はのぞき込んだ。

 

「月島軍曹殿、賭博場へは兵士として潜入するのでしょうか」

 

「いや……この格好だ。本土から流れて来た、出稼ぎ労働者として振る舞うのが妥当だろう」

 

そこまで言えば、高橋の言いたいことはおおかた読めていた。神妙な面持ちで高橋が言う。

 

「ということは、演じる必要がありますね」

 

「そうだ。ひとまず、軍曹殿と呼ぶのは控えろ高橋」

 

「分かった月島」

 

「月島『さん』だ、高橋」

 

不安が立ち込める先行きだ。果たしてこの勤めが滞りなく進められるかだろうか。疑った矢先だった。

 

「むっ……何を止まっている高橋」

 

「月島さん、あそこ見てください」

 

指をさす方へ目を向けると、まだ明かりの灯る屋敷があり、扉が開きっぱなしのために中は丸見えだった。玄関口では、三十代半ばと思われる着物姿の女性が、そこの旦那らしい男と会話していた。別に変わった様子はない。

 

「美しい方だ。男がいなければ結婚しかったのに」

 

「おい、笑えない冗談はやめろと言っただろ。いい加減怒るぞ」

 

「冗談のつもりはありませんが」

 

冗談だと言ってほしかった。しかし否定した本人は、驚く俺を置いてまた歩み始める。そしてあろうことか、また別の女を見て「綺麗な人だなあ」と熱いため息を漏らしていた。

驚くことに、賭博場に着くまでその繰り返し。歩んでは目移りし、独り言を吐いて、うっとりしてまた歩く。

 

「……小樽には美しい方が多いですな」

 

「まさかとは思うが、さてはお前……女好きか」

 

最初は聞き間違いかと、そう思ったがそうでもなかった。所構わず、女がいれば目移りする高橋。

俺がそう問い詰めたところで、目をパチパチ瞬かせて答えた。

 

「何言ってるんですか、男はみんなそうでしょう。それに俺達はいつ死ぬか分からんのですよ、早く女を作るのに越したことはない、そう考えるのが普通のはずだ。月島さんは真面目ですね」

 

誰よりも堅物そうな面をしているくせに、何を言っているんだ。色恋には無縁を貫く模範兵のほうが、むしろ高橋には合うではないかとさえ思っていたのに。「確かにそうだが、」と半分納得してみせて、否定を続けた。

 

「普通はお前ほど、あからさまじゃないぞ」

 

「なるほど」

 

こう自分で言うのもたいしたものだが、ここはひとまず尋ねることにしてみた。

 

「女に興味が無いとばかり思っていた」

 

「逆です。俺は早急に嫁をもらいたい。そして出来ることなら、乳と尻の大きい別嬪な女ならなおさらいい」

 

いつになく熱く語る高橋の姿は、いっそ清々しく新鮮に見えた。とは言ってもいつも淡々と、命令と勤務をこなし、何があっても表情を表に出さないので、新鮮さより違和感が先立つ。

 

「それは難しいだろうな」

 

稀に見ない高橋の多弁ぶりに、少し苦笑した。

 

「お前は理想が高すぎる。第一、先ほどから無遠慮に婦人を見る癖に、どうして声は掛けないんだ?ため息ばかり吐いても何も起きないだろ」

 

「エッ」

 

「ん?」

 

変な声が聞こえたと振り返れば、そこには耳まで赤くした高橋が俺を見下ろしていた。あまりにも露骨な反応でこちらも一瞬戸惑う。それは顔には出さずに言った。

 

「お前…………………童貞か」

 

「そ、そそそそ!そのようなことは!今は!関係ないでしょう!月島ぁ!」

 

「さん」

 

「月島さん!!」

 

高橋の表情は、普段とほとんど変わらない。しかし声は裏返り、手が弁明をしようと空回って、不気味にさまよっている。明らかに焦っていた。

 

「……別に気にする必要はない。軍でも指定遊廓の利用は推奨されている。いざというとき行けばいい」

 

「い、言われなくても分かっています!」

 

「なぜ怒ってるんだ」

 

稀に見る高橋の動揺ぶりは、ほんの少し笑えた。

 

「俺には俺の都合があってですね。遊廓へ行こうにも金がありませんでして。そもそも金で女を買うというのは違うでしょう、たしかに俺は尻と胸がでかい女なら誰でもいいとは思っておりますが」

 

「お前最低だな」

 

あまりにも包み隠さず語るため、ここまで俺が想像していた高橋の従順な優等生という印象が、大きな音を立てて崩れていった。すでに『無神経な童貞』という人物像が上塗りされかけている。

 

 

「……茶番はここまでだ高橋。あれが例の油問屋だ。あそこに行って、俺達は賭けでわざと負け、最後の掛け金として偽の人皮を差し出す手はずになっている。分かったな?」

 

「はい。……もし、うまくいったら」

 

顔を見なくても、高橋がこちらに期待の眼差しを向けているのはわかっていた。望み通り、言ってほしい事を口にする。

 

「鶴見中尉は、少しくらいお前を認めてくれるだろうな」

 

「……月島サンにも?」

 

刀を研ぐような、不穏な低い声だ。表情を悟られぬよう静かに、答えを濁した。

「うまくできたら、の話だ」

 

それから黙って油問屋の暖簾の前まで歩く。

途中、俺は気づかれぬよう、さりげなく隣をうかがった。白兵戦を生き残ったのは伊達じゃないらしい。童貞臭い動揺は消え失せ、比べ物にならないほどの冷静さを取り戻していた。横顔は人を殺しかねない雰囲気さえある。

 

「…ヤット………シテクレル」

 

その時、かすかに高橋の唇が動いていた。呼吸に紛れて何か言っている。

耳をすます。

 

「コレナラ、鶴見サン……ヨシヨシ…ナデナデ」

 

聞き覚えのある台詞だった。すぐに、あの剥製屋の口癖であったことを思い出す。しかも声こそ違えど、その顔には明らかに江渡貝を生き写したような、ヤツの面影があった。

 

「…鶴見サン…二、鶴見サン二…、鶴見サン…」

 

若干、朦朧とした目が江渡貝のものと重なる。その瞬間背中がサッと冷たくなった。

 

「高橋」

 

思わず呼び止めると、普段と変わらない気だるげな目がこちらを振り返えった。まばたきをして、不思議そうにこちらを見る。

 

「はい、なんですか?」

 

「いや…なんでもない。気を引き締めていけよ、ここから兵だと悟られてはいけないんだ」

 

「分かってます。それにしても、月島さんよく足を止めますね。日が暮れてしまいます。早く行きましょう」

 

「………ああ」

 

気のせいか。いつもの調子で癇に障る事を言ってみせる高橋。俺が歩き出すのを確認すると、先頭を切ってそのまま暖簾をピンッと跳ね、くぐって行った。

 

「やってるかい、俺たちも混ぜてほしいんだが」

 

「上でまだまだ盛り上がってるさ。あの調子、今日は朝までだろぉよ。ここんとこ、ずっとそうだからな。おや、あんたら初めてかい?カモにされねぇよう気をつけろよ」

 

「どぉも旦那。心配いらねぇや、俺ぁ賭け事には腕に覚えがあるのさ」

 

油問屋に入った途端、流暢に江戸っ子が混ざった標準語で店主の嫌味をかわした。平然とした様子で店内を進む。店主の横に据えていた男に銭を渡し、何枚か木札を受け取っていた。それに続いて俺も何枚か木札を取る。

 

「慣れているな」

 

先を進む高橋の背中に言った。

 

「小さい頃、旅先でばあさんの賭場行きに付き合わされとりましたから」

 

「巡業していたのか」

 

「ええ、日本各地でばあさんと芸を」

 

階を上がり、高橋が障子戸を開けると中は活気にあふれていた。

数名の視線がこちらを向く。高橋は気にせず、六寸の体で堂々と部屋に入り、やや隅の方へ腰を下ろす。

 

「さあ続けた続けた。俺らも混ぜとくれよ」

 

どこから見ても本土からの流れ者にしか見えない。

 

「…………」

 

ピシャリと戸を閉めて、俺は隣へ腰を下ろす。「……あの」座った高橋が手で止めた。奇妙な目で高橋が俺を見上げている。

 

「なんだ?」

 

高橋が迷惑そうに眉を寄せて言った。

 

「戸は静かに閉めてクダサイ月島サン」

 

それだけ言うと、またなんでもないように賭けへ興じようとする。「半!!」と威勢良く、高橋が3枚の木札を置いた。

一方で俺の体は凍りついていた。俺を見上げたその表情は、生前の江度貝そのものだったのだ。

 

「……お前まさか」

 

「ささ!兄さん方もはったはった!」

 

威勢がいい男の壺振りの一人が言葉を遮った。返事を待たずして、壺振りが盆蓙(ぼんござ)に置いた壺を開いた。「勝負!」と声を上げる。

 

「サ二の半!」

 

「お」

 

なんと読み通りに半が出た。

高橋の手元に戻ったのは4枚の木札と残りの木札。顔を見れば眉ひとつ動いていない。いつもの高橋の顔であったが、そこからは別の不安が降って湧いてくるのだった。

 

「高橋、分かっているな。俺たちは負けに来ているんだ」

 

「ええ分かってますよ。最後に負ければいいって話でしょう」

 

「長引かせるつもりはないぞ」

 

後ろからトントンと、俺と高橋の間へ何かが置かれた。「景気よくいきましょうよ」とその場を仕切る胴元の一人が言った。

置かれていたのは徳利と盃が二つだった。

断ろうにも、酒を置いた男はさっさと立ち去って行く。

 

「ではさっさと飲みましょう。早く終わらせるんでしょう?それとも酒は嫌いでしたか?」

 

高橋が両方の盃に注いだ。酒が蝋燭の火に照らされて揺れる。盃のふちが挑発するように光った。

 

「舐めるなよ餓鬼」

 

鶴見中尉が普段飲まれない分、俺も飲む機会は減っていた。だからと言って、久しぶりの酒に怯むことはない。

 

「いい飲みっぷりですね月島」

 

「さん」

 

「月島さん」

 

と高橋は調子よく盃を傾ける。飲み干して、まっすぐ俺を見た。

 

「お前のことは好かないが、飲みたいから飲んでやる。図に乗るなよ高橋」

 

「図に乗ったことなどありません。むしろ月島さんとは腹を割って話がしたい」

 

「それはお得意の、笑えない冗談か?」

 

「いいえ」

 

酒を飲む高橋は、まだ俺を見ていた。その目から高橋の思惑を探るがやはり見えてこない。

何度もこうやって探って来たが、無駄だった。もし高橋のボロが出るとしたら、酒の入る今この時かもしれん。

 

「なら望み通り、腹が割れるか試してみるんだな。もっとも割れるのは………お前が先かもしれんぞ」

 

「俺は負ける自信はありませんよ」

 

「いちいち癪に触る男だ」

 

二杯目の酒を盃に、俺と高橋はぐいと飲んだ。

 

壺振りの声がまた掛かる。

 

「さア!ツボのハンかぶります」

 

「サァさ!はった!はったはった!」

 

振り返り、俺と高橋が同時に札を突き出した。

 

「半!」「丁!!!」

 

 

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