俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【第七師団:小樽の兵舎】
報告の内容としては、人皮を無事に賭場で流した事ももちろんだが、大半が脱走前夜に俺と尾形上等兵が話した事であった。
「てっきり、脱走時の事を聞かれているのだとばかり思っていました。申し訳ありませんでした」
「てっきり、とは随分余裕があるな高橋。私なりに『脱走について知っている事を洗いざらい吐け』と脅したつもりだったんだが?」
鶴見中尉はフルフル、と首を振ってため息をつかれた。おっしゃりたいことの意味を汲み取るのは苦手であるものの、今の表情は『呆れ』を示してのだと最近分かってきた。
「今一度はっきり言おう、造反について尾形、または他の連中とのやり取りを洗いざらい話せ」
「はい」
これ以上中尉に呆れられてはいけない、そんな思いで詳細に丁寧に事の経緯を話した。それはもう、たわいも無い事から尾形上等兵の言動ひとつひとつまで。しかし、くわしく話せば話すほど、中尉は眉をひそめ、軍曹や少尉の眉間も険しくなる。
「……つまり、尾形上等兵は脱走前日までに喋れる状態であり、造反して中央に持ちかける件を触れ回っていたという事だな?しかも花沢少尉の死因についても言及したと?」
「そうです。それと、同じ事を俺以外に触れ回っていたとするなら、考えられるのは北見と園田くらいでしょうか。尾形が寝たきりになって医務室を出入りしていたのは、今挙げた者だけですから。それに、尾形上等兵は医務室以外に移動はしていなかった。いくら喋れるとはいえ、自由に動き回ることも困難でしたでしょうし、何より監視の目もあるので出来るはずがありません。よって他に内通する者は、北見と園田くらいです」
推測まで添えるのは出すぎた真似かもしれないと思いつつ、はっきりしている事はすべて吐いたつもりだった。
鶴見中尉は、「最初の渋り様が嘘みたいに簡単に喋ってくれる」と笑みを浮かべていた。
月島軍曹殿といえば特に表情を変えることはなかったが、話の最中何度も視線を少尉殿に移すのが気になった。当の少尉殿は黙り込んだままだ。中尉殿を前にすると、寡黙であったので、このままずっと黙っていらっしゃるつもりだろうか。
ところが、だいたいの話が区切れた時、少尉殿がポツリと言葉を挟んだ。
「花沢少尉の話は、尾形がお前に振ったのか?」
月島軍曹殿が静かに目を伏せている。さらに顔を険しくさせて。
俺は首だけ少尉殿に向けて答えた。
「はい」
「嘘をつくな……高橋上等兵!」
鯉登少尉殿は物凄い剣幕で吐き捨てた。
「嘘ではありません。俺はあの脱走前日、尾形上等兵からに言われました。『花沢少尉は203高地で確かに俺がその頭をブチ抜いてやった』と」
「そんなわけがないだろう!ふざけた事を言うなぁあ!!」
予想はしていたが、案の定鯉登少尉は俺の胸倉を鬼の形相で掴みかかった。元より俺に避けようという意思は無く、突きつけられた拳銃は深く首に食い込んだ。
「勇作殿は敵陣へ邁進した末にっ!我が軍の誉として誇り高くこの世を去られたのだ!貴様尾形上等兵の言い分に乗っかってその名誉を汚すつもりだろう!」
「違います。俺もその時は耳を疑いました。ただ、尾形上等兵本人がそう言うもんですから」
「それ自体法螺(ホラ)だと言っておるのが分からんのか高橋上等兵!」
それはない。あの時、隣で花沢少尉殿本人も『そうだ』と頷いていたのだから。
その旨を伝えようと口を開きかけたところで、月島軍曹が後ろから鯉戸少尉を引きはがした。
「離せ月島ぁ!こいつは師団の恥だ!不敬の極みだ!身をもって分からせねばならんのだ!離せ!」
「落ち着いてください少尉」
落ち着いた声の軍曹殿が、一層大きく騒ぐ鯉登少尉の声でかき消える。
鶴見中尉は手を後ろに組んだままその様子をしばらく見ていたが、静かに俺に尋ねた。
「私もその話には驚いたぞ高橋。尾形上等兵が自身の手で花沢少尉を撃ち抜くのは動機こそ無くとも、実際問題実行は可能だ。あながち新事実とは考えられなくもない…………だぁが」
中尉は両手を解いて、俺に顔だけを向けて言った。ひっそりと右手が軍剣に添えられている。
「なぜ、そのような個人的な話を、わざわざ尾形はお前に話したんだ?」
まただ。俺はまた中尉に殺されそうだ。そう察してしまうほど、空気は張り詰めていた。かつて左手の薬指のあった付け根が無いはずの指を震わせる。
「やはり尾形上等兵とは以前から面識があったんだろう?そしてまだ密かに通じている……違うか、高橋」
「いいえ。尾形上等兵とまともに会話したのはあの人が下顎を負傷した後の事です。それに、以前から俺と話しても尾形上等兵は露骨に舌打ちする事が多かった。おそらく仲は良くなかったと思われます」
「かなり、良くなかったようだな」
「そうかもしれません」
「そうに決まっている」
そこまで言われればそうなんだろう、素直に「俺は嫌われていました」と頷く。
「しかし……それならますます分からん。なぜ、仲の悪いお前にそんな告白を尾形はした?」
さあ、と首をかしげようとしたが、ふとその日の会話を思い出した。尾形上等兵が俺を法螺吹きと言い放つ直前の会話。たしか、あの時、花沢少尉の口寄せを行ったのだ。
「確信はないのですが」
「言ってみなさい」
「おそらく、俺が花沢少尉殿の口寄せを行なったのが気に入らなくて、話されたんだと思います」
「……………」
鶴見中尉が、俺を見つめたまましばらく黙り込んだ。ゆったり笑みを浮かべてはいるものの、それは形だけの笑みで、目はどこか遠くを見ていた。
やがて変わらず微笑みを浮かべたまま、おもむろに額に手を添えた。
それから「フー」と、目を伏せて中尉が息をつく。
「…………」
何か言おうと、少し口を開けたが、中尉殿はすぐ閉じた。
そしてそれが何回か繰り返して、それでも何も言わなかった。
「俺が口寄せをしたから、だと思います」
「聞こえてる、ちゃんと聞こえていたぞ高橋上等兵」
ではなぜ、何もおっしゃらないのだろう。
首を傾げていると、その様子さえも良くなかったらしく、例によって鶴見中尉は首フリフリをして呆れている。
「口寄せが出来るなど、寝言は寝ていいなさい。それともまだ頭が寝ているのか貴様」
「失礼しました。正確には、口寄せではなく自己流の降霊術です。俺の祖母……いや知り合いの者がやっていた事の見よう見まねで、花沢少尉殿に体を貸しました」
「違う違う、話をややこしくするな。ちょっと黙りなさい高橋」
手で制されたので、頷いて口をつぐむ。
「とにかく、花沢少尉が死んでもなお尾形上等兵の近くにいる、と告げたわけだな?」
こっくり、小さく顎を引いた。
正しくは少尉殿を自分に宿し、少尉がいかに兄を想い心配しているのかを打ち明けてもらった訳だが、始めに説明したうえで黙らされている。
これ以上口寄せについての言及は不要だろう。
「この際、口寄せが妄言でも冗談でも、どちらでもかまわん。重要なのはその内容の信憑性だ」
窓の外に鶴見中尉は視線を移しながら言った。遠くを眺めるような目つきだ。
「もし、その話が本当なら尾形が造反した事が不自然ではなくなる。ヤツは中央に恨みなど元から抱いていなかったことになるからな」
なるほどだな、と心の中で呟く。
尾形本人もあの時打ち明けたように、中央へのけじめとして自害した亡き父親も実は尾形上等兵が殺したらしい。それも含めて考えれば、親と腹違いの弟の死を尾形上等兵はもともと望んでいたようだった。
望んでいた二人の死に中央がどう建前を装おうと、目の敵にするほどの事ではない。
「尾形上等兵はハナから我々を裏切るつもりだったということでしょうか」
月島軍曹殿が尋ねる。その言葉に鯉登少尉の拳が微かに震えていた。忠義に厚いお方なのだろう、よほど尾形上等兵の造反が気に入らないらしい。
鶴見中尉は腕を後ろで組んで、うーんとうなる。
「そうとも限らん……と言いたいところだが、杉元達と共闘して白石由竹を奪還してきたことを鑑みれば、あながち間違いではないかもしれん。ヤツが杉元との協力を元々見越していたかは不明だが、あっさり手のひらを返すあの潔さ……父君の名誉と第七師団の為に戦う気は無かったに違いない」
「どうした高橋」
月島軍曹が俺に問いかけたので、二人の視線もこちらに向けられた。困惑が顔に出ていたらしく、それぞれが俺を探るように視線を送る。
「何か気になることでも?」
首を振る。気にしないでくださいと、伝えたかった。
しかし何を取り違えたか、すかさず鯉登少尉が拳銃をこちらに向ける。「怪しい、早く吐け」と目で訴えられている。
「………」
手を使って、なんとか伝えてみようと試みた。
『杉元が何故そこで出てくるんですか?』と、空気に指で字を書いてみたり。身振り手振りで尋ねてみたり。
「喋っていいから早く答えろ高橋」
「杉元は金塊と関係あるんですか?」
質問をした月島軍曹が目を丸くする。
聞かれたから答えたのに、他の二人も戸惑った顔でこちらを凝視していた。
「高橋上等兵、お前は本当に何も知らないらしい」
鶴見中尉が顔フリフリで呆れ顔になる。また呆れられてしまった。弁明のつもりで、すかさず俺は声をあげた。
「金塊についてはおおかた理解しているつもりです」
「その金塊を探っているのは我々だけではない」
確かにそうだ、と頷く。傍(かたわら)でフンっと鼻で笑う鯉登少尉殿。気にせず俺は鶴見中尉の話に耳を傾ける。
「もちろんほかの囚人やその囚人に触発された輩が嗅ぎつける事もある。金塊を追い求める一派の内のひとり、それが杉元だ」
「なるほど」
脳裏に、奉天会戦帰りの民家で飲んだ記憶が過ぎった。金が必要だ、惚れた女の目が悪い、と呟く横顔。動機は十分ある。
あの時その金を稼ぐ点だけに関しては、俺は背中を押したい気持ちだったのだ。
今、杉元は敵対する派閥にある事は、さすがに理解できる。あの時戦友だった者が、そんな立ち位置になっているとは、正直複雑だ。
「他の囚人も、杉元のように、仲間を作って金塊を狙っているんでしょうか?」
尋ねる俺に、月島軍曹は目だけで頷いた。
「そうだ。現在は元囚人の土方、牛島が永倉新八と結託していることは確認済み。他には知っての通り、今回狙う稲妻強盗も蝮のお銀と行動を共にしている。それ以外にも囚人が点々と散らばり隠れているが、そいつらの所在ははっきりしない為、協力者がいるかどうかも分からん」
「お前は杉元と親しかったのか?」
鶴見中尉は何かを期待するような目でこちらを見ていた。
「………」
改めて問われると難しい。知り合ったのは旅順攻防戦が一旦静まった後、所属の歩兵連隊が合流したつかの間の休憩の時である。それに、それからわずか数ヶ月程度で杉元に会うことは無くなった。この先も会うことはないと思っていた。
本当に短い期間、偶然が重なっただけの仲だ。わざわざ思い返すほど深い訳でもない。しかし、嫌いな奴ではなかった。ふとその顔を思い起こして「元気かな」と心配りする程度には、好感は持っていた。
「知り合いです、特に仲は良くはありません」
「ほぉ……杉元はただの知り合いだと?たしか杉元佐一と高橋上等兵は同じ第一師団から白襷隊として選抜され生き残った、そうだな?それなのに本当に親しい仲にはならなかったのか?」
「はい。何度か奉天会戦の帰り際、共に飲むことはありましたが、それっきりです。友人というか知り合いというか、とにかく深い仲ではないですね」
「殺せるか?」
俺の話を区切るように中尉は言った。薄い笑みを浮かべながら。
「杉元佐一と対峙することになったら、お前はすぐに殺せるか?」
「もちろん。そう命じてくだされば、必ず」
嘘ではない。いくら腹を割って話した仲とはいえ、そこは割り切れていた。それにおそらくそういう状況になれば、杉元もこちらを殺す気で来るはず。自分の生き死にに、相手への情も何もない。俺も杉元もそれが分かっているから激戦をかいくぐって来れた。
「よく言ったぞ高橋上等兵。二階堂もさぞ頼もしいことだろうな」
「二階堂?」
俺は戸惑った。なぜ今の話に二階堂の名前がでてくるのだろうか。
以前、二階堂と洋平の会話に『杉元を殺す』という旨を繰り返し言い合っていた。これはそれの事情を聞く良い機会かもしれない。
「中尉、」
「そういえば、二階堂はかなり回復してきたようだな。ある程度の勤務なら問題ないらしいが」
そのことについて訊くのを遮るように、中尉が尋ねた。
さっきまでの疑問は一旦飲み込んで、報告する。
「はい、現状俺の手伝いが無くとも、ほとんどの日常生活はなんとか自力で行えているようです」
「二階堂の不自由さを見かねてお前に付きっきりの手伝いを命じたのだ。当初の目的をもう達成しているとは、よくやった高橋上等兵」
「ありがとうございます」
「もはや二階堂に補助は必要ない。お前は小樽で私の囚人狩りやその他の勤務に集中しなさい」
鶴見中尉はぽん、と俺の肩に手を置いた。
「それとお前に良いことを教えてやる」
そして俺の返事を待たずして、俺の耳に口を寄せ、鶴見中尉は言った。
「二階堂洋平は杉元佐一が殺した。いっそう杉元が殺しやすくなるだろぉ高橋」
横目で見下ろす。中尉と目があった。洋平の敵をとれと言いたいのだろう。
「そうですね」
「……」
俺の答えに満足したかどうかは分からないが、中尉は何も言わず部屋から去って行った。
フー、と首を振る中尉の『呆れ』た顔が頭に浮かぶ。ひっそり振り返って確かめてみようか。その背中を追うように後ろを向いた。
「………」
しかし、振り返った先にいたのはまるで表情の読めない鶴見中尉の背中。それに加え、般若のごとく顔を険しくして、こちらを睨みつける鯉登少尉殿だった。
「貴様ぁ………」
「なんでしょうか?」
地を這うような低い声だ。正直、そこまで激怒される理由がわからなかった。
思えば、花沢少尉殿の話に触れた時から機嫌が悪くなっていたようにも思う。
「鯉登少尉殿、まさか花沢少尉とは仲がよろしかったんですか?」
「鯉登少尉の父君と花沢少尉殿の父君は同じ薩摩出身で大変仲が良かったらしい。だからこそ少尉同士でも親交があったそうだ、ですよね鯉登少尉」
月島軍曹が説明を添えると、険しい表情のまま少尉は大きく頷いた。
なるほど、だから花沢少尉の死の真相にあれほど激昂したのだろう。
そうだ。
そこで俺は考えた。ここは小粋な冗談で場を和ませるべきだと。
俺はなるべく穏やかに、楽しげに聞こえるよう、少尉殿に言った。
「少尉殿、花沢少尉は死んでも尾形上等兵のそばにたしかに居ましたよ。あれはおそらく、尾形上等兵が何よりも心配で心残りだったからでしょう。尾形上等兵は花沢少尉に誰より慕われていたのかもしれませんね………というのは、じょうだ」
冗談です、と言いかけた時だ。俺より小さい影が突進してきたかと思ったら、また俺は床に仰向けで倒れていた。
「きぇえええええ!!」
馬乗りになった鯉登少尉が、俺の額に拳銃をつけつけて叫ぶ。
「よくも私の嫌っている尾形がっ花沢少尉にっ私より慕われていると言ってくれたなぁ!私を愚弄するつもりかぁ!」
「いいえ」
「なぜ貴様のようなヤツがっ鶴見中尉に褒められるのだ!お前のようなわけの分からん男が!!っ、花沢少尉の名を語るなぁ!」
「鯉登少尉!落ち着いてください」
月島軍曹が無理矢理俺から鯉登少尉を引き剥がす。しかし聞く耳持たずの状態は変わらず、羽交い締めで軍曹殿に押さえられてもなお、俺に銃を向けようと必死にもがいていた。
「離せ月島ぁ!こいつは体で償わさせねば反省できんのだ!」
「やめてください鯉登少尉、殺したら鶴見中尉に叱られますよ。いいんですか」
「ぐっ……うるさい!離せぇ!」
軍服に土埃がたくさんついている。二人が悶着している間に、俺はその汚れを払って上半身を起こしていた。
その様子を見て、月島軍曹が眉を寄せる。
「お前もなぜ火に油を注ぐようなことを言う?」
「今のは冗談のつもりだったんです」
「お前というヤツは…!」
またかそれか、と声にならない叫びをあげ、うなだれる軍曹。そして鯉登少尉を押さえたまま足で器用に扉を開け、部屋から出て行った。
去り際、月島軍曹に引きずられている鯉登少尉が
「貴様ぁ!明日私の部屋まで来い!必ず来い!遅刻ならびに諸々の不敬の罰を与えてやる!絶対だ!分かったなぁ!」
と怒鳴り散らす。
けれども最後の方は距離が遠くなっていた為、よく聞こえなかった。
とにかく明日は少尉殿の将校部屋に行けばいいのだろう。
俺は立ち上がり、誰もいなくなったその部屋の灯りを消した。
暗闇の中、剥製屋がじとりとこちらを見ている。
「イツ、体ヲクレルンデスカ?」
部屋の隅に、二階堂洋平の姿もあった。
「イツ、杉元ヲ殺セルンダ?」
俺には答えようもないので「さあ?」と首を傾げて部屋の扉を閉めた。
その後、誰も俺を追ってくる気配はなかった。