俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【杉元一派:釧路町】
杉元たちがバッタの難とラッコ鍋の宴をやり過ごしたあと、お互いさまざまな思惑と猜疑心で探り合いになった。だが、結局はのっぺら坊から全ての答えを得るということで、一同は納得し、共に網走監獄への潜入を行うことになる。
そしていよいよその網走への出発前、釧路町で一行は足を止め、それぞれ旅路に備えて買い出しや情報収集に出向いていた。
もちろん、白石も旅の消耗品を買うため日用品商店にいる。
いつもなら情報収集がてら一人でぷらぷら歩いていたところだった。だが、得意のそれも今は気が乗らず、こうしてすぐ店に入って気を紛らわすことにしたのだ。ため息ばかりが絶えず出ている。
「はあ〜〜あ…」
白石はついさっき杉元の放った言葉を、また頭に浮かべて思いを巡らせていた。
「インカラマッとキロランケ、旅の途中もしどちらかが殺されたら……俺は自動的に残った方を殺す!!これでいいな!?」
と、そんな物騒な事を言い放ったそばから「なんてな!」とあっけらかんに笑った。
「……笑えねぇのはお前の方だっての」
そら恐ろしい杉元に、届かぬ声で呟いた。
高橋が面白くないとあれだけ言っておいて、他人の事を言えない。
旭川で捕まった自分をわざわざ助けてくれたとは言え、この先いつ自分も殺される側になるか分かったものではなかった。白石にとってますます笑えなかった。
「これ会計ね、おばちゃん」
必要最低限の消耗品を手に、会計をしようと店の前の女に声をかけていた。
「兄さん新聞もどうだい?」
地方新聞は最近よく商店にも置かれるようになり、会計の際ついでに買う人が増えている。
しかし持たされた金は、実のところ白石のものではなくインカラマッからもらったお駄賃だった。
「いやぁ…」
できれば残りの金は酒や賭けにつぎ込みたい。目下の棚に置かれた新聞を手で制して、断ろうとする。だが、記事の一面が目に入ってその手を止めた。
「第七師団がもめ事ね……」
紙面へそのまま目を走らせていけば、おおかた内容はこうだ。
第七師団の本部が位置する旭川の軍営の敷地近くに、新しく遊廓ができるそうだが、それが地元住民の反対でどうも設置は見送られているらしい。
「こんな地元紙まで取り上げられて、あげく批評の嵐とはなぁ」
地元住民の反対意見は新聞社にまで伝染しているようで、文面から第七師団をヤジる言葉が目立つ。
ただ遊廓の話題だけで、ここ釧路町の新聞にまで影響が出ているというのが妙だ。
「………そこまで騒ぐことか?」
「騒ぐことよ〜、じゃなきゃ師団の思うままになっちまうからね」
独り言を拾われ、思わず顔を老婆に向ける。
「おばちゃん、なんか知ってんの?」
店主らしい老婆は売り物の新聞をヒョイっと手に取ると、その紙面を睨みつけた。
「日露戦争開戦前からずーっと約束をしとったらしいのよ、それを師団の偉い方が破ったという話」
「その破った約束って遊廓の件かい?」
白石が尋ねると、老婆は大振りに右手をあおぐ。
「違う違う〜!ほらっ、旭川とこも、小樽のとこも兵舎は町からちょっと離れてるでしょ?兵舎とその近所の人たちは物が行き来しにくいのよ」
噂好きなのか、彼女の店番で眠そうな顔はたちまち生き生きしだした。その表情の変化が白石の直感に反応する。乗せれば話す、上等な情報源。
「たしかに、言われてみればそうだわな」
大げさでも絶妙な相槌で相手は自然と饒舌になっていく。老婆は白石の手の内だ。
「軍人さんはいいわよ、特別配給が毎日運ばれてくるんだもの。でもその近所に住む人はどんどん不便になっていってるって。ただでさえ騒がしいのに不便被ってるからね、近所の人たちは、せめて課税を減らしてくれって頼んだらしいの。ずっと前からね」
この頃は軍が税収の管理を始め、行政に手を出すようになってきた事もあり、自治体の要望は師団に寄せられる。
しかし、要望が通ることは少ない。そもそも自治体から直接的に軍へ申し出を出すこと自体、珍しくなりつつある。
「ずっと前からってどれくらい前だよ」
「そうねぇ日露戦争開戦する前くらいかしら。とにかく師団にそういうことを頼んで、その時は偉い方がいいよって言ったらしいのっ。でも口約束だけでね。あとから町長さんが問いただしたら、知らないって言い出したらしいのよ!」
「口約束なら証拠がないからなぁ」
「それがあねぇ〜〜、あるのよ!しょ、お、こ!」
待ってましたと言わんばかりの勢い。
「え〜〜っ!?うっそー!それってどんなぁ?」
そのとき老婆は、先ほどまで饒舌だった口を閉じ、パッと手のひらをこちらに差し出した。
「………」
ん?何?と首を傾げる白石。その顔を見て、老婆は歯を見せて笑った。
「お代は一緒でいいね?」
「もぉ〜〜」
渋々小銭に手を伸ばす。あっという間にすっからかんだ。意気消沈する白石、それとは逆に店主の機嫌はすごぶる良い。
「そう落ち込みなさんなって!これ読んで損はないからね」
「はいはい…」
今は情報が有利に働く。背に腹は変えられない、と言い聞かせてお釣りと品物を受け取る。
そして差し出された新聞も貰いうけようとした際、老婆が白石の不意をつくように呟いた。
「今じゃ高橋さんだけが希望の星さ」
「高橋?」
聞き慣れた苗字が何故彼女の口から出たのだろうか。目を丸くしていると、後ろにいた客が咳払いをした。老婆も「ちょっと待ってねお客さん」と後ろの人夫に声をかけて、白石にハッパをかける。
「さあ、買ったならどいたどいた」
「おばちゃん、高橋さんってさ…」
「読んだらわかるから!さ、早くどきな!」
それ以上は喋りかける暇もなく、店の外に追いやられる。あまりの乱暴さに下唇を突き出して不貞腐れたものの、やはり気になる気持ちは押さえきれず、通りの端に寄って、言われた通り紙面の中から高橋を探した。