俺はフショウの高橋だ   作:後味のらーな

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【第七師団:小樽の兵舎】

 

賭博場を後にし、兵舎に戻る頃には、夜空は東からうっすら橙の膜が張るように、明るくなり始めていた。

皆が寝静まった兵営の中を、出来るだけ足音を忍ばせて進む。軍曹殿の自室に着くと、「ほら」と言われて差し出されたのは隊服だった。来る前に脱いだそれを受け取る。

 

「あとの報告は俺がしておく」

 

「ボロ負けした報告ですか?それとも」

 

「馬鹿者、無事偽の刺青人皮を賭場に流せた報告だ」

 

嗜め半分、否定しないのは恥ずかしながら事実であったからだ。

最初に威勢良く喧嘩を買ったはいいものの、あの後散々負け越して、ついにはそれまで勝っていた山から自分の所持金もすべて持っていかれた。

計画通りといえば間違いないが、やりきれない。季節労働者達の鼻っぱしらを折れなかったことが悔やまれる。

しかし、月島殿はまったく堪(こた)えていない様子で、淡々と話を続けた。

 

「おそらく明日の休憩時間、鶴見中尉からまた呼び出しがあるはずだ。明日は二階堂に振り回されてないで、早めに来るようにしろ」

 

「分かりました」

 

軍曹殿の言う通り、最近二階堂には手を焼いている。『優しくする』ように気を付ければいいのだが、大雑把とババァに言われて育ったので、なかなか難しい。鶴見中尉の呼び出しだけは、必ず二階堂を優しく説き伏せて、遅れないようにしなければならない。そんな心積もりをしていると、まだ部屋に入らず、月島軍曹がこちらを見ているのに気づいた。「なんですか?」と尋ねる。

 

「この後、寝るつもりか高橋」

 

「いえ……どうせじきに朝になります。このまま病院に行って今日の代理不寝番のヤツと交代してやろうかと」

 

「本気か?」

 

月島殿が目を丸めてこちらを見た。だがどう考えても寝る時間はない。どうせなら起きていた方がいいと考えた末の答えだった。

 

「眠くはないのか?」

 

そう尋ねる軍曹殿の目はどこか虚ろだった。鬼のような方だと思っていたが、案外人間らしいところもあったのだ。軍曹は眠いんだろうな。

 

「俺はまだまだ目が冴えてますから」

 

まだ緊張感が抜けない。それを素直に答えたが、軍曹殿はまだ納得いかない顔であった。

 

「お前、あれだけ酒を飲んでおいてよくそんな事が言えるな」

 

ああ、と賭博場での様子を思い出す。結局飲み比べの勝負はうやむやとなり、8杯目以降の徳利の数は数えていない。

 

「軍曹殿こそ休まれないのですか?結構飲んでたでしょう貴方も」

 

「俺はこのあとやる事がある。明日も少尉殿の付きっきりで勤務があるんだ。そもそもお前よりは飲んでいない」

 

「そうは言いますが、だいぶ飲まれていたはずだ。やはり軍曹殿は酒、お強いようですな」

 

指摘すると、図星のようで軍曹殿は頭をかいて答えた。

 

「5瓶空けたお前が言うか?」

 

「いつもより少ない方です」

 

本当のことだった。もっと飲みたいのが本音だが、勤務で潜入している手前飲むことに集中するわけにはいかず、控えたほうだ。

 

「末恐ろしい男だ」

 

「あなたこそまだまだ飲めそうだった。飲み比べの決着は持ち越しですね」

 

「そうだな」

 

少しくだけた様子で、軍曹殿が笑った。理由は分からないが、俺が面白かったのだろうか、と嬉しくなる。こちらもつられて、少し頬が緩んだ。

 

「それに、飲まないとやってられんでしょう」

 

「…間違いないな」

 

「疲れを取るには酒が一番です」

 

「それは分かるが…あれだけ飲めば疲れを取るより先に潰れるのがオチだ」

 

「それは無い。潰れれば、それこそせっかくの酒が飲めなくなるでしょう?俺がそんなもったいない真似するはずない」

 

「めちゃくちゃな言い分だな。お前が酒好きなのはよく分かったが」

 

「違います。酒と女が好きなんです」

 

「だまれ童貞」

 

軍曹殿の物腰はだいぶ柔らかくなっていた。さては少し酔っているな、と疑う。

 

「しょうもない事を言ってないで今日は休め、勤務は昼からでもいい。俺から他の者には伝えておく。これは命令だ、いいな」

 

「了解であります」

 

ポンポン。軽く二回ほど、軍曹殿の手が肩に乗る。

 

「……良い返事だ」

 

普段ならこんな良い待遇はない。これはいよいよ軍曹殿が酔っていると確信した。

それにしても、腫れ物のように扱われるのに慣れているため、これはこれで調子が狂った。

気恥ずかしさから、早く立ち去りたいとは思った。「高橋」また月島軍曹が呼び止めた。

 

「なんですか?」

 

「………ヨ、ヨシヨシぺロペロされたいのか?」

 

「…………………………………」

 

これはかなり酔われてるな。俺はこの時ばかりは頭が一瞬考えることをやめていた。

すこしの間をおいて、言葉を探す。

 

「先ほど、俺は、女が好きだと、そう、強く、言いましたね?言いましたよね?」

 

「誤解するな。鶴見中尉にヨシヨシされたいのか、と聞いたんだ」

 

「いやどっちにしてもおかしいでしょう、何度も言いますが女が、特に胸と尻が、死ぬほど好きなんです俺は」

 

「そりゃそうだ」

 

「分かってて聞きましたよね?」

 

「ああ」

 

「『ああ』?」

 

余計にその台詞の真意がわからない。どういう魂胆でそんな質問を俺にしたんだ。

 

「鶴見中尉に褒められたいと言っていただろう、だからまさか、と思ってな」

 

まさか?まさかでヨシヨシペロペロは連想しないだろう。どう考えてもしない。これはそうとう酔っているな。

 

「認められたいんであって、褒められたい、とは違います。中尉にはまだ警戒されていますから、すこしだけでも緩めてもらうのが目標なんですが…」

 

「難しいだろうな」

 

「でしょうね。道のりは長い」

 

「だが、その思惑は悪くない。一方的に心酔しすぎて、早死にするよりずっと良い」

 

まるで、そうなって死んでいった者を見たことがあるかのような言い草だった。思い当たる者が一人いる。

 

「剥製屋のことですか?」

 

「……………」

 

 

月島軍曹殿はしばらく答えに迷ってらしたが、やがて独り言のような声で言った。

 

「俺も一旦休む、お前も休むんだ」

 

「………分かりました、失礼します」

 

煮え切らない思いのまま、部屋を後にする。振り返れば、まだ剥製屋の姿が後ろにあった。彼は月島軍曹殿を心配そうに眺めている。二人の関係は俺が思うより、複雑なのかもしれない。

俺はそんな思案をしつつも、二階堂が眠るであろう医務室に向かった。

 

 

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

【第七師団:小樽の病院】

 

少し無理をしすぎたようだ。疲れが一気に押し寄せていた。以前なら、これぐらいなんともなかったのだが。

 

「はぁ………」

 

 

俺は医務室の扉を前にして、もう一度廊下を振り返った。あの剥製屋の姿はもう見えない。別の場所をさまよっているんだろう。

 

俺は扉をできるだけ静かに開け、手短にあった椅子に腰を下し、体を休めた。少し暗くはあったが、すでに朝日の気配が窓からうっすら差し込んでいる。汗が落ちた。脂汗が混じっているようだ。袖で拭くと、体がかすかに震えているのがわかる。

 

「………」

 

遠い夢のような、横浜での記憶を思い出していた。

あの頃も、ババァの仕事の合間に、俺の震えが止まらない事が多々あった。その時、ババァは決まって俺を風呂に入れた。「今から清めるからじっとしてな。『みんな』、アンタの体が欲しいから、離れたくないのよ。寂しいのよ。しっかりしなさい」そう言って、頭を3分水に漬けっぱなしにさせられたのだ。死にそうな思いをしたが、そうすることで震えは収まっていた。「これでもう大丈夫」とババァが満足そうに笑う、あの恐ろしさも忘れていない。

 

「………………」

 

ガチガチ歯が鳴っている。震えがひどくなっている。

今は風呂に入れない。

震えが収まるまで待つしかない。

しかし、男の声が頭に響いた。「体ヲクダサイ。ヨシヨシペロペロ、鶴見サン二サレタインデス。体ヲクダサイ。体ヲクダサイ高橋サン」と繰り返し耳元で囁く。

 

「うるさい」

 

「………………………だれ?」

 

むくり、と人影が寝台の上に起き上がった。

声は掠れていたが、すぐに二階堂だとわかった。

 

「俺だよ、浩平」

 

優しい声が、意識せずに出ていた。疲れた自分の意思に反して、颯爽と二階堂の元に駆け寄る。

 

「おかえり、洋平」

 

「おう、今帰ったぜ。浩平」

 

にっこりと微笑む二階堂が言った。

俺もなぜか笑っていた。さては『二階堂洋平』が憑いているな、と今気づく。

 

「寝てろよ、まだ夜だぞ」

 

「洋平が起きてるからいいもん」

 

俺、否、洋平が手を頬に添えれば、くすぐったそうに二階堂は目を細めた。拒みはしなかった。

 

「やっと話せたなぁ洋平」

 

歯を見せて二階堂は笑っていた。

その表情は今まで一度も見たことないものだった。

 

「……………」

 

俺は黙っていた。この笑顔が完全に洋平にしか見せない素顔なのだろう。その顔を見て、やるせなさがこみ上げる。

 

「やっと会えたなぁ浩平」

 

「次はいつ会える?」

 

首をかしげると、洋平が眉をひそめた。

 

「分からねぇ。俺はいつでも会いてぇ。でもよぉ浩平、結局はコイツの体しだいだぜ。高橋の体は入りにくくて仕方ねぇんだ。今は剥製屋のおこぼれで隙ができたおかげで入れたが、普段ならこう上手くはいかねぇぞ」

 

「早く会えないの?俺、早く会いたいよ!洋平ッ」

 

「早く会うには高橋を説得するしかねぇよ浩平」

 

なるほど、俺の体を本格的に乗っ取るつもりのようだ。そうはさせない気ではいるが、少しの間なら貸してやらなくもないとも思ってしまう。

洋平の時だと、俺は二階堂に『優しく』できるようだった。俺だけの力では二階堂を優しく扱えない。

そう考えている間も、二階堂は洋平と会話していた。

 

「エ〜〜ッ!でもそれってすご〜く面倒臭いッ!」

 

「そうだ、それは面倒臭せぇよなぁ」

 

「じゃあ俺も死んで、二人で高橋の体を奪うのはどお?」

 

「それだと杉元を二人で倒せなくなるぜ、浩平」

 

杉元の名前が突然出て、俺は混乱した。なぜ杉元がここで出てくる?コイツらがなぜ杉元を知っていて、しかも恨んでいるのか。まったく見当がつかない。

 

「お前は生きて、俺は高橋の体を使って、二人掛かりで挑んだほうが確実に杉元を殺せる」

 

「分かった、じゃあまだ俺生きてるね洋平」

 

「そしていつか絶対ぇ二人で杉元を殺そうな浩平」

 

「うんッ!絶対だよッ!」

 

洋平と二階堂は、互いに額をひっつけて微笑んだ。

 

「……………」

 

なんて不穏な会話なんだ。

黙って見ているが、口を出したい。

それに、ただの知り合いといえど、ここまで言われようは、流石に杉元に同情する。杉元がお前達に何をしたっていうんだ。

 

「あ」

 

一瞬だけ、視界が暗くなった。

疲労で首の力が抜けたのだ。

 

「大丈夫?」

 

「俺は平気だぜ浩平。だがよぉ、このまま起き続けりゃ、こっちの体の限界で気絶しちまうかもなぁ」

 

 

当たり前だろと、言ってしまいたかった。しかし依然として体の主導権は洋平が握っているらしい。俺の意思ではビクともしない。

そんな折、二階堂が自分の掛け布団をめくってみせた。端に寄り、ポンポンと寝台の空いたところを叩く。

 

「一緒に寝ようよ、洋平。ココッ!ココ入ってッ!」

 

やめろやめろ!

 

「わかった浩平」

 

わかるな!俺は男寝る趣味はない!

拒絶する本心とは反対に、体は靴を脱ぎ始める。

この双子はどこまで仲がいいんだ?ベタベタ触るのでは足りないのか。

 

「わ〜〜いッ!洋平と一緒だッ!」

 

勘弁してくれ!叫び出したかった。

体はおとなしく、二階堂のすぐ隣で横になる。

もう嫌だ。そう頭を抱えたくなった時、ふと二階堂の顔が目に飛び込んだ。

 

「あったか〜いッ!」

 

俺の体に身を寄せてそう言った。目尻を下げて、心底嬉しそうに。

 

「俺も」

 

洋平の手が伸びて、また二階堂の頬を撫でる。

答えるように二階堂も俺の頭を撫でた。

 

「ヘヘッ」

 

俺の腕と布団の中に収まる二階堂の顔には、いつものへの字口は浮かんでいなかった。安らぎに満ちていた。瞳は和み、口元には微笑みをたたえている。これほど幸せそうな表情を、俺は見たことがなかった。

 

「………………」

 

しばらくその状態であった。だが、ずっとは続かなかった。

 

 

「………オイ、二階堂」

 

「高橋?」

 

しかし俺が声をかけた途端、パッと腰に回っていた左手が離れる。

 

「もう?もう高橋になったの?もうなの?」

 

窓から光が差していた。

朝日が昇りきった今、洋平の気配が消え去って、急に体の主導権が戻ったのだった。………………

 

「早すぎない?」

 

露骨に不満そうだ。

 

「悪かったな、兄弟水入らずを邪魔して」

 

俺はゆっくり二階堂から身を離し、その布団から出ようと身を起こす。

 

「俺では不満だろう、すぐ出ていく」

 

「…………別にいいよ」

 

しかし起こした体は、ぐいと引っ張り戻された。「ぐえっ」蛙に似た声が飛び出る。再び温かい布団の中に押し込まれた。

 

「高橋、昨日の夜から頑張ってるんでしょ?寝てればいいじゃんッ!」

 

「いや、しかし、俺は」

 

俺がよくないんだ、俺は男と寝る趣味は無いんだと、言いかけて口を閉じた。唐突に眠気が襲ってきたのだ。

 

「……いや、だめだ。まだ、まだ…やる事が」

 

「俺も寝るから高橋も寝るのッ!寝なきゃダメなのッ!」

 

「わかったわかった、わかった寝るから目を押すな」

 

強制的に瞼を閉じさせようと、容赦ない二階堂の手のひらが目を覆う。二階堂なりに気を遣ってくれているのだと嬉しいが、やはり洋平との会話よりは素っ気なかった。

 

「……おやすみ二階堂」

 

同じように手を頬に添えてやったが、

 

「…………」

 

パシッと叩かれた。もう二階堂に可愛げは求めない。またへの字口を浮かべている。この野郎、一応俺の方が上官だぞ。

俺は体を反転させた。二階堂に背を向けて寝ることにした。

 

「………おやすみなさい、高橋ぃ」

 

それは意識が沈む寸前。

背中越し、二階堂の声が聞こえた気がした。

 

そしてそれとは別の誰かが耳元で囁く。

「マダ僕ハ、諦メテイマセンカラネ。高橋サン」

剥製屋がにっこりと微笑んでいた。

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