俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【第七師団:小樽の兵舎】
時刻は現代で言う午後6時になろうとしていた。
廊下に男の慌ただしい足音が響く。
「チッ………」
具体的には、鶴見中尉から呼び出しされていた時間になる。主に昨日の報告とこれからの作戦確認。
しかし今回下準備をした、肝心の高橋の姿が見当たらなかった。どこの部屋を覗いても居ない。病院まで行って確認していないが、恐らくまた二階堂に引き止められているのだろう。
「……遅れるなと、あれだけ言ったはずだ」
ひとり呟くのは、良心で忠告した月島軍曹だった。昨晩、賭場での様子に少し見直しそうになっていたのだが、さっそく撤回しそうになる。
「月島ぁ!」
鶴見中尉の将校室の前に鯉登少尉が立っていた。先に到着したらしいが、まだ入るのを躊躇っていたらしく、月島と目が合った途端にどこか安堵した表情となった。
「遅いぞ月島。もうすぐ鶴見中尉に呼ばれた時間になる」
「先に着いたのなら、こんなところで立っていないで、中で待っていればいいでしょう鯉登少尉」
「……………早く着きすぎても、いかんだろう」
苦しすぎる言い訳だった。
だが、今はそれより気がかりな事が月島軍曹の頭を占めていた。
案の定鯉登少尉がそのことに触れる。
「……ところで今回から囚人狩りに参加するという上等兵はまだ来ないのか?上官より遅れるとは、たるんどるのではないか」
「おっしゃる通りです」
庇いようがないことだった。
これ以上遅刻すれば、積み上げた信頼はまた地に落ちることだろう。
高橋について元より期待はしていないが、その様を見ていて気持ちのいいものでもなかった。
「……少し様子を見てきます。鯉登少尉は先に中で待ってください」
高橋は医務室にいるはずだ。中尉の部屋から踵を返して、見に行ってやるつもりだった。しかし襟元を引っ掴まれて足が止まる。
「待て月島!私をひとりにするな!」
そう言って唾を飛ばす少尉は、見るからに焦っている。上官といえ月島はあえて低い声で制した。
「少しだけですから、早く入っていてください。すぐに戻ります、鶴見中尉にもそうお伝えください」
「無理だ一緒に来い!」
強情さに月島軍曹の偏頭痛が再発する。
語調を強めて、ふたたび言った。
「ですから、少し離れるだけだと言ってるでしょう!」
「月島!」
「無理です」
「月島ぁ!」
「無理です」
「月島ぁあ!!」
「何を騒いでいる二人共」
「月し…キェエエエエエ!!!(猿叫)」
部屋の扉はいつの間にか開き、押し問答する二人の間に音もなく鶴見中尉が立っていた。
猿叫と共に鯉登少尉は月島の襟元から手を離し、ワタワタと取り乱す。一方それを横目に、月島軍曹は粛然と敬礼をして言った。
「お騒がせして申し訳ありません鶴見中尉。実は高橋がまだ来ていない為、医務室まで様子を見に行こうかと思案しておりました」
「ほお……高橋上等兵が?一体何に手こずっているんだ」
顎に手を当てて尋ねる。その様に傍にいた鯉登少尉は見惚れていた。淡々と月島軍曹が答える。
「分かりません、先日の呼び出しでは二階堂の世話が長引いて遅刻していました。ただ、今回は事前に二階堂に構わず、早急に集まるよう釘を刺していたんですが」
「それもあまり効果がなかったようだな」
「すみません」
呼び出した本人に遅刻が知れてしまえば、庇うこと以前の問題だった。医務室に行くのは諦めて、高橋不在のまま話を進めるか。月島軍曹はそう割り切りろうと考えていた。
「では、私の方から高橋の元に出向いてやろう。仕事ぶりも見てみたかったから、ちょうどいい」
「………」
月島軍曹だけでなく、鯉登少尉の言葉も失っていた。一介の上等兵の元に、しかも遅刻中の部下の元にわざわざ向かう話は、どこでも聞くものではなかった。
「お待ちください中尉。高橋上等兵はすぐ連れ戻して参りますから、もう少し時間をください」
月島軍曹の言葉に鯉登少尉も大きく首を縦に振る。しかし、その訴えもどこ吹く風と、中尉は先頭を切って廊下を進むのだった。
「お待ちください」と月島軍曹と鯉登少尉が何度か止めるが、言葉ひとつで中尉が止まる訳がなかった。結局中尉共々、気づいた時は病院の医務室まで来ていたのだ。
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【第七師団:小樽の病院】
「つ、鶴見中尉殿!」
医務室の前に着くと、医者がちょうど席を外すところと重なった。突然の来訪に、医者の方もギョッとしていた。高橋の件について尋ねてみるつもりだった。
「高橋なら中にいますよ」
しかし訊く前から分かっていたようで、医者はそれだけ告げるとそそくさと場を後にした。いつも高橋が何か迷惑をかけるので、早く回収してほしいのだろう。
月島軍曹はとりあえず礼を言う。すると去り際に、「本当に、いつまで寝てるつもりなんだか。あれでも上等兵ですか」と、吐き捨てて言った。
「……寝る?」
中尉は静かに、人差し指を額にあてて言った。中尉の次の言葉を遮るように、月島が扉を開ける。
「高橋上等兵!お前まさか……!」
居眠りしているんじゃないだろうな!と月島軍曹はとっさにそう思った。思えばここ数日寝ていないのに加え、昨日は8瓶以上酒を飲んだ。まさかとは思うが、あれからずっと寝ていたんじゃないだろうか。
声を震わせて、部屋を見渡す。
「高橋!」
月島軍曹が呼ぶ方にはひとつの布団饅頭があった。
妙なことに、二階堂にしては布団の膨らみが大きすぎる。よく見れば細長い足先が布団からはみ出ていた。二階堂の寝台で居眠りか。
月島軍曹の読み通りだった。
「……おい、起きろ高橋!」
呆れて息をつき、容赦なく布団を剥ぎ取った。
そしてその瞬間月島軍曹、鯉戸少尉、鶴見中尉さえも目を見開いて固まった。
「……朝ぁ?」
二階堂と高橋が、布団の中で抱き合って寝ている光景がそこにあった。「んんっ」突然の部屋の光に、どちらともなく悩ましげな声を出す。
先に起きたのは二階堂だった。小さく瞬きをする。
それから、その口を高橋の耳に寄せた。
「起きてよ高橋ぃ。朝だよ」
嫌な汗が月島の頬をつたう。
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ガツンと俺の頭を誰かが叩いた。一瞬、剥製屋かと思ったが、ヤツはすでに死んでいる。しかも外は明るいので好きに振る舞えるはずがない。
「高橋、起きろ。今何時だと思っている」
軍曹殿の声が頭の上から降ってくる。気がつけばやけに部屋が明るかった。裸電球の明かりである。つまり今は夜であるということだ。
「はっ、すみませ…!」
寝台から跳ね起きて、周囲を見回す。そばに険しい顔の軍曹殿が立っていた。そこから大失態をしてしまったことを悟る。
「呼び出しの時間は」
「過ぎている、当たり前だ」
「申し訳ありま…」
ガスの臭いが、鼻に来た。眠気を誘うようなそれを嗅いだ瞬間、首の力がガクッと抜ける。
「どうした?」
区切りを悪く、急に俺が口を閉じたので月島軍曹が問いかけた。
一方で俺は頭をゆっくりと持ち上げ、ぐらついた体勢を手直す。自分の意思と関係なく、ある人物に目が釘付けになっていた。
「…………鶴見さん」
うっとりした声が出ていた。
沸騰しそうな熱が、頭に集まる。嬉しさと感動がこみ上げてくるが、あきらかに俺の感情ではなかった。
剥製屋が体に憑いている。
「鶴見さああん!」
布団から飛び出して、俺はまっすぐ鶴見中尉に走りよっていた。やめろ!止まれ!
必死に訴えるが、剥製屋は鶴見中尉に両手を広げている。
「鶴見さあん!ボクに与えられた役目、ムダじゃありませんでしたよね!いっぱい褒めてくれますよね!やっとボクはヨシヨシペロペロしてもらえるんですよね!鶴見さぁぁあ……」
「キエエエエエエエッ!!!!(猿叫)」
瞬時の出来事だった。一直線に進む俺、もとい剥製屋を突如として大きな衝撃が襲う。
次に気がつくと俺はうつ伏せで地面に倒れていた。
「どういうつもりだ貴様ぁ!!!」
般若の形相で剣を抜いた男が立っていた。
軍服の仕立ての良さと、目立つ褐色の肌ですぐさま誰かが分かった。
「申し訳ありませんでした鯉登少尉殿、鶴見中尉殿」
とっさに謝罪の言葉を並べる。どうやら今の一撃で体の主導権が戻ったようだ。
切れ長の目が、さらに細くなって俺を睨みつける。
「どういうつもりだと聞いているのだ高橋上等兵!ヨシヨシペロペロとは!一体何をしてもらうつもりだったのだ!」
「少尉?」
眉をひそめた軍曹が言う。けれども少尉は聞く耳持たずで、銃まで俺に向けていた。
「答えろ高橋上等兵!」
「………………分かりかねます」
「とぼける気か貴様ぁ!!!」
少尉が良いところの坊ちゃんで、気難しい方だというのは事前に知っていた。だが、それにしても答えにくい質問をする。
「すみません、寝ぼけておかしな事を口走ってしまいました。本当に申し訳ありません」
「『寝ぼけて』……だと?」
うまい言い訳を考えたつもりだった。
ところが少尉殿の眉間の皺はいっそう深くなっていく。
「あれのどこが『寝ぼけて』いたというのだ。おのれ高橋上等兵……泣きついて許しを乞い、どさくさに紛れて鶴見中尉に抱きつこうとするとは。そこの一等卒とも抱き合っておきながら、見境なく男を求める事、恥を知れ!」
「…………なるほど」
誤解が誤解を招いて、もはや別人の話のようだった。
言いたいことは色々とあったが、とにかくひとつだけ訂正したいことがある。
「俺に男色の趣味はありません」
「説得力がないぞ高橋」月島軍曹殿がため息をつく。
「そうだったのか高橋」意外そうに鶴見中尉が声をあげた。
「何も分かっとらんぞ貴様」鯉登少尉が歯をむきだして怒る。
はて、思っていた反応とは違う。てっきり「当たり前だろう」と言ってもらえると思っていたのだ。
俺が首を傾げていると、鶴見中尉が笑った。
「それでは私にも興味が無いように聞こえるぞ高橋上等兵」
「当たり前です」
まさか自分が言うことになるとは。とっさに出た言葉だったので、上官に対して不敬ではあった。
俺は非礼を詫びるために、「申し訳ありません、生意気な事を言いました」と付け加える。
「熱烈に私に迫った末、私に薬指と接吻まで捧げておいて冷たいなお前は」
「キエッッ(猿叫)!!?」
鯉登少尉殿が泣きそうな声を上げる。
「先ほどの姿も、ついに私に手なずけられたと思ったのだが?」
鶴見中尉は構わず尋ねた。忠誠を誓うのと、手なずけられるのは違う。
少しずつ近づきながら、地面に倒れている俺に語りかけた。
「一瞬、お前が私のかつての友と重なったのだが、あれも勘違だったんだな?」
「いいえ。先ほどの奇行は俺ではなくすべて剥製屋がやっていたことです」
鶴見中尉殿が怪訝そうに顔をしかめたが、それは一瞬だった。
「お前が得意な口寄せで、江渡貝くぅんをその身に宿していたと言いたいのだな?まったく面白くない洒落だ、そういうところだぞ高橋」
「口寄せではなく、勝手に剥製屋が取り憑いておりました。これは洒落でも冗談でもありません」
鶴見中尉は片手を出してみせた。この手をとって起き上がれと、無言の圧力がかかる。
「ありがとうございます、しかし」
俺は身を起こし、その手を取らずに、素早く立ち上がる。俺は差し出された手とは逆の手を盗み見た。その手にはしっかり拳銃が握られている。
「上等兵ごときに気遣いはいりません鶴見中尉殿」
「釣れないやつだ高橋。口説き落とすのはまだ先になりそうだ」
満足そうに中尉殿は笑っていた。目が笑っていないその笑顔が本当に恐ろしい。簡単に心を許す訳にはいかないと改めて思う。
「遅刻の罰は後ほど受けます、ですからまずは部屋を移させてください」
「そうだな、後でたっぷりお仕置きしてやろう」
それを眺めていた鯉戸少尉は、俺をさらにきつく睨んだ。親の仇のような目である。「チッ…」舌打ちまでしてきた。かなり怒ってらっしゃるようだ。
「……一生遅刻しないようにします」
「その言葉忘れるなよ高橋。それと鯉戸少尉のアレはあまり気にせんでいい」
中尉殿と少尉殿が部屋を後にして、同じく出て行く月島軍曹がすれ違いざまに言った。
俺はそれを肝に銘じつつ、後に続く。
「高橋ッ!今日も朝まで?」
二階堂がこちらを呼び止めた。
「いや、すぐ戻るぜ浩平」
軽く手を挙げて、答える。安心したように二階堂は頷いて見送ってくれた。